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道はまだ、交わらない
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美琳が剣を覚えてから幾ばくか。
枯葉はさらさらと舞い散り、雪がはらはらと降り積もった。
気づけば雪は溶け、都城の外では黄色い菜の花がちらほらと咲き、枯れ果てたはずの稲がぽつぽつと芽吹いていた。
季節は全身で春の訪れを寿ぎ、人々は長く辛い暗闇を抜けたように感ぜられた。
――――少女と少年が道を違えてから二度目の春だった。
「おい、交代だぞ」
真上から陽光降り注ぐ王宮で、雪焼けして肌黒い兵士が門の傍に立つ小柄な兵士に話しかける。
声をかけられた色白の兵の肩にはオスのアサギマダラが止まっている。
蝶はすっかり安心したような様子で寛いでいた。が、新たな気配に気づき驚くと、慌てたように羽ばたいて飛び去る。
小さな客人が立ち去るのを白面の兵は豊かな睫毛で縁取られた大きな瞳で見守る。可愛らしく瞬いたその目は、後ろに立っていた黒い影に振り返る。
「もうそんな時間か」
端正な顔立ちの兵は上目遣いで褐色肌の男に返事をする。その目線を受けた兵はごくり、と唾を飲み込む。されどそれを表に出すことなく、引継ぎの連絡を交わす。
「なんか変わったことはあったか?」
「いや、何もなかったよ。いつも通り、平穏そのものだったさ」
「分かった」
二人は慣れた様子で場所を入れ替わる。と、不意に彼の言葉が続く。
「そういや、護衛長がお前のこと呼んでたぜ」
「最近の調子はどうだ?美琳」
「すこぶる元気ですよ」
「そうか。そりゃ良かったな」
「……わざわざ聞かないでも分かることを何で聞くんだ?」
美琳は勇豪に執務室へ呼び出されていた。
勇豪の言葉に美琳はぶっきらぼうに返し、苛立ちを隠さない。翻って勇豪は飄々と彼女を躱して言葉を続ける。
「まあ挨拶みたいなもんさ。それはさておき、ここに呼び出したのは最近の噂についてだ」
途端、美琳の瞳がギラつく。
「アレ、本当なんですか」
その様はまさに飢えた飢えた獣のそれだ。
「そんな慌てんなよ。まだ決まりきってないんだ、そんながっつかれてもこればかりはどうしようもないさ」
勇豪が“待て”をするように片手を上げると、二人の空気が張り詰める。
そんな中、不意に浩源が部屋に入ってくる。
「おや美琳さん。こんにちは。お変わりありませんか?」
浩源は元より細い目をますます細めて優しそうな笑みを浮かべる。
それに対し美琳はどこかぎこちない顔つきに変わる。
「……特に変わりありません」
「そうですか。それは良かったです。ああ、護衛長。今日の分の木簡をお持ちしましたよ」
そう言った彼の手元には上半身を覆う程の木簡が積み重なっている。
勇豪は大量の木簡と目を合わせると、冷や汗を垂らす。
「それ、いつもより多くないか?」
「ええ。いつもより多いですね」
二人はにこりと微笑みあう。一人は嬉しそうに。一人は嫌そうに。
美琳は何故か嫌な予感がし、逃げの姿勢を取る。が、時すでに遅し。
勇豪に「美琳」と呼び止められてしまう。
「お前今日の仕事は終わってんだろ?ちょっと手伝っていけ、な?まだ話は終わってねぇしよ」
「えっと、私は文字を読めませんし、お二人のお仕事を邪魔するだけだから、また今度で……」
美琳がにじりにじりと出口に向かう。が、そこには浩源が立っていた。
浩源は笑みを崩すことなくさりげなく退路を断つ位置に移動する。
「美琳さん、私からも頼みます。この量ですからね、確認が終わったものを届けてくれる人が欲しかったんですよ。私からもお話したいことがありましたし、何も予定がなければお願い出来ませんか?」
そんな風にして四面楚歌の様相を呈した美琳は、大人しく従う他なかった。
三人は黙々と木簡を動かし続ける。
浩源は誰よりも早く木簡に目を通し、勇豪に確認してもらう分と、美琳にまとめてもらう分に仕分けていく。
美琳は浩源に指示された通りに木簡を整頓し、たまに執務室の外に届けにいく。
そして勇豪は頭を抱えながら渋い顔で文机を睨み続けていた。
木簡の束が三割程減った頃だろうか。
木の山がなだらかになる気配は微塵もないまま、窓から差し込む陽差しが部屋に濃い影を落とし始めた。
勇豪はついに我慢出来なくなったのだろう。ぶつくさと文句を言い始める。
「これよぉ、明日でも良いんじゃねぇか?つーか、こんなに捌けねぇよ……」
「別に私はそれでもいいんですよ?その代わり明日は訓練場に行けなくなるだけですが」
「それは勘弁してくれ……」
勇豪は顔を梅干しのようにしわくちゃにすると、カラン、と筆を文机に転がす。
すかさず浩源が棘を刺す。
「護衛長?まだ半分も終わってませんよ?」
「分かってるけどよぉ」
などと勇豪がごねていると、美琳が届け先から戻ってくる。新たな木簡というお供を引き連れて。
勇豪は美琳の手元を見ないように手で顔を覆って叫んだ。
「やめだやめだ!一旦休ませてくれ!」
そのまま仰向けに寝転がった。
「はぁ……このまま無理に続けても効率悪いですし、そうしましょうか。飲み物持ってきますね」
浩源が目頭を揉みながら執務室を離れると、美琳と勇豪の二人きりになった。
美琳は待ってましたとばかりに口を開く。
「で?あの話は本当だよね?いつ始まるんだ?」
「あー……俺の見立てじゃ秋が怪しいと思ってる」
勇豪は疲れを滲ませた声で返事する。
「そっか。秋、秋か……」
美琳は噛みしめるように呟くと、横になっている彼を見やる。視線の先の大男の体は平時よりも萎びて見えた。
さしもの美琳も、その姿には憐憫の情を禁じ得なかった。
それ以上問いかけることはせず、傍らにある木簡に手を伸ばした。
枯葉はさらさらと舞い散り、雪がはらはらと降り積もった。
気づけば雪は溶け、都城の外では黄色い菜の花がちらほらと咲き、枯れ果てたはずの稲がぽつぽつと芽吹いていた。
季節は全身で春の訪れを寿ぎ、人々は長く辛い暗闇を抜けたように感ぜられた。
――――少女と少年が道を違えてから二度目の春だった。
「おい、交代だぞ」
真上から陽光降り注ぐ王宮で、雪焼けして肌黒い兵士が門の傍に立つ小柄な兵士に話しかける。
声をかけられた色白の兵の肩にはオスのアサギマダラが止まっている。
蝶はすっかり安心したような様子で寛いでいた。が、新たな気配に気づき驚くと、慌てたように羽ばたいて飛び去る。
小さな客人が立ち去るのを白面の兵は豊かな睫毛で縁取られた大きな瞳で見守る。可愛らしく瞬いたその目は、後ろに立っていた黒い影に振り返る。
「もうそんな時間か」
端正な顔立ちの兵は上目遣いで褐色肌の男に返事をする。その目線を受けた兵はごくり、と唾を飲み込む。されどそれを表に出すことなく、引継ぎの連絡を交わす。
「なんか変わったことはあったか?」
「いや、何もなかったよ。いつも通り、平穏そのものだったさ」
「分かった」
二人は慣れた様子で場所を入れ替わる。と、不意に彼の言葉が続く。
「そういや、護衛長がお前のこと呼んでたぜ」
「最近の調子はどうだ?美琳」
「すこぶる元気ですよ」
「そうか。そりゃ良かったな」
「……わざわざ聞かないでも分かることを何で聞くんだ?」
美琳は勇豪に執務室へ呼び出されていた。
勇豪の言葉に美琳はぶっきらぼうに返し、苛立ちを隠さない。翻って勇豪は飄々と彼女を躱して言葉を続ける。
「まあ挨拶みたいなもんさ。それはさておき、ここに呼び出したのは最近の噂についてだ」
途端、美琳の瞳がギラつく。
「アレ、本当なんですか」
その様はまさに飢えた飢えた獣のそれだ。
「そんな慌てんなよ。まだ決まりきってないんだ、そんながっつかれてもこればかりはどうしようもないさ」
勇豪が“待て”をするように片手を上げると、二人の空気が張り詰める。
そんな中、不意に浩源が部屋に入ってくる。
「おや美琳さん。こんにちは。お変わりありませんか?」
浩源は元より細い目をますます細めて優しそうな笑みを浮かべる。
それに対し美琳はどこかぎこちない顔つきに変わる。
「……特に変わりありません」
「そうですか。それは良かったです。ああ、護衛長。今日の分の木簡をお持ちしましたよ」
そう言った彼の手元には上半身を覆う程の木簡が積み重なっている。
勇豪は大量の木簡と目を合わせると、冷や汗を垂らす。
「それ、いつもより多くないか?」
「ええ。いつもより多いですね」
二人はにこりと微笑みあう。一人は嬉しそうに。一人は嫌そうに。
美琳は何故か嫌な予感がし、逃げの姿勢を取る。が、時すでに遅し。
勇豪に「美琳」と呼び止められてしまう。
「お前今日の仕事は終わってんだろ?ちょっと手伝っていけ、な?まだ話は終わってねぇしよ」
「えっと、私は文字を読めませんし、お二人のお仕事を邪魔するだけだから、また今度で……」
美琳がにじりにじりと出口に向かう。が、そこには浩源が立っていた。
浩源は笑みを崩すことなくさりげなく退路を断つ位置に移動する。
「美琳さん、私からも頼みます。この量ですからね、確認が終わったものを届けてくれる人が欲しかったんですよ。私からもお話したいことがありましたし、何も予定がなければお願い出来ませんか?」
そんな風にして四面楚歌の様相を呈した美琳は、大人しく従う他なかった。
三人は黙々と木簡を動かし続ける。
浩源は誰よりも早く木簡に目を通し、勇豪に確認してもらう分と、美琳にまとめてもらう分に仕分けていく。
美琳は浩源に指示された通りに木簡を整頓し、たまに執務室の外に届けにいく。
そして勇豪は頭を抱えながら渋い顔で文机を睨み続けていた。
木簡の束が三割程減った頃だろうか。
木の山がなだらかになる気配は微塵もないまま、窓から差し込む陽差しが部屋に濃い影を落とし始めた。
勇豪はついに我慢出来なくなったのだろう。ぶつくさと文句を言い始める。
「これよぉ、明日でも良いんじゃねぇか?つーか、こんなに捌けねぇよ……」
「別に私はそれでもいいんですよ?その代わり明日は訓練場に行けなくなるだけですが」
「それは勘弁してくれ……」
勇豪は顔を梅干しのようにしわくちゃにすると、カラン、と筆を文机に転がす。
すかさず浩源が棘を刺す。
「護衛長?まだ半分も終わってませんよ?」
「分かってるけどよぉ」
などと勇豪がごねていると、美琳が届け先から戻ってくる。新たな木簡というお供を引き連れて。
勇豪は美琳の手元を見ないように手で顔を覆って叫んだ。
「やめだやめだ!一旦休ませてくれ!」
そのまま仰向けに寝転がった。
「はぁ……このまま無理に続けても効率悪いですし、そうしましょうか。飲み物持ってきますね」
浩源が目頭を揉みながら執務室を離れると、美琳と勇豪の二人きりになった。
美琳は待ってましたとばかりに口を開く。
「で?あの話は本当だよね?いつ始まるんだ?」
「あー……俺の見立てじゃ秋が怪しいと思ってる」
勇豪は疲れを滲ませた声で返事する。
「そっか。秋、秋か……」
美琳は噛みしめるように呟くと、横になっている彼を見やる。視線の先の大男の体は平時よりも萎びて見えた。
さしもの美琳も、その姿には憐憫の情を禁じ得なかった。
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