永遠の伴侶(改定前)

白藤桜空

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後宮に咲く華たち

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「どういうことなの?」
 ガシャン。
 と、割れた音と共に、女の声が地を這う。
 侍女は花瓶の破片を拾いながら必死に弁明する。
「す、すみません。私共も“今少し辛抱せよ”としか……」
「それがおかしいって言ってるんじゃない」
 女は水差しも机から落とすと、切り揃えられた爪を噛む。
「お爺様もお爺様だけど……王も一体何をお考えなのかしら」
 そう言って彼女は、青い着物を翻して部屋を出ていった。






 暦の上では春だというのに、窓の外では名残雪が舞っている。
 悪天候の中、美琳メイリンは後宮にある自室で退屈な時間を過ごしていた。
 普段なら後宮の中庭でも散歩して、夕餉ゆうげまで時間を潰している。
 だが今日はそうもいかない。
 美琳は静端ジングウェンの小言を聞きながら、書や礼儀作法を習っていた。
 そんなとき、その訪問者はやってきた。
「ご機嫌よう。美琳様」
 美琳がその柔和な声に振り返ると、青い着物を着た女性が戸口に立っていた。
 丸くて大きい、愛嬌のある目。ふっくらとした頬と柔らかそうな唇。
 少し茶色味のある黒髪は、髪色に合ったかんざしで結われている。
 小柄で華奢な体躯は、美琳と比べれば些か高いものの、いとも容易く折れてしまいそうだ。
 そんな見るからに庇護欲をき立てる彼女の姿に、美琳は見覚えがあった。
 だが名前が思い出せない。
「……?」
 きょとん、とした表情を浮かべていると、静端がすかさず耳打ちする。
「……ああ、淑蘭シュンランさん。こんにちは」

 淑蘭と呼ばれた女性がにこ、と柔らかく微笑む。
「これ程寒いと堪えるものがありますわね」
 美琳は彼女の言葉に小首を傾げる。
「そう?私は平気だけど」
「あら、寒さにお強いのですね。羨ましいですわ」
「?ありがとう」
わたくしなど実家にいた頃から苦手で……」
 ほぅ、と艶めかしく息をつきながら淑蘭は頬に手を当てる。
「昔お爺様に兵舎の視察に連れていってもらったときなど、あまりの寒さに凍えてしまうかと思いましたわ」
 淑蘭はふるふると首を振る。
「うーん、まあたしかに、皆“寒い寒い”って言ってたけど……訓練してる内に気にならなくなってたみたい」
 ふふ、と美琳は思い出し笑いをして懐かしむ。すると淑蘭は目を大きく見開く。
「まあ!なんて雄々しいのかしら!わたくしには到底考えられませんわ」
「そうかしら。淑蘭さ……」
 ここにきてやっと、美琳は静端の厳しい視線に気づく。
「淑蘭さまも今度一緒に体を動かしてみませんか?」
「うふふ、そうですわね。時間が合えばぜひ」



 つと、淑蘭シュンランは窓の方を見やる。
「雪が解けたら桃を見に行きませんか?」
「……なんで?」
 美琳メイリンは怪訝そうにする。
「花なんてわざわざ見に行かなくても見られるじゃない」
「あら、そんな寂しいこと言わないでくださいませ」
 淑蘭は眉尻を下げて美琳を見つめる。
「桃は大事な花ですもの、貴族は皆こぞって花見をするものですわ」
「ふぅん。そういうものなんですか」
「そうですわよ。宴も開かれることがありましてよ」
 その言葉にも美琳は興味を示さない。

「……きっと、今年は王が主催なさりますわよ」
 ピク、と美琳の耳が動く。
「二年前、王が即位なさったときも席が設けられましたわ。ああ、たしか、遅れていた王の成人祝いも兼ねていたはずですわ」
 淑蘭はコロコロと鈴を転がすような声で笑う。
「あのときの素晴らしさと言ったら……筆舌に尽くしがたいですわ」
 彼女はうっとりと頬を染める。
「雅楽は優美で厳かに奏でられ、踊り子たちが伝説上の生き物に扮して舞い踊り、お料理も頬が落ちるかと思いましたわ」
「それはとても『素敵』ね」
 美琳はじっと淑蘭の話に耳を傾け相槌を打つ。
「ええ、ええ、とても素晴らしかったですわ」
「でも今年はなんでやるの?」
「あら、それは勿論……」
 淑蘭は満面の笑みを美琳に向ける。
きさきになったからですわよ?」
 そう言った彼女の瞳は暗く淀んでいた。
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