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第三章 ざまぁの子は魔王の配下になる。

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「ヴァン!」

 誕生日まであと1週間というところで、セインはやっとヴァンの尻尾を掴む。
 いつもは背を向けて逃げるはずなのに、今日の彼はまるで待っていたかのようにのんびりしている。

「大きくなったなあ。セイン。まあ、背はそれ以上伸びないかもなあ」
「うるさい!」

 戦闘態勢の彼に対して、ヴァンは懐かしいという表情を全面に出していた。
 それがセインを余計イラつかせる。
 この4年、裏切られた思いでいっぱいで、苦しかったのに。
 ヴァンは何一つ変わってなかった。
 その態度も、何もかも。
 茶色の一つ目にはこちらを揶揄するような色が見え、口元には笑みが浮かんでいる。

「ヴァン!」

 彼から貰った細身の剣はすでに廃棄しており、現在セインが使っている剣は若干大振りの剣になる。

「その剣、お前にあってない。馬鹿だな」
「うるさい、うるさい!殺す、絶対に!」

 変わっていない彼に対して、懐かしさの気持ちが出てきて、それを打ち消すためにセインは叫ぶ。

 ――ヴァンを殺す、トールとジョセフィーヌを殺す、そしてメルヒを助ける。

 彼の目的はそれだった。
 そのために彼はずっと頑張ってきたのだ。

「……めんどくさいな。やっぱり」

 ヴァンは溜息と共にそう言うと、一気に動いた。
 咄嗟に魔法を放とうとしたが、それも間に合わない。
 気が付くと、セインは地面に投げつけられていた。

「俺を殺そうなんて、100年早い。あ、人は100年も生きれないか」
「くそっつ!」

 必死に立ち上がるが、ヴァンはすでに森に紛れ込んでおり、視界から消えていた。


 ☆

 「なんだ、それは?」

  メルヒーーケリルに与えられた客間に、王妃ジョセフィーヌは毎日訪れる。文字を読めない彼女に文字を教えたり、他愛ない話をしたり。
  ジョセフィーヌはよく笑い、ケリルもつられて笑った。
 湖の傍でみた彼女の寂しい表情はあれから見ていない。それがいいことだと、ケリルはあの時のことを聞くことはなかった。また、ふと何かを思い出しそうになったが、考えないようにもした。

 ーー逃げているだけだ。だけど、思い出してはいけない気がする。

 ケリルはそんな予感を覚えていて、ただジョセフィーヌと静かに毎日を送っていた。
 
 今日はジョセフィーヌが刺繍道具を持ち込んだ。
 魔族であるが、耳と尻尾以外は人間と変わらない。
 なので細かい作業も可能だと、ジョセフィーヌは刺繍をケリルに教えることにしたようだ。
 丸い木箱に入っている色とりどりの糸。
 王妃は白い布を丸い枠に皺がよらないようにに張り、そこに針を刺していく。

「まずは私お手本を見せるわね。ケリルはちょっと見学していて」

 ジョセフィーヌは赤、緑の糸を使って、薔薇の花を白地に刺す。その針の動きは軽やかで、ケリルは見惚れてしまった。

「完成したわ。ちょっと時間かかちゃったわね。退屈だったでしょう?」
「そんなことないぞ。凄いな。私にできるのか?」
「ケリルには簡単な図柄を準備したの。ほら」

 そう言って彼女は白地に小さな花が描かれたものを取り出す。

「この線にそってまずは刺していくの。色も違うからわかりやすいでしょう?」
「王妃さまが用意したのか?」
「ええ。私が図柄を選んで、描いてみたの?おかしいかしら?」
「そんなことはない。さあ、やってみる。まずはどうすればいいんだ?」

 ケリルがやる気を見せ、ジョセフィーヌは嬉しそうに笑う。
 今日も二人は穏やかな日を過ごしていた。
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