夢日記

ラララルルル

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     一

 子どもはぱちと目を覚ますと、しかしなかなか起き上がることができなかった。子どもは、自分が子どもである、ということだけ認識していた。しかし、それ以外には何も分からなかった。だから、ただ無意識下で行動を起こさざるを得なかった。——子どもは、なかなか起き上がろうとしなかった。目はもうきちんと冴えているのにも関わらず、である。
 ようやく立て膝から、ごろんと横向きになって、布団を剥いだ。そして、驚くほど何の感傷も無くすっくと立ち上がると、そのまま暫く呆然としていた。
 ふと思いついて、部屋に付いた一つ窓の外を、仁王立ちで覗いてみた。いつもと何ら変わりの無い、朝の風景が広がっている。
 次に、子どもは勉強机に向かった。そうして日々の記録を残そうとだけ、決めたのであった。
 日付に曜日に、天気だけを書き込んで、今日を思い返していく。そこで子どもは、今日がまだ始まったばかりであることに気がついた。
 日記帳をぱたんと閉じてしまって、子どもは扉の前に向かった。この扉の外へ、出ていかなくてはならなかった。が、その勇気が、なかなか持てずにいた。けれども、必ずこの外へ、出ていかなくてはならないのは決まっているのである。
 その葛藤の下に、子どもは数十分を扉の前で悩み暮らした。そして、意を決して扉の取手に手を掛け、ガチャリと開き、その外側へと踏み出していくのであった。——子どもは、この決断をこれからすぐに後悔することになる。しかし、どうにもしようがない、避けられない決断であったことには違いが無いのである。
 そこは、紛れもない『外』である。安全安心な『内』とは違う、『外』であるからには、何が起こっても不思議では無い。例えば一寸先の闇から、異形の怪物が飛び出してきたとて、致し方ないのである。
 さて、どこかからぴちゃん、ぴちゃんと音がする。水の滴る音だろうか、子どもはちっとも気にしないように歩いていく。暗闇の中を、歩いていく。
 前方、不自然に明かりがある。壁の足下に、蛇口が付いていて、その周りが明るく照らし出されている。子どもは、その明かりの方へ引き寄せられていった。そうして屈み込むと、蛇口へ手を翳してみた——暖かい。子どもはその暖かさを、噛み締めた。これで後暫くは、十分にやっていける……
 子どもは再び、歩みを始めた。するとやがて、薄紫色の、部屋に出た。そこでは、あちこちで真っ赤な唇が、角を引き攣らせたり、その奥に潜ませる歯を覗かせたりしている。床中、壁中、天井中に、それは無数にひっ付いているのである。子どもは、一体何だろうと思ってこれらを見回した。試しに床に浮かび上がるそれを踏みつけてみると、それは「プチ」という音を立てて潰れ、紅色の飛沫を上げた。その飛沫は、子どものズボンにべっちゃりと付着して、袖口にまで飛んだ。子どもは、何とも言われぬ酷い気分に襲われた、が、何とか進んでいく他無かった。
 余計な事はしてみるものでは無いのである。そう言えば、余計な事はするなと、親にも命令されていたのだった。その注意をすっかり忘れて今の所業に及んだ、自分の罪である。馬鹿、馬鹿、と子どもは自身の頭に拳骨を打った。そうすると、唇は途端、ニヤニヤと笑い始めた。何が可笑しいのだろう? 唇に眼は付いていないけれど、きっと自分の様子を見て笑っているのである、と子どもは確信した。嫌だ嫌だ、ああ、嫌だ。子どもは早足に、この部屋を通り過ぎた。
 しかしまた、すぐに次の部屋に出る。その為には、子どもは床上数十センチに開いた穴から、身を這わせて進んでいく必要があった。匍匐前進して暫く行くと、次の部屋の明かりが見える。目の前には影が見える。前進する度、影は大きくなり——それが人の脚であることが漸く知れたのは、影が視界の半分程を埋め尽くすように肥大した後のことであった。脚は一本では無かった。無数に横並びになっていて、それは、人が列になって椅子に座っていることを意味していた。子どもは部屋の端まで這って移動し、そうしてちょっと見上げてみた。座っている人の顔が見えた——が、その顔に表情は無かった。ただの無感情では無い、そもそも表情など作りようが無いのである。彼らには須く、目耳鼻口が取り付いていない。そんな生き物が、整然と何列にも渡って、並んでいるのである。前方見やると、これもまた、目耳鼻口の無いものが、この整然とした行列を見張るように、壇上に手をついている。子どもは、どうにか穏便にここを抜けようとした。何せ、この行列は一糸乱れぬ。子どもが少々目障りに通ろうと、ちっとも反応を見せない——と思う内に、子どもは有り得ないことに、視線を感じた。くると振り向くと、列の端の一人が、こちらへ顔を傾けている。見ているのか? そう思うと途端、それはのっぺらぼうにギョロリと目玉をひん剥き、陥没していた鼻を無理やりに盛り上がらせ、面を引き裂くようにして真っ赤な口を出現させた。表情の無いもの、表情など作れまいと思っていたものが、途端このような行いをするから、子どもも仰天した。と、驚いている間に、その異形は、前方の監督者によって指弾された。文字通り、中指で弾かれたのである。腕が伸びてきたのだろうか、子どもが見たのは、指が異形の脳天を弾き、真っ白な液体の飛び散る瞬間である。すぐに振り向くが、前方のものはもう落ち着いてしまって、手は既に元の壇上にある。異形の頭は跡形も無く、首から下だけが無惨に残されていた。子どもは何だか、申し訳なく思った。自分の所為で、こいつはルールを破り、罰せられたのである。もう誰も傷つかないように……子どもはできる限りに四足を用いて、物音にも視線にも動じず、この部屋も抜けた。
 次は、もうがらんどうであった。ここには、抜け出る為の出口も、どこにも見当たらなかった。何も無い——それが理由か、子どもは自然と、自分の最も欲するものの名を呟いた。が、不思議なことに、呟く先から今自分が何を言ったのだか、忘れてしまうのであった。そうして一定時間ぼうっとしていると、またそれを閃き呟いて、が、一瞬後にはやはり消え失せてしまう。
 子どもはその名を、何度も何度も呟き続けた。呪文のように、呟き続けた。しかしそれが何なのか、一向に知れないし、何処かから立ち現れてくる気配もしなかった。
 どうやらここに、閉じ込められたらしい。一体これから、どうすれば良いのだろう? もう自分に、行くべき場所など無いのだろうか? どこにも行きたくなかった、が、いざ道を塞がれると、胸が苦しくて、誰かに助けを求めるような呻き声が漏れ出した。
 その時、子どもは魔法の合言葉を思い出した。それは、子どもだけが知っているものであった。この合言葉を呟くと、忽ち子どもは、元のあの安全な部屋に、帰ることができるのである。が、大人には、この合言葉を口に出して言うことを散々遮られ、良くない事とされてきたのであった。
 堪え切れずに言った! ……はっと気がつくと、もう子どもは初めの自室にいて、ぱちりと目を覚ましたところである。
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