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第一章
3-3.「デートよりは、慣れていますよ」
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ハタノが現場についた時、まず感じたのは、少ない、ということだった。
迷宮街とは文字通り”迷宮”――地下に蓄積した魔力のひずみが魔物を、そして宝を産み出す洞窟――を中心に立てられた街のことだ。
迷宮は魔物の巣窟ではあるが、同時に魔物の素材やアイテムを採取できる採掘場でもある。
いわば鉱山と同等の価値ある存在であり、その迷宮で入手された品々を売買する街として発展したのが、迷宮街という存在だ。
当然、迷宮の内情は帝国の管理下にあり、魔物の異常繁殖などそう起きないはず――だった。
(だというのに、この様とは)
迷宮入口の広間には十数人の怪我人が横たわり、治癒師による救助が行われている最中であった。
負傷の程度は様々だ。頭部から血を流している者、右腕を骨折している者。意識がないまま倒れこんだもの。
ハタノも名乗りをあげて治癒に参加しつつ、数を数え、
(この場に、十数名。やはり少ない)
一報で、五十名が迷宮に取り残された、と聞いた。
つまり三倍以上の患者が地下に取り残されている――奥歯を嚙むハタノの傍で、チヒロの冷たい声が響く。
「狩人達による救援は?」
「それが……崩落事故が起きたのが、十三階、オークの巣窟でして」
チヒロの眉がわずかに揺らいだ。
「落盤も、魔物の仕業と考えられます。知らぬ間に”知恵付き”が生まれていたと、報告が」
「定期掃討を怠っていたのですね。それにしても、五十名以上とは? そのような大人数で迷宮の通路を歩けば、統率が取れず混乱するのは目に見えてるでしょうに」
「そ、それは――我々も、と、止めたのですが、その」
「言いなさい」
「っ……べ、ベヌール卿が、自身の勇姿を示すためだと、配下を連れて自ら迷宮に……その卿も、まだ帰っておらず――ゆ、勇者様?」
チヒロの判断は早かった。
手元の刀を掴み、迷宮へと歩き出したのだ。
「勇者様、鎧は!? 一人で乗り込むのですか!?」
「オーク程度なら問題ありません。それに、時間との勝負になります。ただのオークなら全員喰われて手遅れですが、”知恵付き”が集落を作ってるのなら人間を保存してる公算が高い。上への報告は後に行います」
その迷いなく構える姿から、ハタノは状況を推測する。
迷宮地下に取り残された者達は、まだ生存の可能性がある。
当然、彼等は負傷してる可能性が高いだろう。であれば。
「チヒロさん。治癒師の同伴は、不要ですか」
「……旦那様?」
「私は迷宮について素人ですが、迷宮での全滅事例に、治癒師が先にやられてしまうケースが多いと聞きます。危機を脱しても、怪我を治癒できず脱出できない、と」
治癒師が不在であれば、仮にチヒロが魔物を掃討しても、全員をかついで帰宅することは不可能だろう。
そのため、救援隊には戦闘訓練も学んだ治癒師が同伴するのがセオリーだが――いまは姿が見当たらない。
「誰か! 戦闘に長けた治癒師はいないか!?」
チヒロが声を荒げるが、誰も答えない。
”知恵付き”オークに恐れをなしたか、或いは単に居ないだけか。
苦い顔をする妻に、ハタノは速やかに提案する。
「チヒロさん。私が同行することは、可能でしょうか」
「旦那様が? しかし旦那様は……」
「はい。私は戦闘については素人であり、最低限の防護障壁しか張れません。そのため、チヒロさんが私を守り切れない、或いは危険性が増すと考えた場合は、ここでお待ちします。――逆に、もしチヒロさんが私を守れるのであれば、私が救援の手伝いをすることも可能です」
ハタノが一緒にいくことで、死者が減るなら行く。増えるなら行かない、その二択。
判断は彼女に一任する。戦場に、素人が口を出すほど愚かなことはない。
チヒロは、僅かに悩んだ。彼女にしては珍しい、数秒の沈黙だった。
が、すぐにハタノを見据え、頷く。
「旦那様一人なら、難なく守り切れるでしょう。すみませんが、地獄までお付き合い願えますか」
「はい」
「決して私から離れないように。黙って、私の後をついてきてください。安全は、私の命に代えて保証します。……それと狩人の方々に連絡を。私が先行しオークを殲滅しますので、一時間後に突入してください。負傷者の搬出をすこしでも早めるための処置ですので」
そう告げて、チヒロが迷宮入口の柵を開いた。
ハタノも、後をついていく。
薄暗い階段を降りながら、チヒロがぼそりと呟いた。
「この先には血と肉片、そして死しかありません。それでも、宜しいですか?」
ハタノは、乾いた笑みを浮かべた。
「デートよりは、慣れていますよ」
*
ハタノは、迷宮について無知だ。
一緒に歩きながら、もしや十三階まで駆け下りるのかと思ったが、チヒロは迷宮に入るなり十字路を右折し、ぼんやり輝く白い魔法陣の上へと立つ。
彼女がそっと白い石を取り出した。
後に知ったことだが、迷宮でのみ使える”転移石”というアイテムがある。
迷宮の階層を記録し、そこに転移するワープゾーンらしい。
白い魔法陣の上に立ち、チヒロが魔力を込める。
魔法陣が輝き、ハタノの視界が光に包まれ――視界が揺れる。
目のくらむような眩しさ。
思わず目を瞑り、遅れてやってきた浮遊感に息をついて、着地。
ゆっくりと目を開け――直後、
「―――」
目の前で、血しぶきが舞った。
チヒロが刀を抜いた、と、気付かない早さ。
遅れて、ドサリ、と豚顔の魔物の首がふたつ、ハタノの足下に転がる。
胴体から深紅の血がじんわりと滲み、チヒロが無表情のまま、刀を払った。
「出待ちされてます。階層ごと占拠されてる。即ち、王がいます。が、逆に言えば階層のオークを全滅させれば帰りの安全は確保できます」
そのチヒロが右手に、闇色の光を灯す。
見たことのない魔法をオークの遺体に当てると、死体が泥沼に引きずり込まれるように、床へと沈み消失した。
チヒロは無言で歩き出す。
ハタノも黙って、彼女の後を追う。
「――――」
恐怖が、全くない訳ではない。
目の前で醜悪な豚の首が飛び、血が舞うことに驚かない訳でもない。
が、ハタノは胸の内に広がる恐怖を、理性でぐっとねじ伏せる。
逐一怖がったり、理由を求めていては、チヒロの邪魔だ。
ハタノは彼女に仕事を一任した。であれば黙って全てを託すのみ。それが最善解であり、自分が騒ぎ立てることは彼女の業務を損ねてしまう。
役立たずは黙るのが、一番の仕事だ。
そのチヒロが無言でハタノの肩を掴んだ。ぼそり、と魔法を詠唱する。
身体が僅かに浮遊し、少し、バランスを取るのに苦労する。
代わりに、足音が消えた。
迷宮は全体的に薄暗く、床は荒れ、けれど僅かな浮遊のお陰でつっかかることもない。
迷宮全体に蔓延るじっとりとした湿気が首筋に絡み、不愉快さは覚えるものの、彼女の後ろを歩くことは難しくない――と感じたハタノの前で、チヒロが消えた。
瞬きをした瞬間にチヒロは数歩の距離を詰め、見つけたオークを袈裟切りに一刀両断。
返り血が吹き、チヒロの着物を赤く染めるも、彼女は無表情のままオークの首を掴んで黒い光を放つ。遺体を消す。
(死体を消して、オークの巡回兵に勘づかせないようにしてるのか)
その所作は一般的に言われる”勇者”らしい勇猛さからは、ほど遠い。
淡々と業務を遂行する、暗殺者に近いだろう。
チヒロは沈黙する。
呼吸一つ、気配一つ漏らさず闇に紛れ、不意打ちでオークを処理していく。
二匹。三匹。五匹。七匹。
全身を赤く染めながら、魔物の死体を積み上げては消していく。
その背をハタノは無言で追いながら、密かに、思った。
――格好いい、仕事人の背中だな、と。
迷宮街とは文字通り”迷宮”――地下に蓄積した魔力のひずみが魔物を、そして宝を産み出す洞窟――を中心に立てられた街のことだ。
迷宮は魔物の巣窟ではあるが、同時に魔物の素材やアイテムを採取できる採掘場でもある。
いわば鉱山と同等の価値ある存在であり、その迷宮で入手された品々を売買する街として発展したのが、迷宮街という存在だ。
当然、迷宮の内情は帝国の管理下にあり、魔物の異常繁殖などそう起きないはず――だった。
(だというのに、この様とは)
迷宮入口の広間には十数人の怪我人が横たわり、治癒師による救助が行われている最中であった。
負傷の程度は様々だ。頭部から血を流している者、右腕を骨折している者。意識がないまま倒れこんだもの。
ハタノも名乗りをあげて治癒に参加しつつ、数を数え、
(この場に、十数名。やはり少ない)
一報で、五十名が迷宮に取り残された、と聞いた。
つまり三倍以上の患者が地下に取り残されている――奥歯を嚙むハタノの傍で、チヒロの冷たい声が響く。
「狩人達による救援は?」
「それが……崩落事故が起きたのが、十三階、オークの巣窟でして」
チヒロの眉がわずかに揺らいだ。
「落盤も、魔物の仕業と考えられます。知らぬ間に”知恵付き”が生まれていたと、報告が」
「定期掃討を怠っていたのですね。それにしても、五十名以上とは? そのような大人数で迷宮の通路を歩けば、統率が取れず混乱するのは目に見えてるでしょうに」
「そ、それは――我々も、と、止めたのですが、その」
「言いなさい」
「っ……べ、ベヌール卿が、自身の勇姿を示すためだと、配下を連れて自ら迷宮に……その卿も、まだ帰っておらず――ゆ、勇者様?」
チヒロの判断は早かった。
手元の刀を掴み、迷宮へと歩き出したのだ。
「勇者様、鎧は!? 一人で乗り込むのですか!?」
「オーク程度なら問題ありません。それに、時間との勝負になります。ただのオークなら全員喰われて手遅れですが、”知恵付き”が集落を作ってるのなら人間を保存してる公算が高い。上への報告は後に行います」
その迷いなく構える姿から、ハタノは状況を推測する。
迷宮地下に取り残された者達は、まだ生存の可能性がある。
当然、彼等は負傷してる可能性が高いだろう。であれば。
「チヒロさん。治癒師の同伴は、不要ですか」
「……旦那様?」
「私は迷宮について素人ですが、迷宮での全滅事例に、治癒師が先にやられてしまうケースが多いと聞きます。危機を脱しても、怪我を治癒できず脱出できない、と」
治癒師が不在であれば、仮にチヒロが魔物を掃討しても、全員をかついで帰宅することは不可能だろう。
そのため、救援隊には戦闘訓練も学んだ治癒師が同伴するのがセオリーだが――いまは姿が見当たらない。
「誰か! 戦闘に長けた治癒師はいないか!?」
チヒロが声を荒げるが、誰も答えない。
”知恵付き”オークに恐れをなしたか、或いは単に居ないだけか。
苦い顔をする妻に、ハタノは速やかに提案する。
「チヒロさん。私が同行することは、可能でしょうか」
「旦那様が? しかし旦那様は……」
「はい。私は戦闘については素人であり、最低限の防護障壁しか張れません。そのため、チヒロさんが私を守り切れない、或いは危険性が増すと考えた場合は、ここでお待ちします。――逆に、もしチヒロさんが私を守れるのであれば、私が救援の手伝いをすることも可能です」
ハタノが一緒にいくことで、死者が減るなら行く。増えるなら行かない、その二択。
判断は彼女に一任する。戦場に、素人が口を出すほど愚かなことはない。
チヒロは、僅かに悩んだ。彼女にしては珍しい、数秒の沈黙だった。
が、すぐにハタノを見据え、頷く。
「旦那様一人なら、難なく守り切れるでしょう。すみませんが、地獄までお付き合い願えますか」
「はい」
「決して私から離れないように。黙って、私の後をついてきてください。安全は、私の命に代えて保証します。……それと狩人の方々に連絡を。私が先行しオークを殲滅しますので、一時間後に突入してください。負傷者の搬出をすこしでも早めるための処置ですので」
そう告げて、チヒロが迷宮入口の柵を開いた。
ハタノも、後をついていく。
薄暗い階段を降りながら、チヒロがぼそりと呟いた。
「この先には血と肉片、そして死しかありません。それでも、宜しいですか?」
ハタノは、乾いた笑みを浮かべた。
「デートよりは、慣れていますよ」
*
ハタノは、迷宮について無知だ。
一緒に歩きながら、もしや十三階まで駆け下りるのかと思ったが、チヒロは迷宮に入るなり十字路を右折し、ぼんやり輝く白い魔法陣の上へと立つ。
彼女がそっと白い石を取り出した。
後に知ったことだが、迷宮でのみ使える”転移石”というアイテムがある。
迷宮の階層を記録し、そこに転移するワープゾーンらしい。
白い魔法陣の上に立ち、チヒロが魔力を込める。
魔法陣が輝き、ハタノの視界が光に包まれ――視界が揺れる。
目のくらむような眩しさ。
思わず目を瞑り、遅れてやってきた浮遊感に息をついて、着地。
ゆっくりと目を開け――直後、
「―――」
目の前で、血しぶきが舞った。
チヒロが刀を抜いた、と、気付かない早さ。
遅れて、ドサリ、と豚顔の魔物の首がふたつ、ハタノの足下に転がる。
胴体から深紅の血がじんわりと滲み、チヒロが無表情のまま、刀を払った。
「出待ちされてます。階層ごと占拠されてる。即ち、王がいます。が、逆に言えば階層のオークを全滅させれば帰りの安全は確保できます」
そのチヒロが右手に、闇色の光を灯す。
見たことのない魔法をオークの遺体に当てると、死体が泥沼に引きずり込まれるように、床へと沈み消失した。
チヒロは無言で歩き出す。
ハタノも黙って、彼女の後を追う。
「――――」
恐怖が、全くない訳ではない。
目の前で醜悪な豚の首が飛び、血が舞うことに驚かない訳でもない。
が、ハタノは胸の内に広がる恐怖を、理性でぐっとねじ伏せる。
逐一怖がったり、理由を求めていては、チヒロの邪魔だ。
ハタノは彼女に仕事を一任した。であれば黙って全てを託すのみ。それが最善解であり、自分が騒ぎ立てることは彼女の業務を損ねてしまう。
役立たずは黙るのが、一番の仕事だ。
そのチヒロが無言でハタノの肩を掴んだ。ぼそり、と魔法を詠唱する。
身体が僅かに浮遊し、少し、バランスを取るのに苦労する。
代わりに、足音が消えた。
迷宮は全体的に薄暗く、床は荒れ、けれど僅かな浮遊のお陰でつっかかることもない。
迷宮全体に蔓延るじっとりとした湿気が首筋に絡み、不愉快さは覚えるものの、彼女の後ろを歩くことは難しくない――と感じたハタノの前で、チヒロが消えた。
瞬きをした瞬間にチヒロは数歩の距離を詰め、見つけたオークを袈裟切りに一刀両断。
返り血が吹き、チヒロの着物を赤く染めるも、彼女は無表情のままオークの首を掴んで黒い光を放つ。遺体を消す。
(死体を消して、オークの巡回兵に勘づかせないようにしてるのか)
その所作は一般的に言われる”勇者”らしい勇猛さからは、ほど遠い。
淡々と業務を遂行する、暗殺者に近いだろう。
チヒロは沈黙する。
呼吸一つ、気配一つ漏らさず闇に紛れ、不意打ちでオークを処理していく。
二匹。三匹。五匹。七匹。
全身を赤く染めながら、魔物の死体を積み上げては消していく。
その背をハタノは無言で追いながら、密かに、思った。
――格好いい、仕事人の背中だな、と。
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