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第一章
3-6.「少々、思い知って貰わないといけませんので、ね」
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オークの群れを焼き払い、遅れて帰還したチヒロが見たのは――治癒を施すハタノに向け、雷撃を振り下ろそうとする馬鹿男の姿だった。
とっさに飛びかかり、その横っ面をぶん殴る。
男は達磨のように転がり、無様な悲鳴をあげながら飛んでいった。
「旦那様、遅くなりまして申し訳ありません。返事は不要、治癒の続きを」
「――はい。ありがとうございます」
双方ろくに目も合わせず、お互いの相手に向き直る。
ハタノが戦闘で役立たずなら、チヒロは治癒においてずぶの素人。
彼女にできるのは、旦那の仕事を邪魔しないこと――させないこと。
とはいえ、と、チヒロは着物にべったりと張り付いた血と肉とオークの脳漿を払いながら、頬を歪める。
オークの友達みたいな金髪貴族の素性を思い出したのだ。
帝国の有力貴族、ルードヴェヌ家の長男、べヌール=ルードヴェヌ。
“魔法騎士”の才を持つ家系であり、チヒロは彼の父親と面識があった。
彼の父は卓越した武人であり、忠誠心の厚い男であった。昨年ガルア王国との戦争時に命を落としたと聞いた時は、かの雷帝メリアス様ですら珍しく沈痛な面持ちを浮かべた程だ。
が、その気質は息子には伝わらなかったようだ。
べヌール卿が、肥えた顔を紅潮させる。
――まずったな、と、チヒロは顔を歪める。
「こ、この汚らわしい血塗れの勇者が! 貴様、我はルードヴェヌ家の長男、べヌール=ルードヴェヌであるぞ! そ、その我を、なな、殴っただと!?」
旦那様に、手出しはさせない。
ただし、チヒロは”勇者”であり、勇者の仕事は民を守ること。
敵兵なら切り伏せればよいが、ベヌール卿は帝国のお貴族様であり、庇護すべき対象だ。
そして下手に出しすぎると、チヒロのみならず、ハタノに迷惑がかかりかねない。
立場の違いを理解したのか、べヌール卿がチヒロを指差す。
「それでも勇者か貴様は! 国を守る者の行いか? 愚かにも程がある! そもそも、先程の戦い方はなんだ? 我は見ていたぞ、貴様が卑劣にもオークの王を人質にし、その子供すら盾にした戦いぶりをな! 相手がいかに醜悪な魔物とはいえ、貴様には帝国”勇者”としての誇りがないのか!?」
チヒロは黙る。
誇り、等というくだらないものに構っていては、死人が出ただろう。
「第一どうして、貴様と治癒師二人だけで来た? 他の救援はどうした! さては功でも焦ったな? 自らの傲慢な英雄願望を叶えたかったか、血染めの勇者! 貴様の蛮行は帝国内でも有名だからなっ」
大人数での進行は、オークの偵察隊に見つかる危険性が高い。
そして偵察に発見され王に知らせが届けば、奴等は負傷者を人質にしただろう。
――反論は幾らでも浮かんだ。
それでもチヒロは黙り、謝罪する。言うだけ、無駄だ。
「申し訳ございません。救援部隊を組む時間がないと判断し、その上で、卿や残された方々の安全を優先するため、最低限の人数で迷宮に突入した次第です」
「はっ、実に疑わしい話だ。……或いは今回のオーク共による反乱も、貴様が一枚嚙んでいるのではないか?」
チヒロは眉を寄せる。
卿は意を得たりとばかりに、ニヤニヤと顎をさすり始めた。
「聞けば近年、我が帝国に仇成すガルア王国に、身売りを目論んでる奴等が多いと聞く。かの雷帝様ですら頭を悩ませていたが、まさか貴様がそうではあるまいな? やがて王国の脅威となる我を暗殺する、いい機会だとでも思ったか?」
「そのようなことは、決して」
「口ではなんとでも言える、だが真実は明らかだ! 貴様の恥知らずな戦いぶりは、とても帝国の勇者とは思えん!」
理屈がめちゃくちゃだ。そもそも周囲を巻き込み、死傷者を増やした原因はお前だろうに。
チヒロは心の中で舌打ちする。
時おり、いるのだ。
合理性を無視し、現実に全く寄与しない理想論を唱える人間。名誉や誇り、身分や勇猛さを至上命題として掲げながら、そのくせ何一つとして実利を生み出さない愚者。
そして何故かそういう輩に限って権力があり、チヒロはそういう人種から大変に嫌われている。
チヒロの手口は、汚らわしく、醜く、勇猛さの欠片もないおぞましいもの、らしい。
べヌール卿が唾を吐き捨てた。
「まったく。どうして我が帝国はこのような情けない勇者を庇うのだ? ……ああそうか、思い出したぞ。そういえば最近、血染めの勇者が婚姻したと聞いたな。相手は治癒師だとも。成程、そこの治癒師が相手か? 道理で、治癒師風情が我に逆らうわけだ。夫婦揃って帝国の病とはじつに嘆かわしい。さっさと子でも産ませて二人とも処分――っ」
カチャリ、と、チヒロの耳元で金属の揺れる音がした。
ベヌール卿がびくっと頬をひきつらせ、たじろく。
「……?」
チヒロは何事かと警戒して――
ふと、自分が知らない間に、懐の刀に手をかけているのに、気付く。
添えた右手は無意識に、けれど明確な殺意をもって自らの得物を掴んでいた。
――なぜ?
自身の行動と思考の乖離に、珍しく混乱するチヒロ。
自分でもわからない。なぜ、刀を掴んだのか。
ただ、この豚男に自分の旦那を侮辱された瞬間、胸の内に抑えていた何かがぶわりと激しく昂り、気づいたら手が動いていた、気がする。
その動揺を、卿に突かれた。
「……なんだね、今の態度は。やはり謀反を試みているのか、勇者チヒロ!」
「いえ。今の、は」
「怪しい、怪しいぞ! そうであろう、皆の衆。そもそも此度の事故そして数多の犠牲者が出た原因は、じつはかの勇者にあるのではないか?」
興奮したように騒ぎ立てるベヌール卿。
民衆は無論、呆れ顔の者ばかりだが、誰も彼を止められない。
帝国有数のお貴族様に、そして”才”ある者に逆らうなど、命が幾つあっても足りない。
「くく。どうやら答えは出たようだな。だが、我も帝国貴族としての慈悲がある。それに、帝国の勇者を私的に捌くのは、法に触れる。そこでだ」
黙り込んでいる民衆を前に、ベヌール卿は自らの寛大さをアピールするように手を広げ。
わざとらしくチヒロを見下ろし、命じた。
「跪け。その頭を地に着け、抵抗の意思などひとつもないと示し、我等が帝国に忠誠を誓うのだ」
「…………」
チヒロは眉を歪め、僅かに考えたものの……
冷静に決断し、そっと、刀を脇に置いた。
この行為が、自分に屈辱を与えるために行われていることは、理解できる。
お貴族様の高慢なるプライドを満たすためだけの、無意味な行為。
けれど頭を下げ、お貴族様を満足させている間、ハタノの治癒時間を稼げるという算段もある。
そう考えれば、自分の誇りなど、安いもの。
それに自分達の心象をこれ以上悪くすると、ハタノにも迷惑がかかるだろう。
……この程度の恥辱など、今更のこと。
土下座し、その頭を泥だらけな靴底で踏まれる程度、大した問題ではない。
そう自分に言い聞かせつつ、チヒロは頭を下げようとして――
「失礼、遅くなりました。ベヌール卿、お怪我の程を見せて頂けませんか?」
聞き慣れた柔らかな声に、チヒロが顔を上げた。
頬を引きつらせるべヌール卿の前、さらりとチヒロの間に割って入ったのは、愛してもいない旦那の背中。
「旦那様」
「治癒の方、ぶじに終わりました。治癒院にも強引に押しつけましたので、もう大丈夫です」
さらりと告げる旦那の背中が、気のせいか、チヒロにはすこし大きく見えた。
何故か、柔らかに微笑むハタノが、妙に心強く見えたのだ。
……勇者が他人に頼るなど、御法度。
頼られることはあれど他人に頼ってはならぬ彼女は、しかし珍しく、ほんの少しだけ、彼の背中に荷物を預けたくなる。
期待に応えるように、ハタノはそっと妻へと微笑んだ。
「面倒事を任せてしまって、すみませんでした、チヒロさん。……そして少しばかり、あの方の治癒を行いたいと思います。傷とともに少々、性根も病んでおられるようですので。――それに」
と、ハタノは薄く唇をゆるませ、ひやりとするような笑顔で告げた。
「業務上の妻であっても、うちの妻を土下座させようなんていう人には、少々、思い知って貰わないといけませんので、ね」
とっさに飛びかかり、その横っ面をぶん殴る。
男は達磨のように転がり、無様な悲鳴をあげながら飛んでいった。
「旦那様、遅くなりまして申し訳ありません。返事は不要、治癒の続きを」
「――はい。ありがとうございます」
双方ろくに目も合わせず、お互いの相手に向き直る。
ハタノが戦闘で役立たずなら、チヒロは治癒においてずぶの素人。
彼女にできるのは、旦那の仕事を邪魔しないこと――させないこと。
とはいえ、と、チヒロは着物にべったりと張り付いた血と肉とオークの脳漿を払いながら、頬を歪める。
オークの友達みたいな金髪貴族の素性を思い出したのだ。
帝国の有力貴族、ルードヴェヌ家の長男、べヌール=ルードヴェヌ。
“魔法騎士”の才を持つ家系であり、チヒロは彼の父親と面識があった。
彼の父は卓越した武人であり、忠誠心の厚い男であった。昨年ガルア王国との戦争時に命を落としたと聞いた時は、かの雷帝メリアス様ですら珍しく沈痛な面持ちを浮かべた程だ。
が、その気質は息子には伝わらなかったようだ。
べヌール卿が、肥えた顔を紅潮させる。
――まずったな、と、チヒロは顔を歪める。
「こ、この汚らわしい血塗れの勇者が! 貴様、我はルードヴェヌ家の長男、べヌール=ルードヴェヌであるぞ! そ、その我を、なな、殴っただと!?」
旦那様に、手出しはさせない。
ただし、チヒロは”勇者”であり、勇者の仕事は民を守ること。
敵兵なら切り伏せればよいが、ベヌール卿は帝国のお貴族様であり、庇護すべき対象だ。
そして下手に出しすぎると、チヒロのみならず、ハタノに迷惑がかかりかねない。
立場の違いを理解したのか、べヌール卿がチヒロを指差す。
「それでも勇者か貴様は! 国を守る者の行いか? 愚かにも程がある! そもそも、先程の戦い方はなんだ? 我は見ていたぞ、貴様が卑劣にもオークの王を人質にし、その子供すら盾にした戦いぶりをな! 相手がいかに醜悪な魔物とはいえ、貴様には帝国”勇者”としての誇りがないのか!?」
チヒロは黙る。
誇り、等というくだらないものに構っていては、死人が出ただろう。
「第一どうして、貴様と治癒師二人だけで来た? 他の救援はどうした! さては功でも焦ったな? 自らの傲慢な英雄願望を叶えたかったか、血染めの勇者! 貴様の蛮行は帝国内でも有名だからなっ」
大人数での進行は、オークの偵察隊に見つかる危険性が高い。
そして偵察に発見され王に知らせが届けば、奴等は負傷者を人質にしただろう。
――反論は幾らでも浮かんだ。
それでもチヒロは黙り、謝罪する。言うだけ、無駄だ。
「申し訳ございません。救援部隊を組む時間がないと判断し、その上で、卿や残された方々の安全を優先するため、最低限の人数で迷宮に突入した次第です」
「はっ、実に疑わしい話だ。……或いは今回のオーク共による反乱も、貴様が一枚嚙んでいるのではないか?」
チヒロは眉を寄せる。
卿は意を得たりとばかりに、ニヤニヤと顎をさすり始めた。
「聞けば近年、我が帝国に仇成すガルア王国に、身売りを目論んでる奴等が多いと聞く。かの雷帝様ですら頭を悩ませていたが、まさか貴様がそうではあるまいな? やがて王国の脅威となる我を暗殺する、いい機会だとでも思ったか?」
「そのようなことは、決して」
「口ではなんとでも言える、だが真実は明らかだ! 貴様の恥知らずな戦いぶりは、とても帝国の勇者とは思えん!」
理屈がめちゃくちゃだ。そもそも周囲を巻き込み、死傷者を増やした原因はお前だろうに。
チヒロは心の中で舌打ちする。
時おり、いるのだ。
合理性を無視し、現実に全く寄与しない理想論を唱える人間。名誉や誇り、身分や勇猛さを至上命題として掲げながら、そのくせ何一つとして実利を生み出さない愚者。
そして何故かそういう輩に限って権力があり、チヒロはそういう人種から大変に嫌われている。
チヒロの手口は、汚らわしく、醜く、勇猛さの欠片もないおぞましいもの、らしい。
べヌール卿が唾を吐き捨てた。
「まったく。どうして我が帝国はこのような情けない勇者を庇うのだ? ……ああそうか、思い出したぞ。そういえば最近、血染めの勇者が婚姻したと聞いたな。相手は治癒師だとも。成程、そこの治癒師が相手か? 道理で、治癒師風情が我に逆らうわけだ。夫婦揃って帝国の病とはじつに嘆かわしい。さっさと子でも産ませて二人とも処分――っ」
カチャリ、と、チヒロの耳元で金属の揺れる音がした。
ベヌール卿がびくっと頬をひきつらせ、たじろく。
「……?」
チヒロは何事かと警戒して――
ふと、自分が知らない間に、懐の刀に手をかけているのに、気付く。
添えた右手は無意識に、けれど明確な殺意をもって自らの得物を掴んでいた。
――なぜ?
自身の行動と思考の乖離に、珍しく混乱するチヒロ。
自分でもわからない。なぜ、刀を掴んだのか。
ただ、この豚男に自分の旦那を侮辱された瞬間、胸の内に抑えていた何かがぶわりと激しく昂り、気づいたら手が動いていた、気がする。
その動揺を、卿に突かれた。
「……なんだね、今の態度は。やはり謀反を試みているのか、勇者チヒロ!」
「いえ。今の、は」
「怪しい、怪しいぞ! そうであろう、皆の衆。そもそも此度の事故そして数多の犠牲者が出た原因は、じつはかの勇者にあるのではないか?」
興奮したように騒ぎ立てるベヌール卿。
民衆は無論、呆れ顔の者ばかりだが、誰も彼を止められない。
帝国有数のお貴族様に、そして”才”ある者に逆らうなど、命が幾つあっても足りない。
「くく。どうやら答えは出たようだな。だが、我も帝国貴族としての慈悲がある。それに、帝国の勇者を私的に捌くのは、法に触れる。そこでだ」
黙り込んでいる民衆を前に、ベヌール卿は自らの寛大さをアピールするように手を広げ。
わざとらしくチヒロを見下ろし、命じた。
「跪け。その頭を地に着け、抵抗の意思などひとつもないと示し、我等が帝国に忠誠を誓うのだ」
「…………」
チヒロは眉を歪め、僅かに考えたものの……
冷静に決断し、そっと、刀を脇に置いた。
この行為が、自分に屈辱を与えるために行われていることは、理解できる。
お貴族様の高慢なるプライドを満たすためだけの、無意味な行為。
けれど頭を下げ、お貴族様を満足させている間、ハタノの治癒時間を稼げるという算段もある。
そう考えれば、自分の誇りなど、安いもの。
それに自分達の心象をこれ以上悪くすると、ハタノにも迷惑がかかるだろう。
……この程度の恥辱など、今更のこと。
土下座し、その頭を泥だらけな靴底で踏まれる程度、大した問題ではない。
そう自分に言い聞かせつつ、チヒロは頭を下げようとして――
「失礼、遅くなりました。ベヌール卿、お怪我の程を見せて頂けませんか?」
聞き慣れた柔らかな声に、チヒロが顔を上げた。
頬を引きつらせるべヌール卿の前、さらりとチヒロの間に割って入ったのは、愛してもいない旦那の背中。
「旦那様」
「治癒の方、ぶじに終わりました。治癒院にも強引に押しつけましたので、もう大丈夫です」
さらりと告げる旦那の背中が、気のせいか、チヒロにはすこし大きく見えた。
何故か、柔らかに微笑むハタノが、妙に心強く見えたのだ。
……勇者が他人に頼るなど、御法度。
頼られることはあれど他人に頼ってはならぬ彼女は、しかし珍しく、ほんの少しだけ、彼の背中に荷物を預けたくなる。
期待に応えるように、ハタノはそっと妻へと微笑んだ。
「面倒事を任せてしまって、すみませんでした、チヒロさん。……そして少しばかり、あの方の治癒を行いたいと思います。傷とともに少々、性根も病んでおられるようですので。――それに」
と、ハタノは薄く唇をゆるませ、ひやりとするような笑顔で告げた。
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