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第一章

5-1.(普通の夫婦とは、本来あのように心配し合うんでしょうね)

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 チヒロが自宅を出てから十日が過ぎ、ハタノは淡々と業務に従事していた。

 迷宮事件を挟んでの帝都召還期間中、院を空けっぱなしにしていたため仕事には事欠かない。
 治癒師の本業は勿論、それ以外の仕事も山積みだ。帝都治癒院への紹介状の記載、新薬の仕入れ交渉、前任者の頃から放置していた会計トラブル等。
 金回りはスタッフの給与にも関わる大事な部分だ。
 ハタノは山積みのタスクを前に、久しぶりに精を出すことにした。



 ――その夫婦がやってきたのは、とある昼食前のことだった。

「ほ、ほ、本当に大丈夫なのかね、この治癒院は。噂によると腹を裂く悪魔みたいな治癒師がいると聞いたが!?」
「大丈夫ですってばあなた! 私がちゃんと調べましたから!」

 でっぷりと腹を肥やした気弱な男と、気立てのよさそうな妻の、二人組。
 地元で有名な商人らしく、名をオリマーというらしい。
 その妻が、腹痛で悩む夫を無理やりつれてきたと聞いたハタノは、夫を寝台に寝かせつつ魔力走査を行う。

 魔力走査は、体内の魔力分布図を調査する魔法だ。
 ”才”の強さにもよるが、人間の体内に病が発生した場合、病床部位を自己治癒するため魔力分布に偏りが生じる。その魔力を調べる非侵襲的検査のひとつだ。
 それに加え、ぐっと指で押して圧痛や筋肉の反発を確認する。

 本人の症状は下腹部痛、それも右側が主。疑わしいのは盲腸と呼ばれる、上行結腸の先にある目的がよくわからない部位――人間特有の魔力貯蔵臓器という噂もあるが、その場所が何らかの理由で腫れていることだろう。
 或いは上行結腸周囲の炎症等。右下腹部痛では稀だが、尿の管に石が詰まっている場合もある。ふむ。

「圧治処置を行います」
「なな、何をするのかね?」
「痛む場所を強く押します。少々痛いですが我慢してください」

 ハタノは男の圧痛がもっとも強い右下腹部、骨盤の骨の上辺りに親指を添えてむぎゅうううううっと強めに押した。
 復元魔法と異なり、治癒魔法は患部から多少離れていても効果を発揮する。骨折等の外傷を整復し掴むだけで治癒できるのと同様、自然治癒力だけでカバーできる症状なら、これで改善するケースもある。が――

(予想はしてましたが、腹の肉がでかすぎて治癒が届かない)

 男――オリマー商人は、ゆうに90キロを越える巨漢だ。
 そして治癒師の、というか医療の常識として、デブは総じて難敵である。ふくよかな脂肪に阻まれ治癒魔法は届かないし、巨体ゆえ薬剤量の調剤も難しい。そのうえ基礎疾患を抱えている場合も多いと多難である。
 あだだだだ、と痛みを訴え脂汗を流す商人から手を引き、ハタノは仕方無いと判断した。

「治針を刺し、それで上手くいかなければ開腹しますか。盲腸の場合は自己治癒できないケースも多いですし」
「んなっ!? や、やはり腹を切る治癒師がいるというのは本当だったのかね!?」

 治癒魔法の便利な点は、腹を開けても治癒魔法で戻せる点だ。浄化を徹底すれば汚染も起きない。
 が、帝国では一般的でないため拒否されることも多く、今回もそうだった。

「冗談じゃあないぞ! わしは帰る! 帰るったら帰る!」
「もうあなた! 大丈夫だって言ってるでしょう? 全部先生に任せなさいっ」
「いくら妻の願いとはいえこればかりは出来ん! 第一わし腹なんか痛くないし」
「嘘おっしゃい、最近ずっと具合悪そうにお腹抑えてたでしょうに! 子供達も心配してたでしょう? もうっ。このまま病気が悪くなって死んだら、私という可愛い奥さんを置いてくことになるんですよ? いいんですかそれで!」
「それはまあ、わしは妻を世界一愛しているが、で、でも怖いし!」

 が、普段と違ったのは、患者が夫婦げんかを始めたことだ。
 丸っこい身体でびくびく怯える商人に、背中を叩いて叱る妻。

 控えてたミカが「診察室でいちゃつくなよ……チッ」と舌打ちする中、結局、オリマー商人はいそいそとベッドから起き上がり、ハタノに気弱そうに尋ねてきた。

「治癒師さん。薬をくれ。ほら、飲んだら内側から回復するポーションとかないのかね?」
「あるにはありますが……」

 回復薬の効能は、あくまで体力維持のための持続付与のものしかない。
 一応、病状治癒の薬もあるが、飲み薬だと胃液と混ざる間に回復効果が適用されてしまい、腸に届くまでに効能が薄れてしまう。
 が、何もしないよりマシなので、ハタノは処方箋を書き、薬師にポーションの調合を依頼した。

「ただし、体調が悪くなったら必ず連絡してください」
「大丈夫だと言っているだろう! ほれ、帰るぞ、エリーヌ!」

 夫が妻を呼びつけ、どすどすと早足で診察室を後にした。
 溜息をつく夫人に、ハタノは連絡先のメモを渡す。

「オリマー商人は、まだしばらく街に滞在するのですよね。何かありましたら、すぐご連絡ください」
「すみません、うちの旦那が頑固者でして……本当に、大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないですが、縛り付けてまで治癒するかは悩み所です」

 ハタノは100%診断できる神ではない。
 腹部所見は原因が沢山あるため、判断に迷うことはある……が、少なくとも今すぐ死ぬことはない。
 症状が悪化すれば、分からないが。

「急変した場合すぐご連絡ください。ご自宅にでも駆けつけますので」
「ご配慮ありがとうございます、ハタノ先生。夫婦共々、いつもご迷惑ばかりかけてまして」
「……共々? 失礼ながら、初対面だと思うのですが」
「ああ。覚えれらっしゃいませんか? 私、以前、帝都中央治癒院でお世話に――」

 そのとき、診察室の外でガシャンと何かが割れる音がした。
 ハタノが顔を出すと、オリマー商人の衣服にべったりと緑色の液体が張り付き、その前で治癒師シィラがしきりに頭を下げていた。薬をぶちまけてしまったらしい。

「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「ぬおお、こちらこそすまん! いやわしは腹など全然痛くないが、念のため早めに薬を貰おうと慌ててな! それより怪我はないかね君!」

 ああ、これは申し訳ないことをした。
 と同時に、オリマー商人は気弱なだけで、悪い人ではなさそうだ。
 ハタノはシィラとともに謝罪しつつ、衣類の洗濯代をお出ししますと丁寧に告げた。




 その日も、治癒院はいつも通りに忙しかった。
 勇者チヒロが戦場を駆け巡り、王国と血で血を洗う戦を繰り広げていても、ハタノ自身の仕事は同じだ。
 ……ただ。

(普通の夫婦とは、本来あのように心配し合うんでしょうね)

 と、オリマー夫妻の姿を見ながら。
 ハタノはチヒロのことを考え、自分達はやはり普通ではないのかもな、と、少しだけ想いを馳せた。


 ――その三日後。
 商人オリマー氏の容体が宜しくないと聞き、ハタノは急ぎ彼の家へと向かった。




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