27 / 38
第一章
5-5.「ぎゅっ、としてください」
しおりを挟む
そんな日々を過ごした、二十日後――
チヒロは、あっさり帰ってきた。
ごく普通の軽装。
相変わらずさらりとした、銀の髪。
喜びも悲しみもない無表情さでハタノを見上げ「ただいま戻りました」と礼をする新妻を、ハタノもゆるい笑みを浮かべ、自然体で受け入れる。
「旦那様。長く家を空けてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ。お仕事お疲れ様でした」
――本音を言えば、じんわりと胸が切なくなるような痛みを覚えた。
寂しかったのだと、思う。
けど、ハタノはその気持ちを表に出さない。
彼女に一方的な気持ちをぶつけても迷惑だろうし、それは、チヒロにとっても迷惑なはず。
”勇者”にとって戦場は日常茶飯事であり、逐一、帰宅する度にほっとした様子を見せては困らせてしまうだろう。
ハタノは感情を押し殺し、夫婦としての業務をこなす。
慰労は忘れず「お風呂の用意しましょうか?」と優しく尋ねると、チヒロはふるりと首を振った。
「お気遣いありがとうございます。ただその前に、旦那様。帰宅早々申し訳ないのですが、仕事の話を宜しいでしょうか」
「どうぞ」
「じつは面倒事を頼まれまして」
「何でしょうか」
「それが……その。大変、言いづらい、のですが」
おや。
すぐ仕事の話をするのはチヒロらしいが、彼女が言いよどむのは珍しい――
「本当に申し訳ないのですが、雷帝様より、戦勝パーティに誘われまして」
「チヒロさんが、ですか?」
「今回、私の仕事は後方支援と護衛だったのですが、不足の事態が発生した結果、ガルア王国の銀竜を落としまして」
「銀竜って上から二番目に強い竜じゃなかったです?」
「迂闊にも大金星を挙げてしまい、雷帝様より表彰されざるを得なくなりまして……」
新妻、旦那の心配もよそに、迂闊にも英雄になっていた模様。
それは喜ばしい……のだが、チヒロは大変珍しいことに、ものすごく嫌そうな顔をしていた。
唇をむすっと引き絞り、眉を立て、苦いものを噛みしめるように。
まあ、気持ちは分かる。
ハタノも帝都治癒院時代に祝辞への出席を強制されたが、慕ってもいないお偉方の機嫌を損ねないように過ごす時間は苦痛極まりなかった。
つけ加えて、フォーマルな格好だの実利のないマナー等を押しつけられ辟易した覚えがある。
そんな暇があるなら仕事させろと言いたい。
が、相手が雷帝様では分が悪すぎる。
「成程、それは面倒ですね。ですが、雷帝様の要望であれば仕方ありません。仕事である以上断るのは許されませんので、頑張ってくださ――」
「その雷帝様より、夫人が主役を張るのだから旦那も出席するようにとお達しがありまして」
「すみません、その日は急患が五十名来る予定になってまして」
「旦那様。仕事を理由に夫婦仲を蔑ろにすることは、夫婦疎遠の第一歩です。そもそも仕事である以上断るのは許されません、といま仰ったばかりではありませんか」
墓穴を掘った。
まあ墓穴を掘らずとも出席は強制だろう。雷帝様の嫌味な笑みが目に浮かぶようだった。
ついでに尻尾の進捗も聞かれるだろうが、少なくとも現実的に考えては無理だと言うしか無い。
が……。
「旦那様でも、わかりやすく嫌な顔されるのですね」
「チヒロさんこそ。が、まあ準備は致します」
「すみません、余計な手間をかけさせてしまって」
「いえ。仰る通り仕事ですし、それに、チヒロさんが戦果を上げたことは本来喜ぶべきことですので」
表彰は面倒だが、チヒロが苦難を乗り越えた証でもある。
銀竜との戦いがどれ程壮絶であったか伺い知ることはできないが、ぶじに帰ってきたのは、素直に嬉しい。
と、ハタノが自然と表情を緩めると、チヒロも夫をまっすぐに見上げて。
「そういえば、旦那様。もう一つ、仕事を思い出しました」
「なんでしょう」
「いえ。……大したことでは、ないのですが」
と、チヒロはハタノにちょこちょこと近寄り。
棒立ちするハタノの胸元に、ぽすん、と顔を埋めた。
「チヒロさん?」
彼女は無言のまま、額を押しつける。
そのまま、ぐりぐりと、額をこすってくるチヒロ。
小動物みたいな動作に戸惑っていると、彼女が可愛い声をあげた。
「ぎゅっ、としてください」
「ぎゅっ、ですか?」
「ぎゅっ、です。理由はありませんが、ぎゅっとするのです」
言われた通りハタノは彼女の背中へ手を回し、優しく、ぎゅっと抱き締める。
久しぶりに感じた、妻の体温。
ハタノは彼女が生きていることを何となく噛みしめながら、さらりと背中に流れる銀髪を優しく撫でる。
妻がくすぐったそうに身をよじるも、嫌ではないらしい。
ハタノに身を委ねるように力を抜いた。
……今、妻はどんな顔をしてるのかすこし気になったが、覗くのは失礼だろうか。
ハタノは少々むず痒いものを覚えつつ、我慢する。
暫くして、彼女が顔を離した。
うっすらと頬を赤く染めながらも、その口元はそこそこ満足したように綻んでいた、気がする。
ハタノの気のせいかもしれないけれど。
「ただいま戻りました、旦那様」
「いえ。お帰りなさい、チヒロさん。……ところで、お風呂にしますか? 草食べますか?」
「先に魔力補給をしたいです。やはり自宅の魔噛草が一番ですので」
「魔噛草って、味の違いがあるんですか?」
「違いはありませんが――旦那様の顔を見ながら口にすると、すこし、落ち着くので」
それは嬉しいと思いつつ、ハタノは妻を食卓へと案内しながら、思う。
一般的ではないけれど、こんな夫婦仲があってもいいのかもしれない、と。
その口元に、自然と笑みが浮かんでいることに、気づかないまま。
そして数日後、その日がやってきた。
ハタノとチヒロの人生を。
そして帝国の歴史を変える転機となった――血に濡れた祝勝会が。
チヒロは、あっさり帰ってきた。
ごく普通の軽装。
相変わらずさらりとした、銀の髪。
喜びも悲しみもない無表情さでハタノを見上げ「ただいま戻りました」と礼をする新妻を、ハタノもゆるい笑みを浮かべ、自然体で受け入れる。
「旦那様。長く家を空けてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ。お仕事お疲れ様でした」
――本音を言えば、じんわりと胸が切なくなるような痛みを覚えた。
寂しかったのだと、思う。
けど、ハタノはその気持ちを表に出さない。
彼女に一方的な気持ちをぶつけても迷惑だろうし、それは、チヒロにとっても迷惑なはず。
”勇者”にとって戦場は日常茶飯事であり、逐一、帰宅する度にほっとした様子を見せては困らせてしまうだろう。
ハタノは感情を押し殺し、夫婦としての業務をこなす。
慰労は忘れず「お風呂の用意しましょうか?」と優しく尋ねると、チヒロはふるりと首を振った。
「お気遣いありがとうございます。ただその前に、旦那様。帰宅早々申し訳ないのですが、仕事の話を宜しいでしょうか」
「どうぞ」
「じつは面倒事を頼まれまして」
「何でしょうか」
「それが……その。大変、言いづらい、のですが」
おや。
すぐ仕事の話をするのはチヒロらしいが、彼女が言いよどむのは珍しい――
「本当に申し訳ないのですが、雷帝様より、戦勝パーティに誘われまして」
「チヒロさんが、ですか?」
「今回、私の仕事は後方支援と護衛だったのですが、不足の事態が発生した結果、ガルア王国の銀竜を落としまして」
「銀竜って上から二番目に強い竜じゃなかったです?」
「迂闊にも大金星を挙げてしまい、雷帝様より表彰されざるを得なくなりまして……」
新妻、旦那の心配もよそに、迂闊にも英雄になっていた模様。
それは喜ばしい……のだが、チヒロは大変珍しいことに、ものすごく嫌そうな顔をしていた。
唇をむすっと引き絞り、眉を立て、苦いものを噛みしめるように。
まあ、気持ちは分かる。
ハタノも帝都治癒院時代に祝辞への出席を強制されたが、慕ってもいないお偉方の機嫌を損ねないように過ごす時間は苦痛極まりなかった。
つけ加えて、フォーマルな格好だの実利のないマナー等を押しつけられ辟易した覚えがある。
そんな暇があるなら仕事させろと言いたい。
が、相手が雷帝様では分が悪すぎる。
「成程、それは面倒ですね。ですが、雷帝様の要望であれば仕方ありません。仕事である以上断るのは許されませんので、頑張ってくださ――」
「その雷帝様より、夫人が主役を張るのだから旦那も出席するようにとお達しがありまして」
「すみません、その日は急患が五十名来る予定になってまして」
「旦那様。仕事を理由に夫婦仲を蔑ろにすることは、夫婦疎遠の第一歩です。そもそも仕事である以上断るのは許されません、といま仰ったばかりではありませんか」
墓穴を掘った。
まあ墓穴を掘らずとも出席は強制だろう。雷帝様の嫌味な笑みが目に浮かぶようだった。
ついでに尻尾の進捗も聞かれるだろうが、少なくとも現実的に考えては無理だと言うしか無い。
が……。
「旦那様でも、わかりやすく嫌な顔されるのですね」
「チヒロさんこそ。が、まあ準備は致します」
「すみません、余計な手間をかけさせてしまって」
「いえ。仰る通り仕事ですし、それに、チヒロさんが戦果を上げたことは本来喜ぶべきことですので」
表彰は面倒だが、チヒロが苦難を乗り越えた証でもある。
銀竜との戦いがどれ程壮絶であったか伺い知ることはできないが、ぶじに帰ってきたのは、素直に嬉しい。
と、ハタノが自然と表情を緩めると、チヒロも夫をまっすぐに見上げて。
「そういえば、旦那様。もう一つ、仕事を思い出しました」
「なんでしょう」
「いえ。……大したことでは、ないのですが」
と、チヒロはハタノにちょこちょこと近寄り。
棒立ちするハタノの胸元に、ぽすん、と顔を埋めた。
「チヒロさん?」
彼女は無言のまま、額を押しつける。
そのまま、ぐりぐりと、額をこすってくるチヒロ。
小動物みたいな動作に戸惑っていると、彼女が可愛い声をあげた。
「ぎゅっ、としてください」
「ぎゅっ、ですか?」
「ぎゅっ、です。理由はありませんが、ぎゅっとするのです」
言われた通りハタノは彼女の背中へ手を回し、優しく、ぎゅっと抱き締める。
久しぶりに感じた、妻の体温。
ハタノは彼女が生きていることを何となく噛みしめながら、さらりと背中に流れる銀髪を優しく撫でる。
妻がくすぐったそうに身をよじるも、嫌ではないらしい。
ハタノに身を委ねるように力を抜いた。
……今、妻はどんな顔をしてるのかすこし気になったが、覗くのは失礼だろうか。
ハタノは少々むず痒いものを覚えつつ、我慢する。
暫くして、彼女が顔を離した。
うっすらと頬を赤く染めながらも、その口元はそこそこ満足したように綻んでいた、気がする。
ハタノの気のせいかもしれないけれど。
「ただいま戻りました、旦那様」
「いえ。お帰りなさい、チヒロさん。……ところで、お風呂にしますか? 草食べますか?」
「先に魔力補給をしたいです。やはり自宅の魔噛草が一番ですので」
「魔噛草って、味の違いがあるんですか?」
「違いはありませんが――旦那様の顔を見ながら口にすると、すこし、落ち着くので」
それは嬉しいと思いつつ、ハタノは妻を食卓へと案内しながら、思う。
一般的ではないけれど、こんな夫婦仲があってもいいのかもしれない、と。
その口元に、自然と笑みが浮かんでいることに、気づかないまま。
そして数日後、その日がやってきた。
ハタノとチヒロの人生を。
そして帝国の歴史を変える転機となった――血に濡れた祝勝会が。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
---
とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく
タマ マコト
ファンタジー
王立工房の魔導測量師見習いリーナは、誰にも測れない“失われた魔力波長”を感じ取れるせいで奇人扱いされ、派閥争いのスケープゴートにされて掃除婦として城のゴミ置き場に追いやられる。
最底辺の仕事に落ちた彼女は、ゴミ山の中から自分にだけ見える微かな光を見つけ、それを磨き上げた結果、朽ちた金属片が古代兵器アークレールとして完全復活し、世界の均衡を揺るがす存在としての第一歩を踏み出す。
アルフレッドは平穏に過ごしたい 〜追放されたけど謎のスキル【合成】で生き抜く〜
芍薬甘草湯
ファンタジー
アルフレッドは貴族の令息であったが天から与えられたスキルと家風の違いで追放される。平民となり冒険者となったが、生活するために竜騎士隊でアルバイトをすることに。
ふとした事でスキルが発動。
使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。
⭐︎注意⭐︎
女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。
不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。
14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる