不器用”勇者”の幸せな契約婚 ―奥手で誠実すぎる二人は、最高に相性がいいようです―

時田唯

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第一章

6-5.「すみません。誰か私に、――」

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 魔力を込めたはずのナイフが止まった瞬間、ハタノは雷帝様の治癒が想定以上に厄介だと肌身で理解した。
 浄化、復元、治癒、持続といった治癒師の基本術式すべてが弾かれる。
 更にはナイフによる切開すらも阻まれるとなると、治癒師としての根幹を否定されるに等しい事態だ。

 ならばと、ハタノは自らの指先に魔力を込めてみる。
 ――少し、ナイフが沈んだ。

(どうやら”才殺し”の弾丸は受傷部位に近いと魔力を弾きますが、距離を取れば影響が下がる。であれば刃表面に魔力を沿わせるのでなく、私自身の身体能力増強に、魔力を。そのためには――)

 ハタノは袋からポーションを掴み、二本一気に飲み干した。
 過剰な魔力供給により、強烈な目眩と吐き気に襲われるも、ごくりと気合いで飲み込む。
 続けて妻愛用の魔噛草を口へと放り込み、奥歯で咀嚼しながら切開を再開する。

 口に広がる苦味に妻の姿を思い浮かべながら、ハタノは雷帝メリアスの身体にナイフを走らせる。
 ――弾かれるぶんを計算に入れての、力技だ。

 まずは右鎖骨上の皮膚を切開。鎖骨下にある筋肉を掘り出し、その表面もまた滑らせるように裂いていく。
 開いた先に広がるのは、血だまりのできた肩関節の全貌だ。赤く染まっているせいで視野が確保できない。ハタノはアイテム袋に手を伸ばし、植物の蔓をそっと入れていく。

 ”吸蔦”という魔物の一部を利用したこの蔓は、触れたものの液体を吸引する作用をもつ。
 一般的な治癒師はまず使わないが、鼻に突っ込んで痰の吸引をしたり、病巣部位に貯留した血溜りを吸引したりと様々な使い道がある。

 ずるずると音を立てて血液を除去。視野を確保。
 ハタノは慎重に鎖骨下へと治針を伸ばし、神経や健、瑞々しい色をした筋肉や、若干ふにゃっとした静脈をそっと掻き分けていく。
 最深部に、薄桃色の動脈を確認。
 ハタノは治針の種類を変え、先端を針状から鉗子状のものへ。
 傷つけないよう血管へと近づけ、その先端をつまんで遮断。
 出血に繋がる動脈の根元を一時閉塞させ、出血を阻止する。

 再度、残った血を吸引しつつ、ハタノは肩関節内を改めて魔力走査。
 ”才殺し”に無力化される方向を感知し、弾丸を探って――

 見つけた。

 弾丸は丁度、肩にある丸い骨の部分。
 上腕骨頭めがけ、釘を打ち込んだかのような形で埋もれていた。

「雷帝様、見つけました。もう暫くの辛抱です」
「んん、んむぅ―――――っ!」

 もちろんハタノの治癒中も、雷帝メリアスの意識は健在だ。
 鎮痛魔法が効果を発揮してないらしく、今も激痛に足をばたつかせ、自らの肌を裂かれる痛みに暴れていた。

 けど、それでもハタノの治癒の邪魔になるような暴れ方はしていない。
 精神力、それだけで耐えている。

 期待に応えるべく、ハサミ状の治針を手に取り、弾丸へと直接延ばす。
 弾丸の左右をつまみつつ、魔力を瞬間的に奥へと走らせる。
 当然”才殺し”を秘めた弾丸は魔力を打ち消すが――打ち消しのさいに発生した反動を利用し、ぐっと弾丸を引っ張り出すことに成功。
 ハタノがとっさに閃いた、アレンジだ。

 摘出した弾丸を、傍に控えていた魔術師に頼む。

「弾丸の保管をお願いします。次に撃たれた患者の、治療の参考に出来ますので」

 そして、ここまで来れば一安心だ。
 弾丸さえ除去すれば――治癒魔法が、使える。

 ハタノは除去した骨の部分へ治針を伸ばし、治癒魔法を行使。
 骨の亀裂が、見るまに元の球形を取り戻していく。
 やがて見慣れた形へと復元したことに安堵しつつ、次は傷ついたままの動脈に目を走らせる。”復元”魔法を用いて元の動脈と縫合。
 再出血がないことを目視で確認。

 あとは順序よく内側から治癒魔法をかけつつ、先程まで使えなかった汚染防止用の浄化魔法をまんべんなく放つ。
 そうして丁寧に、奥から順に傷口を癒していき――


 皮膚表面を閉じ、ハタノはふっと息をついた。
 知らぬ間に、呼吸を止めるほどに緊張していたのか、息をついた途端どっと汗が噴き出してきた。
 が、油断はできない。

「雷帝様。治癒、完了しました。……ただ、私が見落としてる損傷が体内に残ってないとも限りません。とくに金属片の残りが、”才殺し”として魔力を損失させる可能性は十二分にあります。急変した場合すぐ知らせてください。また出血に伴う魔力と体力の低下、体温の低下に気をつけて。後はほかの治癒師に依頼して、持続回復と魔力回復を必ず欠かさないよう――」
「ハタノ」
「はい」
「よくやった、と、褒めるのはまだ早いぞ。さっさと次に行け!」
「……はい。失礼します」

 残りを他の治癒師に任せ、ハタノは立ち上がろうとして、

「……っ!」

 ぐらり、と姿勢が傾いた。
 身体が重い。消耗した魔力が予想以上に大きく、ハタノはもう二本、魔嚙草とともに魔力ポーションを流し込むが、効果が薄い。

 ポーションによる魔力補給は、もともと供給量に限度がある。
 一日二本程度なら許せても、五本六本と流し込めば過剰投与によりぶっ倒れてもおかしくない。

 ……だがそれでも、構わずにポーションをがぶ飲みする。
 体内の魔力バランスが崩れ、今すぐ胃液をぶちまけたくなりながらも自らを鼓舞して、ハタノは走る。
 ぶっ倒れる程度で済むなら大した問題じゃない。
 死なない限り、人は生きてるのだから。
 そう己を叱咤し、彼はようやく、チヒロの元へ戻り――


 一目で。
 ああ、これは無理だ、と悟った。

「チヒロさん」

 彼女は、まだ生きていた。しかし、ただ生きているだけだった。
 手足はだらんと力なく零れ、開いた瞳孔はすでに半開きのままうつろに彷徨っている。
 その呼吸はひゅーひゅーと細い管を通したかのようにか細く、ハタノの声にも反応しない。

 それでもなお失った血を補うべく、意識のないまま賢明に生命維持を行っている。
 周囲には別の治癒師がかろうじて傷を復元し、持続回復をしていたが、効果は雀の涙だ。

「すみません。診せて貰って、宜しいですか」

 ハタノは治癒師と交代し、改めて容体を確認。
 肩口に一発。動脈損傷あり出血中。雷帝様と似た症状だ。
 脇腹に一発。こちらはかすめただけで軽傷。
 心臓に一発。状態不明。少なくとも心臓は貫き背中に抜けている。

 ハタノはわき上がる絶望感を抑え込みながら、無表情のままチヒロの和服を裂き、胸元にナイフを滑らせる。
 ”才殺し”は身体を貫通したためか、魔力妨害はない。
 意識もないので鎮痛も必要ない。遠慮もいらない。

 ハタノはナイフで胸骨――胸元を真っ二つにしたのち、アイテム袋から開胸棒――金属棒が二本ついた固定具を出す。
 ハタノ自前の医療用アイテムボックスは、元々かなり詰め込める容量のでかいものだが、……正直これを使う日が来て欲しくなかった。
 そう思いつつ、亀裂をいれた胸の隙間に二つの棒を差し込み、めりっ、と力技で左右に開く。

 露わになるのは、既に動きを止めた生身の心臓。拍動を止めた血塗れのそれをわしづかみにしつつ、傷を確認。
 穴の空いた左心室より治針を差し込み、おそらく貫通してるであろう心室中隔を復元しながら、……ハタノは、自分はいま、一体何をしてるのだろうかと自問自答する。

 仮にここで治癒が完了しても、彼女は確実に持たないだろう。
 その身体は既に冷たく、命の灯火は消えつつある。
 魔力が足りない。血が足りない。ハタノの力では、彼女を救うことは出来ない。

 ……大人しく、看取るべき時ではないか?

 治癒師として何度も迎えた死の瞬間が、頭を過ぎる。
 人の命には、物理的な限界がある。
 ハタノの思考にそれが過ぎるということは、彼女はもう持たないだろう、と、心の何処かで理解しているということだ。

 思わず、心の中で天を仰ぎたくなった。
 もちろん患者から目を離すのは愚かな行為だし、実際にした訳ではない。
 が、結果に違いはないだろう。

 ――すみません、チヒロ。
 ――どうやら、ここまでのようです。

 ハタノは機械的に持続回復をしつつ、心臓に穿たれた穴の治癒を終え、胸元を閉じながら謝罪する。

 涙を流すようなことはない。
 彼女と自分は、ただの仕事仲間だ。心の底から愛した相手、という訳でもない。
 死別の挨拶も済ませてあるし、彼女も覚悟はしていたはずだ。
 そもそもハタノもチヒロも、人一人が死んだ程度で動揺するような、弱い人生は送っていない。

 ……それでも。
 この、胸の奥をかきむしりたくなるような衝動は、何だろうか。

「……すみません、チヒロ。私の、力不足ゆえに」

 ハタノは嘆きつつ、……せめて、最後まで。
 あなたが死ぬ一瞬まで、その生を見届けよう。
 それすらもあなたは無駄と言うかもしれないが、それでも。

 ハタノは一度だけ、感情を飲み込みきれずに、うめき。
 涙を堪えるように首を振って――

(―――?)

 違和感。
 或いは警鐘。
 ……今、なにか大事なものを見落とした、ような。

 ハタノは顔をあげ、ホール全体を見渡す。

 会場の混乱は収束し、燃えさかる炎も沈下されつつあった。
 遠くで雷帝様が起き上がり、誰かが指示を受けて走り出す。
 慌ただしく走る治癒師。ハタノの様子を伺う兵士。ひっくり返ったままのテーブル席。既に待避した皇帝陛下。

 そんな騒然としたホールの中、燦然と輝くのは――
 チヒロの刀を突き立てられ絶命した、銀竜の氷像。



 ――竜が空を飛ぶのは、その翼に膨大な魔力があるからだ。
 ――尻尾をね、つけて欲しいんだけど。できる?
 ――”才”の高い者の手足を切り落とし、魔物の腕を移植した。一例だけ、成功しかけた事例があった。その患者は、瀕死の重傷により魔力が著しく欠乏していたらしい。
 ――”勇者”は、魔力さえあれば心臓を穿たれても生きられる。



 ハタノの思考が、冷たくクリアになっていく。
 どくん、どくん、と自分の心臓が拍動する。理性が告げる。
 99%失敗する馬鹿げた手術は、しかし、100%死ぬより生存率が高い。

 気づけば、ハタノは口に出して望んでいた。

「すみません。誰か私に、竜の翼を、くれませんか」

 どうせ死ぬなら、妻に魔物を縫い付けたところで、誰も文句は言わないだろう――?
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