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2 サヴァリアの戦士
しおりを挟む時は流れて10年後。
俺達は24歳になった。
あれから毎日アダムと鍛錬し繰り返し切磋琢磨し、互いを高め合い3年前アダムはこの国の王に。ノエルは王の側近としてNo.2へと上り詰めた。
力のアダム、知恵のノエルとして無鉄砲で猪突猛進なアダムをノエルが制御しコントロールしてこの国の秩序は保たれていた。
戦士の日常は忙しい。No.2にもなると尚更だ。
朝は日の出と共に目を覚まし仕事の前に日課のトレーニング。
その後シャワーを浴び身支度を整え家を出る。
トップ7ともなると城に部屋を用意されているが、それは有事の際に使うくらいでプライベートを確保するため各々他に部屋を持っている。
城へ向かう前にカフェに寄りコーヒーとトーストを食べながら街を見渡すのがルーティンだ。
城へ着くと何か変わったことがなかったか確認し、異常があればすぐに対処を考える。
情報収集、作戦、立案、部隊編成。ギルドの参謀として知恵を使うのが主なノエルの仕事だ。
何も変わりなければ日常業務としての書類仕事をこなし、訓練生の所へと顔を出し稽古をつける。
若い戦士を育てることも上に立つ者としての努めだ。
自分が子供の頃もよくギルドの戦士達に稽古をつけてもらった。
あの頃はただ着いていくのに必死でよくコテンパンにされては泣きべそかいていたっけ。
負けん気が強いアダムは何度倒されても立ち上がり、その度強く逞しく力をつけていった。
今では大剣を振るう重剣士として活躍している。
ノエルはというとアダム程の腕力がない代わりに、身軽さとスピードを武器に双剣士として剣を振るっている。
戦士には様々な戦闘スタイルがあるが、アダムもノエルも魔術には全く向かなかった。
そもそも魔法の才能がある人間は、この国ではとても希少だ。
治癒術を使える者に至っては、片手で数えるほどしかいなかった。
だから必然的に剣や槍、銃火器等の武器を使って戦う戦士が多い。
城やその周辺にはそのための訓練場が多数用意されていた。
訓練生への稽古が終わると、束の間の休息だ。
ノエルは毎日この時間に王の執務室へと顔を出す。
執務室の扉をノックすると、「入ってくれ。」とアダムのよく通る声が返ってくる。
豪華な装飾に街が一望できる大きな窓。
応接室も兼ねている執務室は彼1人には随分広い空間に見えた。
「よう。調子はどうだ、王様?」
「ノエルか…。見ての通り最悪だぜ。」
執務室の中央で書類の山に囲まれたアダムはげっそりとした顔を見せた。
「毎日毎日書類書類書類…。俺はこんなことがやりたくて王になったわけじゃないんだが…。」
ぶつぶつと苛立ちをぶつけるようにアダムは無造作に撫でつけた紅蓮の髪を掻き毟る。
国内行事への参列、政治、外交。王の仕事は想像以上に多忙だ。
きらびやかなイメージを持ちがちだが、実際にはこうして執務室に籠もり書類に追われている時間の方が多い。
そして昔から落ち着きのないアダムは、こういったことがめっぽう苦手だった。
「まあそう言うなって。それも王様の立派なお勤めだろ?」
「俺は外に出て最前線で戦いたいぜ。」
「お前ホント戦闘狂だな。王様の出番がないってことはそれだけ平和な証拠だからいーんじゃねぇの?」
「それは…そうなのだが…。」
口では納得しているが不満そうに唇を尖らすアダム。
「…君が手伝ってくれたら早く終わる気がする。」
「いや、ダメだろ。一応重要機密とかあるんだし。」
「それは俺がやる。君はこっちのたいして重要でもない書類を頼む。判子を押すだけの簡単な仕事だ。」
そう言ってアダムはいくつか選別した書類をノエルに差し出す。
「簡単なら仕事なら自分でやれよ…。」
呆れながらもノエルは書類を受け取る。
客用のソファに腰掛け、一応その中身を確認した。
「お、もう収穫祭の時期か。」
「あぁ。今年は外国の収穫祭に習って子供たちに仮装してもらって菓子を配るんだ。」
「なんだっけ。…トリックオアトリート!お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ!ってやつだ。昔本で読んだことある。」
「すごいな君。そんなことまで知ってるのか。」
「まぁな。ってこれアンジェラさんも参加すんの?!」
「当たり前だろう。彼女は女王だからな。俺と共に菓子を配る役だ。」
「へぇ~…。」
王と女王は婚姻関係があるわけではない。
王はこの国の力の象徴として、女王は平和のシンボルとしてそれぞれ独立した立場を持っている。
しかしこういった国内行事では揃って呼ばれることも多い。
ギルドに入って6年。No.2になって3年。
ノエルは10年前に恋した彼女とは未だお近づきになれずにいる。
もちろん立場上、目に触れる機会も多いし警護の仕事を任されることだってあるが、ただそれだけだ。
仕事以外の余計な干渉はしないし、ましてやプライベートな会話などできないままでいる。
憧れていた期間が長かった分、自分でもどう接していいのかわからないのだ。
「なぁ、これ俺も見に行っていい?」
「見に行くもなにも、当日君には女王の護衛をしてもらう予定だぜ。」
「え?!俺が護衛!?なんか最近俺ばっかりじゃない?!やだよ、他の奴に変えられない?」
慌てふためくノエルにアダムは大きな溜息をつく。
「まったく君は…。親友のよしみで彼女と話すキッカケを与えてやってるというのに…。どれだけ俺の善意を無下にすれば気が済むんだ。」
「善意だったのかよ。…悪意のある嫌がらせかと思ってた。」
どうりで最近よくアンジェラの護衛や警護の仕事が多いと思った。
意図的にそうなるようにアダムが仕事を振っていたのか。
嬉しい反面、余計なお世話だとノエルは思う。
「俺が君に嫌がらせなんかするものか。…それで?君は一体いつまでウジウジと彼女を眺めているだけのつもりなんだ?せっかくチャンスがあるのだから、食事にでも誘えばいいだろう。」
「…無理だよ。俺緊張しちゃってアンジェラさんと上手く喋れないし。それに…アンジェラさんから見たら俺なんてまだまだガキみたいなもんだし…絶対相手にされない。」
「君は本当に意気地のない男だな。慎重すぎるのも考えものだぞ。」
「うるせー。こちとら10年片想いしてんだ。そりゃ慎重にもなるさ。」
「呆れた。目の前にあるチャンスを掴まないなんて。俺にはとても真似できそうにない。」
「俺はお前みたいに無鉄砲じゃねーの。」
王の執務室で王と側近としてではなく、ただの親友としての他愛のない会話が繰り広げられる。
10年経って立場は変わったが、二人の関係は昔のまま変わらなかった。
ああだこうだ言いながら書類を処理していると、正午を知らせる鐘が鳴る。
「もうこんな時間か。」
ノエルは判子を押し終わった書類をアダムに返し、
次の目的地へと向かう。
城の食堂で軽く食事を済ませ、午後からは城を出て街へ降りる。
街の巡回などは下級の戦士の仕事たが、ノエルは自ら街に降りて自分の目で見て回るのが好きだった。
「ノエル様だ!」
「ほんとだ!ノエル様!こんにちは!」
子供たちの元気のいい無邪気な声に、ノエルも膝を曲げ彼らの視線の高さに合わせて「こんにちは」と返す。
今日も街は平和そのもの。
国民達は真面目に働き、子供達は楽しそうに街を駆け回っている。
ふと通りの奥から聞き慣れた声が聞こえた。
「やぁ、ノエルくん。」
顔を上げるときのみを大量に入れた籠を持った小柄な男が自分に手を振るのが見えた。
「焔さん!うわあ今日も大量ですね。東の森ですか?」
彼はこの国のNo.4。盾騎士として共に戦う仲間だ。
盾として味方を守りながら剣を振り、炎を操り自らも戦う戦闘スタイルで烈火の焔と呼ばれている。
毎日のトレーニングで鍛え抜かれた体は鋼のように強く逞しく、とても60近い年齢には思えない。
年齢のせいで白髪が混じるグレイヘア。
東洋出身の顔立ちは年齢よりも幾分か若く見える。
その左頬から耳にかけて大きな傷跡があった。
彼曰く、『男の勲章だよ。』だそうだ。
彼は元々世界を旅する傭兵だったらしい。
今は年齢も年齢だからと落ち着いてこの国に腰を据えている。
彼は物腰も柔らかく親切で老若男女から好かれていた。
「そうだよ。鍛錬のついでにね。今の時期はリエルの実がたくさんなっててね。これでバーバラさんにパイでも作ってもらおうと思って。」
「いいですね!俺リエルのパイ好きです。」
「じゃあノエルくんも一緒に行こう。バーバラさんのパイは絶品だよ。」
城の近くにあるこじんまりとしたパン屋。
ノエルも小さい時から良くしてもらってるパン屋のおばさん。それがバーバラだ。
バーバラは持ち込まれたきのみを見て「こりゃ大量だね。とてもアンタたちじゃ食べ切れないよ。作っておいてやるから街の子どもたちにも声かけておいで。」と腕捲りをした。
二人は再び街に降りる。
「以前バーバラさんのパイ作りを手伝ったんだけどねぇ、僕がやると全部消し炭になっちゃうから絶対手伝わないで!ってバーバラさんから言われてるんだ。」
「え、焔さんまさか自分の炎で焼いてないよね?」
「どうしてわかったんだい?そっちのほうが早く焼けると思ったんだけど…ダメだったみたいで…」
照れるようにふにゃりと焔は笑う。
精悍な顔付きをしているが、その実彼は天然で表情豊かである。
「焔さんらしいといえばらしいけど~。料理は火力強ければいいってもんじゃないですよ。」
「わかってはいるんだけどねぇ…つい。」
「つい、って。」
ふふっ、とどちらとも言わずに笑みが溢れる。
戦闘でも日常でも頼れるいい先輩としてノエルは焔に懐いていた。
ちょっと抜けているが、それも人を惹きつける魅力なんだと思う。
街を一周して子どもたちに声をかけてバーバラの元へ戻ると香ばしいいい香りが立ちこめていた。
先に声をかけた子供たちも集まっている。
「さぁアンタたち!バーバラおばさん特製のリエルのパイが焼けたわよ!」
そう言ってバーバラは切り分けたパイを子供たちに配っていく。
出来立てのパイからは湯気が上がっていた。
パイを貰った子供たちは小さな口を大きく開けてパイにかぶりつく。
「おいし~!」
「バーバラおばさんありがとう~!」
「お礼を言うならこっちだよ!戦士様たちがリエルの実採ってきてくれたんだからね!」
そう言ってバーバラはノエルと焔の方を指差す。
その指に釣られて子供たちの笑顔がこちらに向く。
「焔様ありがとう~!」
「ノエル様もありがとう~!」
(俺は何もしてないけど…)と思いつつノエルは黙って笑みを返す。
隣を見ると焔は嬉しそうに目尻を下げて子供たちに手を降っていた。
「焔さんって…子供好きですよね。」
「うん?好きだよ。無邪気で愛らしくて可愛いじゃない。」
確かにそうなのだが。
鍛錬と言うのは口実で、最初からこうやって子供たちの笑顔を見るためにリエルの実を採りに行ったようにも思える。
「そんな子供好きなら、結婚とかしなかったんですか?」
焼き立てのパイを頬張りながら、結婚ねぇ…と焔は首を傾げる。
「うーん…昔そういう関係の人がいたことはあるけど。…まぁ、縁がなかったんだろうね。」
焔は照れ隠しか年齢を重ねてグレイになった頭をポリポリとかく。
焔のこういう話を聞くのは初めてだった。
「…なんか変なことを聞いてすみません。」
「いや、気にしてないからいいよ。」
「まぁ結婚だけが全てじゃないですし、別にいいんじゃねぇですかね。」
突然会話に入ってきた声にノエルは振り返る。
「ジャック。どうしてここに?」
そこには濡羽色の長い髪を後ろで束ねた顔色の悪い男が両手にパイを持って立っていた。
「見りゃわかるでしょ。美味そうなパイの匂いがしたんでご相伴に預かりに来ました。」
ジャック・スターローン。彼はこの国のNo.3。
天才魔術士と謳われ、ノエルの少し年上で兄貴分でもあり数少ない友人のうちの1人だ。
不健康を身を持って表すような病的に細い身体に目の下の隈。
高い位置で束ねられた長い髪は重そうに彼の細い腰あたりまで伸びている。
大きく曲がった猫背に気怠さを背負うようなダウナーな雰囲気。
「お前…。本当に神出鬼没だな。」
「まぁ、一応魔術士なので。存在感消すの得意なんですよ。目立ちたくないですし。」
「その特徴的な格好はじゅうぶん目立ってると思うけどね。」
焔の言う通り、ジャックはとても魔術士には見えない格好をしていた。
細い首にはスタッズのついたチョーカー。
細身の体を大きく見せるかのような丈の短いライダース。
魔術士なのにローブや杖なんて持たずにまるでロックスターのような出で立ちの軽装。
本人曰く「馬鹿ですね。んな重いもん身に付けて戦えるかアホ。」とのことだ。
口が悪いのか丁寧なのかよくわからない口調で喋る掴みどころのない男だった。
「趣味ですよ、趣味。こんな格好してれば、まさか俺が天才魔術士様だとはわからないでしょう?」
「いや、この国の人間はみんな知ってると思うぞ。」
「間違いないね。バレバレだ。」
ノエルの言葉に焔も同調する。
「だまらっしゃい。別に俺は剣とか盾とか持って突撃するわけじゃないんで、これでいいんですよ。」
ジャックの言う通り、彼の戦闘スタイルは遠距離広範囲型。
ノエルや焔とは正反対の戦い方だ。
この国の数少ない魔術士の中で彼はNo.1の実力を誇る。
詠唱も無しに大魔法を連発したり、天候でさえも操るという天才ぶりにノエルも一目置いていた。
その割にやる気がなく、ほとんど戦闘や演習にさえ顔を出さない。
いつも魔術ギルドに籠もりっきりで一体何をしているのかわからない謎の多い男だが、同じトップ7としてこうしてノエルや焔とつるむことが多かった。
「あ、そうだ。パイのついでにこれ届けに来たんでした。」
そう言ってジャックはノエルに書類を差し出す。
「うちの部下たちからの報告でね。西の森の様子がちょっとおかしいみたいです。なんでもいつも以上に魔物達の数が多く攻撃的になってるとか。」
「そういえば、東の森もそうだったよ。見たことのない魔物も数体いたね。」
2人の報告を受けノエルは書類を流し見る。
確かに平常時とは出現する魔物の種類も現れる数も明らかに違っていた。
「この時期は繁殖期の魔物が多いから殺気立ってるのか?それとも、生態系が変わってきてるのか…。いずれにしても一度調査隊を派遣した方がよさそうだな。」
「そうだね。いつもみたいに部隊編成よろしくね、ノエル君。」
「はい、任せてくたさい。」
「じゃあ報告はしたんで。あとはよろしくお願いしますね。俺は帰って寝ます。」
用は済んだとばかりにジャックはひらひらと手を振り踵を返す。
ふらっと現れて、ふらっと消えていく。
彼はそんなマイペースを絵に描いたような男だった。
「僕もそろそろおいとまさせてもらうよ。この後盾騎士ギルドで演習の予定なんだ。」
「さすが焔さん。鍛錬の後に演習って随分ハードですね。」
「ははっ。体力だけは若い子に負けないよ。じゃあ僕は行くけど、僕の力が必要な時はいつでも呼んでくれていいからね。」
そう言い残し焔も背中を向けて去っていく。
その背中を見送り、ノエルも街を見回りながら城に戻り残った仕事を片付けようと歩き出す。
しばらく歩くと、見知った女性二人が道端でしゃがみこんでいるのを見つけた。
「エレナさん、ベル。どうしたんだ?」
声をかけると2人は顔を上げる。
色黒の肌にウェーブの掛かったブロンドヘアを綺麗に纏めた長身の化粧の濃い女性。
彼女はエレナ・シュバルツ。この街に診療所を構えている医者で、この国では片手で数えられるほどしかいない希少な治癒術師だ。
白衣にハイヒール。大きく空いた胸元にミニスカート。
戦闘に出ることはほとんどないものの、その希少さからこの国のNo.5として君臨している。
もう一方は長い前髪で顔を隠した小柄な女性。
彼女はベル・リンガル。女性というよりは、まだあどけなさが残る少女のような顔付きで背丈はノエルの胸の高さほどしかない。
身長をカバーするように厚底のブーツを履いて大きく広がるレースやフリルのついた黒いワンピースを着ている。
引っ込み思案で人見知りしがちな彼女だが、この国No.7として小さな体で多数の銃器を扱うエキスパートだ。
「ノエル様…。シノが…。小鳥が…怪我をしているんです。」
「シノ?」
ベルの手の中には、血を流し今にも息絶えそうに弱々しく呼吸をしている小鳥が横たわっていた。
「エレナ様に治してもらおうと思って連れてきたんですけど…」
泣きそうな顔で大事に小鳥を抱えるベルに、エレナは目を伏せ、大きく溜息をつく。
「この子はもうダメよ。血を流しすぎている。」
「でも、エレナ様なら…」
「治癒術は魔法ではないの。その相手の持っている自然治癒能力を高める術であって、死にかけている相手を生き返らせる奇跡ではないの。」
「でも!少しでも可能性があるなら…。エレナ様の力を少し分けてくれれば…この子だって…きっと…もう少しくらい…。」
「それはできない。それは…生命への冒涜よ。可哀想だけど、これがこの子の運命だったって…受け入れなさい。死の運命を捻じ曲げて生き長らえさせるということは、とても残酷なことなのよ。」
「そんな…。」
ベルは瞳いっぱいに涙を溜めてエレナに懇願する。
けれど、エレナが首を縦に振ることはなかった。
ノエルは何も言えずに二人と一羽を見守ることしかできなかった。
しばらくして、その小鳥は息を引き取った。
小鳥が動かなくなった後、ポロポロと涙を流してベルは子どものように泣いた。
「ベル…。お墓、作ってあげよう。」
ノエルの提案でベルとノエルは穴を掘って小鳥を埋める。
穴を掘りながらベルはポツリポツリと小鳥との思い出を話してくれた。
飼っているわけではないが、庭によく遊びに来てくれたこと。
気まぐれで餌をあげたら懐いてしまって部屋の中にまで入ってくるようになったこと。
朝はその小さなくちばしで窓を叩いて起こしてくれたこと。
いつの間にかベルの肩はその小鳥の定位置になっていたこと。
名前がないと寂しいからと最近シノという名前を付けたばかりだったということ。
その一つ一つの話に、ノエルはただ静かに頷いた。
道端に咲いていた花だけを添えた簡素な墓ができる頃には、ベルの涙はおさまっていた。
「シノ…天国行けたかな…。」
「きっと行けたよ。こんな素敵な墓ができたんだ。シノもあっちで喜んでるさ。」
「ノエル様は優しいね。」
赤くなった目元を拭って、ベルは微笑む。
「もう行かなきゃ。まだお仕事がたくさんあるんです。」
「今日くらい休んでもいいんじゃないか?」
「ううん。私はこの国のNo.7だから。トップ7として恥じない働きをしないと、私を信じてくれている国民の皆さんに悪いもの。」
「そうか。ベルは強いな。」
「強くなんてないです。強がってるだけ。ほんとは今にも泣いちゃいそうです。でも、そういうわけにもいかないから。」
困ったようにベルは眉を下げる。
大事にしていた小鳥の死の直後だ。無理もない。
事の顛末を見守っていたエレナは静かに口を開く。
「いいえ、貴方は強い子よ。きちんとこの子の死を受け入れ、乗り越えなさい。貴女にはそれができる強さがあるはずよ。」
エレナはまるで子供をあやすかのようにポンポンとベルの頭を撫でる。
ベルは一瞬泣きそうな顔になった後、とびきりの笑顔を作って見せた。
エレナの言う通り、ベルは強い女性なのかもしれない。
仕事に戻るという彼女を見送り、エレナはノエルに向き直る。
「医者という仕事はね、他のどんな職業より死に多く触れる仕事なの。そして治癒術というのは万能ではないわ。…本当はあの小鳥を生き長らえさせることなんて容易いのよ。でも、私はしなかった。…私のこと、意地悪だと思った?」
表情を変えることなくエレナは言う。
「…いえ。至極真っ当な理由だと思います。」
「そう。貴方は賢いのね。安心したわ。貴方はそのままでいなさい。」
「…よくわからないけど、ありがとうございます。」
自分より4つ年上のエレナ。
成人した4つの差と聞けばたいしてないように思うけれど、エレナは自分より随分大人びて見える。
表情も。考え方も。立ち振舞いも。
エレナと並ぶと自分なんてまだまだ子供だと思い知らされることも多い。
アンジェラもおそらくエレナと同じくらいの年齢だ。
自分から見て彼女たちが大人だと思うなら、彼女たちから見て自分はどう映るのだろう。
やはり子供のように見えているのか、はたまた大人として認めてくれているのか。
小さい頃は年を取れば勝手に大人になるものだと思っていた。
でも実際自分が24になってみて身体は随分と大きくなったけれど、心は子供の頃と何も変わらないように感じる。
必死に背伸びをしてみても、埋めようのない歳の差。
彼女に手を伸ばすには、まだまだ足りない。
いつかきっと、彼女を振り向かせられるくらい強く聡明な大人の男になってやる。
そう誓って早10年。
未だに彼女に話しかけることすらできないでいる。
臆病なんかじゃない。彼女と向き合うには、まだ少し自分に自信がないだけ。
「エレナ!」
その声に顔を上げると、白いワンピースで純粋無垢な天使のような風貌の女性が手を振り、小走りに近づいてきた。
「アンジェラ…。また貴女は1人でふらふらと…。」
「えっ、アンジェラさん…!」
呆れるようなエレナをよそに、ノエルは驚く。
ちょうど彼女のことを考えていた矢先だ。噂をすればなんとやら。
彼女は手にバスケットを持ってエレナの元へと駆け寄る。
エレナとアンジェラは親しい友人関係だった。
よく2人で出かけたり、食事へ行っているようだ。
彼女はバスケットの蓋を開け、その中身をエレナに見せる。
「焔さんがね、リエルのパイをお裾分けしてくれたの。だからエレナと食べようと思って。って、あら。ノエル君も一緒だったのね。」
「え?!お、俺の名前覚えていてくれたんですか?!」
彼女は天使のような笑みで、さも当然かのように返す。
「当たり前でしょう?いつも護衛ありがとうね。よかったらノエル君も一緒に食べる?3人でティータイムでもどうかしら?」
「や、大丈夫です!俺、まだ仕事があるので!これで失礼します!」
そう言ってノエルは逃げるようにその場を後にする。
だって無理だ。彼女とお喋りなんてできない。
恥ずかしくてまともに顔も見れない。
ああ、でも。自分の名前を呼んで微笑んでくれた彼女の顔が忘れられない。
自分のことを認識してくれていた。
これ以上嬉しいことはあるだろうか。
心臓がドクンドクンと高鳴る。
ああ。なんだか、幸せすぎて死んでしまいそうだ。
「…それで?君は彼女の誘いを断って逃げてきたのか。」
書類仕事を終え、疲れ切った顔のアダムは執務室のソファに横たわり頭を抱える。
ノエルはその向かいに腰を下ろし、秘密の話をする子供のように膝を立ててクッションを抱きしめる。
「逃げてない!仕事があるのは本当だし。」
「せっかく彼女から誘ってくれたのに。こんなにチャンスをフイにする奴、なかなかいないぜ。」
「だって、まだそこまでの関係じゃないし…。名前呼んでくれただけでも結構満足してる。」
「10年経って進展がそれだけって…先が思いやられるな…。」
アダムはわざとらしく大きな溜息をつく。
「なんでだよ!大進歩じゃん!」
「亀並みのスピードだがな。…いや亀の方が絶対早いぜ。このままいくと、君の恋が実るのは一体何百年後なんだろうな。」
「…別に、急ぐつもりとかないし。ゆっくり、確実に…俺のこと少しでも意識してくれたらいいな、って思ってる。」
「奥手にも程があるな。そうしてるうちに他の男に取られても知らないぜ。」
「もー、なんでそんな意地悪言うんだよ。少しは祝福してくれてもいーじゃん。」
「何に祝福するんだ?名前を呼んでくれた記念か?子供か、君は。」
退屈そうに、アダムは大きな欠伸を一つした。
「もう日が暮れるぜ。そろそろ俺達も帰ろう。」
彼の言う通り、執務室の窓からは真っ赤な夕焼けが差し込んでいた。
戦士の1日は忙しい。
その忙しさの中で仕事をこなし、街を見守り、友人たちとそれなりに楽しく過ごしている。
そして、彼女への恋心をゆっくりと大事に大事に育てている。
奥手だ、臆病だ、と言われようが関係ない。
ノエルはこのもどかしくも切ない関係に、心地よさを覚えていた。
10
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