その正体

烏屋鳥丸

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19 星空の下

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酷い悪夢に魘されて目が覚めた。
心臓がバクバクと煩くて、身体中嫌な汗でじっとりとしている。
カーテンの隙間からは、朝日が差し込み始めていた。
ぐちゃぐちゃの頭を揺さぶり起こして記憶を反芻する。
昨日、自分はアンジェラに捨てられた。
彼女は自分にかけられた魅了を解いた。
そんなわけない。そんなわけがないんだ。
だって、目が覚めても変わらず、自分はこんなにも彼女を愛している。
彼女が好きだ。愛しくて愛しくて堪らない。
彼女が自分にかけた魅了なんて、何の意味もなかったんだ。
彼女の能力なんかよりずっとずっと深く、強く、自分は彼女を愛していたんだ。
嫌だ。終わらせたくない。彼女と離れたくない。
なんでもいい。彼女にとって都合のいい存在でいい。
文句だって、ワガママだって、もう言わない。
ちゃんと聞き分けるから、側にいさせてほしかった。
彼女と離れるのが、何よりも耐え難かった。
許されるならもう一度、彼女に手綱を握っていてほしかった。

こうしてはいられなかった。
さっと身なりを整えて城へ向かう。
この時間なら彼女はまだ城にいるはずだ。
足早に門を通り、扉を開け、大広間を抜けたところで彼女の姿が見えた。
いつもの白いワンピース姿ではなく、白いドレスで着飾られた姿。
今日は何かの行事の日か。間に合ってよかった。
彼女はこちらには気付くこともなく、護衛だろうか女性の戦士と談笑していた。
ジャックは人目も気にせず、彼女に駆け寄ってその腕を掴む。

「アンジェラ!」

彼女は驚いたように目を見開いて振り返った。
長い睫毛がパチパチと揺れる。
そんな仕草でさえも、愛おしくて仕方がなかった。

「…二人で…話、できませんか。」

「…ごめんなさい。今から仕事なの。また今度機会があれば、ね。ジャック君。」

そう言って彼女は背を向け、歩き出す。
終わった、と思った。
ジャック君。彼女は自分のことをそうは呼ばない。
他人行儀で社交辞令のような言葉に絶望した。
彼女が自分に笑いかけることはもう、ない。
何かの冗談かと思ったが、間違いなく彼女は一方的にジャックを捨てたのだ。
世界が、終わった。
このちっぽけで欲深いジャックの世界は、音を立てて崩れ落ちた。
きっとどんなに取り乱したって、泣いて縋ったって彼女は戻ってこない。
本当に、彼女との関係は終わってしまったのだ。

それから髪を切った。
彼女への願掛けとして伸ばしてきた髪だが、もう何の意味もない。
彼女への未練と一緒に断ち切ろうと思った。
久しぶりに髪を短くした自分の顔を鏡で見て、酷く驚いた。
自分はこんな顔をしていたのか。
なんだか懐かしい感じがする。彼女と出会う前の自分の姿。
あの頃と比べると随分と大人になってしまったけれど。

周りの人間には大層驚かれた。
当たり前だ。ずっと伸ばし続けた長い髪が自分のトレードマークの一つになっていたのだから。
しばらくは物珍しがる人の目に晒されるだろう。
それも仕方ない。何か言われても気分転換と答え、それ以上は語らなかった。

チョーカーは、外せないままでいた。
これを外してしまうと、本当に彼女との繋がりを全て捨ててしまうように思えて、臆病な自分には外せなかった。
彼女に言われたわけではなく、自分自身でつけた首輪。
これが最後の未練だった。

それからはまた酒に溺れた。
もう縋れるものなんて酒しかなかった。
散々な日々が続いた。
酒に溺れ、記憶がなくなるまで飲んで、吐いて、酩酊した頭で考えるのは彼女のことばかり。
酷い自己嫌悪に魘され、また過呼吸を起こし自傷に走る。
自分自身を傷つけたところで、何も変わらない。
彼女が自分のことを心配して訪れることも、もうない。
けれど、そうせずにはいられなかった。
死にたくて死にたくて仕方がなかった。
絵に描いたような転落人生だった。

その日もジャックは酒に溺れていた。
暗い部屋でどうしようもなく燻っているのが嫌になり、昼から街に出た。
しかし、街に出たところで行くところなんてない。
仕方なしに路地裏の昼から営業しているバーで酒を煽った。
真っ昼間からただ黙々と浴びるように酒を飲む姿に、店主はいい顔はしなかった。
呆れたような、あるいは憐れんでいるのだろうか。
ほとんど会話もなくただ酒を飲み続けた。
ここにいても家にいても変わらない。
気分転換に外に出たって結局は何も変わらない。
そう思ってジャックは飲むだけ飲んで店を出た。
狭い路地裏をふらついた足で歩く。
ただでさえ狭い道なのに、ところどころ店の軒先に荷物が積んであり、さらに狭くなっている。
その中で一等大きな酒樽に肩がぶつかりよろけた。
アルコールで平衡感覚を失った身体は、簡単に傾き、そのまま地面へと突っ伏す。
ぶつけた肩が痛い。打った膝も痛い。受け身を取ろうと出した手も痛い。
でも、心が一番痛くて痛くて堪らなかった。

「あーもう、散々だな…。」

全てがどうでもよくなった。
そのまま地面に寝転がり空を仰ぐ。
いつの間にか夕日は沈みかけていて、辺りは薄暗くなってきていた。
立ち上がるのも面倒になり、地面に横たわったまままだ輪郭のハッキリしない星を眺める。
そういえば子供の頃はよく夜空を眺めてたっけ。
本を観ながらあれがオリオン座、あれは北斗七星だなんて言って笑っていたような気がする。
星より君の方が綺麗だよ、なんて寒いセリフを言ったこともあった。
あれ、誰に言ったんだっけ。思い出せないけど、まあいいか。
大人になってからは星が綺麗だとか、そんなことを考える余裕なんて無かったな。
今自分の見てるこれはなんていう星座だっけ。
オリオン座に似てるけど少し違うような気がする。
そもそもこの季節にオリオン座は見えないはずだ。
真ん中に一等強く輝く星がある。
なんだったかな、子供の頃に見たことがあるはずだけど思い出せない。
そんなことを考えていると突然キラキラしたものがジャックの視界に入った。

「わっ!…ビックリした。…生きてる?」

キラキラ輝く銀髪の女は驚いたように、後退る。
ショートカットがよく似合うシュッとして小さな顔。
スラッとした身体に揺れる長い睫毛。
綺麗だな、そうジャックは思った。

「…アンタ、いい女だね。俺とちょっと遊びません?」

孤独を満たしてくれるなら誰でもいい気分だった。
ちょうどそんな時に話しかけてきた女。
しかも、結構ジャックの好みだった。
女は不審そうにジャックを見る。
それもそうだ。こんな路地裏に寝そべっている男が怪しくないわけがない。
ジャックは身を起こし、彼女の手を取った。

「ね、俺と一晩どうです?」

彼女は不快感を露わに眉間にしわを寄せた。

「酒臭い。」

そう言って、ジャックの手を振り払う。
弾みでよろけ、ジャックはまた地面に尻もちをついた。

「いたた…。」

「ごめんなさい、そんなに強くしたつもりはないんだけど…。」

彼女は慌てて駆け寄る。
間近で見た彼女の顔に、やっぱり綺麗だなとジャックは思った。

「いや、気にしねぇでください。俺もちょっと飲みすぎてフラフラだったんで。」

「こんな時間からそんなに飲んで…。何か嫌なことでもあったの?」

「…まあ、そんなところですね。すんません、迷惑かけて。」

ジャックは立ち上がろうとしたが、膝が上手く立たず再びよろけてしまう。
それを彼女が咄嗟に支え、何度目かの転倒は避けられた。

「もう、全然ダメじゃない。ちょっとどこかで休んでいきましょう。」

「…へえ。どこ連れてってくれるんです?」

「変な風に言わないで。」

彼女に抱えられて連れてこられたのは、路地裏から歩いてすぐのこじんまりとした公園だった。
ひんやりとした硬いベンチに腰掛け空を見上げれば、無数の星が輝いて見えた。

「凄いですね、ここ。星がよく見える。」

「あれがペガサス座、あっちのがカシオペア座。合わせて秋の大四辺形よ。」

「詳しいんですね。」

「…昔好きだった人が教えてくれたの。」

「へぇ。」

夜空を見上げる彼女の横顔は、どこか少し寂しそうに見えた。

「どんな人だったんです?」

彼女は少し困ったように笑って、「秘密」と人差し指を立てた。
ああ、その仕草。好きだな。とジャックは思った。

「星を眺めるくらいですから、結構ロマンチストな男だったんじゃないですか?」

「んー、どうだろう。ただ私にカッコいいところ見せたかっただけかもね。星座の本読んで必死に勉強してたし。」

「でもアンタが惚れるくらいだから、いい男だったんでしょう?」

「そうね…。すごくいい人だったわ。今でも忘れられない。」

思い馳せるように彼女は夜空を見つめる。
その横顔が月明かりに照らされて一層美しく見えた。

「それで?貴方は何であんなにお酒飲んでたの?失恋でもした?」

「まあそんなところです。」

「ふーん。そんなに好きだったんだ、その人のこと。」

「…彼女が俺の全てでした。だから俺、もうなんにもないんですよね。」

「それは大袈裟じゃない?」

「大袈裟じゃないですよ。10年以上も彼女のことを愛していたんです。もう彼女なしの生活なんて考えられねぇんですよ。」

「…そう。どんな人だったの?」

「ズルい人でした。俺以外にも何人も男がいて、毎日違う男と寝てました。俺のとこにはたまにしか来ない。それでも、許しちゃうんですよね。愛していましたから。」

「なにそれ、そんな人のどこがいいの。」

「…不毛だとはわかってました。でも、好きになっちまったんですよ。仕方ないでしょう。」

「もっと貴方のことを大事にしてくれる人だっているでしょうに。」

「彼女じゃなきゃダメだったんですよ。理性で止められるなら恋愛なんてしてねぇです。側に置いてくれるなら、都合のいい男でもなんでもよかったんですよ。」

「…貴方、可哀想な人ね。」

「ははっ、彼女にもよく言われました。」

ジャックは普段自分のことを多くは語らない。
元々あまり自分のことを話すことは得意ではないし、自分の話なんてしてもたいして面白くないだろうと自負しているからだ。
けれど、酔いのせいか、彼女の人柄がそうさせるのか、この日はスラスラと口が動いた。

「でも、いい機会じゃない?」

「いい機会?」

「せっかくそんなどうしようもない人から離れられたんだから。他にいい人探したらいいじゃない。」

「他にいい人、ね…。今は考えられねぇです。」

「さっき私を誘ったのに?」

「あれは…なんというかその…。」

「誰でもよかったんだ?」

「…はい。…すんません。」

「うわ、最低。」

いたずらっ子のように彼女はクスクスと笑う。

「そういうことはしてあげられないけど、話くらいなら聞くわよ。私、すぐそこの新聞社で働いてるの。この公園通り道だから。また話したくなったらここに来たらいいわ。」

「…なんで俺なんかのこと、そんなに構うんですか。」

「んー、気まぐれ?」

「気まぐれ…。」

何故だろう。
彼女とは初めて会った感じがしない。
彼女と話していると、少しだけ気持ちが楽になった。
むしろ、どこか懐かしいような、安心するような、そんな温かい気持ちになった。

「名前、教えてもらってもいいですか。」

「…秘密。」

人差し指を立てて彼女は笑う。
いつの間にか辺りは暗くなっていて、月明かりに照らされた彼女の髪が反射して一層綺麗に見えた。
名も知らない女に興味が湧いた。
彼女ともっと話してみたいとジャックは思った。




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