その正体

烏屋鳥丸

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20 泥沼に沈む

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夜も更けた深夜。
そろそろ身体を休めようかと寝室へ行き、カーテンを閉めたところで玄関のドアをノックする音が聞こえた。
こんな時間に訪ねてくるのは一人しかいない。
焔は玄関へ向かい、鍵を開け扉を開いた。
そこには想像した通りの彼女が笑みを浮かべて立っていた。

「久しぶり、焔。」

「…僕のとこなんて来ていいのかい?彼、随分と君にご執心のようだけど。」

「一服盛ってきちゃった。」

「君ねぇ…。」

「こうでもしないとこうやって自由に外に出られないんだもの。まあ朝までに帰れば大丈夫でしょ。」

焔は呆れつつも彼女を部屋へ招き入れる。
彼女がここへ来たのは随分久しぶりだった。
というのも、ノエルが王の座に就いてから彼のアンジェラに対する執着は凄まじいものだったからだ。
王という権力を駆使し、彼女を守るためだと鎖国を施行した。
また、国民への彼女の露出を避けるためだろう。
彼女の仕事、女王として国内行事の参列なども極端に減らした。
自分やジャックへの敵意を剥き出しにした態度を考えると、彼も独占欲が強いタイプなのだろう。
そして、彼女がしばらくここへ来なかったことを考えれば、夜も自由はないのだと推測される。
結果、彼女は籠の中の鳥さながら不自由な生活を強いられているに違いない。

「彼の様子はどうだい?順調に飼い慣らせてるのかい?」

「そうねえ。まだ育成中って感じかしら。」

彼女は慣れた様子でリビングを抜け、真っ直ぐ寝室へと向かいベッドに腰掛ける。
焔もその隣に座り、煙草に火をつけた。
甘ったるい煙が宙を舞う。

「彼、ちょっと暴走しすぎじゃないかい?君からも何か言ったほうがいいんじゃないかと思うよ。」

「私のことが好きすぎてちょっと空回っちゃってるだけよ。ノエルほまだ人の愛し方を知らないの。子供じみた独り善がりな愛し方しか知らない。これから私がじっくり教えてあげるつもりよ。」

「なら、なおさらだ。ノエルくんにこういう関係は向いてないと思うよ。ジャックくんみたいにならなきゃいいけど。」

「ジャック、ね…。」

彼女は目を伏せ、肩を落とす。

「ジャックくんに何かあった?」

「…手放したの。もう、自由にしてあげようと思って。」

「残酷なことをするね。彼、君がいないと生きていけないんじゃない?」

「でも、私といるよりは解放してあげたほうが彼のためだわ。だから、魅了を解いたの。」

「…解けるのかい?」

「ええ。エレナには内緒にしてたけどね。…焔も解放されたい?」

彼女は焔を試すように上目遣いを見せる。

「いいや。僕は死ぬまで君に狂うって決めてるからね。君が手放そうとしたって、手放されてあげないよ。」

「そう。焔はやっぱりいい男ね。」

甘えるように彼女は焔に凭れ掛かる。
焔は短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
そして彼女の細い肩を抱く。

「でも、どうするつもりだい?ジャックくんは君の秘密を知っているんだ。野放しにはできないだろう?」

「ジャックは私の秘密を他人に言ったりしないわ。だから、このまま見逃してあげて。」

「そうは言ってもねぇ…。生きている限り、人の口に戸は立てられない。彼が何かを漏らしてからでは遅いんだよ。」

「焔はジャックを殺すべきだと思うの?」

「ああ。秘密を知る人間は全て殺すべきだと思うね。」

「ダメよ。ジャックは殺さない。アダム君の時みたいに勝手なことしないで。」

「それが君の望みかい?」

「ええ、そうよ。」

「そうかい。なら僕はそれに従うまでさ。でも、もしジャックくんが何か不審な動きをしたら、その時は…」

言いかけた口を彼女が人差し指で制す。

「その時は私にちゃんと報告しなさい。勝手に殺すのはもうダメよ。わかった?」

「…仰せのままに。我が女王よ。」

焔は彼女の手を取り、その甲にキスを落とす。
彼女は満足そうに微笑み焔へと口付けた。

ーーーーー

今日の彼女の淹れたコーヒーは、いつもより少し苦かった。

いつものように王としての仕事を終えて、彼女の部屋へ向かう。
彼女はいつも通り笑顔で自分を招き入れ、甘いキスをくれた。
そのまま自分の手を引き、ソファに座らせ温かいコーヒーを入れてくれた。
ミルクがたっぷりと入った優しい味。
けれど、この日は少し苦味を強く感じた。
会話もほどほどに、コーヒーを飲み終えたら彼女はノエルをベッドへと誘う。
ベッドの中で彼女の囁く愛の言葉はとても甘くて、他のことなんて何も考えられなかった。
触れる指先から伝わる熱、柔らかい唇、潤んだ瞳。夢中で彼女を貪った。
情事が終わり裸のままベッドで抱き合っていると、酷い眠気に襲われた。

目が覚めれば、部屋に彼女はいなかった。
直感的に、他の男のところだ。そうノエルは思った。
焔か、ジャックか。はたまた別の男か。
許せない。自分はこんなにも彼女に尽くしているのに。
ノエルは彼女の帰りを待った。
一人では広すぎるベッドに寝転がって、窓越しに更けていく夜を眺めながら待った。
随分と時間が経ち、空が白んで来た頃、ようやく部屋の扉が開いた。

「アンジェラさん、どこ行ってたの…?」

ノエルはすぐさま彼女に駆け寄る。
彼女からは嗅いだことのある男の匂いがした。
むせ返るように甘ったるい煙の香り。

「煙草の匂いがする。…焔さんのところ?」

「起きてたのね。寝ててよかったのよ。」

彼女はいつもと変わらない微笑みでノエルの頬を撫でる。
ノエルはその手を掴み、真っ直ぐに彼女を見据える。

「誤魔化さないで。…焔さんに抱かれたの?」

彼女は表情を変えることなく小首を傾げた。
イエスともノーともとれる仕草。
答えは多分、イエスなんだろう。

「…なんで?俺ちゃんとアンジェラさんのために色々してるじゃん!アンジェラさんの言う事ちゃんと聞いてるじゃん!なんで他の男のとこ行くの?俺じゃ不満?言ってよ、嫌なとこ直すから。俺、アンジェラさんしかいないんだよ。お願い、俺を見て。俺だけのアンジェラさんでいてよ。他の男のとこなんて行かないでよ…!」

ノエルは感情のままに言葉を吐き出す。
取り繕う余裕なんてなかった。
自分でも子供の駄々のようだと思った。
でも、抑えられなかった。
こんなにも自分は彼女に狂っているのだから。

「ノエルは私のことが好き?」

自分の感情を受け止めた後、彼女は静かに口を開いた。

「…好きだよ。愛してる。」

「私もよ。」

彼女は優しく微笑みノエルの手を取る。

「ねえ、愛ってなんだと思う?」

「愛…?」

天使の顔をした彼女は可愛らしく上目遣いでノエルの顔を覗き込む。
愛。愛とはなんだろう。
好きだという気持ち。愛おしいと思う気持ち。大事にしたい。大事にされたい。触れたい。抱きしめたい。側にいてほしい。自分だけを見てほしい。
ノエルは色々考えたが、彼女への気持ちに名前をつけるとしたら、それは愛だ。それ以外にない。

「…俺がアンジェラさんを想う気持ち。」

アンジェラは悲しい顔をした。

「そう。ノエルの愛は私を独り占めしてここに閉じ込めておくことなのね。誰とも会わず、話さず。ひとりぼっちで。一生、この部屋だけが私の生きる場所?ノエルは私を閉じ込めて満足?」

「俺は…そんなつもりじゃ…。」

「私は嫌よ、そんなの。自由じゃなきゃ嫌。私たち、分かり合えないのかしら…?」

潤んだ瞳がノエルを射抜く。
彼女にそんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
独り善がりな愛だとはわかっていた。
けれど、彼女に面と向かって言われると自分のエゴが酷く醜いものだと思い知らされた。
彼女の言葉が突き刺さる。
嫌だ。捨てられたくない。

「…ごめん。もうしない。」

素直に謝罪の言葉を呟けば、彼女は満足そうに笑った。

「ノエルはいい子ね。」

彼女はノエルを抱きしめ、その細い腕を背中に回す。
大好きな彼女の体温。柔らかい身体。そして、甘ったるい男の匂い。
ノエルは反射的にアンジェラを引き剥がす。

「…シャワー浴びてきてよ。その匂い、嫌だ。」

彼女は拒まれたことに少し意外そうな顔をしたが、すぐにまた笑みを浮かべた。

「ノエルは可愛いわね。本当に、可哀想で可愛い私のノエル。」


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