ある探偵<第一部>

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第一章:隠しごと

第六話:「隠しごと」②

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「先生。こん中に、嘘ついちゅう人がおります」
 小郷晴美おごうはるみちゃんの突然の宣言に、ぼくは針先で胸を刺されたような小さな痛みを感じた。
 みんなも息を呑んで静まり返って、晴美ちゃんの次の言葉を待っていた。晴美ちゃんは、その場で、椅子からすっくと立ちあがった。
「うち、着替えが終わって、教室を出たんが最後やったんです。
 そん時、教室に向かう一人の生徒とすれ違いました。
 その人がなんか知りゆう、思います。……そやろ? 坂本くん」
 驚いて、すぐさまぼくの視線は、亜里沙ちゃんの後ろに座る恭介くんに向かった。
 冷たい声で断罪された恭介くんは、慌てて、晴美ちゃんに声を荒げる。
「はあ?」
「ねえ。なにしに、来よったん? 亜里沙ちゃんの教科書を、盗むためじゃあねえん?」
「やっちもねえ(馬鹿馬鹿しい)。ゴーグル、取りに来ただけじゃ!」
「また、嘘? そんなら、生活室に行きゃあええが。そっちで着替えたじゃろ」
「机の中に忘れたんじゃ!」
 顔に朱を注ぎ、飛び掛からんとするほど恭介くんは興奮して、まくしたてる。その様子を、晴美ちゃんは無感動な目で見ていた。
「だいたい、自分のがあるゆうのに、なんで、おなごの教科書なんて、盗まなあかんのじゃ。このあんごう(馬鹿)が!」
 恭介くんは、机の中から、何やら教科書を取り出して、机に叩きつけた。ばしん、という大きな音が教室に響いたけれど、晴美ちゃんに動じた様子はなかった。
「さあ。教科書欲しいわけは、分からん。じゃけど、無いから欲しい、ゆうだけが盗む理由じゃなかろ?」
 からかうような笑みを浮かべた晴美ちゃんに、ぼくは、はっとした。彼女がなぜ、こんなことを言い出したのか、ひとつ思い当たる節があった。
「なんじゃ」
「言うてええの? ほんに?」
「おい。二人とも、落ち着けや!」
 先生が声を張って、二人の言い合いに割り込んだ。でも、恭介くんにとっては不幸なことに、にやにやと唇を歪めている晴美ちゃんの言葉は止まらなかった。
 残酷に可愛らしく、羊飼いが羊を呼ぶように、教室中にたっぷり言葉の意味が響くように、それは喧伝されてしまった。
「恭介くんはあ。……亜里沙ちゃんのことが、好きじゃけえ」
 よく似た光景が記憶にあった。
 その時は、風邪をひいて学校を休んだ男子生徒あてに、今日の出来事や明日の時間割・連絡事項、お見舞いの言葉なんかをまとめた手紙を、晴美ちゃんが書く、という状況だった。
 恭介くんは、熱心に手紙を書いている晴美ちゃんに向けて、しつこく茶々を入れたのである。もともと犬猿の仲、もとい、縄張りの違う猿と猿のように仲が悪い二人であった。
 もっとも、晴美ちゃんは、その男子に良くも悪くも思い入れはなく、すなおに病人を見舞う気持ちのようで、恭介くんを軽くあしらっていた。
 ただ、恭介くんが黒板にでかでかと、晴美ちゃんと男子生徒の名前を使って相合傘を描いたことで、最後には、晴美ちゃんが声を荒げるほどになっていたけど。
 その出来事を、晴美ちゃんは根に持っていたに違いない。
 教室には、居た堪れない空気が漂った。
 恭介くんは、言葉を失っていた。今度のことが、晴美ちゃんの一件と些か事情が異なるのは、男子のうち何人かが、実際に、恭介くんが亜里沙ちゃんのことを好きだと、知っていたからだった。
 もし晴美ちゃんもその風聞を納得尽くだったとすれば、彼女の言葉が実に効果的に働くことを、自身で理解していたわけである。ぼくは密かに、ぞっとするものがあった。
「なにを……やっちもねえ。誰が……誰がこねん」
 恭介くんの震えた声に、ぼくは、耳を塞ぎたくなった。その後に続く言葉は、きっと、亜里沙ちゃんを悪く言う言葉だと、思った。
「先生!」
 突如、椅子をがらっと弾いて立ち上がったのは、亜里沙ちゃんの隣の、宗平くんだった。
 その声は、驚くほど意気揚々としていて、難しい計算問題の解答が分かった、とでも言い出しそうな、酷く場違いな具合だった。
「わしも、亜里沙が好きじゃ」
 ぼくは耳を疑った。
 いや、誰もが耳を疑ったと思う。ぽかんとした顔で、恭介くんも、俯いていた亜里沙ちゃんですら顔を上げて、ガラス玉のような澄んだ目で宗平くんを見ていた。
「そんでん、クラスのみなも、好きじゃ」
 宗平くんは、くるりと、快活な笑顔を教室に振りまいた。呆れたような笑い声が、どこからか小さく漏れる。
 教室の空気が、一瞬で和らいだ気がした。
「つまり、こん教室でだれかの物がのうなったら、わしの仕業ゆうことじゃ。そねんことじゃねえけ、晴美?」
 毒気のない顔を、晴美ちゃんにも向ける。彼女は、ばつが悪そうに口元を結んだ。
「それに、恭介が最後に教室に来よったけ、そん前には、晴美もひとりじゃった。ほんなら、晴美じゃって、教科書を盗みゆうことはできゅうた。もちろん、恭介のあとに誰かが入って来よって、盗みゆうこともできた」
 宗平くんは、すらすらと言葉を続ける。
「だから、教室に最後におったのが誰かなんゆうことは、意味のねえ話じゃ。わしも先生と同じで、こんクラスのもんが、教科書やらを盗んだとは思わん」
 彼はきっぱりと言い切った。
 その言葉には、妙な納得感があった。内心でぼくは、クラスの特定の誰かを疑いつつあったけど、宗平くんが言うならそうかもしれないと、ぼくはぼくを納得させた。
「うちもそねん思います」
 続けて賛同の声を上げたのは、窓際に座る松木惠香まつきけいかちゃんだった。髪の長い女の子で、地毛だという茶色けた髪は夏の陽光を浴びて、琥珀のように輝いている。そのぱちりとした気の強そうな目が、宗平くんに向かって、それから先生に向いた。
 ぼくはその平坦な声に、もやもやとしたものを感じた。
 でも彼女が賛成したなら、たぶん、他の女子は、もう不満を言わないだろうという安心感もあった。案の定、立ちっぱなしだった晴美ちゃんは、頼るところを無くして俯いて、そっと椅子に座り直した。
「わかった。先生は、他のクラスにも聞いてみるがじゃ。あと久住、着いてこい。スリッパ、貸しゆう」
 先生は頷くと、亜里沙ちゃんを促して教室を出ていった。普段から色の白い彼女の顔は、より一層に青白く、ぼくには感じられた。
 しばらくして、ぺたぺたというスリッパの音を響かせて亜里沙ちゃんたちが戻ってくると、国語の授業が再開した。
 永遠かと思われていた静かな時間は、四十五分の授業時間の半分にも満たなかった。それでも皆は、どっと疲れたようで上の空みたいな様子で授業を受けていた。先生の指示を受けた亜里沙ちゃんは、宗平くんの机と自分の机をくっつけて、教科書を見せてもらっていた。
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