大江戸大迷惑〜迷宮無頼剣〜

十三不塔

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第二章 迷宮顛倒変

荷検め

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 俺たちは急ぎ支度に取り掛かった。

 浪人どもは火傷と出血でいまにも死にそうである。息のあるうちに迷宮にぶち込まねばなるまい。裏稼業に精通した薊野の元仲間どもなら、うまい手がありそうだが、奴らを悠長にかき集めている猶予はない。雪之丞が商家生まれの知恵をひねり出して――急場しのぎではあったが、なんとか段取りはついた。

「伝馬町の獄吏《ごくり》には袖の下を渡せばいい。それで大抵のことは見て見ぬ振りだ。放逐刑行きの穴に飛び込んで地下五階まで降りるのだ。雪之丞が付き添ってくれるし廻鳳という馴染みもいる。なんとか死なずに這い上がって来い。こいつらの蘇生は廻鳳に頼みな」

「はい」と神妙な面持ちで弟は言った。殺すための蘇生であったが、廻鳳なら深く立ち入ることなく引き受けてくれるであろう。

「俺は麟堂先生のところへ顔を出す。回天楼のことを聞かずばなるまい。合流はそうだな、明日か明後日、魍魎街でになろうか。ともあれ伝馬町までは付き合うぜ」

 俺は雪之丞へ告げた。

「頓忘散《とんぼさん》で五人とも仮死状態にしたが、早く迷宮に、あるいは獄の地下に運び込まねば無駄死にだ。さぁ、あとは時との勝負だな」

 迷宮に隣接した伝馬町の獄は迷宮と同じく、そこで死んだ者には蘇生の呪法が効くのであった。月の兎の蘇りを目論んだことも、そこに依る。
 とはいえ下谷から伝馬町へ白昼堂々屍同然の浪人を運んでいくわけにはいかぬ。そこで雪之丞が発案したのが、

「定斎《じょうざい》屋かい。考えたな」
 と俺は手を打った。

 鐶《かん》を鳴らしながら薬を売り歩く行商人なら、天秤棒に担いだ大きな薬箱にすっぽりと人間を詰め込んでいても不審を招く心配はない。
 いまだ顔が効くのか、半刻もせぬうちに雪之丞は定斎屋回りの品々をあっという間に取り揃えたのだから恐れ入る。先の大火に焼け残った物品の中にはまだ使用できるものも多い。それらを拾い集めて売る商いがあるのだという。法被を着こんで天秤棒を担ぐと俺たち三人は往来へ出た。

 薬箱には「井森屋」と書かれている。薬箱が人の重みに耐えうるほど頑丈かという懸念はすぐに消えた。いささか古びた拵えだったが、引き出しの仕切りをぶち抜いてがらんどうにしても運搬に支障はなさそうであった。

 こうして俺たちは行商人に扮したのであったが、

「よぉ、どうとは言えぬが、もうちょっとなんとかならねえか」

 ……弟の佇まいにはどうしても武家の色が抜けない。今時は町人の方が堂々を肩で風を切ってのし歩くご時世ではあったが、久兵衛の挙措には武張った風格があり別の意味で悪目立ちする。行商人には見えぬ。月代《さかやき》をもう少し広く剃った方が町人らしさを演出できるのだったが、あまり手間もかけられぬ。俺と弟は手拭をほっかむりにして誤魔化すことにした。

「いや、どうせわずかな道程だ。大事はあるまい」
 と気楽に考えて出発したのだったが……まったくもって、そいつがいけなかった。


× × ×


 しばらくは平穏な道行きであったが、御徒町へ差し掛かったあたりで顔見知りとばったり行き合った。同心の辰巳である。

 いつも縄張りの外で用もないヤマに首を突っ込む辰巳は同業者からも評判が悪い。ここだって辰巳の庭ではない。が、この馬鹿はよほど暇に飽いたのか獲物を狙う蛇さながらに物欲しげに鎌首をもたげて歩いてくる。

「ちょいと待ちな」
 ――ほうら来た。

 よせばいいのに辰巳は連れ立って歩く薬売りたちを呼び止めた。今日は朱房の十手は差していなかったが、それでも一目で同心と知れる風情であった。

「お役目ご苦労様です」雪之丞がしれっと面を上げた。

「妙だな」
「何がでございましょうか」
「定斎屋が薬を売り歩くのは夏と相場が決まってんだろう。鐶《かん》も鳴らさず、まるで薬を売る気がねえみてぇじゃねえか」

(余計なお世話だ、馬鹿やろう)

 俺は顔を伏せたまま、心の中で辰巳を罵った。変装のかいあってか、俺の正体に勘づいてはいないようである。

 辰巳と俺、そして月の兎つきのとには浅からぬ因縁がある。この寸足らずの木っ端役人が、務めに熱心になるあまりに江戸の大火を招いたのである。皮肉であったが、それは真実であった。ひところは気落ちしていて可愛げもあったが、どうやら無用の元気を取り戻したようである。

「お陰様で薬は売り切れましてございます」
「おまえらは暑気あたりの薬を売ってやがるんだろう。こんなに時分に売れるもんでもあるめえ」
「何分、今年は残暑が厳しく、幼子や年寄りには倒れる者も多いと聞きます。商家のお内儀様方からご用命を賜りまして二三件を回っていたのでございます」
「ふん、ますます怪しいな。二つ三つを回るだけなら、そんなに連れ立って、しかもどでかい薬箱を担ぐ必要はねえだろうよ」
「運がよければ売れ残りを贖《あがな》ってくださる方もおりましょう。今日が最後と手元にある薬をみんな背負ってきたのです」
「で、それが全部売れたってのかい? ふーん」

 辰巳は威圧的にじろじろと俺たちの風体を値踏みするようであった。薬売りは荷を下ろすと地蔵さながらに固まってみじろぎもしない。薬箱の中の仮死の浪人どもよりももっと大人しく息をひそめた。刀とは言えば、腰に差しているわけにはいかぬから箱に入れてあった。

「荷を検《あらた》めさせてくれと言ったらどうする。え?」
「あまりお勧めしませんな。ええ、臭いは慣れぬ方には気分のいいものではございません。吐き気を催す方も。それに箱の内側には薬液が染みております。触れるのも、そのあまり……」と久兵衛が心許なく言うのである。

「昔、お袋が買ってきたがな、臭いといっても気になるほどではなかったぞ」

 辰巳のやつは名前に似て蛇、それも蝮のように一度食らいついたら離さぬ、しつこい男であった。雪之丞や弟の顔を知らずとも俺のことは忘れることはあるまい。俺は眼を合わせぬように俯いて二人の影に肩を隠した。

「うちは特段刺激の強い薬液を扱っておりますので、できればお控えになったほうがよいかと」
「構わん。空っぽの箱の中身を拝んで安心したいのよ。ご禁制の品をおまえらが運んでおるとは夢にも思ってはいねえさ」

 いたぶるように辰巳は言う。こうして相手の顔色の変化を楽しんでいるのだ。怯えや嘘や憤怒などをわずかな表情の変化からこの男は読み取る。同心としての腕は確かだが、前科者などの多いことなどから岡っ引きなどをあまり重用せず、自ら捕り物に乗り出すことではあまり風評はよろしくない。

「ではご随意に」とうとう久兵衛が折れた。これ以上の抗弁はますます嫌疑を募らせるだけであろう。井桁紋の箱の中身は禁制品どころか死に体の浪人どもだが。

「ふむ、どれにするかな」

 辰巳は透かし見るように俺たちが担いでいた六つの薬箱を睨んだ。開けられてしまえば、お終いである。中には膝を折った浪人が窮屈に微睡《まどろ》んでいる。

「よし、これにしよう」

 薬箱はいま地面に置かれてある。そのひとつ、久兵衛の後ろの箱を辰巳は指差した。弟の顔はまたしても蒼白になった。

(面倒だ、見つかったら殺しちまうしかねえか)

 俺はゴクリと唾を飲んだ。天下の往来で役人を殺めればどうなるか、結果は明々白々であった。さらに、この騒ぎに物見高い町屋の連中が遠巻きに集まり始めていた。

 せめて水野か薊野がいれば――呪法を使うなら、辰巳を殺さずにこの場を切り抜けられる方途があったやもしれぬ。貫電法は刀を介してでなければ使えぬし、行商人が抜刀するのを見られれば殺したのとあまり大差ない顛末になるであろう。

(ええい、ままよ)

「お開けしましょう。どの引き出しでも、ご覧ください」
 あえて乗り出したのは俺であった。つとめて機嫌よく振舞う。

 ほっかむりにした手拭のせいか、視線がかすめても辰巳は俺と気付かぬようであった。

(こうなれば奴の度肝を抜かれるさまを楽しむか。この腐れ役人を叩き殺したら一目散に迷宮に逃げ込んで、ほとぼりが冷めるのは待てばいい。どうせぐらついた世間だ。役人を一匹屠ったくらいで大山鳴動ってことにはなるまい)

「さぁ――」と俺が引き出しに手をかけた時、
「やはり、こちらの箱にしよう」と辰巳が気を変えた。

「どちらでも構いません」
「いいや、こっちがいいな」辰巳はまた別の箱を選ぶ。

 その様子は俺たちを振り回して楽しんでいるようでもあった。あるいは剣呑な気配を察したのかもしれぬ。

「手前で開けるから、引っ込んでろ」

 辰巳はゆっくりとひとつずつ、薬箱の引き出しと開きになった扉を開放した。

 ――眼を細めて、じっと内側を睨み据える。野次馬どもも背伸びして中身を覗き見ようとする。

「こりゃ――」と上擦った声で辰巳が言った。
「ええ。御覧の通りで。すっかり空っぽです」

 中身は湿った暗がりと薬の残り香だけであった。見物人どもはがっかりして、その大半が散っていった。

「本当に売り切ったみてぇだな」
「へぇ、摩利支天さんのご利益でしょうか、たんまり稼がせてもらいました」
「ならいい。もう行け」どこか不満げに辰巳は顎をしゃくった。

 俺たちはゆっくりと歩き出す。厭な汗が急激に冷やされて身体を凍えさせる。

(助かったぜ)

 天秤棒で前後二つの薬箱を担ぎ歩いているということは、三人合わせて六つの箱を運んでいるわけである。しかして浪人の頭数は五人。つまり箱はひとつ余るという寸法だ。雪之丞はあえて余った空箱も運ばせることにした。まさにこのように事態に陥った場合の備えであったが、辰巳がたったひとつの空箱を選んだのは――互いにとって僥倖《ぎょうこう》であった。

(‥‥やったな)
(危ねえところだった)

 さりげない目配せを交わす。
 俺たちは辰巳とすれ違って、ようやく自由の身になれたことを喜び合った。ここを切り抜けられたら御徒町は徳大寺の摩利支天に報恩感謝したい気持ちであった。

 ――と、

「待て」背後から辰巳の声がかかる。

「まだ何か?」
「空の薬箱を担いでいるわりには、重たそうな足取りだと思ってよ。なぁ?」

「朝からの呼び売り、いささか疲れておりますので」と振り向いた久兵衛が述べた。

「ご苦労だな。が、そんな歳でもあるまい。それに二つ三つの店子を回るだけが目的だったはずだ。残った品を売り尽くそうと張り切った。そう言いたいのであろうが、どうも引っかかるぜ。時機を逸した物売りがそこまでムキになって歩き回るのかい。よし、教えてもらうじゃねえか。あんたらが出向いた商家ってのは一体どこのことだい」

 辰巳はしつこく言い募る。
 安堵させて罠にかける。こいつの十八番《おはこ》だ。
 飴も鞭も使うが、飴は毒入りで、鞭には蜜が塗ってある。

「‥‥‥」久兵衛はだんまりを決め込んで息も継げぬ有り様である。

 じりじりと焦げ付くような間延びした時間。

「やっぱり他の箱も検《あらた》めさせてもらうかい」
 とその時、堰を切ったように雪之丞が言った。

「京橋の春田屋さんという小間物屋。それに深川の焼き継やきつぎ屋の篠田さま。それから‥‥」

 一瞬、言い淀んだのち、

「これも深川。染物屋の大店。砧《きぬた》屋さまでございます。どちら様にもご贔屓にして頂いております」
「深川の砧屋なら知ってるぜ。一人娘が武家になりたい男になりたいと、ないものねだりの末に迷宮に潜っちまったってな。お内儀は一時、気鬱の病で寝たきりだったって話じゃねえか」
 乱暴に辰巳は言い捨てた。

 ひくひくと小鼻を膨らませながら雪之丞は「へえ、あすこは内儀のお峯さんが切り盛りしておりますれば、それはそれは店も大変でございましたでしょう」と言ってのけた。紛れもない実家のことだ、真実味を加えるために咄嗟に出てしまった私事が雪之丞自身を苛んだ。

「先祖の罪か前世の業か、あすこの女どもはみんなトチ狂うって噂だぜ」と辰巳。

(おい、雪之丞。堪えろよな。この馬鹿げた芝居はまもなく終いだ)

 知ってか知らずか、不作法に辰巳は雪之丞の胸を抉り、おぼえのない叛意を買ってしまう。商売柄とはいえ、長生きはできねえ類の野郎だと俺は哀れに思う。

 それとも長く生きられぬなら――

(いっそ、ここで殺しちまうか。どうなろうと知ったことか)
 と俺はうんざりして開き直る。見物人も大方消えたことだし、いまなら辻斬りとして姿を眩ませられる。昔取った杵柄である。

「おーい。辰巳様。何をしておいでですか?」

 やってきたのは、岡っ引きの与之助であった。どうやら方々回ってようやく辰巳を探し当てたという気配である。

「なんでぇ、やかましい。今日は祖父さんの月命日で墓参りだって言ったろうが」

 辰巳は鬱陶しそうに言ってのける。与之助はおよそ岡っ引きにはおよそ向かなそうなおっとりした男だった。ともかく辰巳が縄張りの外をうろうろしていた理由はわかった。

「八丁堀でホトケさんが上がりました」
「なんだと?! 身元は割れたのか」
「それが‥‥」

 一挙に薬売りへの興味が失せたようで辰巳は与之助と連れ立っていまにも駆け出さんばかりであった。俺は安堵に頬が緩むのを感じた。

「あっしらはもう?」おそるおそる聞いてみれば、
「おう、井森屋」とドスの効いた声で辰巳は呼ばわる。

「はい」
 と雪之丞が言うが早いか、同心は別の薬箱にぴょんと飛び乗り、腰の長脇差をするりと抜くではないか。意表を突かれて俺は瞬きも忘れた。

「どれ、最後にもひとつ検めさせてもらうぜ」

 そう言って刃物を箱の天板に突き立てた。先ほどの空箱とは違う。もし妙な手応えがあれば――

「――ほぉ、こいつは……」と辰巳はずっしりとした太い笑みを湛えた。

「やはり空っぽかい」
 刀を抜いて鞘に納めると身軽に箱を飛び降りる。雪之丞と久兵衛が脱力感に崩れ落ちそうになるのがわかった。俺もそうだったからだ。

「来年もきっと暑い。気張って稼ぐんだな。行け」

 そう言って辰巳はヒラヒラと手を振った。
 箱を傷つけた詫びのつもりであろうか、与之助が俺の手に銭を握らせた。
 今度こそ解放されたのであった。久兵衛はへたり込まんばかりである。

(ちっ、ヒヤヒヤさせやがる)

 八丁堀のどざえもんなんぞ、酔いどれが足が踏み外したくらいものであろう。それに比べて俺たちの薬箱には生け捕りにした浪人が五人。それも死を間近、すでに三途の川に膝まで浸かってる。どちらが喫緊の捕り物かは知らぬ。

「樋口さんよぉ、おいらはいつかあの同心を射殺すかもしれねえ」
 ぞっとする昏い顔付きで雪之丞は言った。

「ああ」

(そっちを追って正解だぜ、辰巳。こっちはおめえの手には負えない。今度のしくじりは前のと違って江戸を焼くことはないが――たぶん、おまえの命を刈り取ったろうさ)

 ふん、存外悪運の強い奴なのかもしれねえ、とひとりごちながら、俺は伏し目がちに急ぎ去っていく辰巳の背中を見送った。

 さて、箱を覗いてみれば、驚きである。
 さっきの刃で野々目の残った睾丸が切り落とされたのであった。どうして天板から差し込んだ脇差が股間に届いたかと言えば、誰ぞが誤って野々目を逆さに箱に詰めたせいであった。つまり尻が上を向いていたのである。

「玉はいけないが、竿は無傷。清流に洗われた山葵《わさび》のようにこじんまりとぴかぴかです」久兵衛が真顔で頓狂な事を言う。

 ――両玉脱落。

 一日にして、別々の人間に両の睾丸を切り落とされるとは、なんたる奇縁であろうか。緊張の極みから解き放たれた揺り戻しで、俺はまた爆笑の発作に襲われた。


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