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ハイタッチ

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 いきなりだった。宙に漂いながら俺の葬儀に参加してくれている人たちを観察していると、俺の身体が……いや、魂が大きな手の平に包み込まれてしまったのである。
 とても温かな手であった。肉体というよりもっと高次元のエネルギー体、霊体みたいな感覚だ。俺の遺体はしばらく低温保存されていたこともあり、霊体=冷たいとイメージしていたけど、俺を包み込んでくれている手は、とても温かな霊体であるのだ。
 それと、今の俺がどんな姿をしているのかなんて分からない。調べようもないしね。昔からよく描かれている人魂みたいな形になっているのだろうか?もしくは、白衣に三角頭巾、青白い顔をした日本伝統の幽霊の姿なのだろうか?

 包み込まれていた手から解放された。不思議な空間の中にいた。雲の中のような真っ白でぼんやりふんわりした場所に、いわば放り出されていたのである。立っている、浮かんでいる、というよりは手足のない霊体のような感じで漂っている感じだ。
 赤ちゃんがいた。何故か、俺にはこの子が男の子であると直感で分かっていた。男の子は積み木を積み上げていく。積み木というよりジェンガに近いかもしれない。
 ある程度の高さ、といっても赤ちゃんなのでせいぜい30センチぐらいまで積み上げていく。1歳にもなっていないだろう。それなのに、へえやるじゃん、俺は感心してしまう。天才でもバカでもない俺の赤ちゃん時代、多分こんなマネはできなかったと思う。

「何するんだ!」
 俺は叫んでいた。口があるかないかも分からないのに、確かに叫んでいたのだ。身長が小学校に上がるぐらいの背丈の小鬼が、赤ちゃんが頑張ってせっかく積み上げた積み木を蹴飛ばして崩してしまったのである。
 小鬼といっても日本の地獄絵図に出てくるような奴ではない。日本の鬼といったら頭に角が生えていて肌色は赤か青、虎ガラの袈裟衣かパンツ一丁と相場が決まっている。何より巨大な体格をしていて、子供ほどの背丈の鬼など聞いたことないし、絵本で読んだこともない。
 小鬼にはまず角がなかった。その代わりに耳が尖っていてすごく大きかった。あと鼻も大きい。日本の天狗のように。顔全体の作りは日本人というより西洋人っぽい。もちろん人間ではないけれど。肌色も緑色だ。
 コイツはどこかで見たことあるぞ。すぐに思い出す。ゴブリンだ!ゲームにラノベにアニメにマンガ。ファンタジー作品ではお馴染みのザコモンスターだ。
 なんでコイツがあの世になんかいるんだろう?

 一生懸命頑張って作り上げたものを壊され、その頑張りを否定されてしまい、赤ちゃんはしばらくの間泣きじゃくっていた。でも、すぐに泣き止んで、またリトライしていく。偉いぞ、坊や。男の子はそうでなくちゃね!

「テメエ!今度という今度は許さないぞ!」
 俺はゴブリンに殴りかかっていく。殴ってやりてえ!怒りが怒髪天を超えたら、自然と手が生えていてゴブリンの方へと文字通り飛んで行っていたのである。
 ゴブリンのヤロウ、またもや赤ちゃんが積み上げた積み木を蹴飛ばして崩してしまったのである。完全にブチ切れて、殴りかかって行っていた。
 怖さはなかった。相手がたいていの作品で最弱設定のゴブリンということもあったのかも知れないが、目の前で仕出かしたことに対する怒りが強すぎた、というのが一番の理由だと思う。

 バゴッ!ストレートなのかフックなのか分からない。兎にも角にも俺はゴブリンの顔面を殴りつけてやった!さらに、蹴りたいと思うと足が生えていて、サッカー仕込みのキックをゴブリンの顔面正面に食らわせてやった!
 ゴブリンの身体は吹っ飛んでいって、10メートル先ぐらいで消滅してしまった。アイツの身体も物質ではなく霊体的、精神的な何かで出来ていて、同じ“物”ではない“もの”でできている俺の身体だからこそ、呆気なく斃してしまったのだと思う。
 それにしても、こんなことをしてしまったのはいつ以来だろうか、多分大学生の時に同じサークル内にいた、いわゆる女たらしの一学年上のクソヤローを殴ってやった!以来だ。
 あと、この場面。賽の河原にそっくりだ。赤ちゃんは親より先に亡くなってしまった仏さんで、ゴブリンは鬼だ。で、俺が赤ちゃんを救ってやったことになるから、えっと……お地蔵さんだったよな確か、その役割をしたことになったのだ。

 赤ちゃんは、ハイハイで俺の方へとやって来る。足元にたどり着くと、俺の足を伝って立ち上がろうとするが上手くできない。まだ二足で歩くのはおろか立つことさえできないようだ。
 泣くかな?赤ちゃんは今にも泣き出しそうな顔にはなっていたけど、涙を流すことも嗚咽を漏らすこともなかった。
 立てないほど幼いのに、強い子だよな。そう思うと、こんな良い子が生まれてすぐに死んでしまったなんてあまりにも可哀想だ、不条理だ。俺の方が泣いてしまった。
 出来ることなら変わってあげたい。ってそれは無理だよな。俺ももう死んでしまっているのだから。生きていたら、あげられる範囲内で血や臓器の一部をあげることぐらいはできたけど。

 え?突然、赤ちゃんのすぐ真下から上へ向かって人が出てきた。いや、人の形をしているけど、俺のような故人という感じではなかった。
 頭はツルピカ。だけど、顔の造形は美しいの一言なのだ。柔和な輪郭、大きめのサイズの目はいつも細く開かれていて、やはり柔和であるのだ。額の真ん中は楕円形に赤く輝いている。優しい感じの女性、というより若い母親という感じかな。
 透き通るようなスケスケの衣を纏っていて、肌も透き通るように美しく神秘的。胸はなかった。いや、女性的な膨らみはなかった。痩せ型の体格ではあるが、しっかりと筋肉はついていた。
 男の娘……。つまりは、女ではなく男。というより男と女の真ん中の性、この世ならざる中性という性別であるかのようだ。
 高位の仏様、菩薩様だ!不信心な前世を送ってきた俺であるが直感する。神様仏様に関する知識は、ファンタジーゲームやアニメなどのエンタメでしか知らない。ああ!神様仏様お許しを~。

 仏様、菩薩様は赤ちゃんを抱き抱えていた。目線が高くなった赤ちゃんと、目が合った。その瞬間、赤ちゃんは微笑んだ。嬉しそうに。かわいいなあ!俺の表情は自然緩んでしまう。
 え?赤ちゃんは手をくねくね動かしている。明らかに俺のことを手招きしているように感じられる。すぐ間近までいくと、赤ちゃんは微笑みを浮かべたまま右手を俺の方へと伸ばしてきた。手のひらを全開させる。
 ハイタッチをねだっているのかな?理由はよく分かんないけど。まあ、まだまだほんの幼い赤ちゃんだ。ただ漠然と親か誰かがハイタッチをしていたのを見て、それを本能的に覚えていて、自分もしたくなったのかも知れない。
 俺は気軽に応じてやる。断る理由など何一つないからね。いくら死後の世界とはいえ、赤ちゃんに怪我をさせないよう力を緩めて、彼の小さい手のひらに俺の手のひらを軽くタッチしてあげる。ピチぃ。

 赤ちゃんは嬉しそうにより顔を破顔させた。かわいいと同時に、見ているこちらが楽しくなってくるほどに。
 その瞬間、赤ちゃんを抱いたまま菩薩様は俺のところから離れて行った。心なしか、菩薩様も少しだけ顔の表情を緩くしたような気がした。裸足の足の下には蓮華の花のような乗り物があり、それに乗って遠ざかって行った。
 その様を見つめている時であった。ヒュぅーん。そんな感じで、俺は真下へ向かって落下して行ったのだ!目の前が真っ暗になって、視覚以外にも何も感じられなくなってしまって……。
 

 
 
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