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第6章
その7
しおりを挟む細い、流れるような美しい文字たち。所々ぼやけているのは、隼が流した涙のためだ。けれど書かれている文章は空虚でなんら意味をなさない。
一体佳乃は何を書きたかったのか。なぜ理由を知らないでくれというのか。それこそが自分を苦しめると……わからないはずもないのに。
涙が頬を伝う。隼は文を元の場所へとしまった。これ以上文を涙で汚すわけにいかない。そして位牌を箪笥の上に置くと、大きなため息を吐いた。
――――佳乃の身に、重大な何かが起こったのだ。
『何か』。それはいくつか予想できた。だが、そのどれもが恐ろしくて先に進めない。当然佳乃の侍女や佳乃と親しい者には問い質したが、何も心当たりがないとの返答がかえってきただけだ。
その様子から嘘を言ってるようにも見えず、結局それ以上探ることは出来なかった。いや、しなかったのかもしれない。真実が明らかになるのを、隼はどこかで恐れていたのかも。
――――私が恐れている真実とは何だ……それといつかは向き合わなければならない。今泉を倒せば、おそらくその事実を知ることになる。
隼はもう一度、位牌に向かって手を合わせた。
「ハヤさん」
その背後にいつの間に帰ってきたのか、紫音が声をかけてきた。思わず隼は肩を上下させた。
「い、いきなり声かけるな。商売柄かもしれんが、気配を消して近づくのはよせ」
深い自意識のなかに潜っていたからだが、それにしても人の気配を感じないなど、隼にしてみればありえないことだ。
「まさか、気配なんか消してないよ。ハヤさんがよーっぽど集中してたんじゃない」
なんて肩をそびやかす。
「あ、それともあれかな? 俺に対して危険意識がなくなったとか。一心同体でさ」
「馬鹿やろ、んなわけないだろっ」
またぞろ隼の体に飛びついてくる紫音を両手で防ぐ。だが、言われてみれば思い当たることがあった。隼も佳乃に関しては、背後に寄られても何の気配も感じなかった。武家の娘で一応の心得はあったが、別に気配を消して近づいていたわけではない。ただ、全幅の信頼を持っていたからだ。
――――まさか。紫音は息をするごとくに技を習得してるんだ。佳乃と同じなわけがない。
「それより、なんか新たな情報はないのか?」
要と落ち合う時までそれほど間がない。何か新しい情報があれば聞いておきたい。これも嘘偽りない隼の心内だ。
「ああ。そうそう」
紫音は襟元から一枚の紙を引っ張り出す。二人はそれを囲うようにして畳に座った。
「これは、本殿の見取り図か?」
広げられた紙には、本殿の間取りと庭や池、蔵の場所が書かれていた。大きな屋敷とは外から見てもわかったが、なるほどこうして見ると、大大名の屋敷と遜色のない豪邸だ。中庭も見事な石庭で、築山まである。
「うん。今泉を張ってた奴の苦心の作だよ。三味線の話をしたら、そいつも同じように考えてた。今夜は見張りの少ない蔵なんかとは話が違う。仲間と連携して潜入する」
潜入。隼は改めてどきりとする。紫音が言うように、今夜の危険度は今までの比ではない。武士として武芸の心得を持つ連中が何十人も詰めているのだ。
それに今泉のことだ。現在この屋敷に隠されているであろうご禁制のブツを守るため、自衛の猛者たちを配備しているとしても不思議じゃない。
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