偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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第7章

その1

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 辺りはすっかり日が落ち、闇に沈んでいる。運河のそばには所々の灯篭に灯りがともり、川面をゆらゆらと揺した。
 秋の虫たちが身を潜めるように鳴く声以外は静かなもの。いつもの武家屋敷の壁に身を寄せ、隼は息を顰めていた。鋭い視線の先には今泉の別邸の大門がある。立派な瓦屋根の屋敷は、月明りにぼんやりと浮かびあがっていた。

 要は裏門を見張っているはずだ。『もしもの時』の行動は、お互いに任せる(要するに何も打ち合わせをしていない)。だが、隼は自分も要もそんな時の鼻は誰よりも利くと信じている。何も不安はなかった。
 それよりも。どこかで見張っているであろう、大目付の連中の動きが不気味だった。奴らは『危険』を察知するわけでない。あくまでも『採れだけ』を察知する、成果がなければ動かないのだ。

 ――――そんなわけにいくか。少なくとも、われらが藩の不祥事だ。そんなことで、紫音を見捨てることなどできるか。

 いつしか、隼は今泉の悪事を暴くことより、紫音の無事を優先している自分に気づいて狼狽える。こんなことなら、馬鹿と言われようと、自分も同行、いや、己こそが潜入するべきだった。

『紫音は……政永殿のこと、好きだったのか』

 今泉の別邸探索が二夜連続で空振りに終わった昨日のこと、隼は紫音に尋ねた。何かと理由をつけて迫ってくる紫音の気を逸らす必要もあったし、正直知りたかった。

「え? 気になるの? そんなこと……」
「気にならんといったら嘘になるな。おまえはすぐ、人のことを好きだのなんだの言うから……言葉に重みがない」

 そんなふうに言うと、紫音は心外だとでも言いたげに頬を膨らませた。

「好きという気持ちは少なくともなかったよ。俺はまだ、十四かそこらだ。ただ。俺はずっと絶望してたから。政永様は少なくとも俺を痛めつけなかった。だから、大人しくしてたよ」

 隼は今更ながらに気付く。いつも面白おかしく話し、軽いノリで明るく振る舞う紫音。だが、決して幸福な時を過ごしてきたのではない。

「俺んち、無様なくらい貧乏でさ。前田藩みたいな恵まれたとこじゃなかったし。それでも俺は、親父たちを助けてなんだってやったよ。それこそ、腹を空かしたまま一日中働いた。兄貴や姉貴より役に立ってたと思うし、下の弟妹の面倒も見た」

 紫音の家族は六人兄弟だったが、紫音が十歳の時、家に残っていたのは三人だったという。小さい弟妹の二人は、病気で命を落とした。

「俺はそれでも生き延びた。結構丈夫だったのかもね。いや、しぶといのか」

 けれど、ある日突然、江戸から人買いが来た。売られることになったのだ。父母は紫音に言った。『ここを出たほうがおまえは幸せになるから』

「ほんっと。大人って嘘つきだよな。確かに、飯は食べられるようになったよ。けれど……あれが幸せなんかな」

 踊りや三味線のお稽古なんて、味のいいものはない。それは客が取れると算段が付いてからの話だ。それまでは、過酷な陰間の修行が始まる。紫音についた金剛は優しいほうだったが、修行は死ぬほど辛かった。

「子供心に、死んだほうがましだって思ったよ。だけど、死ねなかったなあ……金剛がさ、俺に言うんだ。おまえなら、ここで生きていける。ここで天下を取れるって。でも、こんな薄暗くて、大人の歪んだ欲望だらけの茶屋で、天下取って何になるんだよ。そういつも思ってた」

 類まれな器量の良さで、紫音は茶屋の有望株になる。知恵もあり、芸事もすぐに覚えた。
 その噂を聞きつけた、茶屋のお得様でもある大目付『坂上政永』が会いにやってきた。陰間は十三歳から客を取る。政永が紫音を買ったのはその直前だった。

「剣の修行も学問も、どれも楽しかったよ。厳しい修行もあったけど、茶屋で野郎相手にやってたのと比べたら天と地だ。だから、政永様には感謝してる。あの茶屋にいたら、毎晩イカレた親父やエロじじいに犯されてたんだ。ボロボロにされて、病気になって死んでたかもしれない。それを思えば、代償はあったにせよ、あの人は俺を大事にしてくれたと思うよ……」
「紫音……すまん。嫌なことを思い出させてしまったな……いつも能天気に振る舞っているから……」

 二つ並べた布団。天井を向いていた紫音が体を横にしてこちらを向く。

「ああ、それね。俺はもう、あの茶屋で泣くだけ泣いたから……。考えてみれば親の言ったことも嘘じゃないね。本当に俺、幸せになったんだよ」
「それは、おまえの才覚と努力があったからだ」

 隼は瞬時にそう応じた。紫音の両親がそれを見込んでいたとはとても思えない。しかし彼らを責めるのは酷というものだ。おまえはどん底から這い上がった。幸運もあったかもしれないが、おまえの力なんだ。

 ――――ハヤさんに会えたからだよ。

 紫音は、でもその言葉は口にしなかった。

「少しは俺のこと見直した?」
「あ。ああ、見直したというか、そうだな、私も配慮が足りなかったな……」
「わあ、そういうすぐ認めるところが好きっ! こんな気持ちになったのは、俺、ハヤさんが初めてなんだ」

 徹夜明け、お互い少しでも眠ろうとしてるところに、また紫音が隼の懐に潜り込んでくる。
「やめろ、それとこれとは別だ。もう寝ろっ」

 再び隼は足で紫音を蹴りだした。もう少ししおらしくしたら、抱きしめてやらんでもないのに、と思ったかどうかは秘密だ。



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