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第2章 1年間
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しおりを挟むまるで航留の未来を予言していたかのような越崎だが、彼にも航留は嘘の報告をしていた。警察に届けたということだ。
越崎はなんとなく嘘を見破っていそうだが、それ以上は問い詰めてこなかった。これも少し不気味だ。それでもたまに『時游館』にやってきて、零の様子を見てくれている。
「顔色いいね。この間会ったときよりも少し太った?」
何度目の来館だろうか。初診から3ヶ月ほど経ったこの日も、越崎は車を飛ばして『時游館』に来ていた。昼過ぎ、ランチのないこの店では、一番客が少ない時間だ。
「え? 太りました? ああ、でもそうかも。マスターのご飯美味しいから」
「さもありなんだな。けど、早朝からの仕事はきつくない?」
「いえ、全然。昼休憩もらってますから。それに……マスターは優しいし、毎日楽しいんです」
照れるような様子で遠慮がちな笑顔を見せた。彼のその笑みに嘘はないようだ。マスターは優しい……か。越崎は苦笑した。
「仲良くやってそうで安心したよ。ノート、書いてる?」
「はい。あ、今持ってきます」
「いや、それはいいよ。僕に見せるためじゃない」
そのノートは、ある日突然自分がここにいることが分からなくなった時、つまり本来の記憶を取り戻した時に必要なのだ。越崎はそう言いたいのだろう。カウンターの中で二人のやり取りを聞いていた航留はふと越崎と目が合う。憐みのような責めてるような、そんな視線だ。
航留は手元の、珈琲を注ぐカップに目を落とした。
――――越崎は、俺が嘘を吐いているのに気付いているのだろうな。
「さて、そろそろ帰るか。午後の診察に間に合わない」
越崎が長袖のシャツの袖をさっと上げる。腕時計を見るためだ。相変わらずのブランドシャツで、光沢のある茶系、ボタンまで細工がしている。もちろん時計も高級品だ。シャツに合わせて茶系の革のベルトがついている。何気なく覗いた航留、そのとき、大げさな破壊音が鼓膜に直撃した。
「あ、どうしたっ!?」
トレイを落とした音だった。トレイはプラスチック製だが、運悪く下げたコップが二つ載っていた。水と氷、割れたコップが床に散乱した。
「す、すみません。すぐ片づけます」
いつの間にそばに来ていたのか、トレイを落としたのは零だった。慌ててカウンターの中に入ると、掃除道具をロッカーから取り出す。
「慌てなくて大丈夫だ。越崎、濡れなかったか?」
「ああ、平気だ。手伝うよ」
客でもあるが臨時バイトでもある越崎は堂に入っている。零よりもテキパキと片づけ始めた。航留もゴミ袋を持ってカウンターの外に出る。
「お騒がせしました」
テーブル席にいる数人の客たちに頭を下げ、片づけの輪に入る。塵取りに入れられたガラスの破片をゴミ袋に投入し、航留はモップを掛ける零の顔を覗きみた。こんなあからさまな失敗は彼にとって初めてだ。さぞ焦っているだろうと思ったが、想像以上に顔面蒼白だった。
「零、大丈夫か。後は俺がやるから、休憩しろ」
航留は軽く肩に手をおき、零に声をかける。
「あ……」
モップを持ったまま、零が航留を見上げる。至近距離で見つめる瞳は、瞳孔が開いているのかと思うくらい大きく見開いている。色を失った唇がわずかに震え、怯えているようにも見えた。
「どうした。零?」
「す、すみません……ふらついてしまって」
航留は零の手からモップを取り上げ、ごみ袋の口を縛っている越崎に足で合図した。
「なんだよっ。あ、ああ」
異変に気付いた越崎は立ち上がった。
「野波君、裏に行こうか」
肩を抱くようにして零を歩かせる。そのまま店のバックヤード、休憩室へと入っていった。
片づけを終え、店内は通常モードに戻った。心地よいクラッシックのBGMが流れるなか、テーブル席の一組が会計を済まし退出していく。それを待っていたかのように、越崎が休憩室から出てきた。
「あ、零の具合どう?」
「もう大丈夫だよ。なんかめまいがしたみたいだ」
「そうか……」
やはり医者に連れていくべきか。脳内ではなにが起こってるのかわからない。取り返しのつかないことになったら零に詫びる言葉もない。
「おまえが望むなら……いや、野波君が望むなら、か」
「なんだ」
さっきはもう帰ると言っていた越崎は、航留が淹れた2杯目の珈琲をカウンターで飲んでいる。苦悩の表情を見せる航留に、ため息をつきながら話を続けた。
「知り合いの病院で精密検査を受診させてやってもいい」
「え、それは」
「医者としては、やはり心配なんだよ。野波君も……おまえも」
越崎は胸ポケットから名刺入れを出し、その中から1枚取り出した。
「伯父がやってる総合病院だ。ここならCTとか撮ってくれる。僕から話しておくから、日曜日行ってこい」
「越崎……すまん。いや、ありがとう」
やはり越崎には全部ばれていたのだろう。警察にも病院にも行ってないことを。そして、まだ心に秘めていた零への気持ちも。
「すみませんでした。もう大丈夫なので」
越崎がようやく帰り支度を始めたとき、零が店に出てきた。確かに先ほどよりもずっと顔色がいい。航留はほっと胸をなでおろした。越崎も安心した表情を見せ、『時游館』を後にした。
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