【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺

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第2章 1年間

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 次の日曜日、越崎の指示通りに航留は零を越崎総合病院に連れて行った。話は通っているようで、名前を告げただけでいくつかの検査を受けることができた。
 結論から言えば、医学的に悪いところはないとのことだった。

「悪性の腫瘍や内出血はないよ。でも頭打ったんだよね。その時の形跡はあった。医学的にはもう記憶が戻っててもいいはずなんだけどね」

 越崎の伯父は、やはりやせ型で神経質そうに見えた。伯父と甥は似るというが、親子以上に似ているのではないかと思うほどだ。白衣をきっちり着て、休日というのにネクタイもしていた。入院患者もいるから、休みではないのかもだが。

「ありがとうございました」

 無料ではないにしても、便宜を図ってくれた越崎と彼には感謝しかない。航留と零は深々と頭を下げた。

「とりあえず、怖い病気ではなくてよかった。でも、頭痛やめまいは原因不明ってわけだな」

 原因があったほうがいいのか、なかった方がいいのか判断付きかねるところだが、命に係わることではなさそうなのは喜んでいいだろう。ただ、不安が完全に払しょくされたわけではない。

「ありがとうございました。本当に、お世話になりっぱなしで……」
「え? いや、そんなふうには思ってないよ。乗りかかった船だし」
「沈没船かもしれませんよ?」

 帰りの車のなか、どちらかともなく会話を始める。自虐のような冗談を言う零に、航留は少し意外に思った。

「沈没船かあ。いやあ、俺、泳ぎは得意だから構わないよ。零は?」
「あ、どうだろう。僕、泳げるのかな」
「夏になったらプールにでも行ってみるか。水泳や自転車は一度覚えれば忘れないって言うし」
「そうですね。挑戦してみたいです」

 検査の結果に一応安心したのだろう。今日の零は饒舌だ。航留もその気分に追随する。そろそろ夏服も買わないと。だいたいがネットで注文してしまうが、水着はそうもいかないか、なんて。

「零、もう敬語じゃなくていいぞ」

 信号待ちをしながら、視線を隣の天然パーマに移す。零はその視線に呼ばれるように顔を向けた。

「それは、でも。恩人だけでなく上司ですし……」
「んー。まあ、そうもあるが」

 真紀も敬語だったと思い出す。確かに店主とバイト店員なんだから、ため口になろうはずもない。一緒に暮らしているとはいえ、下宿人のようなものだし。

「彼氏とかなら……ため口になるかも」

 思いも寄らない零の言葉に、航留の足がブレーキから外れた。

「あ、やば」

 ゆるゆると前進するのを慌ててもう一度踏みなおす。

「驚かすなよ。全く」
「あはは。すみません」

 明るい笑い声が車内に響く。信号が青に変わったのを確認して、航留はゆっくりとアクセルを踏んだ。

「そうか、零。俺がゲイだって聞いてたんだな」

 最初の越崎の診察。航留が零の記憶が戻るまで居候させると決めた日だ。越崎は事前に零に説明していた。人となり(つまり悪人ではなく、金持ちってことだ)を教えた。そのついでではないだろうが、航留がゲイであることも。

「はい」
「どう思った? そんなのと一緒に暮らすことになって、襲われるとか思わなかった?」
「ええ? まさか」

 くすくすと笑いだす。越崎総合病院から『時游館』まで、2時間はかかる。海沿いの国道を走り、そのあと内陸部の田舎に向かってひた走ることになる。初夏の海は波立つ度にキラキラと輝き美しい。なんだかこのまま帰るのが、航留は惜しくなってしまった。

「ちょっと、浜辺に下りるか」
「あ、はい。是非」

 零も同じ気持ちだったのか、即答だ。ナビで適当な駐車場を探し、二人は午後の砂浜を歩くこととなった。

 空に飛行機雲が一本走っている。以外は全て青一色だ。西南に位置する太陽が眩しい。波打ち際を歩きながら航留は右手をかざす。そのすぐ前を零が歩いていた。
 ネットで購入したボーダーの長袖Tシャツにソフトタイプのデニム。零が選んだものだ。記憶を失う前もこのような服を選んでいたのだろうか。少し、芸能人ぽいところもある。

 芸能人と言えば、先日、零をじろじろと見ていた客がいた。初めての客ではなかった気がするので、近所の住民だろうか。地味なスーツにネクタイの普通の会社員風、少し太めの男だった。

『どうかしましたか?』

 まさかと思うが、零を知ってる人間かもしれない。零だって、まさか関西や東北からあの山林に来たのではないだろう。地元に知り合いがいても不思議じゃない。いつかこういう日が来るかもと恐れていたのだが。

『あ、いえ。ええっと。あの、彼なんだけど』

 言われて、目の前が真っ暗になった。やはり知り合いか、と観念した。だが、それは航留の思い過ごしだった。

 彼は東京の芸能プロダクションの人間だった。マネージャーが本業だというが、アイドル顔負けの零に目を付けたとのこと。所謂スカウトをしてきたのだ。話すまでもない。
 名刺だけは受け取ったが、丁重にお断りして帰ってもらった。その後、なにか言ってくるかと思ったが、再訪はもちろんそれきり何事もない。



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