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第38話 敵前逃亡
しおりを挟むその週の土曜日は、どうしても休日出勤をしなくてはならず、フットサルの練習に行けなかった。いつもなら全然気にしないんだけど、今週は行きたかった……。
――――もしかして先輩、佳乃さんの送り迎えするんじゃ。
嫉妬深い人みたいに、僕は自分の妄想に歯ぎしりをする。駐車場に停まってる先輩の車を恨めしそうに眺めた。全く何やってんだか。
そうは言っても仕方ない。遅れを取り戻すには働くしかないのだ。ずっと夜も遅かったから、先輩とは朝の通勤時間にしか会えなかった。しかも早出もあったから二回しか会ってないんだ。完全に先輩不足に陥ってる。
――――明日は部屋にいるかな。なんか理由作って突撃してやれ。
花見の計画でもいいや。毎年メンバーと花見をやるんだけど、今年は幹事だしその相談ってことで。僕はそのシーンをまたまた妄想して顔をほころばせる。ホントになにやってるんだろ。
一週間の激務が終わり、泥のように眠った。日曜の朝、目が覚めてスマホを見たら既に十時を回っている。休日の朝ルーティンを済ませ、僕は洗い立ての髪に整髪剤を付けた。天パーだからこれを付けないわけにはいかない。爆発しちゃうんだよ。
先輩の部屋に行く前、メールをしようか悩む。でも、『今からお邪魔していいですか?』なんての送ったことない。いなかったらいないで帰るだけだし、お互い見られてマズイこともない。
――――車あるし。いるよな。
僕の部屋からは住人の駐車場が見える。先輩の青いHV車が朝日に光ってた。電車で出掛けることももちろんあるけど、休日に関して言えば、その確率はかなり低くなる。
僕はキッチンの戸棚を開けまくる。そこには大抵いくつか先輩の家から来たものがあるからだ。別にストックしてるわけじゃないけど、訪問する理由に使えるのは確かだ。
もしかして、僕は知らず知らずのうちにこういうことしてたのかな。そうだとすると、ちょっと自分が怖い。どこまで無自覚だったのか、潜在意識のなかに、当に先輩のことが好きだってのがあったのかもしれない。
戸棚にあったグラタン皿二枚を持って、階段を駆け上がった。随分と暖かくなったもんだ。トレーナー1枚でも全然平気。
――――あれ……。人の声がする。誰か廊下にいるのかな。
三階の廊下に出るところで、誰かが話している声が聞こえた。女の人と……先輩の声だ。そしてこの女性の声も聞き覚えがある。嫌な予感しかない。
僕は階段の一番上で立ち止まった。このまま廊下に出るかどうするか一瞬迷う。だけど、そのうち二人がこっちに向かってくるのは間違いないところだ。どうしてだか、降りる、という選択肢はなかった。何が起こってるのか、知りたかった。
「先輩……」
廊下に出たところで、先輩が玄関のドアに鍵を締めてる姿が見えた。その背後には思った通りのスタイル抜群の女性、佳乃さんが立っていた。
「あら、ハチ君だっけ。おはよう」
「おお、ハチ、なんか久しぶりだな」
佳乃さんに続いて先輩が僕に気づき声を上げた。春コートに身を包み並び立つ二人は、どこかの恋愛ドラマかと見まがうぐらいに絵になっている。
僕はお皿を持ったまま、なすすべなく立ち尽くす。見たかったはずなのに、見たくない光景。どうしてあのままUターンして自分の部屋に戻らなかったのか。
「お、お邪魔しました……」
ひきつった笑顔を作って(僕は笑顔だと思ったけど、見た方がどう思ったかはわからない)、回れ右をする。そのまま駆け上ってきた階段を降りた。足がもつれて転びそうになりながら自分の部屋に逃げ込んだ。
「おいっ? どうした? ハチっ」
先輩の驚いた声が背中に追いかけて来たのを振り払いながら。
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