小悪魔令息は、色気だだ漏れ将軍閣下と仲良くなりたい。

古堂すいう

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1巻

1-1

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   第一章 紫色の瞳の将軍閣下


 盛り上がったその胸元の筋肉に顔をうずめてみたい。
 その無精髭をすけべな手つきで撫でまわしたい。
 つややかな厚い唇に口づけてみたい。
 たくましい腕に抱きしめられたい。
 腰に響く低い声でささやかれてみたい。
 そしてあわよくば、あわよくば――

「めちゃくちゃにしてほしい」
「ちょっと、エリス! 声に出てるわよ」
「は?」
「は? じゃないわよ。あなたって本当、上品な顔をして、そんな素敵なタキシードだって着こなしているのに中身は……残念極まりないわ」

 冷たい視線を投げてくる令嬢――カトレアは僕と同じ学園に通う同級生で幼馴染おさななじみだ。彼女は僕の顔面を凝視ぎょうしして深い溜息を吐いた。
 溜息ばかり吐いていたら、幸せが逃げてしまうよ。なんて口走りそうになったが、やめる。余計なことを言って怒られたくなかった。
 それに今の発言は、カトレアの言う通り、この場にふさわしいものではない。
 なにせ今僕たちがいるのは、絢爛けんらん豪華ごうかな会場でり行われている王妃様主催の社交パーティーだ。大々的なものではないにしても、品位を問われる場所だから、あまり不用意な発言をするのはよくなかったと反省する。
 今後は破廉恥はれんちな妄想が口から漏れだすことのないよう、注意しなければなるまい。

「それにしても、今日は一段とかっこいいな。人類を滅ぼせるんじゃないかな……立っているだけなのに、妙にエロい」
「……人類を滅ぼすって、それ褒めているの? でも、そんなに好きなら、いい加減素直になればいいじゃない。現に、あなたが優しく接する令嬢たちは皆あなたのとりこよ。皆言ってるじゃない、『小悪魔令息こあくまれいそく』だって。名誉なことね」

 カトレアが、可哀相なものを見るような目で僕を見る。
 この名に同情されることも多いのだが、僕は皆が思うほど気にしてはいなかった。

「その呼び名なんて、まだマシだ。少なくとも妖精だの、無垢むくな天使だの、そんなのよりは鳥肌が立たないね」

 自覚はしている。自分の容姿は、妖精や天使と呼ばれるに相応ふさわしいものだと。亜麻あまいろの髪も、青色の瞳も気に入っているから、容姿を褒められることに関しては、今は特に何も思わない。ただ、その容姿を賛美する言葉が、こんなに陳腐でなければいいのにとは思う。

「あなたのその図太い神経がうらやましいわ……」
「図太いなんて、言われたのは初めてだな」

 小悪魔令息だなんて誰が呼び始めたのか知らない。だけど幼い頃から妖精だのなんだのと褒め称えられてきた僕にとって、小悪魔はまだ許容範囲だった。
 どうせ人から見た自分なんてそうそう変えられないのだから。ようは心の持ちようだと割り切ることにしている。
 そんなことで悩んでいるくらいなら、僕は想い人を見つめることに時間を費やしたい、と常々思っているのである。

「……はあ」

 再び横から溜息が聞こえる。

「……ところでずっと眺めているだけのようだけど。今日はもうお話はできたの?」

 カトレアの問いかけで、これまで高揚していた気分が降下する。

「いや、まだだよ」
「意気地なしね」
「……いやいや、誰だってあの輪の中には入れないだろうよ」

 僕の視線に誘われて、カトレアは会場の中央を見つめた。
 そこにはむれを成す蝶の羽のようなドレスをまとった令嬢たちがいて、その中心に、僕の想い人――シモンがいる。
 鍛え上げられた大きな身体。男臭い無精髭。わずかに癖のある焦げ茶色の髪の毛。厚い胸板。誰をも魅了する紫色の瞳。
 その立ち姿からは将軍らしい剛健さがにじみ出ているけれど、甘いハンサムな顔立ちからは親しみやすさと、のぼせるような色気が垣間見える。大きな身体をしているのに威圧的に見えないのは、彼の浮かべる表情が優しげで、穏やかだからだろう。

「世界一のハンサムだな」

 再び賞賛がこぼれた瞬間、紫色の瞳と視線が交わった。
 途端に、心臓が異様な音を奏で始める。心の中で、もう一人の僕が喜声きせいをあげながら悶えていた。
 シモンはふっと目を細めて、僕を見ながらわずかに手を挙げる。
 その小さな仕草にさえ色気を感じて、鼻がつんと痛くなる。嬉しくて咽び泣きたい気持ちを表情に出ないように必死に抑える。そしてなんでもないように手を挙げて応えようと思ったが、緊張してしまい、勢いよく顔を逸らしてしまった。

「もったいないわね。せっかく手を挙げてくれたのに」
「いや、僕もできることならこんな態度は取りたくないんだが」

 だけどやっぱりこんな態度を取ってしまうのだ。
 好いている相手に、どうしても素直になれない。
 なにせもう十年以上は片想いをしているのだ。
 こじらせて熟成しすぎていびつになってしまいそうなこの想いは、年を追うごとに濃くなり、自分でも向き合うことを恐れるほど重くなっている。

「……シモン様のことだから、ただの反抗期だと思ってくれているんでしょうけど、あの方じゃなかったら問題になってるわよね。いくらあなたが侯爵令息でも」
「そもそも、シモンじゃなかったら、僕はこんな態度はとらない」
「そういえば、あなた外面だけは恐ろしいほどよかったわね。実際はすけべな妄想ばっかりするエロおやじなのに」
「やめろ、本当のことを言うな」
「……まあでも、いつもだったら『あっかんべー』くらいするんでしょうから、一歩前進ね」
「本当にそう思っているか?」
「ええ。あなたなりに頑張ろうとしているのが、私には分かるわよ。私にはね。あの方に分かるかは別として」
「……おそらく、分かっていないと思う。それこそ君がさっき言ったみたいに、ちょっとした反抗期だと思っているだろうな」
「可能性は高いけど。でもあの方は女性経験が豊富なんでしょうから、あなたのように素直になれない人の気持ちだって察することができそうなものだけど……本当にお気づきでないのかしら」
「それは、さすがにないだろう。なにせ、僕は――」

 僕はここ数年の間ずっと、シモンに冷たい……というよりも、失礼な態度ばかり取っているのだから。そう言おうとして口を開いた時、カトレアの顔が驚愕に染まった。

「なんだ、どうし――」
「何も顔を逸らすことはあるまい、エリス」

 その声を聞いて、喉が詰まって息が苦しくなる。
 そんな、急にこっちに来ないでくれないか! それが無理なら少し、ほんの少しだけ離れて、待っていてほしい。身だしなみを整える時間が欲しい。
 いやだが、そんなことをしている時間があったら、シモンの顔を少しでも長く眺めていたい。
 僕の脳内は絶望と歓喜が同時に渦巻いて混乱した。
 しかし、そんな脳内とは裏腹に、今僕の顔はきっと無表情をしている。自分で分かるくらい表情筋の動きが全く感じとれなかった。
 ここ最近、僕の表情筋は動揺が大きければ大きいほど硬直して、冷たい無表情になるのだ。性質たちの悪いことに、シモンの前でだけ。

「そんな顔をするな。すぐに戻るよ」
「僕に何か用?」

 自分の表情が、シモンの紫色の瞳に映っていた。
 人形のように精緻せいちで美しい顔だ、と皆に絶賛されるこの容貌ようぼう。実際、謙遜けんそんするのも馬鹿馬鹿しくなるくらい美しいと、自分でも思う。
 だが、この無表情である。
 冷たい印象ばかり強くなるこんな表情を、慕う相手に見せるなんて本意ではない。本意ではないが、どうしてもこうなってしまう。
 後悔が僕の頭の中で駆け巡る。シモンはそんな僕の内心を知る由もなく近づいてきて、朗らかに笑った。
 ものすごく顔が近い。
 やめてくれ。その素敵すぎる顔を、僕の鼻血で汚したくない。

「焼き菓子が好きだったろう。昨日貰ったものなんだが、あとであなたの屋敷へ送っても?」
「なんで僕に……? あの子たちにあげればいいじゃないか」

 僕の口はかたくなに素直な言葉を吐こうとはしなかった。
 意図せず冷然としてしまった声が、シモンの耳にどう聞こえたのかなんて、考えなくてもわかる。さぞ不快な思いをしているのではないか。そう思って表情をうかがってみたが、シモンの表情は変わらず優しいまま。
 彼は僕をさとすように告げた。

「あの中の誰かを一人選んで贈るのは……はばかられる。あなたに贈れば、彼女たちがいさかいを起こすことはないと思ったんだ」

 ああ、なるほど。そういうことか。
 身勝手ながら、僕は落胆した。
 シモンはおそらく、僕が贈り物を受け取りやすいように、わざわざ理由を説明してくれたのだ。そんな彼の気遣いができるところはとても尊敬しているし、誰にでも優しいところは、紳士的で素晴らしいと思う。
 だが、それを切ないとも感じてしまう。
 この国で一番魅力的な男は間違いなくこのシモンだ。それは僕の私見ではなく世間一般の評価である。
 僕は、そんな彼に恋をしてしまった。
 男に生まれたことを後悔したことなんて一度もないし、女性になりたいと考えたこともない。ただ、シモンの今までの恋人は全員女性であるという事実は確かに存在する。
 このことから、彼の恋愛対象は女性のみであると断定しても、早すぎるということはあるまい。
 どれだけ僕の顔が美しいと絶賛されようとも、性別までは変えられない。だからといって、好きになることをやめられるほど僕の恋路は短くないし、抱えている気持ちはすぐに捨てられるほど些末さまつなものでもない。

「それは、確かにそうだね」

 暗くなった心を無表情の中に隠して、僕はシモンから視線を逸らし、彼の言葉に同意した。

「それにどうせ口に入るのなら、こんなおじさんの口の中よりもあなたの口の中のほうが菓子も嬉しいだろう」
「……っ」


 別に意図して言っているわけではないだろうが、言い方が妙にエロい。
 やめよう。今は興奮している場合ではない。

「……貰ってあげてもいいけど。美味しくなかったら送り返すからね」
「…………」
「なに?」

 声が返ってこないことを不思議に思って彼を見ると、シモンは目を見開いて僕を見ていた。

「いや。まさかこんなに素直に受け取ってもらえるとは思わなくてな」
「なにそれ。まるで僕が素直じゃないみたいじゃないか……」

 お前は確かに素直じゃないだろ。と頭の中で鋭くツッコむ。

「それじゃあ、どうしようか? 明日には送ろうと思うが……まだ王都の邸宅にいるかね。それとも侯爵領の邸宅へ送ったほうがいいかい」

 さらりと問われたその質問を聞いて、身体が強張こわばった。
 そろそろ夏の休暇が終わり、学園の寮へ戻る準備をするために侯爵領へ帰る時期なのだ。しかしながら、僕には明日、誰にも――特にシモンには絶対に言えない重要な外出の用事があった。
 だから王都にはまだいるけれど、邸宅にはいない。

「いや、明日は……王都にはいるが、よ、用事があるから、屋敷にはいない。明後日はいる」
「分かった。では明後日に送ろう。中身は日持ちのするものだから、ゆっくり食べても問題はない」
「……ありがとう」

 ぎこちなく礼を言うと、紫色の瞳を携えた目が弧を描いた。

「エリス」
「なに?」
「迷惑をかけてすまないな。こちらこそ、ありがとう」
「……別に、いいよ。それより早く彼女たちのもとに戻ったら? 視線が集まって迷惑だよ」
「はは、そうだな。そうしよう。またね」

 また、話しかけてくれる気があるのか。とは聞けずに「うん」と愛想なく頷くと、彼は颯爽ときびすを返し、健気に待つ令嬢や夫人たちへ一言、二言をかけたのちに、会場を辞した。
 シモンが去ったあと、緊張していた全身が痺れたように痛くなった。

「……うわあ、顔がにやけてる。せっかくの美人が台無しだわね」

 シモンが来るや否や、空気を読んで身を潜めていたらしいカトレアが、僕の顔をぬっと覗き込んでくる。

「にやけているんじゃない。痺れて痛いんだ……。緊張してしまって。ああ、またシモンに嫌われるような態度をとってしまった……」
「まあ、まあ。シモン様と話せたことに変わりはないじゃないの。……良かったわね」
「うん、ありがとう。ああ、そうだ。シモンが焼き菓子を送ってくれるらしい。どうしよう……日持ちするっていうし、しばらく飾っておくべきだろうか」
「やめなさいよ。シモン様はあなたが甘いものを好きだと知っているからくださるんでしょう? それなら、早く食べて美味しかったと報告して差し上げるほうが、可愛げがあるというものよ」
「それは確かに。では、早く食べてしまおう」
「食べきれなかったら私にも頂戴よ」
「何を言っているんだ。そんなことはできない」
「なんてケチなの。そんなだと、シモン様に嫌われちゃうわよ」

 カトレアは口に手を当てて、からかうような表情をする。
 だけど僕は動じない。

「ふん。元々シモンに好かれるようなことをしたことなんて一度もないから、変わらないさ」
「なんでそんな風に思うのよ。少なくとも好いていない相手に自分から話しかけたりはしないんじゃない?」
「シモンはそんな器の小さな人間じゃない。苦手な相手でも話しかける必要があるなら、話しかける奴なんだ」
「あなたってちょっと面倒臭いわね。こういう時は妄想でもいいから、『もしかしたら僕のこと少しは好きなのかも』と思ったほうが幸せになれるわよ。いくら美人でも、暗いことばかり言って冷たい顔をしている子は、想い人の目には魅力的に映らなくてよ」
「……そうか」

 では、ここは素直にカトレアの助言に従って、今日のことは明るい方向で考えておこう。
 少なくとも、シモンは僕が甘いお菓子を好きだと覚えていたのだ。その事実を喜ばないなんて、確かにもったいない。

「あなたは、そうやって笑っているほうがいいわよ。せっかくの美人なんだもの。いつかシモン様の前でもそんな風に笑えたらいいのにね」
「そうだな。僕もそう思う」

 強く頷きながらも、シモンの前で笑えなくなってから、すでに数年の月日が経っていることを思い出し、そう楽観的ではいられなくなってしまう。
『長めの反抗期なんじゃない?』とシモンとよくつるんでいる知人に冗談めかして言われたことがあるが、これは笑えない冗談だった。
 確かに、反抗期と言えば反抗期だ。シモンに対してではなく自分への。言い直せば自己嫌悪とも言えるそれに、おそらく僕はこれから今以上に悩まされるはめになるかもしれない。

「……はあ」
「あら、溜息なんて吐いたら幸せが逃げるわよ」
「うわ、それ、僕が言わないでおいてあげた台詞せりふなんだが」
「はぁ?」

 訳が分からないという風に首を傾げるカトレアに、僕はもう一度溜息を吐かざるを得なかった。


    ◆


 剣を打ち合う澄んだ音が、広い青空に響く。
 眼下で剣を交える軍人たちは、額に汗をにじませながら、雄々しく声をあげていた。皆、筋骨隆々のたくましい男たちだ。
 いざとなれば戦場で馬を駆り、その手に剣を握り、命かけて国を守護する存在。
 各々が格別なオーラを放つ中、一際強烈なオーラを放つシモンが、打ち合う男たちの間を縫いながら鋭い声を放つ。いつもは優しく笑むだけの彼が、鋭い光を孕んだ目で汗を流す男たちを見据えていた。

「相手の動きを読むことばかりに気を取られるな! 敵の剣がお前たちの首と胴を切り離したら、その思考は無意味なものになるぞ!」

 冷静かつ威厳をたたえた声音が響くと、男たちは表情を引き締めて、剣を打ち合う。
 社交場では色気をこれでもかと振りまき、花のように可憐な女性たちに囲まれている彼だけれど、ひとたび軍を率いる立場に戻ると、覇気と威厳に満ちた『将軍』へ姿を変える。
 そんな姿もまた、身悶えしたくなるほど、かっこいい。
 昨日のようにこっちを向いてくれまいか……と思うものの、僕がこうして見ていることを彼は知らないのだから、わざわざこちらを見ることはないこともよく分かっている。
 なぜならこれは極秘の、視察。と言っても、忍び込んでいるわけではないが。
 本来、軍の鍛練場付近へは、約束を取り付けない限り一部の人間しか入ることができない。しかし一部の貴族は、王族専用庭園に入るのを許可されており、最近僕は、その庭園の内の一つが、鍛練場と近い場所にあることに気がついた。
 王族専用庭園の一画に建てられた古い納屋なや。僕は時間ができるたびにそこに覗きにきている、というわけだ。
 今は夏の休暇中で僕には十分な時間がある。だから暇さえあればここへ通い、こうしてシモンを見つめている。
 今のこの時間は、シモンが鍛練に励む部下たちの様子を観察して、彼らを指導する時間だ。
 こうして見ていると、将軍という立場にある彼は、己を鍛える時間がなかなかないように思える。
 だが、僕が認識している限り、剣においてシモンの右に出る人間はいない。おそらく、シモンは他の者が寝静まったあとや、休暇中に訓練をしているのだろう。
 少なくとも僕はそう予想している。
『さすがは将軍閣下であらせられる。才能あふれるお方だ』と言う人間もいる。
 もちろん才能というのもあるのだろうが、もし才能だけでシモンが将軍についたのなら、僕はこんなにシモンのことを好きになっていないと思うし、尊敬もしていない。
 彼の言葉の選び方。人に対する態度。眼差し。行動。
 それらは才能に恵まれたことにおごり、努力することを知らずに生きてきた人間のそれではないと思う。僕自身が才能に恵まれた人間ではないから、少しだけ理解できる。
 今まで己の才能に自信と誇りを持っている人間を何人も見てきた。全員とは決して言わないが、努力して必死に追いつこうとする人間を見て、おごった発言をする者がいた。
 たとえ本人が意図しなくても、心の中にわずかでもある傲慢は必ず言葉や態度からにじみ出る。だが、シモンにはそういったところがない。
 自信はある。矜持きょうじもある。
 将軍という立場にあるのだから、おそらく多少の傲慢さもあるはずだ。
 けれど、それを決して外には出さない。己を律する強さがある。そしてなにより努力する人間に尊敬を示し学ぼうとする姿勢がある。
 そんな彼に僕は惚れたのだ。

「ルーベン!」

 名を呼ばれシモンの傍に駆けつけたのは、一見して軍人らしくない、青みがかった黒髪の優男。ルーベンと呼ばれたその男とも僕は昔からの知り合いだった。
 飄々ひょうひょうとして冗談ばかりを口にする男で、僕がシモンの前で笑わなくなったところを見て「反抗期なのでは」と言った張本人だが、その実力はシモンに次いで優れている。
 シモンは何事かをルーベンに話すと、皆を周囲に散らせた。
 男たちが囲う真ん中には、シモンとルーベンだけが残る。
 彼らは一言も交わさぬ間にさやから剣を抜くと、今まで聞こえていた音とは比べ物にならないほど重く冷たい音を響かせて、打ち合い始めた。
 連続で繰り出される剣技は鋭く、優美だ。
 風を裂くような剣の扱い方は、すでに身体に刷り込まれているのだろう。剣を交わす間、シモンの表情は、僕の無表情とは比べ物にならないほど、冷たくなる。
 何を考えて、剣を振るっているのか。あるいは何も考えず、身体に刷り込まれた直感だけを働かせているのか。
 彼の優しさを排したそんな表情を見るたびに、見惚れ、同時に憧憬しょうけいの念が湧く。
 僕だって、剣を扱うのが下手なわけではない。
 扱うという意味では上手いほうの部類に入ると自負しているし、それを保つために稽古を怠ったことはない。
 だけど、人相手になると途端に動きが緩慢になってしまう。
 その理由ははっきりしている。人に剣先を向けることに、苦手意識を持っているからだ。
 ……もう、そんなことを言っている場合ではないというのに……
 というのも夏の休暇が終わると、学園での寮生活が再び始まり、剣技大会の準備期間に入る。
 剣技大会というのは、学園の男子生徒(許可があれば、女子生徒も参加可能)同士による剣技の大会のことだ。
 とはいえ扱う武器は生徒の安全のために真剣ではなくぼっけんを使い、一対一で打ち合って勝敗を決めるだけの至極単純な大会だ。単純とは言ったが、この大会が軽んじられているという意味ではない。
 とりわけ気合が入っているのが、今目の前で鍛練をしている男たちの息子。
 彼らは将来、軍に入ることを切望されていて、気合の入れようも、力量も、他を圧倒している。この剣技大会での実力差は、軍に入った時の実力差になるとも言われているから当然である。
 僕もそれなりに剣を扱えるけれど、叩き上げの彼らとは訳が違う。
 生半可な気持ちでやると痛い目を見ることは分かっているから、今年も例年通り二試合目で「棄権」しようかと、そんなことを考えていた。
 だが、目の前で繰り広げられるシモンの圧倒的な剣技を見ていると、そんな考えは吹き飛んでしまう。

「もっと力を込めろ! ただの鍛練だと気を抜くことは許さんぞ!」

 こうして休暇のほとんどの時間を、シモンを見るために費やしてきて、ふと思う。
 もう十分に強いのに毎日欠かさず鍛練に励むシモン。
 それに対して、己の容姿の美しさと、他者からの賛美に慢心して、自分を磨くことを怠っていた……あまりにも傲慢な自分。
 彼を想うのに、自分はふさわしい人間なのか。
 今になって、恥じ入るような気持ちが日に日に強くなっていた。
 要は、慕う相手にふさわしい人間でありたいと、恋する人間らしく、そんなことを思っていたのだった。

「ルーベン! 足が重くなっているぞ!」

 険しい表情で剣を交えるシモンが声をあげた。低いのに、よく通る声だ。
 凛とした眼差しでルーベンを見据え、彼は寸分の狂いもなく剣を打ち込んでいく。その剣技には迷いがない。
 将軍なのだから当然だと言えばそうかもしれない。だが、人が思う以上に、人と剣を交えるのには精神力がいるはずだ。
 桁外れの精神力はちょっとやそっとの経験で身につくものではない。身と心を削るような、剣を血で濡らすような経験を何度も経た上で、なおもその手に剣を握り続ける覚悟をしてこそ、得られるもの。
 そんな重い覚悟を背負いながら、なんてことないように優しく笑い、他人を気遣える彼のことが堪らなく愛おしい。

「……お前はどこまで魅力的になるんだろうな」

 一度もシモンに伝えたことはないけれど、何度も何度も数えきれないほど、恋情を帯びた吐息と共にこの言葉を吐き出してきた。
 日を追うごとに凛々しく、魅力が深みを増す彼に、僕は焦りを感じている。
 これ以上、僕との距離を広げないでほしい。
 距離が広がっているのは、シモンが日に日に魅力的になるからだけじゃない。僕自身が、今この瞬間も向き合うべきことから逃げているから。
 つまり、自業自得というわけだ。

「……は」

 己を嘲笑ちょうしょうする息がこぼれた。

「もっと腰を低く落とせ! いざという時、それでは押し切られる!」

 冷然とした声がまた響く。
 シモンがあっさりと口にした『いざという時』という言葉はとても重たい。彼の言うそれは、いつか来るかもしれないなんていう生温いものではない。
『必ず来る』という心構えでいなければならない、と強く思わせる気迫を伴うものだ。
 将軍として、シモンは日々重たいものを背負いながら生きているのだと僕は改めて思い知らされる。夏の休暇の間、そんなことが何度もあった。

「そうだ! 次に剣を払え!」

 甲高い音が鳴った。ルーベンがシモンの剣を弾き返した音だった。
 けれど、シモンの身体は剣を弾かれただけではぶれることなく、すぐにまた剣を振り下ろす。

「遅い!」

 ルーベンは反応が遅れて体勢を崩したが、何とかシモンの剣を受け止めた。
 おお、と周囲から歓声が漏れる。さすがとしか言いようがない。あの速度で迫りくる剣の激しさに耐えられるのだから、ルーベンもやはり相当な手練てだれなのだ。
 結果として、シモンとルーベンが激しく打ち合い、距離を取ったところで試合は終了した。引き分けである。拍手が沸き起こる中、ルーベンが弱音を吐く。

「いやあ、もう無理! 限界! 休憩したい!」

 大口を開けて叫ぶルーベンにシモンが声をかける。
 今までの冷たい表情が嘘のように、輝くような微笑が浮かんでいた。顎から滴った汗が鎖骨に流れて、厚い胸板をしとどに濡らす。銀色に輝く剣をたくましい腕で軽々と払い、洗練された動作でさやへ納める。
 劇で見るようなわざとらしいものではなく、剣をさやに納めることで、たかぶった己の気を鎮めるような仕草。
 ああ、本当に――

「……好きだなあ」

 呟いた、その瞬間、シモンがこちらを見て、彼と目が合ったような気がした。僕は慌てて身を隠す。……いやいや、そんなはずはない。
 呼吸を整えてもう一度覗いてみると、シモンは何事もなかったかのようにルーベンや周囲を取り囲む男たちと談笑していた。

「あー……びっくりした」

 胸を撫でおろしたものの、心臓はまだ早鐘を打っている。
 一瞬だけ交差した瞳の熱を思い出して、一気に全身が熱くなる。
 戦いの後、剣をさやに納めるだけでは抑えることのできなかった興奮を宿した紫色の瞳は、中毒性の高い媚薬のように熱く甘い。
 心に積もり積もった『好き』という気持ちが、その甘い熱によって暴かれて、普段押しとどめている恋情が口からこぼれる。

「本当は……閉じ込めたいくらい、愛している。なんて言ったらドン引きされるだろうなあ。それは嫌だ」

 あふれだした言葉は虚しくその場に消える。
 だけど、それでいい。否、そうでなくてはいけない。この重すぎる気持ちを伝える気は微塵みじんもない。僕は、人の気持ちを拒絶することの辛さを、誰よりも知っている。
 だから絶対にシモンには言わない。
 シモンは優しいから、僕の気持ちに応えられないことに苦しむだろう。
 惚れた人間にそんな思いをさせるくらいなら、伝えないほうがマシだ。そして勘違いしてはならないのは、この判断が、自己犠牲なんて高尚なものによって下されたものではないということ。
 ただ単に、僕がシモンを苦しめる状況に耐えられないだけなのだ。シモンを苦しめようとする自分が許せないだけ。
 だから決して自己犠牲だと酔ってはならない。それは僕が自ら決めている判断をシモンに押し付ける行為に他ならないのだから。

「……脚が痛くなってきたな」

 誰に聞かれるはずもない独り言を呟いて、僕は納屋なやを後にする。
 その時、再びシモンと目が合ったように感じたが、さすがに恋にうつつを抜かす人間の錯覚だと馬鹿らしくなって、悶える前に、僕は庭園を後にした。


    ◆


 今日は待ちに待った、シモンのお菓子が届く日である。
 今か今かと待っていると、扉を叩く音が聞こえて、腰かけていた椅子から勢いよく立ち上がる。

「やっと来た!」

 自分でも分かる浮かれた足取りで扉の前に向かうと、「ちょっといいかしら」と母様の声が聞こえた。声音から察するに、贈り物が届いたと知らせに来てくれたわけではなさそうである。

「母様」
「あなたにお話があります」

 扉を開けた瞬間、優しい口調だが、有無を言わせない表情に顔が引きつった。
 今はシモンの贈り物を待ちたい。どうせまたいつもの話なのだろう。いい加減にしてほしいとは思うものの、母様を無下にすることはできず結局、部屋に招き入れることにした。

「またあの話かな」
「あら、私が何の話をしたいのか分かったようね」

 満面の笑みを浮かべる母様――エレーヌは、昔、その美貌で数々の男を手玉に取ったという。つややかな黒髪。僕にも受け継がれた、海の浅瀬を思わせる青色の瞳。だが、その妖艶な見た目に反して性格は非情に情熱的だ。
 ちなみに父様の容貌ようぼうは母様には劣るが整っていて、母様とは違い温厚な性格だ。
 母様はいつも言うのだ。
「早く婚約者を決めなさい」と。いい加減うんざりする。

「……分かっているからこんな表情をしているわけだけども。母様、僕は今忙しいからあとにしてくれないか」
「忙しそうにはとても見えないけど?」
「昨日言っただろう。シモン……様から贈り物が届くから待っているんだよ」
「まあ、閣下から贈り物? あなた、あの方にはいつも失礼な態度ばかりじゃないの。それでも構ってくださるなんて、なんてお心の広い方なのかしら……」


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夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

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