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第1章 ディアス公爵邸編
第3話 初めましてルシア様
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白い雲がゆっくりと流れる初夏の空。
茶色い前髪を掻き分けながら、私は空を見上げた。その下にある、よそ見などできないほどの圧倒的な存在感を示すディアス公爵邸も一緒に。
念のためにしてきた眼鏡は、日差しを遮るのにちょうど良かった。アカデミーに入った時に知ったが、黄色い瞳は人目を引くらしい。
けれどディアス公爵様にとって、いや公爵邸の者たちには、逆にそれが好印象に映ったようだった。二十歳の小娘が一人で訪ねて来たというのに、怪訝な顔を見せず、快く門を開けてくれたからだ。
アカデミーの首席に、この眼鏡。天才か秀才のどちらかに見えたのだろうが、生憎と私はそのどちらでもない。ただ知識を得るのが好きなのだ。記憶力がいいことも相まって、いい成績を取れているに過ぎない。
まぁともあれ、私は待つこともなく、ディアス公爵様の執務室に通された。
「よく来てくれた、アニタ・コルテス男爵令嬢」
「こちらこそ、ご指名いただきありがとうございます、ディアス公爵様」
「アカデミーから戻ったばかりだと聞いたが、問題ないと思ってもいいのだな」
一応、私の動向は知っているようだった。
座るように促され、私は近くの椅子に腰を降ろしながら、ディアス公爵様を見つめた。
公女様の年齢を考えると、歳は養父よりも若いと思う。けれどその佇まいや貫禄はその比ではない。金色の前髪から覗く青い瞳は、にこやかに笑ってみせるが、私を値踏みしていることが手に取るように分かった。
しかし、それは私が家庭教師としてディアス公爵邸に来たから推測できることだった。養父のように何も知らなかったら、その心中を読み取ることは難しい。それほど、目の前にいるディアス公爵様という方は、手強い人物のように思えた。
けれど私も負けてはいられない。今後のことを考えても、ここは良い印象を持ってもらわねばならないからだ。
「はい。帰っても、やることはアカデミーにいる時と変わりません。将来、教授を目指す身であれば、公女様の勉強を見ることは、私自身のためにもなります。あとは急ぎのように感じたからです。それで、私はどの科目を担当すればよろしいのでしょうか」
「いや、そういうのではなく、そなたの話を聞かせてやってほしい」
「話……ですか?」
「そうだ。あまり世間を知らずに育ててしまったため、そなたが経験した苦労話……は飽きてしまうから、冒険譚などを、な」
なるほど。お祖母様と一緒に山奥で暮らしていたのであれば、冒険譚のような話があると思われたのだろう。
まぁ、一応あるにはあるけれど……私を珍獣か何かだと勘違いしているのではないだろうか。
それでも表向きは、アカデミーの学生。首席の生徒だ。冒険譚を聞かせるメリットは……なるほど。ディアス公爵様は私を、家庭教師というより公女様のやる気スイッチを入れる道具にしたいらしい。
私は新しい知識を得ることが好きだから、勉強を嫌だと感じたことはない。けれどアカデミーの学生の半数は嫌いな者が多かった。
親に言われて無理矢理入れられる者や、人脈づくりで入学する者。入る理由は様々だが、私のようにアカデミーを真面目に目指した者の方が珍しかった。
しかしこれでディアス公爵様の真意は理解できた。公女様のやる気が出なければ、いくら名高い家庭教師を雇っても意味がない。しかも相手はアカデミーの学生。成功すれば御の字、程度にしか思われていないのだろう。
道理で急ぐわけだわ。やる気さえ引き出せれば、私はお払い箱となり、新たな家庭教師を雇える。そう、学生ではない、本物の先生を。
途端、肩の力が抜けた。
「分かりました。公爵様のおっしゃる通りにいたします」
どの道、雇い主はディアス公爵様だ。そもそも私に決定権など、ありもしないことだった。
ここは穏便に従い、「無理でした」と素直に頭を下げて、数日後にここを出て行こう。そう私は心の中で決意した。
***
山猿としか思っていない小娘の手を借りるほど、問題児な公女様ってどんな方かしら。
まるで三文小説の一節のような疑問を抱きながら、公女様のいる部屋に通された。
窓辺で片肘をつく金髪碧眼の少女は、三文小説どころではない。舞台に立っても遜色がないほど美しかった。少し影のある横顔を見ていると、深窓の令嬢という言葉が脳裏に浮かぶほどである。
「お嬢様。新しい家庭教師の方にございます」
メイドの言葉に、視線だけ動かす公女様。その仕草さえも優雅だった。しかし……。
「何だ、今度は子どもか」
口を開いた途端、それは幻想だったと言わざるを得ない。しかも、子どもって……。
確か公女様は十五歳だとお聞きした。まぁ、今までの家庭教師からしたら、子ども……だろうね。うん。間違いなく。私、二十歳だし。
「えっと、その、私はこれで失礼します」
「はい、ありがとうございます」
そりゃ、気まずいよね、と思いながら出ていくメイドを気の毒に思いながら見送った。
「アニタ・コルテスと申します。本日より、よろしくお願いいたします」
「別に名乗らなくていいよ。すぐにいなくなる者の名前など、覚える必要はないから」
「そうですね。不便に感じることもないと思いますが、後で名乗りもしない無礼者だと言われたくありませんので、適当に聞き流してください」
形式上、名乗っただけだと弁明してみた。すると案の定、公女様は怪訝な顔をこちらに向ける。
「今度の家庭教師は、随分な物言いだな」
「すぐに去るのですから、いいではありませんか。それに、まだ子どもですので」
あぁ言えばこう言うのは、これでも得意な方なのよ。
「それならば、こちらも名乗らなければ失礼だな。ルシア・ディアスだ」
その言葉に偽りはないのだろう。座ったままだったが、正面を向いて挨拶をしてくれた。病弱とは思えないほどの物言いだったのは、言うまでもない。
「では、ルシア様。早速ですが一つ、私のお話を聞いていただけませんか?」
茶色い前髪を掻き分けながら、私は空を見上げた。その下にある、よそ見などできないほどの圧倒的な存在感を示すディアス公爵邸も一緒に。
念のためにしてきた眼鏡は、日差しを遮るのにちょうど良かった。アカデミーに入った時に知ったが、黄色い瞳は人目を引くらしい。
けれどディアス公爵様にとって、いや公爵邸の者たちには、逆にそれが好印象に映ったようだった。二十歳の小娘が一人で訪ねて来たというのに、怪訝な顔を見せず、快く門を開けてくれたからだ。
アカデミーの首席に、この眼鏡。天才か秀才のどちらかに見えたのだろうが、生憎と私はそのどちらでもない。ただ知識を得るのが好きなのだ。記憶力がいいことも相まって、いい成績を取れているに過ぎない。
まぁともあれ、私は待つこともなく、ディアス公爵様の執務室に通された。
「よく来てくれた、アニタ・コルテス男爵令嬢」
「こちらこそ、ご指名いただきありがとうございます、ディアス公爵様」
「アカデミーから戻ったばかりだと聞いたが、問題ないと思ってもいいのだな」
一応、私の動向は知っているようだった。
座るように促され、私は近くの椅子に腰を降ろしながら、ディアス公爵様を見つめた。
公女様の年齢を考えると、歳は養父よりも若いと思う。けれどその佇まいや貫禄はその比ではない。金色の前髪から覗く青い瞳は、にこやかに笑ってみせるが、私を値踏みしていることが手に取るように分かった。
しかし、それは私が家庭教師としてディアス公爵邸に来たから推測できることだった。養父のように何も知らなかったら、その心中を読み取ることは難しい。それほど、目の前にいるディアス公爵様という方は、手強い人物のように思えた。
けれど私も負けてはいられない。今後のことを考えても、ここは良い印象を持ってもらわねばならないからだ。
「はい。帰っても、やることはアカデミーにいる時と変わりません。将来、教授を目指す身であれば、公女様の勉強を見ることは、私自身のためにもなります。あとは急ぎのように感じたからです。それで、私はどの科目を担当すればよろしいのでしょうか」
「いや、そういうのではなく、そなたの話を聞かせてやってほしい」
「話……ですか?」
「そうだ。あまり世間を知らずに育ててしまったため、そなたが経験した苦労話……は飽きてしまうから、冒険譚などを、な」
なるほど。お祖母様と一緒に山奥で暮らしていたのであれば、冒険譚のような話があると思われたのだろう。
まぁ、一応あるにはあるけれど……私を珍獣か何かだと勘違いしているのではないだろうか。
それでも表向きは、アカデミーの学生。首席の生徒だ。冒険譚を聞かせるメリットは……なるほど。ディアス公爵様は私を、家庭教師というより公女様のやる気スイッチを入れる道具にしたいらしい。
私は新しい知識を得ることが好きだから、勉強を嫌だと感じたことはない。けれどアカデミーの学生の半数は嫌いな者が多かった。
親に言われて無理矢理入れられる者や、人脈づくりで入学する者。入る理由は様々だが、私のようにアカデミーを真面目に目指した者の方が珍しかった。
しかしこれでディアス公爵様の真意は理解できた。公女様のやる気が出なければ、いくら名高い家庭教師を雇っても意味がない。しかも相手はアカデミーの学生。成功すれば御の字、程度にしか思われていないのだろう。
道理で急ぐわけだわ。やる気さえ引き出せれば、私はお払い箱となり、新たな家庭教師を雇える。そう、学生ではない、本物の先生を。
途端、肩の力が抜けた。
「分かりました。公爵様のおっしゃる通りにいたします」
どの道、雇い主はディアス公爵様だ。そもそも私に決定権など、ありもしないことだった。
ここは穏便に従い、「無理でした」と素直に頭を下げて、数日後にここを出て行こう。そう私は心の中で決意した。
***
山猿としか思っていない小娘の手を借りるほど、問題児な公女様ってどんな方かしら。
まるで三文小説の一節のような疑問を抱きながら、公女様のいる部屋に通された。
窓辺で片肘をつく金髪碧眼の少女は、三文小説どころではない。舞台に立っても遜色がないほど美しかった。少し影のある横顔を見ていると、深窓の令嬢という言葉が脳裏に浮かぶほどである。
「お嬢様。新しい家庭教師の方にございます」
メイドの言葉に、視線だけ動かす公女様。その仕草さえも優雅だった。しかし……。
「何だ、今度は子どもか」
口を開いた途端、それは幻想だったと言わざるを得ない。しかも、子どもって……。
確か公女様は十五歳だとお聞きした。まぁ、今までの家庭教師からしたら、子ども……だろうね。うん。間違いなく。私、二十歳だし。
「えっと、その、私はこれで失礼します」
「はい、ありがとうございます」
そりゃ、気まずいよね、と思いながら出ていくメイドを気の毒に思いながら見送った。
「アニタ・コルテスと申します。本日より、よろしくお願いいたします」
「別に名乗らなくていいよ。すぐにいなくなる者の名前など、覚える必要はないから」
「そうですね。不便に感じることもないと思いますが、後で名乗りもしない無礼者だと言われたくありませんので、適当に聞き流してください」
形式上、名乗っただけだと弁明してみた。すると案の定、公女様は怪訝な顔をこちらに向ける。
「今度の家庭教師は、随分な物言いだな」
「すぐに去るのですから、いいではありませんか。それに、まだ子どもですので」
あぁ言えばこう言うのは、これでも得意な方なのよ。
「それならば、こちらも名乗らなければ失礼だな。ルシア・ディアスだ」
その言葉に偽りはないのだろう。座ったままだったが、正面を向いて挨拶をしてくれた。病弱とは思えないほどの物言いだったのは、言うまでもない。
「では、ルシア様。早速ですが一つ、私のお話を聞いていただけませんか?」
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