母を亡くした公爵令嬢は、虐げられないが、今日も願いが叶わない

春風由実

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1.公爵令嬢は無価値に落ちる

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 馬車が横転し、橋から落ちた。ただの事故だった。
 車輪が大きな石に乗り上げて傾いたことが原因とされ、このときの御者は処分、事故を起こした馬車も不吉だからと焼かれて廃棄されていた。
 馬車を引いていた馬だけは無事と聞いたが、役目は変えられ、人を乗せる馬車を引くことは二度とないと言う。


「何故お前が生きた?」


 それが目覚めた直後に、私が最初に聞いた声だった。

 ぼんやりとした頭で、状況を整理して、なんとか一人で現状を理解する。


 居場所はなんてことはない、見知った屋敷の部屋だった。
 邸を出て比較的すぐのことだったから、邸から人が呼ばれて、運ばれたのだろう。


「お前が。お前だけが……」


 声の主を見上げれば、その頬に白い布が貼ってあった。

 母がどうなったか。
 賢くなくたって悟る。

 けれどこのときは悲しみに暮れなかった。
 すでにお別れをしたあとだったから。

 身体を起こそうとして、あちこちが痛むことに気が付いて、すぐに起き上がることは諦め、私は静かに指先から身体の動きを確認していった。

 頭の上から足先まで感覚があることに安堵する。
 間違いなく守られたおかげだった。


「お前だけが何です?」


 言葉を返せば、驚いたように両眼を見開いて。
 公爵はすぐに忌々しそうに顔を歪めると言った。


「お前こそが女神の元に行くべきだった!何故守られて、のうのうと一人生きている!」


 あとから何度聞かされただろうか。
 普通の令嬢はここで泣くらしい。
 あるいは絶望し、悲観して、立ち直れなくなると。

 つまり私は普通の令嬢ではないのだと、皆は言いたいのだ。

 普通でない私は、このとき心の中で母に謝っていた。

 お母さま、ごめんなさい。
 あなたに守られたというのに、お母さまのお願いひとつ叶えられない、無価値な娘になります。


「あなたこそ、何をのうのうと元気にしているのですか?」


 言い返されるとは思ってもみなかったのだろう。
 私は揺れた公爵の瞳から、明確な怯えを受け取った。


「あのときあなたは、誰も守らず、一人で身を屈めましたね?それからも一人だけ逃げ出して、馬車の外では大泣き。潰れた馬車の中、浅瀬とはいえ水にも晒され、身動きの取れない私たちを助け出そうともしなければ、助けを呼びにも行かない。お母さまが人を呼んでと何度頼んでも、あなたはただ声を上げて泣いていました。ねぇ、生きていて恥ずかしくありませんか?あなたこそ、女神の元までお母さまを迎えに行って来てはいかが?お母さまの代わりがいるなら、あなたを置いてくればいいのです」


 淡々と言ったあと、痛みに耐えて起き上がった。
 その勢いに乗って、私は初めて人を殴った。場所は公爵の頬の、布の上。

 ぎゃあっと耳障りな叫び声が出た。
 頬を押さえ、しばらく黙ったあとに、公爵はやっと声を荒げる。


「貴様、何をする!」


「目覚めたばかりの娘に、愚かな話を聞かせた罰です」


「くっ。お前など!お前など娘ではない!親子の縁もこれまでだ!」


「それは有難いですね。こちらもあなたを父親と思ったことはありませんから。どうぞ今すぐに私のことは除籍してくださいませ」


 私に殴りかかろうとした公爵は、側近たちから羽交い絞めにあっていた。

 馬車の事故のあと、奇跡的に助かり目覚めたばかりの娘を襲ったと知られては、さすがに悪評が過ぎると判断されたのだろう。
 公爵家の力で隠蔽するにも、あのときは人の目があり過ぎた。

 怪我の程度からすると私は意外に長く寝ていたようで、部屋には当時から王都にいた母の弟である叔父だけでなく、遠方にいる母方の祖父母まで揃っていた。
 親族とはいえ、他家の貴族まで黙らせることは難しい。

 それに彼らにとっては、公爵よりは血の繋がりのある姪、孫娘の方がいくらも大事に想えただろう。
 ちょうど、姉、娘を亡くした直後で、その想いは強まっていたと思われる。

 大事な人の忘れ形見。
 そう捉えられる娘を殴ろうとした。それもやっと目覚めたところだ。

 それ以前に、目覚めた娘に開口一番、女神の元へ行けと告げる男。
 誰がその身を立ててやろうと思うか。


 人を集める前に、母親共々消してしまえば良かったものを。
 公爵はとても愚かだ。

 おかげでごく一部とはいえ、最も長く共にある屋敷の者たちに恥を知られて生きるはめになっている。
 そのうえせっかく母との婚姻で得た縁を潰してしまった。
 あの日まで耐えてきた意味がなかろうに。


 何はともあれ、こうして私は八歳で父親と絶縁し、母の実家である侯爵家に引き取られた。

 しかし公爵は絶縁すると言ったくせに、除籍の手続きを頑なに実行せず。
 私は名ばかりの公爵令嬢にあり続ける。

 そしてついに、公爵令嬢のまま、事故のあったあの王都に戻らねばならない日がやって来た。


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