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扮装
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入口から一歩部屋に入ったその人は、それからしばらく動こうとはしませんでした。
あまりに無意味な時間が長かったもので、そろそろこちらから折れようかと考え始めたときです。
「お詫びの言葉もないのかしら?」
先に折れてくれて助かったとは感じましたが、その人からの最初の言葉は想像したものとは大分違っておりました。
お隣にいらっしゃる旦那さまのお姿が見えていないのでしょうか。
どうしても私しか見ていただけないのであれば、仕方がありません。
「お久しぶりです、侯爵夫人。大変お元気そうで、何よりでございます」
立ち上がって頭を下げて、それから顔を上げてにこりと微笑む。
大変貴族らしい挨拶を返したつもりでしたのに。
それなのに同じ品位は戻って来なかったのです。
「まぁ知らぬ振りをするつもりね?あなたが手紙を受け取ったことは知っているのよ?」
私はすかさず旦那さまを見上げました。
私個人へ宛てた手紙ではなかったので、私がお返事をすることではないと考えたからです。
共に立ち上がっていた旦那さまは、大変頑張っておられました。
すると侯爵夫人は、やっと旦那さまを認識したような態度で、笑顔を作ります。
「婿殿ですわね?本日は遠いところからはるばる来ていただけるとは思いませんでしたわ」
言葉の隅々から良くない気持ちを受け取ることが出来ましたが、私たちがもっとも気になった言葉はきっと同じものでした。
婿殿とは?
耐えていらっしゃる旦那さまですが、眉を顰めております。
確かに娘の夫をそのように呼ぶことはありました。
けれども多くの場合、それは娘の家に入った夫を呼ぶときに使用する呼称です。
私たちの場合には、私が侯爵家を出て辺境伯家へと嫁いだ形となっておりますから、侯爵夫人が使うには不適切な呼称でした。
ちなみに市井ならば、家の概念が薄いこともあって、いずれにせよ娘の夫を婿と呼ぶようなことはあるそうです。
でも私たちは貴族ですからね。
「旦那さま」
私が小声で呼び掛けますと、旦那さまは頷かれます。
お約束通り我慢してくださいましたら、今日は戻って沢山のご褒美をお渡しする約束をしています。
ふふ。ご褒美に期待してすでにお耳が赤いのですね旦那さま。大好きです。
旦那さまに想いを寄せながら、私はここでひとつ安心していました。
この人と再会しても、変わらない旦那さまへの想いを持ち続けられていたからです。
それは結婚して少し過ぎてからのこと。
私はかつてずっと望んでいたものに気付く機会がありました。
そしてそれを旦那さまから代わりに頂戴しようとしているのではないか?
何故かその時の私は、そのように考えて思い詰めてしまったのです。
今となっては、どうしてそこまで本気で悩めていたのかと疑問に感じるほど、些細な悩みだったのですけれど。
あのときの私は、日々不安に駆られていたせいで、すべてを悪い方へと考えてしまっていたのですね。
でも今日からは、そんなことはありませんよと、当時の私に胸を張って言えるようになりました。
またあのような日々が繰り返されるときが来たとしても、もう二度と同じことで悩む日は来ないでしょう。
「妻一人を王都になどやりませんよ。侯爵夫人とお会いするのはこの場が初めてでしたね?ご挨拶をさせていただいでもよろしいか?」
それは確かに旦那さまのお声でしたが。
好青年らしいとても柔らかいお声で。
あまりに感動してしまった私は、しばらくの間、旦那さまをぽーっと見詰めていたのでした。
あまりに無意味な時間が長かったもので、そろそろこちらから折れようかと考え始めたときです。
「お詫びの言葉もないのかしら?」
先に折れてくれて助かったとは感じましたが、その人からの最初の言葉は想像したものとは大分違っておりました。
お隣にいらっしゃる旦那さまのお姿が見えていないのでしょうか。
どうしても私しか見ていただけないのであれば、仕方がありません。
「お久しぶりです、侯爵夫人。大変お元気そうで、何よりでございます」
立ち上がって頭を下げて、それから顔を上げてにこりと微笑む。
大変貴族らしい挨拶を返したつもりでしたのに。
それなのに同じ品位は戻って来なかったのです。
「まぁ知らぬ振りをするつもりね?あなたが手紙を受け取ったことは知っているのよ?」
私はすかさず旦那さまを見上げました。
私個人へ宛てた手紙ではなかったので、私がお返事をすることではないと考えたからです。
共に立ち上がっていた旦那さまは、大変頑張っておられました。
すると侯爵夫人は、やっと旦那さまを認識したような態度で、笑顔を作ります。
「婿殿ですわね?本日は遠いところからはるばる来ていただけるとは思いませんでしたわ」
言葉の隅々から良くない気持ちを受け取ることが出来ましたが、私たちがもっとも気になった言葉はきっと同じものでした。
婿殿とは?
耐えていらっしゃる旦那さまですが、眉を顰めております。
確かに娘の夫をそのように呼ぶことはありました。
けれども多くの場合、それは娘の家に入った夫を呼ぶときに使用する呼称です。
私たちの場合には、私が侯爵家を出て辺境伯家へと嫁いだ形となっておりますから、侯爵夫人が使うには不適切な呼称でした。
ちなみに市井ならば、家の概念が薄いこともあって、いずれにせよ娘の夫を婿と呼ぶようなことはあるそうです。
でも私たちは貴族ですからね。
「旦那さま」
私が小声で呼び掛けますと、旦那さまは頷かれます。
お約束通り我慢してくださいましたら、今日は戻って沢山のご褒美をお渡しする約束をしています。
ふふ。ご褒美に期待してすでにお耳が赤いのですね旦那さま。大好きです。
旦那さまに想いを寄せながら、私はここでひとつ安心していました。
この人と再会しても、変わらない旦那さまへの想いを持ち続けられていたからです。
それは結婚して少し過ぎてからのこと。
私はかつてずっと望んでいたものに気付く機会がありました。
そしてそれを旦那さまから代わりに頂戴しようとしているのではないか?
何故かその時の私は、そのように考えて思い詰めてしまったのです。
今となっては、どうしてそこまで本気で悩めていたのかと疑問に感じるほど、些細な悩みだったのですけれど。
あのときの私は、日々不安に駆られていたせいで、すべてを悪い方へと考えてしまっていたのですね。
でも今日からは、そんなことはありませんよと、当時の私に胸を張って言えるようになりました。
またあのような日々が繰り返されるときが来たとしても、もう二度と同じことで悩む日は来ないでしょう。
「妻一人を王都になどやりませんよ。侯爵夫人とお会いするのはこの場が初めてでしたね?ご挨拶をさせていただいでもよろしいか?」
それは確かに旦那さまのお声でしたが。
好青年らしいとても柔らかいお声で。
あまりに感動してしまった私は、しばらくの間、旦那さまをぽーっと見詰めていたのでした。
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