【完結】ねぇ、それ、誰の話?

春風由実

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112.解のないおわり

「ねぇ、それ、聞いてどうしたいの?」


 弟が分かるように口調から苛立ちを示しているのに。
 オスニエルは淡々と言った。


「もし本当に私のせいで怪我をしたというなら、治療費を出す気で聞いた」


 ──治療費?……あぁ、あいつもこれは要らないと言いそうだね。


 意図せぬ形で次兄の気持ちを察して、アシェルは自分からは決して治療費については言わないでおこうと決める。
 そもそも次兄に会う気もないが。

 怪我をさせた人間が治療費を払うと言う。それ自体は間違っていないけれど。
 謝罪なく、治療費さえ払えばいいんだろう?それで終わりでいいな?という心が透けて見えると、有難くもないことをアシェルは学んだ。

 ただアシェルはオスニエルとは違う。
 次兄ダニエルに対し、不意打ちはごめんねと謝ることに抵抗感はなかった。


「要りませんよ。ウォーラー侯爵家のご厚意で、ウォーラー侯爵領に移ってからも定期的に診て貰っていましたから」


「定期的に医者に掛かりながら、まさか今日のために治さず放っておいたのか?」


「はぁ?そんなわけがないでしょう?」


 ──どういう思考で、今日のためだったと思い付くんだ?こいつ……もう投げ飛ばすか?


 このとき抱いた不穏な考えを、隣でソフィアも抱いていたことは、アシェルは後で聞くことになる。


「ならば何故医者に治して貰わなかった?」


「治せなかっただけです。もう治療には遅く、どうにもならないと」


「治せないのに、医者に診て貰っていたというのはおかしい話だ。噂にあったようにウォーラー侯爵領に移ってからも怪我をして、それで悪くなったのではないか?」


 ──それは言い出すと思っていたけれどね。


「治療の記録は残っていますよ。王家認可の医者ではありませんが、ウォーラー侯爵家を疑いますか?」


「まさか。侯爵家を疑おうというのではない。ただ診察を受け続けたことを疑問に思っただけだ」


「治せないけれど、成長過程で不具合が出るかもしれないということで、身体の成長が止まるまでは確認していただきました。他の傷も含め、全身ですね」


「不具合が出たのか?」


「いいえ、おかげさまで無事に成長出来ましたので、診察ももう必要ないということです。あとは──今は平気でも急に痛みが出るようなこともあるから、大丈夫だからと酷使せず、気を付けるよう言われています。そのときにはまた診ていただくこともあるかもしれませんね」


「後から痛むこともあるのか……」


 この言葉を最後にして、オスニエルはようやく黙った。


 ──その見せ付けるような悲愴感は何?


 俯いて黙るオスニエルは、可哀想な人間を演じているようにも見えて。
 アシェルはいい気分がしなかった。

 されどその姿を見たことで、理解出来ないこの長兄とはもう会う日は来ないだろうという確信を、アシェルは強める。

 だからもう一度だけ尋ねたのだ。


「俺を嫌っている自覚はなかったとして。昔のあなたは何がしたかったんです?それも分かりませんか?」


 項垂れていたオスニエルの顔がゆっくりと上がる。


「何が……?」


「早いうちに家庭教師を取り上げて、俺の部屋に本があると分かれば没収し、本を読んでいたら暴力でこれを止める。おかげで知ること、学ぶことには貪欲になれましたから、そういう意味では感謝していますけれど」


 幼い頃に得られなかったものだから、アシェルは自分が知欲に飽くことがないのだと捉えている。
 それが今、ソフィアの側で役に立っているのなら、やはり今さら恨み言はなかった。

 アシェルがただただ避けたいことは、分からない事象を残すこと。
 これも知欲というものだろう。

 オスニエルが何故そうしたか、解への糸口だけでも見付けておわりにしたいアシェルである。
 得たところで長兄を理解する日が来ることはないにしても──。


「家庭教師……?あれは三男のお前には必要ないと判断し、やめさせた」


「貴族家の三男は、読み書きが出来ればそれでいいとでも?将来は家を出るにしても、当主が俺を貴族家に婿入りさせようとしていたんだから、ある程度の教養は必要でしたよね?当時の俺はマナーも学べていなかったんですよ?それなのにイーガン子爵には、貴族の集まる場へと連れ回されて大変だった。あなたは家のためがどうとか言っていましたけれど、子どもでも無礼をしたら家の恥になるとは思わなかった?」


「私はただお前のために……。三男のお前には無理はさせまいと」


「俺のため?暴力を振ってまで本を奪うことの、どこがどう俺のためだったって?」


「……お前には」


 オスニエルの声が急に落ちた。


「お前には分からぬよ。お前には私の苦労など分からぬから……。こんな、こんなはずではなかったんだ。お前を傷付けるつもりもなかった。私はただお前たちも領民も守ろうとして……」


 片膝を付いていたオスニエルの姿勢が変わった。
 両膝と両手を床につき、項垂れて、もう言葉も出て来ない

 結局アシェルは、長兄オスニエルを理解出来ないまま、短い付き合いを終えることになる。





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