国を奪われた少女は、遠い海の向こうでエリート役人に捕まって溺愛される

春風由実

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♦一度目

42.高貴な残り香

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 それから王子は、シーラの奏でる音楽をたっぷりと堪能し、夜も更けた頃、上機嫌でレンスター邸宅から去っていった。

「王子って面白い人だね」

「あなたも凄い人ですね」

 シーラが突然はっとしたかと思えば、青ざめた顔でイルハを見上げる。

「もしかして、イルハが叱られちゃうの?」

「大丈夫ですよ。あの方はそういうことをしませんから」

 泣き出しそうに見えたシーラの顔が、見る間に笑顔に変わった。

 今度はイルハがはっと気付く。
 伸ばし掛けた手がシーラの頭に向かっていたのだ。
 慌てたイルハは、その手を引いて最初からそのつもりであったように反対側の二の腕に添えることにした。

 不自然ではなく体勢が仕上がっていたので、シーラは何も気付かず、またひとつ尋ねる。
 それでほっと安堵したのは、イルハだ。


「イルハは、王子付きなの?」

「かつてはそのようなときもありました」

「かつて?外されちゃった?」

「そうではありませんよ」

 もう手は伸びなかったが、シーラを安心させようという想いは変わらず、イルハは穏やかに微笑んだ。

「幼いときの話です。今は仕事がありますからね」

「仕事のために、王子の付き人を辞めてしまったの?」

「辞意を申し出たのではありませんよ。元からそういう予定だったのです。それに今も仕事においては関わりがありますからね。立場上の関係は、かつてとあまり変わりません」

「仕事でも関わっているんだ?」

「あの方は、私のいる法務省を含む、複数の省を管理するお立場にあるのですよ」

「へぇ。王子も仕事をするんだね」

「王になるための、準備のようなものなのでしょう。国がいかにして成り立つかを知らねば、国をまとめることは難しいですからね」

「じゃあ王子って、イルハの上司?」

「仕事においては、そうなりますね」

「上司がいい人で良かったね、イルハ」

「なんとも返答がしにくいですねぇ」

「いい人じゃないの?」

「もっと返答出来なくなりました」

 シーラはとても楽しそうに笑った。「やっぱりイルハって面白いや」と言って。
 それでイルハも気が付いたら歯を見せて笑っていた。それはとてもとても珍しいことであったが、当然シーラは知る由もない。


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