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♠二度目
6.怯える子ども
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祭りの最終日の朝だと言うのに、レンスター邸宅では早朝からの騒ぎがまだ続いている。
昨夜遅くまで祭りに興じた医者は、朝から呼び出さたことで不機嫌に眉を寄せたが、呼び出した相手がイルハだと聞くや、血相を変えてレンスター邸宅に飛んで来た。
何故王宮医が法務省の人間をこれほどに恐れるのかはさておき。
ちらほらと頭部に白髪が混じるようになったこの中年の医者は、成人を迎えた娘と共に祭りで酒を飲む、というささやかな願いを長年持ち続けてきた男で、ところが今年無事に成人した娘は、父親の誘いを拒否し、友人らと楽しむと言っては毎夜出掛けてしまった。
もはや最終日を目の前に絶望した医者は、昨夜はやけ酒気分で古くからの友人らと酒を煽った。
それでも翌日に仕事となれば、夜も更けた頃には家路に着いたが。
当然、体調は良くないので元から顔色は悪く、レンスター邸宅に着いたときには、どちらが病人か分からないような顔をして、逆にシーラから心配されるほどだった。
医者はあらゆる理由で顔面蒼白になりながらも、考える。
はて、この娘は何者か。
レンスター家の縁者であろうか。
医者はその答えをイルハを前にして聞けるはずもなく、さっそく診察をしようかとベッドに座るシーラに近付いたところである。
「やっぱり嫌!」
シーラが叫び、ベッドから飛び出すと、側に立っていたイルハの背中に隠れてしまった。
「シーラ、大丈夫ですよ」
「嫌だよぉ、もう帰って貰って!」
すでに泣いているのではないかと疑えた揺れる声にイルハは慌てたが、それ以上に慌てたのは医者の方だ。
何者かは分からぬが、イルハが自ら医者を呼び、世話を焼く娘には違いない。
強面の自覚はないし、どちらかと言えば温厚そうだと言われてきた顔に、医者は笑顔を張り付けた。
ところが目当ての娘はそれを見ない。
リタとオルヴェが顔を見合わせたあとに、先にリタが口を開いた。
「シーラちゃん、大丈夫よ。痛いことなんて何もないわ。ねぇ、お医者様?」
「そうだとも、シーラちゃん。このお医者様は、とても優しくシーラちゃんの状態を確認してくれるだけなのだよ。そうですな、お医者様?」
老夫妻からぎらぎらしとた強い瞳で見詰められ、医者は笑顔を張り付けたまま、「あぁ、そうだとも」と言って首を大きく縦に振るのだった。
イルハならまだしも、レンスター家の使用人からも圧を掛けられるとは。自分は医者なのに。
と、少々拗ねたくもなったが、もっと強い視線の圧を近くから感じていれば。
医者の頭は、この場を無難に切り抜けなければという使命感でいっぱいである。
何かあれば、ささやかな夢さえもう見られない。夢が見られるだけで自分はとても幸せだったのだ。まだまだ私は妻と子を支えて……と斯様に思考が飛躍していったのは、まだ酒が残っていたのではあるまいか。
「お嬢ちゃん、痛いことなんて私はしないさ。安心して出てくるといい」
「……それは本当?」
そっと背中から覗いたシーラの顔は赤く、医者は嘘くさいほどに笑みを深めると、「お嬢ちゃんはお熱があるようだねぇ。どれ、少し脈を測らせてくれないかな?」と優しく聞いた。
シーラはじっと医者の人格を見定めるように見詰めたあとに、そっと呟く。
「みゃく?」
「心臓の動きが正常かどうか、確認するんだよ」
「それは痛くないの?」
一歩前に出た医者を恐れて、しゅっとイルハの背に隠れたシーラを見て、医者は出した足を引き戻すのだった。
それよりイルハに睨まれて怯み逃げたと言った方が正しいかもしれない。
昨夜遅くまで祭りに興じた医者は、朝から呼び出さたことで不機嫌に眉を寄せたが、呼び出した相手がイルハだと聞くや、血相を変えてレンスター邸宅に飛んで来た。
何故王宮医が法務省の人間をこれほどに恐れるのかはさておき。
ちらほらと頭部に白髪が混じるようになったこの中年の医者は、成人を迎えた娘と共に祭りで酒を飲む、というささやかな願いを長年持ち続けてきた男で、ところが今年無事に成人した娘は、父親の誘いを拒否し、友人らと楽しむと言っては毎夜出掛けてしまった。
もはや最終日を目の前に絶望した医者は、昨夜はやけ酒気分で古くからの友人らと酒を煽った。
それでも翌日に仕事となれば、夜も更けた頃には家路に着いたが。
当然、体調は良くないので元から顔色は悪く、レンスター邸宅に着いたときには、どちらが病人か分からないような顔をして、逆にシーラから心配されるほどだった。
医者はあらゆる理由で顔面蒼白になりながらも、考える。
はて、この娘は何者か。
レンスター家の縁者であろうか。
医者はその答えをイルハを前にして聞けるはずもなく、さっそく診察をしようかとベッドに座るシーラに近付いたところである。
「やっぱり嫌!」
シーラが叫び、ベッドから飛び出すと、側に立っていたイルハの背中に隠れてしまった。
「シーラ、大丈夫ですよ」
「嫌だよぉ、もう帰って貰って!」
すでに泣いているのではないかと疑えた揺れる声にイルハは慌てたが、それ以上に慌てたのは医者の方だ。
何者かは分からぬが、イルハが自ら医者を呼び、世話を焼く娘には違いない。
強面の自覚はないし、どちらかと言えば温厚そうだと言われてきた顔に、医者は笑顔を張り付けた。
ところが目当ての娘はそれを見ない。
リタとオルヴェが顔を見合わせたあとに、先にリタが口を開いた。
「シーラちゃん、大丈夫よ。痛いことなんて何もないわ。ねぇ、お医者様?」
「そうだとも、シーラちゃん。このお医者様は、とても優しくシーラちゃんの状態を確認してくれるだけなのだよ。そうですな、お医者様?」
老夫妻からぎらぎらしとた強い瞳で見詰められ、医者は笑顔を張り付けたまま、「あぁ、そうだとも」と言って首を大きく縦に振るのだった。
イルハならまだしも、レンスター家の使用人からも圧を掛けられるとは。自分は医者なのに。
と、少々拗ねたくもなったが、もっと強い視線の圧を近くから感じていれば。
医者の頭は、この場を無難に切り抜けなければという使命感でいっぱいである。
何かあれば、ささやかな夢さえもう見られない。夢が見られるだけで自分はとても幸せだったのだ。まだまだ私は妻と子を支えて……と斯様に思考が飛躍していったのは、まだ酒が残っていたのではあるまいか。
「お嬢ちゃん、痛いことなんて私はしないさ。安心して出てくるといい」
「……それは本当?」
そっと背中から覗いたシーラの顔は赤く、医者は嘘くさいほどに笑みを深めると、「お嬢ちゃんはお熱があるようだねぇ。どれ、少し脈を測らせてくれないかな?」と優しく聞いた。
シーラはじっと医者の人格を見定めるように見詰めたあとに、そっと呟く。
「みゃく?」
「心臓の動きが正常かどうか、確認するんだよ」
「それは痛くないの?」
一歩前に出た医者を恐れて、しゅっとイルハの背に隠れたシーラを見て、医者は出した足を引き戻すのだった。
それよりイルハに睨まれて怯み逃げたと言った方が正しいかもしれない。
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