国を奪われた少女は、遠い海の向こうでエリート役人に捕まって溺愛される

春風由実

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♦海にあるもの

9.いつまでも無理なこと

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「イルハのことか?」

 先に問われたシーラは頷いたのち、王子に聞いた。

「うん。今日はそんなに忙しい日なの?」

 何かの理由を付けて、頻繁に王子の執務室に現れていた男が、今日は珍しいことに朝から一度しか顔を見せていなかった。
 以前の働き方を考えれば、それは別に不自然なことではないが、今となれば珍しいことである。

 しかし聞かれたところで、王子は何も知らなかった。
 臣下の仕事内容を仔細まで知っているわけがないからだ。

「さて、どうだかな。何か大きな問題が起きていりゃあ、すぐに俺の元にも上がってくるが。そうでないからには、些末なことなんだろうよ。お前と一緒に帰るために、今は頑張っているんじゃねぇか?」

「そうなんだ。一緒に帰れないほどに忙しくなることもある?」

 前は夜中まで働いていたんだぜ。
 酷いときには数日泊まって帰らなかった。

 言おうか迷った王子だが、伝えないことを選んだ。
 こういう情報は、ここぞというところで使う男だろうと思ったから。

「そのうちあるかもしれねぇなぁ。まぁ、あいつのことだから、そうならないようにどうにかするんだろうよ。だから心配するな」

「うん……」

 明らかに声には覇気がないし、顔にも悲しいと書いてある。
 王子は小さく笑いながら、子どもをあやすように問い掛けた。

「あいつがいねぇと寂しいか?」

 シーラがこくりと頷いたことには、王子も少しは驚いて、それで試したくなってしまう。

「ほぅ。あいつがいねぇだけでそんなに寂しいか」

 王子はもう少し踏み込んで聞き出そうとしていたが、そこで邪魔が入った。

「シーラには俺がいるよ?」

 テンがさらりと言えば、途端シーラは優しい顔付きに代わって、テンの赤毛を撫で回すのだ。

「んもう。テンは可愛いなぁ」

「……俺がいたら寂しくない?」

「テンはテンで、イルハはイルハなんだよ」

「俺がいても寂しいってこと?」

「違うってば!テンがいたら私は嬉しい!」

 隠し切れなかった笑みはふよふよと柔らかく、テンの頬を緩ませた。

 テンはどうも喜びや嬉しさを表に出すことは恥じだと考えているきらいがあって、素直な笑顔を見せたがらない。
 だけれども、まだ幼いせいもあってか、こうしてシーラといればよく笑みは零れているし、美味しいものを食べたときだってその顔は綻んでいた。

 そして今も、「俺がいると嬉しいんだ……」なんて呟きながら、唇をぎゅっと閉じてみたところで、緩んだ頬が隠し切れない嬉しさを表現している。
 シーラに頭を撫でられることだって、いつも見ていれば、少年はそれが大好きなのだと周囲にも伝わった。

 
 そんな二人のじゃれ合いを目を細めて眺めながら、王子は聞いた。

「そんなんじゃあ、お前はもう海に出て行けねぇな」

 テンの機嫌を損ねないようイルハの名は出さずして、怪我をさせたと猛省しながらまだ懲りない王子が聞いてみれば。
 シーラは急いで首を振るのだった。

「無理せずここに居座っちまえばいいぜ。俺がお前をタークォンの民として認めてやろう。テンも一緒にな」

そんなこと出来ないよ」

 強調した声は、暗にテンはそれでもいいと言っているようである。

「出来ないか……。だが寂しいんだろうよ。海に出たら、一緒にはいられねぇんだぜ?」

 もう一歩だけ、王子は踏み込む。
 イルハがここにいたら、そうする前に止めていただろうに。

「それは分かっているよ。だからここにいられる間は、出来るだけ一緒にいたいなぁと思うんだ」

 そんな切ない顔で見てくれるなよ。伝染するから。
 王子は強く願った。

 そして同時に、こんな顔は早く辞めさせてやれ、と臣下にも願う。


 目の前では、シーラの隣に座るテンが満足そうに頷くと、「俺がいるからね」とまた言っていた。



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