【完結】彼女が心を取り戻すまで~十年監禁されて心を止めた少女の成長記録~

春風由実

文字の大きさ
11 / 186

11.公爵の試練の一日

しおりを挟む
 今にも雨が降りそうな重たい曇空で、清々しい朝とは言えなかったこの日。

 いつものように手づから朝食の世話をしていたアルメスタ公爵。
 そして口をパクパク開けて鳥の雛のようにこれを受け入れていたセイディ。

 それはいつもの朝の光景だった。
 その後、アルメスタ公爵がプリンに乗ったクリームよりも蕩けた瞳でセイディにプリンを食べさせていたのもいつものこと。

 あっという間に空になった皿をじっと見詰めていたセイディ。
 すぐに顔を上げて……見た相手がいつもと違った。

 いつもならここでアルメスタ公爵は侍女長に声を掛けている。
 ところがセイディは侍女長を見て、こう言った。

「じじょちょ、ぷりん、もうひとつ」

 はじめてのお代わりも奪われたアルメスタ公爵であったが、問題はそこではない。
 セイディがはじめて人を呼んだのだ。

「よく言えましたね、セイディさま。お代わりでございますね。すぐにお持ちいたします」

 侍女長が嬉しそうな笑顔でセイディに答えている間、アルメスタ公爵はあまりのショックに放心していた。



 それからしばらくののち。


 小雨が降ってきたため、食後の運動と称して、アルメスタ公爵はセイディを連れて屋敷内を散策していた。
 対外的には権威を示すために大きな屋敷が必要であっても、住む人間にとっては無駄に広いだけの公爵邸にこのような使い道があるとは。何がどう転じて役に立つか分からないものだと、アルメスタ公爵は今朝のショックを引き摺らないよう、関係ないことを懸命に考えていた。

 繋いだ手の温かさは、アルメスタ公爵の心を確実に癒している。
 同じくセイディの心も癒えていたならば、と願いながら、二人は書庫に入った。

 セイディには並ぶ背の高い本棚を仕切りとした迷路のようで、この場所は楽しいようだ。
 アルメスタ公爵はそれを分かって、棚の間をぐるぐると周り、「ここはどこかな?迷ってしまったようだ」なんて言いながらセイディを喜ばす。

 今のセイディは未知なるものすべてを楽しめるくらいに心に動きが出始めていた。

 そしてそれは、二人が足を止めて、次は右に行くか左に行くか真直ぐ進むかセイディの判断に委ねようというときだった。

「とっと」

 急にセイディがその名を呼んだのだ。
 アルメスタ公爵はあまりの驚きに固まっている間に、トットが側に現われて、セイディに声を掛けていた。

「お呼びですか、セイディさま」

「とっと」

「えぇ、トットですよ、セイディさま。あなたのトットは、いつでもどこでもお呼びくだされば、馳せ参じます。馳せ参じるというのは、こうしてすぐにセイディさまのところに現れますからね~ということです」

 固まるアルメスタ公爵を視線の端に捉えながら、トットは腰を折ってセイディに笑い掛けた。

「凄いですね、セイディさま。トットは名前をお呼びいただけて嬉しく思います。これからも沢山呼んでくださいね。ただいまのお呼び出しに、何か御用はあったでしょうか?もしかして迷っていらっしゃる?ではトットが出口までご案内しましょう」

 ペラペラ語り、セイディの頭上にさっと伸ばしたトットの手は、アルメスタ公爵の手で遮られた。
 しばし無言で睨み合っていたが、アルメスタ公爵はそれどころではなかったことを思い出す。

「セイディ、私のこともいくらでも呼んでくれていいのだよ?私も呼ばれたいなぁ。あぁ、名前を呼ばれてみたい」

 愚かなアルメスタ公爵はこのとき大事なことを忘れていた。
 今まで一度も、自分の名を告げていなかったことを。
 かつてを自分は知っていたこともあって、再会してから自己紹介というものをしていなかった。

 必死なアルメスタ公爵をセイディが励まそうとしたかは定かではない。
 ただの人を呼ぶブームが来ていただけかもしれない。

「あるじさま、ろうか、いっしょはしる」

「なっ……」

 アルメスタ公爵は喜ぶ前に、絶望してしまった。
 はじめてが全部奪われて……そしてついに出てきた呼び名は、自分の名ではなかったから。

 せっかくきらきらと輝いていたセイディの瞳が陰り、アルメスタ公爵は焦った。

「違う。違うんだ、セイディ。呼んでくれて嬉しいよ、ありがとう。もっと呼んでくれるね?」

「あるじさま」

「うん、あるじさまだ。だけどね、うん、よし。私の名前を教えよう。今から覚えてくれると嬉しい」

 そうして必死に名前を伝え続けたのに、アルメスタ公爵はセイディが眠りにつくそのときまで名を呼んで貰うことが出来なかった。
 はじめて聞く言葉を覚えるまでまだセイディには時間が必要なのかもしれない。

 というのも、最近医者がセイディの心の状態に関する見解を語っている。



しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

番が見つけられなかったので諦めて婚約したら、番を見つけてしまった。←今ここ。

三谷朱花
恋愛
息が止まる。 フィオーレがその表現を理解したのは、今日が初めてだった。

番認定された王女は愛さない

青葉めいこ
恋愛
世界最強の帝国の統治者、竜帝は、よりによって爬虫類が生理的に駄目な弱小国の王女リーヴァを番認定し求婚してきた。 人間であるリーヴァには番という概念がなく相愛の婚約者シグルズもいる。何より、本性が爬虫類もどきの竜帝を絶対に愛せない。 けれど、リーヴァの本心を無視して竜帝との結婚を決められてしまう。 竜帝と結婚するくらいなら死を選ぼうとするリーヴァにシグルスはある提案をしてきた。 番を否定する意図はありません。 小説家になろうにも投稿しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

幸せな番が微笑みながら願うこと

矢野りと
恋愛
偉大な竜王に待望の番が見つかったのは10年前のこと。 まだ幼かった番は王宮で真綿に包まれるように大切にされ、成人になる16歳の時に竜王と婚姻を結ぶことが決まっていた。幸せな未来は確定されていたはずだった…。 だが獣人の要素が薄い番の扱いを周りは間違えてしまう。…それは大切に想うがあまりのすれ違いだった。 竜王の番の心は少しづつ追いつめられ蝕まれていく。 ※設定はゆるいです。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

処理中です...