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夫は妻の本質に気付く
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アーネストはじわりと背中に嫌な汗を感じ、はじめて敵前逃亡をして、態勢を立て直したい気持ちになった。
しかし焦りの方が強く、それが彼をこの場で動かしたのだ。
この機を逃し失敗したら負け戦になると、アーネストは無意識のうちに悟っていた。
「待ってくれ、リーナ。俺はお前を嫌っていない」
「おきづかいくださらなくてけっこうですわ。もうわかっておりますもの。どうぞ、はっきりとおっしゃって」
「だから違うと言っている。俺はお前を──」
バタバタとはしたなく廊下を駆ける音がした。
侯爵家でこのような音を常日頃聞くことはない。
「旦那様!お医者様が到着しましたわ。ですがずぶ濡れでして──」
「…………着替えさせろ。それから、しばし待つように言え」
不機嫌な低い声に、飛び込んできた侍女は思わず固まり、執事長は「なんですと?」とうっかり聞き返してしまった。
先まであれほど急げと言っていたのはアーネストだ。
「恐れながら発言いたします。旦那様はご存知ではないかと思いますが、奥様はお辛いときにも周囲への配慮を優先されて、御自身の辛さを隠し無理をされる優しい御方です。その奥様がこのように隠すことも出来な──」
「いいから、待たせておけ!お前たちも俺が良しと言うまで入って来るな!」
震えながらも嫌味を籠めることを忘れず進言した侍女を宥め、執事長が侍女らを退出させると、部屋はやけに静かに感じられた。
轟轟と唸る雨音は変わっていないのに、それがかえって、閉ざされた空間にあることを教えてくれる。
誰も居なくなったことを確認してから、アーネストはリーナの手を取った。
「ひっく。だんなさま?」
ついにしゃくりあげるほど泣き始めたリーナは、間近に迫るアーネストの瞳を焦がれるようにしてじっと見詰めた。
熱に魘されているだけだと思うも、その熱い瞳にアーネストは余程決意しなければ、動くことが出来ない。
けれど、彼は腹に力を込めて気合いを入れた。
その気合いの入れようは、敵城を攻め入ったときよりも強く、これに後で気付いた彼が盛大に笑うほどに。
ごくり。
一度喉を鳴らしたあとに、アーネストは意を決して言ったのである。
「俺も同じように想っていた」
「だんなさま?」
「俺もこういう男だから、お前には好かれるはずがないと。初夜のときも泣いていただろう?」
「ないて……?ひっく。だれがですの?」
「覚えていないか。忘れたいほどに嫌なことだったのだな?」
今度はリーナが驚く番だ。
よく潤んだ瞳が丸くなると、アーネストは空いていた手を伸ばし、すっかり濡れてしまった頬へと添えて、涙を拭うように指で撫でていく。
「覚えていないのだろう?」
「あのときは、よゆうがありませんでしたもの」
「そういうことなのか?」
「わたくしがないたとしたら……ちがいますわ、だんなさま。わたくし、うれしくて。きっとうれしくて」
「……今、なんと?」
「もういいませんわ」
熱が出たところで、人間、そう変わるわけがない。
しかし焦りの方が強く、それが彼をこの場で動かしたのだ。
この機を逃し失敗したら負け戦になると、アーネストは無意識のうちに悟っていた。
「待ってくれ、リーナ。俺はお前を嫌っていない」
「おきづかいくださらなくてけっこうですわ。もうわかっておりますもの。どうぞ、はっきりとおっしゃって」
「だから違うと言っている。俺はお前を──」
バタバタとはしたなく廊下を駆ける音がした。
侯爵家でこのような音を常日頃聞くことはない。
「旦那様!お医者様が到着しましたわ。ですがずぶ濡れでして──」
「…………着替えさせろ。それから、しばし待つように言え」
不機嫌な低い声に、飛び込んできた侍女は思わず固まり、執事長は「なんですと?」とうっかり聞き返してしまった。
先まであれほど急げと言っていたのはアーネストだ。
「恐れながら発言いたします。旦那様はご存知ではないかと思いますが、奥様はお辛いときにも周囲への配慮を優先されて、御自身の辛さを隠し無理をされる優しい御方です。その奥様がこのように隠すことも出来な──」
「いいから、待たせておけ!お前たちも俺が良しと言うまで入って来るな!」
震えながらも嫌味を籠めることを忘れず進言した侍女を宥め、執事長が侍女らを退出させると、部屋はやけに静かに感じられた。
轟轟と唸る雨音は変わっていないのに、それがかえって、閉ざされた空間にあることを教えてくれる。
誰も居なくなったことを確認してから、アーネストはリーナの手を取った。
「ひっく。だんなさま?」
ついにしゃくりあげるほど泣き始めたリーナは、間近に迫るアーネストの瞳を焦がれるようにしてじっと見詰めた。
熱に魘されているだけだと思うも、その熱い瞳にアーネストは余程決意しなければ、動くことが出来ない。
けれど、彼は腹に力を込めて気合いを入れた。
その気合いの入れようは、敵城を攻め入ったときよりも強く、これに後で気付いた彼が盛大に笑うほどに。
ごくり。
一度喉を鳴らしたあとに、アーネストは意を決して言ったのである。
「俺も同じように想っていた」
「だんなさま?」
「俺もこういう男だから、お前には好かれるはずがないと。初夜のときも泣いていただろう?」
「ないて……?ひっく。だれがですの?」
「覚えていないか。忘れたいほどに嫌なことだったのだな?」
今度はリーナが驚く番だ。
よく潤んだ瞳が丸くなると、アーネストは空いていた手を伸ばし、すっかり濡れてしまった頬へと添えて、涙を拭うように指で撫でていく。
「覚えていないのだろう?」
「あのときは、よゆうがありませんでしたもの」
「そういうことなのか?」
「わたくしがないたとしたら……ちがいますわ、だんなさま。わたくし、うれしくて。きっとうれしくて」
「……今、なんと?」
「もういいませんわ」
熱が出たところで、人間、そう変わるわけがない。
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