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NANO
NANO-ラ・マルセイエーズ
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7:30、病室3-07。
薄暗い部屋に、まだ夜の気配が色濃く残っている。
外の光は古いブラインド越しに差し込むだけで、蛍光灯すら点けていない。
廊下の足音も遠い。
ベッドが並ぶその一角に、ロートルたちは寄り集まるようにして眠っていた。
掛け布団を頭までかぶったまま、サタヌスは寝息を立てて爆睡している。
ヴィヌスは枕元に鏡を立てて寝癖を手早く直していた。
ユピテルはシーツを肩に巻きつつ半目で天井を見つめている。
プルトだけは誰よりも早く目を覚まし、椅子に腰かけて背筋を伸ばしていた。
レイスはベッドの上で寝返りをうち、薄い笑みを浮かべている。
ノックの音。ドアの向こうから、朝には似合わないほど明るい声が響いた。
「おはよう~!」
フォウが顔を覗かせ、手を振りながら部屋に入ってくる。
頬はまだ眠たげな色をしているのに、声だけは妙に元気だ。
「闇病院のみんなが挨拶したいんだって、起きて!」
ベッドの上の空気が緩む。
ユピテルがぼそぼそと寝ぼけ声を上げた。
「ンンー…あぁ?もう朝かぁ」
ヴィヌスは鏡を持ったまま、苦笑しながら髪の乱れを直す。
「7:30てことは…8:00点呼ね?病院あるあるだわ…」
レイスがコートを羽織りながら肩をすくめる。
「やっぱり幸福庁スローガンとか読むのか?」
フォウは屈託のない笑顔を見せた。
「いや。院長さん変わり者だから」
「準備出来たら一階ロビーに来て!みんな待ってるよ~」
パタパタと足音を残し、フォウは廊下へ消えていく。
その後ろ姿が見えなくなってもしばらく、部屋には微妙な静けさが漂っていた。
この街で朝が来ること、それ自体がどこか非現実的だ。
だが、彼らはその現実に、すでに“慣れ”を感じていた。
サタヌスは布団から手だけ出し、枕元のチョコバーを手探りで引き寄せる。
ヴィヌスは何事もなかったように立ち上がり、さっと制服の裾を整えた。
ユピテルはぼんやりしたまま目を閉じて、再び布団の中へ潜り込もうとするが――
プルトが無言のまま一度だけ肩をすくめ、静かに立ち上がる。
ベッドの上でレイスだけが短く笑い、
「まあ、“点呼”なら朝食の前に済ませてくれるとありがたいな」と呟いた。
重い空気のはずが、不思議と心地よい温度。
この部屋の朝は、誰かの「おはよう」と共に始まる。
いつの間にか“当たり前”になっていた。
ロビーへと降りる階段は、まだ薄暗さを引きずっていた。
足元に無造作に置かれた段ボール箱や、夜勤明けの看護師が眠そうに配膳車を押している。
だが、その空気の下で、妙なざわめきが広がりはじめていた。
看護師たちがヒソヒソと話している。
「昨日のニンジャさんはどこ?」
別の看護師は電子カルテを確認しながら。
「AIにも勇気ある人間はいるんだなって…いや、あれ人間?」と眉をひそめる。
患者の親たちは、息子や娘を腕に抱きながら、あちこちでささやきあっている。
「うちのコ、ずっと心臓が悪くて…昨日、回収されそうになった子供って、きっとうちのコだわ」「本当に、ありがとうって伝えたいの」
「どこかしら?昨日助けてくれた黒い子…プルトさん?って子」
話題の中心は、闇病院を襲撃した幸福庁エージェントを一撃で沈めた“黒い影”だった。
AIの光学迷彩で姿を消していた回収兵。
その位置を「景色がぶれている」という一言で見抜き、迷いなく掌底で一閃。
誰もが息を呑んだ。
院内ではもう、「ニンジャ」のあだ名が定着していた。
それでも、当の本人――プルトは、その呼び名を断固として認めようとしない。
「私はアサシンであって、ニンジャではありません」
何度そう言っても、誰も聞いていない。
ロビーに降り立つと、小児科に入院している子供たちの親が一斉にこちらを振り返る。
目が合うと、すぐに何人もの親が駆け寄ってきた。
「ありがとうございました!」
「本当に…あなたのおかげで…」
「これからも、どうか気を付けて」
プルトは少し居心地悪そうに、無表情のまま小さく会釈した。
「…どういたしまして」
それだけを、静かに返す。
廊下の向こうから、サタヌスが頭をぽりぽりとかきながらぼやく。
「心臓病ってだけで最適化?おわってんなぁ、この街…」
レイスは煙草をくゆらせ、カウンターの影で小声で呟いた。
「幸福値が下がるって理由で消される――マジで地獄じゃん」
――昨夜の“黒い影”の存在は、朝になれば病院中の噂になっていた。
「昨日の…助けてくれた人、どこ?」
「あの人がいなければ、うちの子は“最適化”されていたかもしれない…」
プルトは静かに、群れをすり抜けていく。
ヒーローというにはあまりにも影が薄く、救世主というにはあまりにも静かだった。
だが、その背中には、「ありがとう」と。
「また助けてね」の声が、じんわりと降り積もっていくのだった。
----
ロビーに降りた瞬間、空気が変わった。
ざわめきが一拍、遅れて広がる。
視線が一点に集まり、ため息とも感嘆ともつかない声が漏れた。
病院の白衣とは明らかに違う、儀礼と虚飾のためだけに存在しているような白。
そこに立っていたのは、どう見ても「病院の院長」ではなかった。
金糸の刺繍が入った白のロングコート、フリルの立ったシャツ、青い薔薇のコサージュ。
胸元には宝石めいたブローチが揺れ、光の粒子が周囲に漂っているようにすら見える。
ヴィヌスが一拍遅れて、素で呟いた。
「え?……王子様?」
モブ看護師が小声で答える。
「自分をフランス王族の生まれ変わりだと主張してるの」
隣の薬剤師が、カルテを抱えたまま真顔で続けた。
「患者より院長のほうがCTスキャンを受けるべきでは……?」
当の本人は、そんな視線や囁きを一切気にしていない。
堂々と、誇らしげに、胸に手を当てて名乗りを上げる。
「おはよう諸君!!」
声はよく通り、妙に朗らかだった。
狂気とカリスマが、変な割合で混ざっている。
「今日も母マリーの首を落としたギロチンは輝いているぞ」
一瞬、ロビーが静まり返る。
次の瞬間、何事もなかったかのように院長は両手を広げた。
「さあ、今朝も自由と平等と友愛の歌を!」
フォウが一歩前に出て、胸の前で手をぎゅっと握る。
「ラ、ラ~……マルセイエーズ……今日こそ間違えずに歌う……!」
どこか不安げだが、逃げない。
その姿に、院内の空気がほんの少しだけ和らいだ。
クロノチームは、自然と固まってその様子を見ていた。
フォウは譜面を睨みつつ、緊張気味に小さく歌い始める。
「ラ、ラ~マルセイエーズ…今日こそ間違えずに歌う…!」
クロノチームは最初は戸惑いながらも、
「…やば、これクセになる…」と小声でつぶやき。
徐々にその革命的なメロディに巻き込まれていく。
サタヌスは歌詞カードを凝視しながらヴィヌスに尋ねる。
「なぁヴィ、これさ……なんて歌ってんの?」
ヴィヌスはオペラ風の声で、さらっと答える。
「そうね…民よ戦え!卑劣な暴君を殺せって歌よ」
サタヌス、引きつった顔。
「フランス、血の気多くないか?」と呟くが、どこか楽しげでもあった。
朝八時、闇病院名物「点呼=ラ・マルセイエーズ」の時間。
スピーカーから流れる爆音のフランス国歌に合わせ。
職員も患者も勇者たちも、揃いも揃って大合唱だ。
ユピテルは肩でリズムを取りながら、いつもの脱力した口調で先導する。
ヴィヌスは背筋を伸ばし、右手を胸に当て。
まるで舞台のソプラノ歌手のように気高く声を響かせる。
サタヌスは笑いながら片腕を掲げ、腹筋丸出しでノリノリに歌っている。
プルトは口元こそ無表情だが、歌詞を一語一句、まるで呪文のように丁寧に紡いでいた。
そしてレイスは煙草を咥えたまま、やや投げやり気味に。
しかし妙に音程の正確な声で最後尾から参加している。
彼らの背後には、看護師や医師たち、幼い患者たちが続き、誰もが本気で歌っていた。
これが日課だという事実に、ナノシティのディストピア性が色濃く浮かび上がる。
上層では“反社会的危険曲”として完全に禁じられた歌。
だがここでは、歌うことが“日常”として受け入れられている。
笑顔で革命を讃える朝。それが、ここ闇病院の「普通」なのだった。
ラ・マルセイエーズ(和訳)
行け!我が祖国の子供達よ。
輝く日が来た。
暴君が我らに血の旗を掲げた。
聞こえるか?戦場の残忍な敵の吠えたける声を!
私達の妻子の喉を切り裂く!
市民よ、武器を取れ! 隊になれ!
進め!進め!我らの畑が――血で染まりきるまで!!
血の気多いにもほどがあるが、それが“当たり前”の朝の始まり。
この歌を、誰より真剣な顔で指揮しているのは――もちろんルイ院長である。
指揮棒は本日も点滴スタンドで代用、白いスーツに青バラを飾り、彼は今日も高らかに宣言する。
「さあ諸君!母マリーの勇気に倣い、我らも血と誇りの一日を始めようではないか!」
誰もツッコまない。誰も止めない。
それがここ、闇病院。ナノシティの“自由と友愛と地雷だらけの朝”だった。
スピーカーからラ・マルセイエーズのラストコーラスが鳴り響き。
拍手ともため息ともつかないざわめきがロビーに満ちる頃。
壇上では院長ルイが、これ見よがしにカトラリーで作った。
即席の“王杖”を高々と掲げ、堂々たるドヤ顔で立っていた。
「本日も革命の気概を持って!」
「私は断頭台を見た記憶が――そう、ルイ十七世の生まれ変わりであるからして……」
「今日もマリー・アントワネットの勇気を胸に、みなさん自由の一歩を…!」
その宣言に、ホールの隅で看護師たちがこそこそ囁き合う。
「また始まった…」
「昨日も“王家の血統”の話で1時間潰れたし…」
「マリー・アントワネットがどうしたって?」
栄養士のミカは配膳ワゴンを押しながら半目でボヤく。
「おかわりループきたよ……うちは今日も厨房からの参加でいいかな」
その緩い空気のなか、サタヌスが素で疑問を口にする。
「なあ、17世ってどんな奴?有名なん?」
「ルイ王ってあれか?太陽の?」
プルトが一歩前に出て、淡々と返す。
「それは十四世です。院長が言ってるのは十七世」
サタヌスはさらに首をひねる。
「十七世ってどんな風に死んだん?」
プルトの口元に、わずかに皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「……いいでしょう」
「ルイ十七世――王族なのに、牢屋で栄養失調と病気で、髪も爪も伸び放題」
「最期は“革命の象徴”として誰にも看取られず、孤独な少年のまま……」
サタヌスは固まる。無邪気な疑問は、“地獄の入り口”で凍りつく。
ユピテルは肩を揺らし、呆れ顔で嘲笑する。
「フランスってのは優雅な顔してる癖に、中身は血みどろだなァ」
ヴィヌスは軽く肩をすくめ、どこか誇らしげに――
「自由と平等の国は、昔からディープすぎるのよ」
「でも、ここの点呼の自由さはわりと好き」
壇上のルイ院長は満足げに“断頭台も悪くない”と詩を詠み。
スタッフも患者も「はいはい革命革命」と日常へと戻っていく。
闇病院の朝は、今日も“革命”と“慣れ合い”の絶妙なバランスで回っていくのだった。
薄暗い部屋に、まだ夜の気配が色濃く残っている。
外の光は古いブラインド越しに差し込むだけで、蛍光灯すら点けていない。
廊下の足音も遠い。
ベッドが並ぶその一角に、ロートルたちは寄り集まるようにして眠っていた。
掛け布団を頭までかぶったまま、サタヌスは寝息を立てて爆睡している。
ヴィヌスは枕元に鏡を立てて寝癖を手早く直していた。
ユピテルはシーツを肩に巻きつつ半目で天井を見つめている。
プルトだけは誰よりも早く目を覚まし、椅子に腰かけて背筋を伸ばしていた。
レイスはベッドの上で寝返りをうち、薄い笑みを浮かべている。
ノックの音。ドアの向こうから、朝には似合わないほど明るい声が響いた。
「おはよう~!」
フォウが顔を覗かせ、手を振りながら部屋に入ってくる。
頬はまだ眠たげな色をしているのに、声だけは妙に元気だ。
「闇病院のみんなが挨拶したいんだって、起きて!」
ベッドの上の空気が緩む。
ユピテルがぼそぼそと寝ぼけ声を上げた。
「ンンー…あぁ?もう朝かぁ」
ヴィヌスは鏡を持ったまま、苦笑しながら髪の乱れを直す。
「7:30てことは…8:00点呼ね?病院あるあるだわ…」
レイスがコートを羽織りながら肩をすくめる。
「やっぱり幸福庁スローガンとか読むのか?」
フォウは屈託のない笑顔を見せた。
「いや。院長さん変わり者だから」
「準備出来たら一階ロビーに来て!みんな待ってるよ~」
パタパタと足音を残し、フォウは廊下へ消えていく。
その後ろ姿が見えなくなってもしばらく、部屋には微妙な静けさが漂っていた。
この街で朝が来ること、それ自体がどこか非現実的だ。
だが、彼らはその現実に、すでに“慣れ”を感じていた。
サタヌスは布団から手だけ出し、枕元のチョコバーを手探りで引き寄せる。
ヴィヌスは何事もなかったように立ち上がり、さっと制服の裾を整えた。
ユピテルはぼんやりしたまま目を閉じて、再び布団の中へ潜り込もうとするが――
プルトが無言のまま一度だけ肩をすくめ、静かに立ち上がる。
ベッドの上でレイスだけが短く笑い、
「まあ、“点呼”なら朝食の前に済ませてくれるとありがたいな」と呟いた。
重い空気のはずが、不思議と心地よい温度。
この部屋の朝は、誰かの「おはよう」と共に始まる。
いつの間にか“当たり前”になっていた。
ロビーへと降りる階段は、まだ薄暗さを引きずっていた。
足元に無造作に置かれた段ボール箱や、夜勤明けの看護師が眠そうに配膳車を押している。
だが、その空気の下で、妙なざわめきが広がりはじめていた。
看護師たちがヒソヒソと話している。
「昨日のニンジャさんはどこ?」
別の看護師は電子カルテを確認しながら。
「AIにも勇気ある人間はいるんだなって…いや、あれ人間?」と眉をひそめる。
患者の親たちは、息子や娘を腕に抱きながら、あちこちでささやきあっている。
「うちのコ、ずっと心臓が悪くて…昨日、回収されそうになった子供って、きっとうちのコだわ」「本当に、ありがとうって伝えたいの」
「どこかしら?昨日助けてくれた黒い子…プルトさん?って子」
話題の中心は、闇病院を襲撃した幸福庁エージェントを一撃で沈めた“黒い影”だった。
AIの光学迷彩で姿を消していた回収兵。
その位置を「景色がぶれている」という一言で見抜き、迷いなく掌底で一閃。
誰もが息を呑んだ。
院内ではもう、「ニンジャ」のあだ名が定着していた。
それでも、当の本人――プルトは、その呼び名を断固として認めようとしない。
「私はアサシンであって、ニンジャではありません」
何度そう言っても、誰も聞いていない。
ロビーに降り立つと、小児科に入院している子供たちの親が一斉にこちらを振り返る。
目が合うと、すぐに何人もの親が駆け寄ってきた。
「ありがとうございました!」
「本当に…あなたのおかげで…」
「これからも、どうか気を付けて」
プルトは少し居心地悪そうに、無表情のまま小さく会釈した。
「…どういたしまして」
それだけを、静かに返す。
廊下の向こうから、サタヌスが頭をぽりぽりとかきながらぼやく。
「心臓病ってだけで最適化?おわってんなぁ、この街…」
レイスは煙草をくゆらせ、カウンターの影で小声で呟いた。
「幸福値が下がるって理由で消される――マジで地獄じゃん」
――昨夜の“黒い影”の存在は、朝になれば病院中の噂になっていた。
「昨日の…助けてくれた人、どこ?」
「あの人がいなければ、うちの子は“最適化”されていたかもしれない…」
プルトは静かに、群れをすり抜けていく。
ヒーローというにはあまりにも影が薄く、救世主というにはあまりにも静かだった。
だが、その背中には、「ありがとう」と。
「また助けてね」の声が、じんわりと降り積もっていくのだった。
----
ロビーに降りた瞬間、空気が変わった。
ざわめきが一拍、遅れて広がる。
視線が一点に集まり、ため息とも感嘆ともつかない声が漏れた。
病院の白衣とは明らかに違う、儀礼と虚飾のためだけに存在しているような白。
そこに立っていたのは、どう見ても「病院の院長」ではなかった。
金糸の刺繍が入った白のロングコート、フリルの立ったシャツ、青い薔薇のコサージュ。
胸元には宝石めいたブローチが揺れ、光の粒子が周囲に漂っているようにすら見える。
ヴィヌスが一拍遅れて、素で呟いた。
「え?……王子様?」
モブ看護師が小声で答える。
「自分をフランス王族の生まれ変わりだと主張してるの」
隣の薬剤師が、カルテを抱えたまま真顔で続けた。
「患者より院長のほうがCTスキャンを受けるべきでは……?」
当の本人は、そんな視線や囁きを一切気にしていない。
堂々と、誇らしげに、胸に手を当てて名乗りを上げる。
「おはよう諸君!!」
声はよく通り、妙に朗らかだった。
狂気とカリスマが、変な割合で混ざっている。
「今日も母マリーの首を落としたギロチンは輝いているぞ」
一瞬、ロビーが静まり返る。
次の瞬間、何事もなかったかのように院長は両手を広げた。
「さあ、今朝も自由と平等と友愛の歌を!」
フォウが一歩前に出て、胸の前で手をぎゅっと握る。
「ラ、ラ~……マルセイエーズ……今日こそ間違えずに歌う……!」
どこか不安げだが、逃げない。
その姿に、院内の空気がほんの少しだけ和らいだ。
クロノチームは、自然と固まってその様子を見ていた。
フォウは譜面を睨みつつ、緊張気味に小さく歌い始める。
「ラ、ラ~マルセイエーズ…今日こそ間違えずに歌う…!」
クロノチームは最初は戸惑いながらも、
「…やば、これクセになる…」と小声でつぶやき。
徐々にその革命的なメロディに巻き込まれていく。
サタヌスは歌詞カードを凝視しながらヴィヌスに尋ねる。
「なぁヴィ、これさ……なんて歌ってんの?」
ヴィヌスはオペラ風の声で、さらっと答える。
「そうね…民よ戦え!卑劣な暴君を殺せって歌よ」
サタヌス、引きつった顔。
「フランス、血の気多くないか?」と呟くが、どこか楽しげでもあった。
朝八時、闇病院名物「点呼=ラ・マルセイエーズ」の時間。
スピーカーから流れる爆音のフランス国歌に合わせ。
職員も患者も勇者たちも、揃いも揃って大合唱だ。
ユピテルは肩でリズムを取りながら、いつもの脱力した口調で先導する。
ヴィヌスは背筋を伸ばし、右手を胸に当て。
まるで舞台のソプラノ歌手のように気高く声を響かせる。
サタヌスは笑いながら片腕を掲げ、腹筋丸出しでノリノリに歌っている。
プルトは口元こそ無表情だが、歌詞を一語一句、まるで呪文のように丁寧に紡いでいた。
そしてレイスは煙草を咥えたまま、やや投げやり気味に。
しかし妙に音程の正確な声で最後尾から参加している。
彼らの背後には、看護師や医師たち、幼い患者たちが続き、誰もが本気で歌っていた。
これが日課だという事実に、ナノシティのディストピア性が色濃く浮かび上がる。
上層では“反社会的危険曲”として完全に禁じられた歌。
だがここでは、歌うことが“日常”として受け入れられている。
笑顔で革命を讃える朝。それが、ここ闇病院の「普通」なのだった。
ラ・マルセイエーズ(和訳)
行け!我が祖国の子供達よ。
輝く日が来た。
暴君が我らに血の旗を掲げた。
聞こえるか?戦場の残忍な敵の吠えたける声を!
私達の妻子の喉を切り裂く!
市民よ、武器を取れ! 隊になれ!
進め!進め!我らの畑が――血で染まりきるまで!!
血の気多いにもほどがあるが、それが“当たり前”の朝の始まり。
この歌を、誰より真剣な顔で指揮しているのは――もちろんルイ院長である。
指揮棒は本日も点滴スタンドで代用、白いスーツに青バラを飾り、彼は今日も高らかに宣言する。
「さあ諸君!母マリーの勇気に倣い、我らも血と誇りの一日を始めようではないか!」
誰もツッコまない。誰も止めない。
それがここ、闇病院。ナノシティの“自由と友愛と地雷だらけの朝”だった。
スピーカーからラ・マルセイエーズのラストコーラスが鳴り響き。
拍手ともため息ともつかないざわめきがロビーに満ちる頃。
壇上では院長ルイが、これ見よがしにカトラリーで作った。
即席の“王杖”を高々と掲げ、堂々たるドヤ顔で立っていた。
「本日も革命の気概を持って!」
「私は断頭台を見た記憶が――そう、ルイ十七世の生まれ変わりであるからして……」
「今日もマリー・アントワネットの勇気を胸に、みなさん自由の一歩を…!」
その宣言に、ホールの隅で看護師たちがこそこそ囁き合う。
「また始まった…」
「昨日も“王家の血統”の話で1時間潰れたし…」
「マリー・アントワネットがどうしたって?」
栄養士のミカは配膳ワゴンを押しながら半目でボヤく。
「おかわりループきたよ……うちは今日も厨房からの参加でいいかな」
その緩い空気のなか、サタヌスが素で疑問を口にする。
「なあ、17世ってどんな奴?有名なん?」
「ルイ王ってあれか?太陽の?」
プルトが一歩前に出て、淡々と返す。
「それは十四世です。院長が言ってるのは十七世」
サタヌスはさらに首をひねる。
「十七世ってどんな風に死んだん?」
プルトの口元に、わずかに皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「……いいでしょう」
「ルイ十七世――王族なのに、牢屋で栄養失調と病気で、髪も爪も伸び放題」
「最期は“革命の象徴”として誰にも看取られず、孤独な少年のまま……」
サタヌスは固まる。無邪気な疑問は、“地獄の入り口”で凍りつく。
ユピテルは肩を揺らし、呆れ顔で嘲笑する。
「フランスってのは優雅な顔してる癖に、中身は血みどろだなァ」
ヴィヌスは軽く肩をすくめ、どこか誇らしげに――
「自由と平等の国は、昔からディープすぎるのよ」
「でも、ここの点呼の自由さはわりと好き」
壇上のルイ院長は満足げに“断頭台も悪くない”と詩を詠み。
スタッフも患者も「はいはい革命革命」と日常へと戻っていく。
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