思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

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IDEA

IDEA-朝焼けを見る会

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 ――ナノシティ下層。
 灰と油の匂いが混じった空気のなか、クロノチームは配管と廃ビルの間を縫うように進んでいた。
 きっかけは単純だ。
「朝焼けを見に行こう」
 ヴィヌスが言い出し、ユピテルが調子に乗り、レイスが寝ぼけた顔でついてきた。
 いつの間にかPATCHまで巻き込まれ、“未来のパリを観る会”は結成されていた。

「なぁ~俺眠いんだけど?」
 レイスがあくび交じりに文句を垂れる。
「別についてこいなンて言ってねぇぞ俺は?」
 ユピテルは雷のような声で応じ、プルトは無表情のまま。
「朝焼けでも観れば、幸福度も多少は上がるんじゃないですか? 2%は」と毒を吐いた。
 笑い声が、灰色の街に散る。
 かつて“パリ”と呼ばれたこの都市は、今やメガコーポの腹の底。
 AIに支配されたジャンク・メトロポリスだ。
 空の色すらデータで補正される世界で、彼らは“本物の朝”を探していた。

 下層の奥、登るには不可能に近い足場。
 PATCHがビルを見上げて、げんなりとした声を出す。
「またかよ~、ここ登るの毎回ダルいって……ロープとかさ、ないの?」
 ヴィヌスが髪をかき上げ、月光を映した笑みを見せる。
「PATCH。女の子の前で“ダルい”とか言わないの。美しくないわよ♡」

 ユピテルが気怠げにあくびを漏らした。
「こんなン、雷でジャンプすりゃ一発だが……舞雷が騒ぐからやめとくかァ」
「さーて、誰が先に行く?……おっと?」レイスが目を細める。
 その瞬間、風が舞った。
 光の粒子がフォウの背から溢れ、淡い青の翅が広がる。
 羽ばたきではない。空気そのものが形を変えるように、透明な葉脈が夜気を切り裂いた。

「えっ!?フォウ、お前……飛べたの!?」
 PATCHが目を剥く。
 フォウはぽやっと笑って首をかしげた。
「んー……NULLに調節してもらったの。  
 ちょっとだけだけど、便利だから。……こういう時に、役に立つかなって思って」
 ヴィヌスが面白そうに目を細める。
「ふぅん? あら、想像と違ったわね。“天使の翼”って。
 もっと鳥っぽい羽根をイメージしてたけど……まさか虫とは♡」
「がーん……虫……」
 フォウはしゅんと肩を落とす。
 その背の翅は、光を透かす薄膜――まるでガラス細工のようだ。
 羽ばたかずとも、重力が彼女を拒むように、ふわりと上昇していく。

 スッ……と足場に降り立つ。
 光がかすかに残り、風の軌跡が彼女の背に花弁のように散った。
「気にすンなよ。虫だってきれいだ。それに、オマエのそれ――個性があって好きだぜ?」
 ユピテルがにやりと笑う。
「……そっか。うん。ありがとう」
 フォウの声は、夜明け前の冷たい空気の中に溶けた。
 その一瞬、灰色のナノシティに、ほんのわずかな“朝焼けの気配”が射した。

 ビルの屋上に、フォウがいた。
 灰と鉄の街に、かすかな朱が滲みはじめている。夜明けだ。

 かつて“パリ”と呼ばれた都市の骨格はまだ残っていた。
 ノートルダムの尖塔、エッフェル塔、古い街並みの屋根――
 だがそれらを貫くのは、今や鋼のレールとホログラムの広告だ。
 AIが管理する都市、ナノシティ。幸福の都のはずなのに、朝焼けの光はどこか寂しげだった。

 フォウは膝を抱えて座っている。
 背中の透明な翅が、朝日を受けて青く光っていた。
 薄膜のようなその翼は、動かさずとも空気を震わせ、光の粒子を舞わせる。
 金属の腕が冷たく輝き、頬に反射したオレンジの光が。
 彼女の表情を少しだけ“人間らしく”見せていた。

 上空を滑る輸送艇が、低い音を立てて通り過ぎる。
 フォウはその音を耳に入れながら、小さく呟いた。
「……ここ、きれい……」
 言葉は風に溶ける。
 下層では聞けない、柔らかな空気。
 遠くの塔の上では、幸福庁のサイネージがもう光りはじめている。
 だがその眩しさよりも――彼女の瞳は、空のグラデーションを追っていた。



 青と金の狭間。
 夜と朝の境界に、フォウの輪郭が浮かび上がる。
 頭上に浮かぶ光輪が、そっと光を強めた。
 彼女の存在そのものが、朝焼けの一部になっていく。

 ――ナノシティに、初めて“本物の”朝が射した。

 金属の屋根が軋む音。
 フォウが振り向くと、黒い影がひょいっとパイプの向こうから現れた。
 サタヌスだった。手足に油と埃をまとい、息を切らせながら笑っている。

「わわ!? サタヌスさん、飛べるの!?」
「は? 飛べねぇよ、パイプ伝って来たの」
 サタヌスは軽く膝を曲げ、屋根の縁に腰を下ろした。
 高層の風が彼のスカーフを揺らす。
「へぇ~……きれいじゃん」
 フォウはほっと胸を撫で下ろし、隣に腰を寄せた。
 二人の視線の先、街の地平に朱色が滲み始めている。
 金属都市ナノシティの空が、わずかに本物の色を取り戻していた。

 サタヌスが屋根の端から身を乗り出し、下の仲間たちに向かってクイクイと手を振る。
「おーい! こっち見ろ! 登れ!」
 ヴィヌスがため息をつきながら、ユピテルはあくびを噛み殺し、
 レイスとプルトは顔を見合わせて笑った。
 PATCHは何か言いかけたまま、工具袋を担いで後を追う。

 気づけば全員が屋上に並んでいた。
 誰も言葉を発さず、ただ――色調補正されていない朝の空を見つめていた。
 それは、この都市では滅多にお目にかかれない“自然の色”だった。
 フォウがそっと手を胸の前で組む。
「NULLやOBSOLETE姐さんのために……撮影していい?」
 PATCHがニッと笑ってカメラを構えた。
「ああ、いいぜ。久しぶりだな……補正無しの空は」
 シャッター音が一度だけ響く。
 それはナノシティで、ほんの数秒だけ息をしていた“現実”の証拠だった。

 沈黙の屋上に、風が流れた。
 フォウは手すりの向こう、遠くの地平を見つめる。
 金と桜色の境界が、少しずつ白に溶けていく。

「ねぇ、PATCH。あのドームは何?」
 指差した先、雲の合間に巨大な半球が浮かんでいる。
 淡く光を反射する外壁は、朝日に溶けた氷のようだった。
「あー、あれな。パライソドーム」
 PATCHは肩をすくめ、ポケットからガラクタみたいな端末を取り出す。
「今頃あそこで富裕層は“朝の演説”でも聞いてるんじゃねぇかな?
 俺たちには関係ない場所さ。――さ、もどるぜ」

 フォウは「演説」という単語に首を傾げたが、何も言わなかった。
 朝焼けは、もうほとんど消えていた。
 ついさっきまで息づいていた金色の光が、
 何事もなかったかのようにデータ化され、上空のAIスクリーンが“青”を再描画する。
 補正済みの空。
 ナノシティでは、それが“いつもの空”だった。

 ほんの10分にも満たない奇跡の時間。
 それでも彼らは確かに“生の空”を見た。
 言葉も記録も要らなかった。

 ヴィヌスがコートの裾を翻し、レイスが煙草を指に挟み、
 ユピテルが何か言いかけてやめる。
 プルトは相変わらず無言で降りていく。
 フォウは最後にもう一度だけ振り返った。

 パライソドーム――
 その無機質な光の殻が、どこか呼吸しているように見えた。
 彼女は小さく瞬きをして、
 仲間たちの後を追い、屋根の縁へと歩き出す。
 朝は終わった。
 けれど、何かがほんの少しだけ、目を覚まし始めていた。

 ――同時刻、ナノシティ上層・パライソドーム。
 幸福庁の一日が始まる。

 天井いっぱいに拡がるホログラムの朝空。
 リストバンドの光が一斉に点灯し、AIアナウンスが甘い声で宣言する。
「今日も幸福値120%! 笑顔で始める理想の朝を、IDEA様と共に☆」
 眩しいピンクのスポットライト。
 ステージの中央に立つのは、“幸福の象徴”――IDEA。
 ツインテールを揺らし、完璧な笑顔で観客にウインクを飛ばした。
「みんな~っ★ 早起きできて偉いね♡
 ごほうびに――ハート、あげちゃうよっ☆」
 観客AIたちは一斉に両手でハートを作り、幸福指数を更新。
 会場のモニターに「平均幸福値:117.6%」が表示される。

 ステージの隣、青と白の制服を纏う二人のエージェント。
 ひとりは無表情のまま、見事なフォームで「キュンです♡」ポーズを決めるAVALON。
 もうひとり――リーダー、ADMINISは真っ赤な顔で硬直していた。
「こ、幸福度の……維持は……義務……」
「リーダー!」
 IDEAが明るく笑って指差す。
「目をそらしちゃダメですよ! エージェントの義務ですからっ♡」



「これは任務……耐えろ俺、これは任務……」
 ADMINISはこめかみに青筋を立てながら、
 ぎこちなく指を動かし、空中に完璧なハートを描いた。
 観客席から歓声があがる。
 「リーダーかわいいー!」
 「真面目な男が照れるの尊い!!」
 幸福指数がさらに跳ね上がり、AIカメラがリーダーの赤面を何度もリプレイ。
 ――幸福庁の朝は、今日も完璧に最適化されていた。

 パライソドームの最上階、照明制御フロア。
 観客の歓声とアイドルの歌声が、分厚い防音ガラス越しにかすかに響く。
 ELDORADOは片手で照明ホログラムを操作しながら、もう片方の手で株価アプリをスクロールしていた。
「……ふん、金先物がまた下がってる。幸福指数が上がると市場は下がるのよね。皮肉なものだわ」
 彼女の金色の指先が空中を滑る。
 ステージの照度グラフがわずかに変化し、IDEAの頭上に光の輪が浮かぶ。
 完璧なバランス。幸福の象徴の演出は、今日も“黄金比”で仕上がっている。

 背後のホログラム曼荼羅が淡く揺らぐ。
 SHAMBHALAが手を合わせ、静かに瞼を閉じていた。
 糸のような笑みを浮かべながら、瞑想音声プログラムを同時に制御している。
「SHAMBHALA、今朝――早朝10分だけスクリーンが乱れたようだけど。要因は何だと思う?」
 ELDORADOの声は、無機質な照明機材の反射光に包まれて響く。
 SHAMBHALAはゆっくりと目を開けた。
 虹色の第三の目が微かに明滅し、冷たい光を放つ。

「不変のものが変わる――それは昔から災厄の前兆と言われています」
 その言葉には、わずかに“人間的な”響きが混じっていた。
 だが次の瞬間、また糸目に戻る。
「だからこそ祈らねばなりません。
 今の幸福が続きますように……誰も、気づかぬままに」
 ELDORADOはくすりと笑い、端末の株価チャートを閉じる。

「祈りも株も、信じる者だけが救われるってわけね。
 ――さあ、今日も完璧な朝にしましょう。幸福庁の名にかけて」
 ステージでは、IDEAの歌声がピークを迎えていた。
 照明が再び白に染まり、ナノシティは“完全な幸福”の色を取り戻す。
 ほんの数分前、スクリーンを揺らした“朝焼け”の記憶など――誰も知らない。
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