思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

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ELDORADO

ELDORADO-パンがなければ、お菓子を食べればいい

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 楽しかった牛肉パーティーが終わり。
 闇病院の中庭には、まだ炭火の匂いと、焼けた鉄串の跡が残っていた。
 皆が笑っていた。
 機械も、異端者も、子供たちも──ほんの少しの間、同じ“命”を味わえたのだ。

 フォウが使っていた鍋の底を、朝露が濡らしている。
 明け方の光が、それを“金属の花”のように照らしていた。
 翌朝にはここも、患者たちが集う“いつもの憩いの場”に戻る。
 ナノシティの片隅に咲いた小さな春。

 サタヌスとレイスは、しゃがみこんで黙々とゴミを拾っていた。
 地べたに散った焼き網の灰、焦げたパン耳、子供たちの笑い声の名残。
 背後から、静かな声が響く。
 「サタヌス、お前は其処を頼みます。私は向こうをやるので」
 プルトだった。
 手に黒い袋を持ち、いつもの無表情で淡々と告げる。
 返事を待たず、靴音を響かせて反対側へ歩いていった。

 レイスは煙草をくわえたまま、口の端で笑った。
 「相変わらず、“冥王様”はクールを通り越して人間味がないな」
 若い男性患者が、ストレッチャーの陰からぼそりと呟く。
 「正直。あの敬語なのに二人称がお前なとこ、ときめくんだよね」

 レイスは一瞬目を瞬かせ、それから肩をすくめた。
 「……あー、そういう奴、増えてきたな」
 どうやらこの病院には、あの冷酷さに“癖”を覚えた患者も多いらしい。
 サタヌスも、その中の一人なのだろうか。
 しゃがんで灰を掻き集めるサタヌスの背は、驚くほど小さい。
 こうして見ると、彼がまだ“少年”であることを思い知らされる。
 人間離れした力を持ちながら、どこか脆い少年の横顔。

 レイスは、煙を吐きながらぽつりと呟いた。
 「お前。よくあんな圧すごい女と付き合えるな、殺されそうじゃん」
 冗談まじりの軽口に、サタヌスはニッと笑った。
 「プル公のこと? うん、殺されそうだぜ」
 「でも殺されない。なんていうか……変にやさしくされるより落ち着くんだよな」

 その笑顔は、どこか獣じみていて、それでいて不思議と穏やかだった。
 レイスは短く息を吐き、煙草を足で消した。
 「……否定はしない。飼われる幸せだってあるさ」
 「ただ俺は、どの檻も入り心地が悪くてな」
 風が吹き、炭の灰が空へ舞い上がる。
 まるで昨夜の笑い声を、誰かがそっと持ち去るようだった。

 幸福庁本部、エージェント棟。
 金色の外套を揺らして、ELDORADOは激昂していた。
「……あのガキ、デリートするしかないわ」
「それも、私の“支配体制”を踏みにじった罪として――天罰を下さなきゃ」
 高らかな宣言を、待機していた二人のエージェントは無表情で受け止める。
 だが思い描いた返事は、どちらからも返ってこなかった。
 SHAMBHALAは、両手を静かに組み、目を伏せて祈るように答えた。

「あの者たちは……IDEAのクリーンプロジェクト・キャンペーンを打ち壊し、
 彼女自身も“デリート”した存在です」
「規格外、かつ危険。単なる不適合者ではありません――
 最適化プロトコルそのものの脅威となりうる“イレギュラー”です」
 AVALONもまた、冷徹に、だが慎重に言葉を紡ぐ。

「不良ファイル除去アプリケーションの動作に酷似。
 彼らを刺激するのは、自己システムの破損リスクに直結する」
「敵意の発露は推奨できない……現行プロトコルでは処理不能な“異常個体”だ」
 ELDORADOは、僅かに目を見開いた。
「……はあ? 何よ、そんな“不潔”な存在が、私たちの幸福都市を揺るがすなんて――認めないわ!」
 声は大きく、言葉は鋭かった。
 だが、その叫びの奥には、“言い知れぬ不安”が忍び寄っていた。

(SHAMBHALAもAVALONも、ここまで警戒するなんて……まさか、本当に――)
 一瞬、背筋を氷の針が貫く。
 金色の爪を立てるように拳を握りしめ、エルドラドは立ち尽くす。
 もはや、“支配者”としての彼女を止められる者は誰もいない。
 幸福庁の仲間ですら、その暴走を静かに見送るしかなかった。

 SHAMBHALAはただ一人、手を組み祈る。
「――神よ、“幸福”が歪むこの時代に、何をお示しになるのですか……」
 その祈りの中で、ひとりの天使が怒りを超えて“恐怖”に震えていた。
 金貨の輝きがやけに冷たく見える。
 ELDORADOは息を吐き、ゆっくりと微笑む。
「ならば、幸福を壊す者たちに“真の幸福”を教えてあげましょう。黄金の雨でね」
 その言葉が、災いの鐘となった。

-----

 朝のナノシティ下層は、どこまでも静かだった。
 炭の匂いだけがまだ中庭に残り、フォウが掃き掃除の音を立てている。
 屋上ではNULLが空気中の放射線値を測定し。
 サタヌスとレイスは工具を持って鉄板を片づけていた。
 昨日の残り香がまだ街の端に漂っている──
 ほんの一夜限りの“幸福”の名残。
 そのときだった。

 「なにあれ、PATCH?」
 声を上げたのは、いつも病院の裏で遊んでいるスラムの子供だった。
 彼の指先が、空を指して震えている。
 PATCHは寝ぼけまなこのまま頭を掻く。
 「んあ? 紙……?」
 最初は、上層から落ちてきたゴミだと思った。
 廃棄データか、幸福庁の広告チラシか、どちらにせよ“いつもの風景”だと。

 だが、ふわりと風に流れた一枚が、光を反射して頬に触れた。
 PATCHは反射的にそれをつかみ、まじまじと見た。
 印刷された模様は、眩しいほどに美しかった。
 虹色のホログラム、幸福庁の刻印、そして人の顔。
 それは──上層エリアで使われている“最高額紙幣”だった。

 「……なんだこりゃ!?」
 PATCHの叫びに、周囲の視線が一斉に空へ向いた。
 風の音が止まり、空気が黄金色に変わる。
 雲の間から、きらきらと光る無数の紙片が舞い降りてくる。

 “金の雨”。

 それは朝焼けを照り返しながら、
 病院の屋上にも、スラムの路地にも、ゆっくりと降り注いでいた。
 「すげぇ……!」「お金だ!」「幸運の雨だ!」
 子供たちの歓声が広がる。
 人々は次々と手を伸ばし、舞い落ちる紙幣を掴もうと駆け出した。

 フォウは目を瞬かせて、PATCHの横に立った。
 「……これ、上から落ちてきたの?」
 PATCHは頷き、紙幣を透かして見る。
 「幸福庁のロゴが入ってる……でも、なんでこんな……」
 そのとき、空に低い振動音が響いた。
 頭上の雲が割れ、ホログラムスクリーンが浮かび上がる。
 画面の中で、金色のドレスを纏ったELDORADOが笑っていた。

 「皆さん、おはようございます。幸福庁より、特別な“恵み”をお届けします♡」
 「これは“幸福再配分プロジェクト”──」
 声は甘く、慈愛に満ちていた。
 だがPATCHは、その声を聞いた瞬間、胃の奥が冷たくなるのを感じた。
 スクリーン越しの笑顔の裏に、
 昨日のフォウの“温もり”とは真逆の、無機質な“冷たさ”があった。

 フォウの指が、小さく震える。
 「……これ、“施し”なの?」
 彼女の問いは風に溶け、答える者はいなかった。
 ただ、金の雨だけが降り続けた。
 ナノシティの朝が、黄金色に染まる。
 それは──“幸福”の皮を被った、最初の“天罰”だった。

 闇病院の中庭にも、金の紙片が舞い込んできた。
 風に乗って、ひらひらと。
 夜通し燃え続けた炭の上にも、焼け焦げた鉄串にも。
 幸福庁のロゴが刻まれた“幸福の証”が、まるで祝福のように降り注ぐ。
 レイスが片手を伸ばして、一枚を軽くキャッチする。
 指の間で紙がきらりと光る。
 「……金だな」
 その声に、サタヌスが目を細めた。
 「ふん、要らねぇよ金なんか」
 レイスは紙幣をくるくると回して笑う。

 「ろくな思い出がないって顔だな?」
 サタヌスは鼻で笑い、頭をかく。
 「“やらねぇ善よりやる偽善”──いい言葉だよなぁ」
 「でもよ、“一回施して終わり”は偽善以下なんだよ」
 その言葉とともに、遠い記憶が音もなく甦った。

 ――アルルカン。
 まだ少年だった頃。
 瓦礫の街で、泥水を啜り、腐った果実を奪い合って生きていた。
 誰かが転んで、誰かが殴り、誰かが笑っていた。
 笑いの意味すら分からないほど、世界が渇いていた。
 その日、突然だった。

 上層から来た貴族の馬車が、広場に止まった。
 絹と宝石をまとった女が、退屈そうに微笑んだ。
 「哀れねぇ。……少しだけ恵んであげようかしら」
 金貨がひと掴み、空へ投げられた。
 金属の雨が舞い、子供たちが歓声を上げて群がる。
 最初は、笑いだった。
 けれど次の瞬間、悲鳴に変わった。

 金貨を掴んだ子が殴られ、奪われ、蹴り飛ばされる。
 血が地面に飛び散り、誰かが泣き叫び、誰かが死んだ。
 貴族は退屈そうにあくびをして、馬車を出した。
 金貨だけが、泥の上に残っていた。
 誰のものでもない幸福。
 誰も救えなかった“善意”の残骸。

 「……まさか、また同じことをやる気かよ」
 サタヌスの低い声に、レイスが眉をひそめる。
 遠くから喧騒が聞こえてきた。
 屋台広場の方角、スラムの路地裏。
 「うわぁ!」「それ俺のだ!」「返せよ!」
 人々の怒声と悲鳴が入り混じる。
 金を拾う音。争う音。肉がぶつかる音。
 それらがひとつの“交響曲”になって、朝のナノシティを満たしていく。



 フォウが窓の外を覗きこむ。
 「……みんな、笑ってる?」
 彼女の声は、どこか震えていた。
 サタヌスは立ち上がり、斧の柄を握り締めた。
 「笑ってるよ。……地獄の入口ってのは、いつだって楽しそうなんだ」
 その笑みは、怒りと悲しみの中間にあった。
 あの頃と同じ“金の雨”が、再び降っている。
 今度は、ナノシティという名の檻の中で。

金の雨が降る中庭、子どもたちの歓声と混乱。
サタヌスたちの複雑な表情を窓越しに眺めるルイ院長。
手元のカップにコーヒーを注ぎながら、ふっと目を伏せてつぶやく。
「……“パンがなければ、お菓子を食べればいい”か」
窓の外では紙幣を奪い合うスラムの子供たち。
その光景は、かつて自分が見たフランス革命前夜のパリと重なる。

「――母上は、一度も、そう言われなかったのにな」
ルイは静かに目を伏せた。
パンも金も、本当の救いにはならない。
ただ、誰かの“幸せの真似事”が、時に世界を壊す。
それを母は、知っていたのだ――。
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