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兜坂嵐

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AFTER

AFTER-太陽が沈んだ夜

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 ELDORADOのデリート――それはナノシティの中枢。
 上層エリアでは無限に降り注ぐ光が唐突に消え。
 ガラスとホログラムの街は“夜”を迎えた。

 非常電源は即座に作動したが、電力を失うという。
“未経験の恐怖”は、彼らの中に小さな影を残した。
 それはナノシティ創設以来、絶対に起こらないはずの“欠損”だった。
「幸福の光」は常に無限である――その前提が崩れた瞬間。
 ナノシティの“神話”は音を立てて剥がれ落ちた。
 幸福炉が溶けた、という事実だけで十分だった。

「幸福の恩恵はもう、永遠ではない」
 その噂はネットに広がり、幸福庁は即座に削除対応を行ったが。
 既に人々の心の底には“有限”という影が落ちていた。
 幸福炉の供給元であり、黄金の象徴だったELDORADO財閥。
 株式市場は一夜にして黄金から、漆黒へと染まった。

 画面上では「富裕層の幸福値」がマイナスに転じ“幸福の配当”が停止。
 上層では静かな阿鼻叫喚が広がった。
「電力が止まっただけで幸福を失うなんて、そんなの……!」
 叫んでも、照明は戻らない。
 彼らの豪邸も、電飾の消えた飾り物のように静まり返った。

 闇病院への帰り道は、驚くほどに静かだった。
 いつもは眩しいほどだったシャンゼリゼ大通りが、死体のように沈黙している。
 ホログラム広告も、ネオンも消え。
 ショーウィンドウのガラスは闇を映す鏡になっていた。
 足音がやけに響く。金属質な反響が、かえって世界の空虚さを際立たせる。

 フォウが空を見上げ、小さな声をあげた。
「わァ……みて、真っ暗だよ」
 空には、いつも見えなかったものが浮かんでいた。
 幸福炉の投影スクリーンが止まり、人工雲のフィルターが閉じられたことで。
 初めて“本物の夜空”が顔を出した。
 曇りがちなナノシティにしては珍しく、今日は外界の空が晴れていたらしい。
 わずかに、星がいくつか光っている。
 まるで世界が、やっと自分の心臓を取り戻したようだった。

 ユピテルは歩みを止め、煙草を咥えた。
 火はつけない。
 彼の頬を、遠くで燃え残る幸福炉の光がかすかに照らしていた。
 その表情には、いつもの軽薄な笑みがあった。だが、今夜の笑みは、どこか違う。
 サタヌスがぼそりと呟く。
「……あぁ、あいつも“ざまぁみろ”って感情あるんだな」
 PATCHが肩をすくめて苦笑する。
「いや、顔がニヤニヤしすぎて逆に怖いんだが」

 ユピテルは何も答えず、無造作に煙草をくわえ直した。
「はぁ?俺は上層のやつらに見返したいなんて気持ちねェよ」
 PATCHが眉をひそめる。
「じゃあ何がそんなに嬉しいんだよ」
 ユピテルはゆっくり笑い、牙を見せた。
 その笑顔は、雷が走る直前の暗雲のように危うく、どこか美しかった。
「――俺が喜んでンのはなァ!」

 風が吹き抜ける。
 遠くで幸福炉の残骸が小さく爆ぜ、黒い煙が夜空に溶けていった。
 その瞬間、稲妻の残光がユピテルの頬を照らす。
「炉が壊れたことなンだよ!!」
 フォウが首を傾げる。
「……幸福炉、そんなに嫌いだったの?」
 ユピテルは腕を組み、星空を睨みながら煙草を咥える。
 口元に薄ら笑いを浮かべ、いきなり語り始めた。

「本物の夜ってのはよ、魂が循環する“輪廻”の時間なんだよ。
 太陽が沈んで、全てが闇に包まれる。
 それこそが“サンサーラ”、輪廻の本質なんだわ。
 カリヤ王国でもなァ、上から下まで、魂は56億7千万年ぐるぐる回って。
 最後はミロク菩薩の下生で全部リセット。
 俺たちゃな、何度でも死んで生まれ変わって。
 ようやく夜に帰ってくるんだよ、分かるか?」
 誰も分からなかった。

 PATCHはハンバーガーを持ったまま固まっている。
 レイスは煙草に火を点けて空を眺めるだけ。
 フォウは「……さんさーら?」と首を傾げる。
 ヴィヌスは「今何年の話?」とぼそり。
 プルトだけが、微妙に眉をひそめた。
 ユピテルは全く気にせず、一段と熱量を上げる。

「輪廻転生っつーのはよォ、魂が永遠にループするメビウスの環よ。
 全部“因果律”で決まってんの。
 だから幸福炉が壊れて“夜”になったのは!
 全宇宙レベルのサンサーラ回帰!魂の解放!!」
 ついていける者は誰もいなかった。
 プルトがいつものことだ、と指を立て説明し始める。

「六道というのがありましてね」
「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」
「生前の行いによって輪廻転生し、“生まれ変わる”世界観です」
「ナノシティで幸福が溶けたのは、この六道の流転が正常に戻った証左とも言えます」
「ユピテルは何かと年数や宇宙規模で話を膨らませる癖がありまして」
 PATCHはボソッと「やけに教育テレビ感」があるといい。
 フォウだけは覚えようとしていたのでレイスに、あとでメモしとけと促した。

「フォウ、プリントまとめとけ」
「はぁい……ろくどう……りんね……」
 幸福炉の残光が完全に消え、空には星だけが瞬いている。
 ナノシティは沈黙していた。
 幸福炉が停止した夜、都市は初めて「夜」という現象を知った。
 永遠の昼を約束されたガラスの街は、その明かりを一瞬にして失い。
 まるで呼吸を止めた巨人のように静まり返っていた。

 ユピテルは、崩壊した上層区の屋上に立っていた。
 金色の髪が、風に揺れる。
 両腕を広げ、まるでこの暗闇そのものを抱きしめるかのように。
 背後には、黒い街並みと、わずかに残る遠い光。
 機能していない人工太陽の残滓が、煤のように漂っている。



「……いい夜だな」
 呟きは、風に溶けていった。
 声を返す者は誰もいない。
 だがこの沈黙こそ、ユピテルにとっての音楽だった。

 彼の足元で、パリ跡の街が眠っている。
 幸福炉の黄金光が失われた今、あるのはただの瓦礫と影。
 そして微かに灯る無数の“生”の明かり――人間たちが灯した炎。

 ユピテルはゆっくりと笑う。
 その瞳は、かすかな星明かりを映していた。
 黄金の瞳孔が夜を貫き、まるで世界の終わりを楽しむかのように輝く。
「地獄ってのはな、光が溢れてるもんじゃねェんだよ」
「こうして、全部消えたあとに残る静けさ……それが本物の“地獄”だ」
 声は低く、穏やかだった。
 ユピテルは両手を大きく広げた。
 沈んだ都市を見下ろすその姿は、まるで堕天の王のようだった。

「……そういえば、あの白軍人(カリスト)も言ってたな」
「“ユピテル様は、何を言われてるのか分からない時がある”って」
 PATCHは紙包みのバーガーをかじりながら、無造作に言葉を返す。
「つまり理解したら負け?」
 レイスは短く笑った。
「勝ち負けあるのか知らんが、まぁそういうことにしとけ」
 サタヌスは頬杖をつきながら、街の向こうの黒いシルエットを見ている。
「俺は理解しようとした時点で頭痛がしたぞ。
 “人間の言葉に似たノイズ”って感じだ」

 プルトが無表情のまま口を開く。
「雷属性ですから。電波なんですね」
 PATCHがむせそうになりながら叫ぶ。
「言ったな!?筆頭に容赦なし!!」
 レイスが笑う。
「いや事実だろ。電波飛んでんだよ、たぶんWi-Fi経由で悟りひらいてんだ」

 サタヌスが吹き出す。
「魔王Wi-Fi、最悪だな。ログも全部暗号化されてるタイプ」
 笑い声が夜気に溶ける。
 ユピテルは両腕を広げ、満足げに笑っていた。
 雷のような声が、夜の闇にこだまする。
「いい夜だなァ……ようやく“死ねる街”になったじゃねェか」

 誰も何も言わなかった。
 ただフォウが、小さく息を呑んで、ぽつりと呟いた。
「……でも、なんか綺麗だね」
 都市の影に、ひとつだけ灯りが見えた。
 それは、黒い街並みの中にぽつんと浮かぶ、誰かの部屋の窓の明かりだった。

 風が吹くたび、その光はかすかに揺れた。
 けれど、消えなかった。
 レイスが煙草の火を見つめながら呟く。
「……誰か、まだ起きてんのか」
 プルトが低く答える。
「ええ。夜を、初めて見る者たちです」
 僅かに、ひっそり息をするように灯る黄色い灯り。
 それはこの都市が初めて手に入れた、“人間の夜”だった。
 幸福炉の光よりも脆く、けれど確かに――あたたかかった。

 幸福炉が沈黙しても、ナノシティ上層の中。
 ただ一ヶ所だけ光が消えなかった場所があった。
 ――SHAMBHALAの寺院。
 正式名称《サイバー・ノートルダム》。
 祈りのプログラムを司るAI僧・SHAMBHALAが管理する。
 “幸福値祈祷サーバー”を兼ねた電子寺院だ。

 サーバーも光ファイバーも、すべて沈黙していた。
 聖堂の壁に埋め込まれた光子パネルは黒く落ち。
 祈りの回線はひとつ残らず途絶えている。
 風の音だけが、ステンドグラスの割れ目を通してそっと吹き込んでいた。

 SHAMBHALAは静かに立ち尽くしていた。
 胸元で手を組み、人工の呼吸音すら止めたまま。
 長い沈黙の中にひとつの選択を見出す。
 ――彼は、ゆっくりとマッチを取った。

 ぎこちない動作だった。
 人間の真似をするように指先で軸を擦り、小さな火花が生まれる。
 それだけで、この静寂の世界に“命”の音が差し込んだ。
 やがて炎が立ち上がり、一本の蝋燭に火が移る。
 溶けた蝋が滴り、淡い光が聖堂の闇を押し返す。
 幸福炉の黄金光とは違う――そこには温度があった。
 “照らす”ためでなく、“寄り添う”ための光。
 炎は、揺れながらも確かに生きていた。

「……ふふふ。光に温もりがありますね」
 彼は目を細め、微笑んだ。
「蝋燭だけの夜、というのも……いいものですね」
 静かな声が、聖堂の奥に消えていった。
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