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AFTER
AFTER-幸福って、けっきょく電気
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幸福炉の停止は、単なる停電ではなかった。
都市の根幹である「幸福アルゴリズム」に連動するすべての機構。
わずか一時間の闇によって、静かに、しかし確実に狂い始めていた。
幸福庁本庁舎。
白金のパネルで覆われた会議室。
冷却装置の低い唸り音すら止まり、空調の風が凍りついている。
ホログラムのスクリーンに、赤いエラーコードが絶えず走っていた。
「ADMINIS様! 冷凍肉の衛生値が基準値を下回りました」
「どうしましょうか? 衛生値をクリアしていない肉は幸福度低下につながります」
職員AIの声は焦りを帯びていた。
その声ですら、幸福炉の光が消えた今となっては、どこか震えて聞こえる。
ADMINISは目を伏せ、指先でこめかみを押さえた。
彼の眼光が鈍く光る。
「……まさか、物流まで崩壊するとはな」
幸福炉の冷却エネルギーが絶たれたことで、上層エリアの巨大冷凍庫群が次々と停止した。
高級バイオ肉、人工フォアグラ、幸福値調整用栄養肉。
それらは全て、“上層限定”の特権食材。
だが今や、冷却を失ったそれらは“汚染物”とみなされ。
衛生基準を下回った“幸福値低下要因”として廃棄対象になっていた。
スクリーンの右端に、衛生指数と幸福指数の連動グラフが表示されている。
幸福値:98 → 74 → 52。
金色の線が急落し、ADMINISはわずかに息を吐いた。
「上層の民は幸福を失うことを恐れているが……。
まさか“食えないこと”で、これほどまで幸福が落ちるとはな」
皮肉の混じった呟きに、誰も反応しなかった。
ADMINISは立ち上がる。
金属製の外套が擦れる音が、沈黙の会議室に小さく響いた。
「廃棄するくらいなら中層に流せ。
喉から手が出るほど欲しがる輩が山ほどいるだろう」
職員AIが驚いたように光点を明滅させた。
「しかし……幸福庁の施策として、“下層への直接供給”は禁則事項です」
ADMINISは軽く笑った。
「禁則も、神話も、炉と一緒に溶けた」
「幸福を測る天秤が狂ったなら、今度は“欲望”で計ればいい」
指先を一振りすると、命令が瞬時に転送される。
物流AI群が一斉に再起動し、滞留していた貨物データが中層ラインへ流れ出す。
“捨てるくらいなら売れ”――その単純な指令が、市場の歯車を再び動かした。
黄金のエリアから流出した幸福の象徴、“上層限定バイオ肉”。
それらは腐敗寸前の温度で、黒いコンテナに積まれ。
チャイナタウンとスラムの中間エリアへと流れ込んでいった。
それはまるで、幸福そのものが堕天する瞬間だった。
上層では誰も食べられなくなった“幸福の肉”。
下層の屋台で、煙と油と笑い声に包まれて焼かれていく。
皮肉にも――太陽が沈んだ夜、幸福は地面に降りた。
幸福炉の真下――下層エリアの屋台通り。
夜の街で唯一、光を放っているのは、自販機のパネルだけだった。
ネオンはすべて落ち、空を見上げても看板すらない。
ただその青白い光が「心電図」のように明滅している。
PATCHが、手を叩いて笑う。
「よし! 自販機は動くぞ!」
フォウが振り返り、闇の街を見上げる。
「ほんとに、まっくらだね……街」
レイスは煙草を指で回しながら、ぼそっと言った。
「……上層の停電、まだ復旧しないみてぇだな。
下層エリアの自販機はついてるのに」
PATCHが肩をすくめ、いつもの軽口で答える。
「そりゃそーだろ。
俺らみてぇな下層のやつが、幸福炉の恩恵受けられるわけねぇじゃん。
あそこは“幸福の特許”持ってる連中専用だぜ」
レイスが薄く笑った。
「やっぱ、光のある場所のほうが“幸せ”なんだろうな」
サタヌスがベンチに腰を下ろし、両手を頭の後ろで組む。
「なあ俺、今ごろ“炉心溶解の元凶”とか呼ばれてんじゃね?」
PATCHは笑いながらバーガーの包みを開く。
「いやお前、実際半分そうだろ」
プルトがいつもの無表情で、明滅する自販機の光を見上げた。
「いいことですね」
サタヌスが思わずのけぞる。
「褒められた!? 今褒められた!?」
プルトは、ほんのわずかに唇を動かす。
「上層が暗くなり、下層が明るくなる。
それは“幸福の比重”が、ほんの少しだけ傾いたということです」
レイスが吹き出した。
「お前、ほんと皮肉のセンスだけは一流だな」
自販機の前に、ゆるい沈黙が落ちた。
遠くでは風が吹き抜け、屋台の幌がかすかに揺れる音だけが聞こえる。
金属の冷たい光の中、缶コーヒーのプルタブを引いた音が、やけに鮮明に響いた。
PATCHは、泡立つ缶を軽く振りながら言った。
「……でもな、皮肉抜きで思うんだ。
いま上層民が本気で“神頼み”してんだぜ。
自分の幸福値より、“電力”を信じた瞬間だったってさ」
フォウが首をかしげる。
「……幸福って、電気で動いてたんだね」
レイスは肩をすくめて笑う。
「まあ、火のない時代の“火”がこれってわけだ」
サタヌスが缶の底を指先でトントン叩きながら、軽い調子で言った。
「けどよ、電気って誰のもんだ?幸福庁?AI?神?」
プルトが、静かな声で答える。
「愚問です。“神”は最初にスイッチを入れた存在でしょう」
PATCHは少し間を置いて、にやりと笑った。
「じゃあ、スイッチ切ったのは誰だ?」
その言葉で、全員が黙った。
風も、遠くの車の音も止んだような気がした。
ただ、自販機のモーター音だけが、かすかに鳴り続けている。
そのとき――背後から、かすれた声がした。
「……さぁね」
振り向くと、影の中に立つ人影。
赤い火花が瞬き、タバコの煙が夜に溶けていく。
OBSOLETEだった。
いつの間にかそこに立ち、薄く笑いながら煙を吐き出す。
「ただひとつ言えるのは――」
彼女は煙草の火を見つめながら、静かに続けた。
「“誰かが光を止めた”ってこと。
あたしたちは、今ようやく“夜”を取り戻したのさ」
風が吹いた。
その瞬間、自販機のランプがチカッと消えて、また点いた。
誰も言葉を続けなかった。
夜が生きていた。
そして彼らもまた――初めて訪れた“闇”の中で、確かに息をしていた。
中層エリアから闇病院へ戻る途中、街は異様なほど静かだった。
幸福炉が沈黙してから、どの建物も明かりを失い。
ガラスの塔がまるで“墓標”のように黒く立ち並んでいる。
風が抜けるたびに、どこか遠くで金属が軋む音がした。
サタヌスが無造作に言う。
「なぁ、夜って、こんなに“音”あるんだな」
PATCHが苦笑する。
「上層の奴ら、怖がってるだろうな。
光が消えるのなんて、奴らにとっちゃ“死”みたいなもんだ」
その時、通り沿いのアパートから、かすかな灯りが漏れた。
非常電源でも、ホログラムでもない――誰かが手にした、小さな懐中電灯の光。
窓を開けて外を見ている小さな子供の姿があった。
その子は、不思議そうに空を見上げている。
手には玩具のような懐中電灯。
スクリーン投影ではない“本物の星”を初めて見たのだろう。
「おかあさん、あれ……いつもと星の位置が全然違うよ」
か細い声が夜気に溶ける、母親は返事をしない。
黙ってその隣に立ち、同じ空を見上げていた。
外気は冷たく、遠くで犬が鳴く。
ビルの谷間を渡る風が、街をゆっくりと撫でていく。
レイスがその光景を見て、ぼそっと呟く。
「……スクリーンじゃ、見えねぇもんな。本物の夜空なんて」
フォウが小さく微笑む。
「ねぇ、星って……ちゃんとあるんだね」
彼女の言葉に、誰もすぐには答えなかった。
皆、空を見上げていた。
光を失った都市の上で、星がほんの少しだけ。
“人間の高さ”まで降りてきたように見えた。
サタヌスがぼそりと口を開く。
「……こりゃ“幸福”よりもよっぽど綺麗だな」
PATCHが笑う。
「おいおい、皮肉が過ぎるぜ」
フォウが小声で呟く。
「……皮肉じゃないよ。ほんとに、綺麗なんだ」
その瞬間、誰も否定しなかった。
風の音だけが、静かに夜を撫でていく。
幸福炉の残滓はもう見えない。
だがその代わりに、世界には“星”が戻ってきていた。
人々はその夜、初めて知った。
光が消えるということは、世界が終わることではなく。
本当の空が、戻ってくることだったのだ。
停電で沈黙した都市の路地、勇者ズが闇病院に戻る途中。
薄明かりだけの歩道を明るい声が聞こえてきた。
スマホを掲げながら歩く、女子高生ふたり組がすれ違っていく。
「マジで全部止まっててやばい~!」
「だってうちIHだし、冷蔵庫もダメ、エレベーターも真っ暗だよ」
「今日は彼ピんち行くしかないっしょ、泊まりOKもらった~!」
「え~!おうちデートじゃん、それ逆にアリじゃん」
「な?彼ピも“おうちデート最高!”ってめっちゃ張り切ってるし」
通り過ぎざま、フォウがきょとんとした顔で「たいへんだねぇ」と声をかける。
女の子は笑って手を振り返す。
「そうでもないよ~。“星空デート”なんて初めてだし、ちょっとワクワクしてる!」
もう一人も「明日停電直ってなかったら、彼ピんち連泊で記録更新~!」
二人でケラケラ笑いながら、消えたネオンの下を楽しそうに歩いていく。
勇者ズは見送るだけだが、サタヌスがぼそりと呟く。
「……案外、停電って悪くないのかもな」
フォウはほっこりした顔で「いいなぁ」と見送る。
風が冷たい。
幸福炉の残骸が遠くに霞み。
ナノシティ全体がひとつの深呼吸をしたように静まり返っていた。
街は、まるで“夢”から醒めたように見えた。
ネオンも広告もなく、ただ星と闇だけが残る。
フォウが、レイスの隣で小さく呟く。
「ねぇ、レイス」
レイスは煙草の先を見つめたまま、短く返す。
「なんだ?」
フォウは夜空を見上げ、青い羽根に星の光を散らしながら。ゆっくりと言った。
「太陽が沈んだら、夜がくるんだね」
レイスは少し笑って息を吐いた、煙が風に流れていく。
「そうだぞ」
そして、少し間を置いて続けた。
「当たり前のことだ。ただこの街が忘れていただけだ」
フォウはその言葉を胸に刻むように、静かに頷いた。
遠くで、自販機の明かりが一度だけ瞬いた。
その灯は、まるで息をするように“生きている”ようだった。
太陽――ELDORADOが沈み、夜が来る。
幸福という名の幻光が消え、人間たちは初めて“影”と“星”を取り戻した。
次なる戦いへ向け、ナノシティは沈黙していた。
都市の根幹である「幸福アルゴリズム」に連動するすべての機構。
わずか一時間の闇によって、静かに、しかし確実に狂い始めていた。
幸福庁本庁舎。
白金のパネルで覆われた会議室。
冷却装置の低い唸り音すら止まり、空調の風が凍りついている。
ホログラムのスクリーンに、赤いエラーコードが絶えず走っていた。
「ADMINIS様! 冷凍肉の衛生値が基準値を下回りました」
「どうしましょうか? 衛生値をクリアしていない肉は幸福度低下につながります」
職員AIの声は焦りを帯びていた。
その声ですら、幸福炉の光が消えた今となっては、どこか震えて聞こえる。
ADMINISは目を伏せ、指先でこめかみを押さえた。
彼の眼光が鈍く光る。
「……まさか、物流まで崩壊するとはな」
幸福炉の冷却エネルギーが絶たれたことで、上層エリアの巨大冷凍庫群が次々と停止した。
高級バイオ肉、人工フォアグラ、幸福値調整用栄養肉。
それらは全て、“上層限定”の特権食材。
だが今や、冷却を失ったそれらは“汚染物”とみなされ。
衛生基準を下回った“幸福値低下要因”として廃棄対象になっていた。
スクリーンの右端に、衛生指数と幸福指数の連動グラフが表示されている。
幸福値:98 → 74 → 52。
金色の線が急落し、ADMINISはわずかに息を吐いた。
「上層の民は幸福を失うことを恐れているが……。
まさか“食えないこと”で、これほどまで幸福が落ちるとはな」
皮肉の混じった呟きに、誰も反応しなかった。
ADMINISは立ち上がる。
金属製の外套が擦れる音が、沈黙の会議室に小さく響いた。
「廃棄するくらいなら中層に流せ。
喉から手が出るほど欲しがる輩が山ほどいるだろう」
職員AIが驚いたように光点を明滅させた。
「しかし……幸福庁の施策として、“下層への直接供給”は禁則事項です」
ADMINISは軽く笑った。
「禁則も、神話も、炉と一緒に溶けた」
「幸福を測る天秤が狂ったなら、今度は“欲望”で計ればいい」
指先を一振りすると、命令が瞬時に転送される。
物流AI群が一斉に再起動し、滞留していた貨物データが中層ラインへ流れ出す。
“捨てるくらいなら売れ”――その単純な指令が、市場の歯車を再び動かした。
黄金のエリアから流出した幸福の象徴、“上層限定バイオ肉”。
それらは腐敗寸前の温度で、黒いコンテナに積まれ。
チャイナタウンとスラムの中間エリアへと流れ込んでいった。
それはまるで、幸福そのものが堕天する瞬間だった。
上層では誰も食べられなくなった“幸福の肉”。
下層の屋台で、煙と油と笑い声に包まれて焼かれていく。
皮肉にも――太陽が沈んだ夜、幸福は地面に降りた。
幸福炉の真下――下層エリアの屋台通り。
夜の街で唯一、光を放っているのは、自販機のパネルだけだった。
ネオンはすべて落ち、空を見上げても看板すらない。
ただその青白い光が「心電図」のように明滅している。
PATCHが、手を叩いて笑う。
「よし! 自販機は動くぞ!」
フォウが振り返り、闇の街を見上げる。
「ほんとに、まっくらだね……街」
レイスは煙草を指で回しながら、ぼそっと言った。
「……上層の停電、まだ復旧しないみてぇだな。
下層エリアの自販機はついてるのに」
PATCHが肩をすくめ、いつもの軽口で答える。
「そりゃそーだろ。
俺らみてぇな下層のやつが、幸福炉の恩恵受けられるわけねぇじゃん。
あそこは“幸福の特許”持ってる連中専用だぜ」
レイスが薄く笑った。
「やっぱ、光のある場所のほうが“幸せ”なんだろうな」
サタヌスがベンチに腰を下ろし、両手を頭の後ろで組む。
「なあ俺、今ごろ“炉心溶解の元凶”とか呼ばれてんじゃね?」
PATCHは笑いながらバーガーの包みを開く。
「いやお前、実際半分そうだろ」
プルトがいつもの無表情で、明滅する自販機の光を見上げた。
「いいことですね」
サタヌスが思わずのけぞる。
「褒められた!? 今褒められた!?」
プルトは、ほんのわずかに唇を動かす。
「上層が暗くなり、下層が明るくなる。
それは“幸福の比重”が、ほんの少しだけ傾いたということです」
レイスが吹き出した。
「お前、ほんと皮肉のセンスだけは一流だな」
自販機の前に、ゆるい沈黙が落ちた。
遠くでは風が吹き抜け、屋台の幌がかすかに揺れる音だけが聞こえる。
金属の冷たい光の中、缶コーヒーのプルタブを引いた音が、やけに鮮明に響いた。
PATCHは、泡立つ缶を軽く振りながら言った。
「……でもな、皮肉抜きで思うんだ。
いま上層民が本気で“神頼み”してんだぜ。
自分の幸福値より、“電力”を信じた瞬間だったってさ」
フォウが首をかしげる。
「……幸福って、電気で動いてたんだね」
レイスは肩をすくめて笑う。
「まあ、火のない時代の“火”がこれってわけだ」
サタヌスが缶の底を指先でトントン叩きながら、軽い調子で言った。
「けどよ、電気って誰のもんだ?幸福庁?AI?神?」
プルトが、静かな声で答える。
「愚問です。“神”は最初にスイッチを入れた存在でしょう」
PATCHは少し間を置いて、にやりと笑った。
「じゃあ、スイッチ切ったのは誰だ?」
その言葉で、全員が黙った。
風も、遠くの車の音も止んだような気がした。
ただ、自販機のモーター音だけが、かすかに鳴り続けている。
そのとき――背後から、かすれた声がした。
「……さぁね」
振り向くと、影の中に立つ人影。
赤い火花が瞬き、タバコの煙が夜に溶けていく。
OBSOLETEだった。
いつの間にかそこに立ち、薄く笑いながら煙を吐き出す。
「ただひとつ言えるのは――」
彼女は煙草の火を見つめながら、静かに続けた。
「“誰かが光を止めた”ってこと。
あたしたちは、今ようやく“夜”を取り戻したのさ」
風が吹いた。
その瞬間、自販機のランプがチカッと消えて、また点いた。
誰も言葉を続けなかった。
夜が生きていた。
そして彼らもまた――初めて訪れた“闇”の中で、確かに息をしていた。
中層エリアから闇病院へ戻る途中、街は異様なほど静かだった。
幸福炉が沈黙してから、どの建物も明かりを失い。
ガラスの塔がまるで“墓標”のように黒く立ち並んでいる。
風が抜けるたびに、どこか遠くで金属が軋む音がした。
サタヌスが無造作に言う。
「なぁ、夜って、こんなに“音”あるんだな」
PATCHが苦笑する。
「上層の奴ら、怖がってるだろうな。
光が消えるのなんて、奴らにとっちゃ“死”みたいなもんだ」
その時、通り沿いのアパートから、かすかな灯りが漏れた。
非常電源でも、ホログラムでもない――誰かが手にした、小さな懐中電灯の光。
窓を開けて外を見ている小さな子供の姿があった。
その子は、不思議そうに空を見上げている。
手には玩具のような懐中電灯。
スクリーン投影ではない“本物の星”を初めて見たのだろう。
「おかあさん、あれ……いつもと星の位置が全然違うよ」
か細い声が夜気に溶ける、母親は返事をしない。
黙ってその隣に立ち、同じ空を見上げていた。
外気は冷たく、遠くで犬が鳴く。
ビルの谷間を渡る風が、街をゆっくりと撫でていく。
レイスがその光景を見て、ぼそっと呟く。
「……スクリーンじゃ、見えねぇもんな。本物の夜空なんて」
フォウが小さく微笑む。
「ねぇ、星って……ちゃんとあるんだね」
彼女の言葉に、誰もすぐには答えなかった。
皆、空を見上げていた。
光を失った都市の上で、星がほんの少しだけ。
“人間の高さ”まで降りてきたように見えた。
サタヌスがぼそりと口を開く。
「……こりゃ“幸福”よりもよっぽど綺麗だな」
PATCHが笑う。
「おいおい、皮肉が過ぎるぜ」
フォウが小声で呟く。
「……皮肉じゃないよ。ほんとに、綺麗なんだ」
その瞬間、誰も否定しなかった。
風の音だけが、静かに夜を撫でていく。
幸福炉の残滓はもう見えない。
だがその代わりに、世界には“星”が戻ってきていた。
人々はその夜、初めて知った。
光が消えるということは、世界が終わることではなく。
本当の空が、戻ってくることだったのだ。
停電で沈黙した都市の路地、勇者ズが闇病院に戻る途中。
薄明かりだけの歩道を明るい声が聞こえてきた。
スマホを掲げながら歩く、女子高生ふたり組がすれ違っていく。
「マジで全部止まっててやばい~!」
「だってうちIHだし、冷蔵庫もダメ、エレベーターも真っ暗だよ」
「今日は彼ピんち行くしかないっしょ、泊まりOKもらった~!」
「え~!おうちデートじゃん、それ逆にアリじゃん」
「な?彼ピも“おうちデート最高!”ってめっちゃ張り切ってるし」
通り過ぎざま、フォウがきょとんとした顔で「たいへんだねぇ」と声をかける。
女の子は笑って手を振り返す。
「そうでもないよ~。“星空デート”なんて初めてだし、ちょっとワクワクしてる!」
もう一人も「明日停電直ってなかったら、彼ピんち連泊で記録更新~!」
二人でケラケラ笑いながら、消えたネオンの下を楽しそうに歩いていく。
勇者ズは見送るだけだが、サタヌスがぼそりと呟く。
「……案外、停電って悪くないのかもな」
フォウはほっこりした顔で「いいなぁ」と見送る。
風が冷たい。
幸福炉の残骸が遠くに霞み。
ナノシティ全体がひとつの深呼吸をしたように静まり返っていた。
街は、まるで“夢”から醒めたように見えた。
ネオンも広告もなく、ただ星と闇だけが残る。
フォウが、レイスの隣で小さく呟く。
「ねぇ、レイス」
レイスは煙草の先を見つめたまま、短く返す。
「なんだ?」
フォウは夜空を見上げ、青い羽根に星の光を散らしながら。ゆっくりと言った。
「太陽が沈んだら、夜がくるんだね」
レイスは少し笑って息を吐いた、煙が風に流れていく。
「そうだぞ」
そして、少し間を置いて続けた。
「当たり前のことだ。ただこの街が忘れていただけだ」
フォウはその言葉を胸に刻むように、静かに頷いた。
遠くで、自販機の明かりが一度だけ瞬いた。
その灯は、まるで息をするように“生きている”ようだった。
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