思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

文字の大きさ
52 / 90
AFTER

AFTER-幸福って、けっきょく電気

しおりを挟む
 幸福炉の停止は、単なる停電ではなかった。
 都市の根幹である「幸福アルゴリズム」に連動するすべての機構。
 わずか一時間の闇によって、静かに、しかし確実に狂い始めていた。

 幸福庁本庁舎。
 白金のパネルで覆われた会議室。
 冷却装置の低い唸り音すら止まり、空調の風が凍りついている。
 ホログラムのスクリーンに、赤いエラーコードが絶えず走っていた。
「ADMINIS様! 冷凍肉の衛生値が基準値を下回りました」
「どうしましょうか? 衛生値をクリアしていない肉は幸福度低下につながります」
 職員AIの声は焦りを帯びていた。
 その声ですら、幸福炉の光が消えた今となっては、どこか震えて聞こえる。

 ADMINISは目を伏せ、指先でこめかみを押さえた。
 彼の眼光が鈍く光る。
「……まさか、物流まで崩壊するとはな」
 幸福炉の冷却エネルギーが絶たれたことで、上層エリアの巨大冷凍庫群が次々と停止した。
 高級バイオ肉、人工フォアグラ、幸福値調整用栄養肉。
 それらは全て、“上層限定”の特権食材。
 だが今や、冷却を失ったそれらは“汚染物”とみなされ。
 衛生基準を下回った“幸福値低下要因”として廃棄対象になっていた。

 スクリーンの右端に、衛生指数と幸福指数の連動グラフが表示されている。
 幸福値:98 → 74 → 52。
 金色の線が急落し、ADMINISはわずかに息を吐いた。
「上層の民は幸福を失うことを恐れているが……。
 まさか“食えないこと”で、これほどまで幸福が落ちるとはな」
 皮肉の混じった呟きに、誰も反応しなかった。
 ADMINISは立ち上がる。
 金属製の外套が擦れる音が、沈黙の会議室に小さく響いた。
「廃棄するくらいなら中層に流せ。
 喉から手が出るほど欲しがる輩が山ほどいるだろう」

 職員AIが驚いたように光点を明滅させた。
「しかし……幸福庁の施策として、“下層への直接供給”は禁則事項です」
 ADMINISは軽く笑った。
「禁則も、神話も、炉と一緒に溶けた」
「幸福を測る天秤が狂ったなら、今度は“欲望”で計ればいい」
 指先を一振りすると、命令が瞬時に転送される。
 物流AI群が一斉に再起動し、滞留していた貨物データが中層ラインへ流れ出す。
“捨てるくらいなら売れ”――その単純な指令が、市場の歯車を再び動かした。

 黄金のエリアから流出した幸福の象徴、“上層限定バイオ肉”。
 それらは腐敗寸前の温度で、黒いコンテナに積まれ。
 チャイナタウンとスラムの中間エリアへと流れ込んでいった。
 それはまるで、幸福そのものが堕天する瞬間だった。
 上層では誰も食べられなくなった“幸福の肉”。
 下層の屋台で、煙と油と笑い声に包まれて焼かれていく。
 皮肉にも――太陽が沈んだ夜、幸福は地面に降りた。

 幸福炉の真下――下層エリアの屋台通り。
 夜の街で唯一、光を放っているのは、自販機のパネルだけだった。
 ネオンはすべて落ち、空を見上げても看板すらない。
 ただその青白い光が「心電図」のように明滅している。
 PATCHが、手を叩いて笑う。
「よし! 自販機は動くぞ!」
 フォウが振り返り、闇の街を見上げる。
「ほんとに、まっくらだね……街」



 レイスは煙草を指で回しながら、ぼそっと言った。
「……上層の停電、まだ復旧しないみてぇだな。
 下層エリアの自販機はついてるのに」
 PATCHが肩をすくめ、いつもの軽口で答える。
「そりゃそーだろ。
 俺らみてぇな下層のやつが、幸福炉の恩恵受けられるわけねぇじゃん。
 あそこは“幸福の特許”持ってる連中専用だぜ」
 レイスが薄く笑った。
「やっぱ、光のある場所のほうが“幸せ”なんだろうな」

 サタヌスがベンチに腰を下ろし、両手を頭の後ろで組む。
「なあ俺、今ごろ“炉心溶解の元凶”とか呼ばれてんじゃね?」
 PATCHは笑いながらバーガーの包みを開く。
「いやお前、実際半分そうだろ」
 プルトがいつもの無表情で、明滅する自販機の光を見上げた。
「いいことですね」
 サタヌスが思わずのけぞる。
「褒められた!? 今褒められた!?」

 プルトは、ほんのわずかに唇を動かす。
「上層が暗くなり、下層が明るくなる。
 それは“幸福の比重”が、ほんの少しだけ傾いたということです」
 レイスが吹き出した。
「お前、ほんと皮肉のセンスだけは一流だな」
 自販機の前に、ゆるい沈黙が落ちた。
 遠くでは風が吹き抜け、屋台の幌がかすかに揺れる音だけが聞こえる。
 金属の冷たい光の中、缶コーヒーのプルタブを引いた音が、やけに鮮明に響いた。

 PATCHは、泡立つ缶を軽く振りながら言った。
「……でもな、皮肉抜きで思うんだ。
 いま上層民が本気で“神頼み”してんだぜ。
 自分の幸福値より、“電力”を信じた瞬間だったってさ」
 フォウが首をかしげる。
「……幸福って、電気で動いてたんだね」
 レイスは肩をすくめて笑う。

「まあ、火のない時代の“火”がこれってわけだ」
 サタヌスが缶の底を指先でトントン叩きながら、軽い調子で言った。
「けどよ、電気って誰のもんだ?幸福庁?AI?神?」
 プルトが、静かな声で答える。
「愚問です。“神”は最初にスイッチを入れた存在でしょう」
 PATCHは少し間を置いて、にやりと笑った。
「じゃあ、スイッチ切ったのは誰だ?」

 その言葉で、全員が黙った。
 風も、遠くの車の音も止んだような気がした。
 ただ、自販機のモーター音だけが、かすかに鳴り続けている。
 そのとき――背後から、かすれた声がした。
「……さぁね」
 振り向くと、影の中に立つ人影。
 赤い火花が瞬き、タバコの煙が夜に溶けていく。

 OBSOLETEだった。
 いつの間にかそこに立ち、薄く笑いながら煙を吐き出す。
「ただひとつ言えるのは――」
 彼女は煙草の火を見つめながら、静かに続けた。
「“誰かが光を止めた”ってこと。
 あたしたちは、今ようやく“夜”を取り戻したのさ」
 風が吹いた。
 その瞬間、自販機のランプがチカッと消えて、また点いた。
 誰も言葉を続けなかった。

 夜が生きていた。
 そして彼らもまた――初めて訪れた“闇”の中で、確かに息をしていた。

 中層エリアから闇病院へ戻る途中、街は異様なほど静かだった。
 幸福炉が沈黙してから、どの建物も明かりを失い。
 ガラスの塔がまるで“墓標”のように黒く立ち並んでいる。
 風が抜けるたびに、どこか遠くで金属が軋む音がした。
 サタヌスが無造作に言う。

「なぁ、夜って、こんなに“音”あるんだな」
 PATCHが苦笑する。
「上層の奴ら、怖がってるだろうな。
 光が消えるのなんて、奴らにとっちゃ“死”みたいなもんだ」
 その時、通り沿いのアパートから、かすかな灯りが漏れた。
 非常電源でも、ホログラムでもない――誰かが手にした、小さな懐中電灯の光。
 窓を開けて外を見ている小さな子供の姿があった。
 その子は、不思議そうに空を見上げている。
 手には玩具のような懐中電灯。
 スクリーン投影ではない“本物の星”を初めて見たのだろう。



「おかあさん、あれ……いつもと星の位置が全然違うよ」
 か細い声が夜気に溶ける、母親は返事をしない。
 黙ってその隣に立ち、同じ空を見上げていた。
 外気は冷たく、遠くで犬が鳴く。
 ビルの谷間を渡る風が、街をゆっくりと撫でていく。
 レイスがその光景を見て、ぼそっと呟く。
「……スクリーンじゃ、見えねぇもんな。本物の夜空なんて」
 フォウが小さく微笑む。
「ねぇ、星って……ちゃんとあるんだね」

 彼女の言葉に、誰もすぐには答えなかった。
 皆、空を見上げていた。
 光を失った都市の上で、星がほんの少しだけ。
“人間の高さ”まで降りてきたように見えた。
 サタヌスがぼそりと口を開く。
「……こりゃ“幸福”よりもよっぽど綺麗だな」
 PATCHが笑う。
「おいおい、皮肉が過ぎるぜ」
 フォウが小声で呟く。
「……皮肉じゃないよ。ほんとに、綺麗なんだ」
 その瞬間、誰も否定しなかった。
 風の音だけが、静かに夜を撫でていく。

 幸福炉の残滓はもう見えない。
 だがその代わりに、世界には“星”が戻ってきていた。
 人々はその夜、初めて知った。
 光が消えるということは、世界が終わることではなく。
 本当の空が、戻ってくることだったのだ。

 停電で沈黙した都市の路地、勇者ズが闇病院に戻る途中。
 薄明かりだけの歩道を明るい声が聞こえてきた。
 スマホを掲げながら歩く、女子高生ふたり組がすれ違っていく。
「マジで全部止まっててやばい~!」
「だってうちIHだし、冷蔵庫もダメ、エレベーターも真っ暗だよ」
「今日は彼ピんち行くしかないっしょ、泊まりOKもらった~!」
「え~!おうちデートじゃん、それ逆にアリじゃん」
「な?彼ピも“おうちデート最高!”ってめっちゃ張り切ってるし」
 通り過ぎざま、フォウがきょとんとした顔で「たいへんだねぇ」と声をかける。
 女の子は笑って手を振り返す。

「そうでもないよ~。“星空デート”なんて初めてだし、ちょっとワクワクしてる!」
 もう一人も「明日停電直ってなかったら、彼ピんち連泊で記録更新~!」
 二人でケラケラ笑いながら、消えたネオンの下を楽しそうに歩いていく。
 勇者ズは見送るだけだが、サタヌスがぼそりと呟く。
「……案外、停電って悪くないのかもな」
 フォウはほっこりした顔で「いいなぁ」と見送る。
 風が冷たい。
 幸福炉の残骸が遠くに霞み。
 ナノシティ全体がひとつの深呼吸をしたように静まり返っていた。
 街は、まるで“夢”から醒めたように見えた。
 ネオンも広告もなく、ただ星と闇だけが残る。
 フォウが、レイスの隣で小さく呟く。

「ねぇ、レイス」
 レイスは煙草の先を見つめたまま、短く返す。
「なんだ?」
 フォウは夜空を見上げ、青い羽根に星の光を散らしながら。ゆっくりと言った。
「太陽が沈んだら、夜がくるんだね」
 レイスは少し笑って息を吐いた、煙が風に流れていく。
「そうだぞ」
 そして、少し間を置いて続けた。
「当たり前のことだ。ただこの街が忘れていただけだ」
 フォウはその言葉を胸に刻むように、静かに頷いた。
 遠くで、自販機の明かりが一度だけ瞬いた。
 その灯は、まるで息をするように“生きている”ようだった。

 太陽――ELDORADOが沈み、夜が来る。
 幸福という名の幻光が消え、人間たちは初めて“影”と“星”を取り戻した。
 次なる戦いへ向け、ナノシティは沈黙していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一
SF
​【あらすじ】 ​「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」 ​ 坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。  かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。  背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。 ​ 目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。  鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。 ​ しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。  部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。 ​ (……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?) ​ 現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。  すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。  精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。 ​ これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。

転生勇者が死ぬまで10000日

慶名 安
ファンタジー
ごく普通のフリーター・岩倉運命は謎の少年に刺され、命を落としてしまう。そんな岩倉運命だったが、サダメ・レールステンとして転生を果たす…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...