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SIDE-蜻蛉とプリンと不気味の谷・1
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ナノシティの朝は静かすぎる。
風は吹き、ネオンは瞬く。
上層ビルの屋上庭園では、幸福庁が“最適化”した白い花がゆらりと揺れていた。
中庭の土は、やけに軽かった。
指でつまんでも湿り気がなく、ざらついた粉がぱらぱらと落ちる。
「未来社会でも人類は草むしりから逃げられないんだな……」
「そういう問題かよ!!」
サタヌスが叫ぶ。
「除草剤撒けよ!!ナノマシンとかあるだろ!?絶対あるだろ!?」
中庭で洗濯物を干していたナースが、申し訳なさそうに近づいてくる。
「えっと……その……院長が、”手を汚すことで精神が整う“って……」
最後の語尾だけ小さく消える。
レイスが鼻で笑う。
「ルイらしいわ」
サタヌスは両手を空に向けて叫ぶ。
「精神整わねぇよ!!雑草むしってたら逆に乱れるんだよ!!」
だがレイスはもう別のことに気づいていた。
ここまで掘っても、土の表面から裏側まで――生き物が一匹も出てこない。
小さなアリもいない。
ダンゴムシもいない。
土をつつけば転がる幼虫すらいない。
闇病院の敷地は完全に“死んで”いた。
レイスは草の根をじっと見つめながら呟く。
「……虫、いなくね?」
サタヌスは一瞬ポカンとしてから、周囲を見回す。
葉っぱは完璧な形のまま。
食われた跡がない。
中庭の地面には、どれだけ目を凝らしても動く影がひとつもなかった。
「……たしかに。虫、全滅かよ……?」
NULLが即答する。無機質な声が空気を冷やす。
「ナノシティに昆虫類は存在しない。上層・下層を問わず、記録には“完全消失”とある」
サタヌスは目をしばたかせた。
「全部死んだってこと?」
「死滅。あるいは“排除”。」
NULLの返答はいつも通り正確で、容赦がない。
「上層の花壇はすべて受粉を他生物に依存しない生体改造個体」
「必要なのは市民の幸福値のみ、と推察される」
「……気持ち悪いわね」
ヴィヌスは花に触れるのをやめた。
「自然じゃなくて、全部“演出”ってことじゃない」
「その認識が妥当」
花は咲き、枯れる。
それが自然のサイクルだったはずだ。
だがナノシティの花壇はそうではない。
花は咲くだけ。
枯れたらAIが黙々と回収するだけ。
蜂も蝶もいないのだから“生き物としての花”ではなく、“幸福演出としての花”になっていた。
まるで幸福庁が用意した薄いホログラムの一部を見ているような感覚だった。
サタヌスがぽつりと言う。
「ていうかさ……虫いねぇとさ……フォウの羽、逆に浮かない?」
レイスが煙草をふかしながら視線を逸らす。
「虫いねぇ世界で、あんな蜻蛉みたいなの背負って歩くのは……まぁ、注目浴びてもしゃーねぇだろ」
「本物の生命の揺らぎが“異物”扱いされるなんて、ナノシティらしいわ」
ヴィヌスは吐き捨てるように言う。
NULLも静かに同意した。
「皮肉だが、フォウの羽のほうが“自然”に近い」
この都市では、自然よりも人工が優先される。
虫のいない朝。
花は咲き、風は吹くのに、生き物の音がしない。
そんな死んだ風景のなかをーー今日もフォウが歩く。
彼女の薄いブルーの羽は、都市に存在しない“蜻蛉”の記憶のように揺れた。
最適化されていない色彩は、世界のほうをぎこちなく照らし返す。
まるで、人工の花束のなかに、ひとり迷い込んだ本物の蜻蛉。
幸福庁が“偽りの天使ロボ”を空に浮かべて市民を導く日。
フォウはボロ服のまま下層の影をとことこと歩いていく。
この都市では、本物ほど不気味に見える。
この世界で生き延びる唯一の“自然”。
それがフォウだった。
ナノシティに虫はいない。
初めてその事実に気づく者は、たいてい“静けさ”を不気味に感じる。
だが、この“欠落”は偶然ではない。
都市が成立する以前ーーEU圏がメガコーポ戦争に飲み込まれていた時期。
世界は虫から先に死んでいった。
理由は単純で、そして取り返しがつかなかった。
気候反転、酸性降下物、金属粉塵、ナノ廃液の大気散布、マイクロチップ混入土壌。
戦争末期、企業の兵器開発が暴走し、複数の環境破壊が“同時に”起きた。
たとえどれかひとつなら、自然は回復したかもしれない。
だが五つが重なったとき、最初に死んだのは昆虫だった。
生態系は静かに折れ、誰にも気づかれないまま終わった。
虫がいない世界では、鳥も獣も長く生きられない。
やがて街は“音のない自然”だけを残し、ナノシティ建設計画が進んだ。
ナノシティを統括する上層AIは、
都市環境に残す生物を“幸福値への寄与”で選別した。
犬、猫、一部の鳥類、魚(食用)。
これだけで十分だと判断された。
幸福指数が上がる要素だけを残し、それ以外は復元されなかった。
虫はすでに死滅していたため“再生すべきデータ”としてすら扱われなかった。
人工自然だけが残り、“自然のふりをした幸福装置”が都市を覆った。
ナノシティの子どもたちは、虫はもちろん、家畜も知らない。
「ねぇ~今度の休みに動物園行こ?パンダ見たい~」
「いいよー。本物いないけど、ロボットパンダ可愛いよね。
ふわふわだし、笑ってくれるし」
「むしろ本物より癒されるよね!」
「だよね~。匂いもしないし、汚れないし」
そこには悪意も偏見もない。
ただ、都市の“基準”がそうなっているだけだった。
自然は滅び、偽物のほうが便利で、清潔で、幸福指数が高い。
上層市民にとって“生き物を食べる”という発想はもう存在しない。
レイスは鼻で笑うように呟く。
「……肉屋、ねぇのかここ」
NULLが淡々と答える。
「存在しない。上層エリアの肉はすべてプリント食品。
基底栄養素に味覚データを重ねた“完全食品”」
ヴィヌスは眉をひそめる。
「……じゃあ家畜は?」
「FORTUNE:GATE通行者のみ」
NULLは躊躇もなく続ける。
「都市中心の上級牧場でのみ飼育が許可されている」
サタヌスが目を丸くする。
「家畜って……牛とか?ほんとに?」
「存亡確認中だが、一般市民が“家畜”を肉として理解する機会はない。
多くの子どもは“肉=プリンターから出てくる”と考えている」
フォウは首を傾げた。
「……おにく……パックの? やわらかいの……?」
レイスは思わず額を押さえる。
「……ぜってー違ぇよ」
ナノシティには、動物を殺して食べる文化がない。
というより、“生き物”という概念がごっそり抜け落ちている。
虫はいない。
家畜はいない。
自然の循環もない。
そこに、蜻蛉の羽に似た“揺らぎ”をまとったフォウが歩く。
人工の幸福が支配する都市で、唯一“本物の生命の匂い”を運んでくる存在。
だから彼女は、都市のどこを歩いても注目される。
そして、都市のどこにいても不気味がられる。
ナノシティにおいて、“本物”ほど不気味なものはないからだ。
IDEA撃破後のナノシティは、不安定だった。
幸福庁のフィルターが弱まり、上層エリアの空気はどこか濁っている。
ホログラムの空は相変わらず青いが、その色が“正しい保証”はもうどこにもない。
完璧だったはずの都市は、いまや自分の正しさを疑い始めている。
そんな空気をまるで読まない男がいる。
ユピテルは唐突にタブレットを取り出した。
「お前ら、“本物の肉”ってどうやって作るか知ってるかァ?」
フォウが首を傾げる。
「おにく……プリンターで出てくるやつじゃないの……?」
PATCHも即答だ。
「まぁ普通プリンターっしょ。あの四角いやつ」
ユピテルは、にぃ……と口角を上げた。
嫌な笑い方だ。
だいたいロクなことを考えていない。
「昔の人間はねェ……こ~~ンな可愛い牛を飼育していたンダヨ」
タブレットの画面がフォウの目の前に突き出される。
そこには、丸々と太った牛が草をはんでいる映像。
陽光、青空、のどかな牧草地。
フォウの瞳がきらりと輝いた。
「……かわいい……!お目めがつぶら……」
「だろ?牛の可愛さはよ~~く分かったな?」
「うん……!」
ユピテルは、ほんの一瞬だけ笑みを深めた。
「じゃァ、続き、観よっか。」
画面が切り替わる。
牧草地の光は消え、無機質な壁と金属音に変わる。
次の瞬間、生々しい解体工程がダイレクトに流れ始めた。
フォウの羽が、びくりと震える。
「………………えッ!?」
画面の中で、さっきまで草をはんでいた“可愛い牛”が、部位ごとに分けられていく。
「え、え!?牛さん……!?かわいいのに……かわいいのに……!?」
フォウの脳に“自然界の食物連鎖”という概念が、初めて叩き込まれた瞬間だった。
彼女の世界には今まで「食材」は存在しても「命を奪う工程」は存在しなかった。
肉は“出力されるもの”。
そこに前段階はなかった。
フォウの思考が止まり、横でサタヌスが微妙に引く。
「……うわ……」
ヴィヌスは眉をしかめる。
「悪趣味ね」
レイスは煙草をくわえたまま、ただ静かに画面を見ている。
NULLは処理中だ。
「古代畜産文化の標準工程。映像データは真実性が高いと判断」
そして——なぜかひとりだけ、テンションが爆発している。
PATCHだった。
「うおお!!マジ!?血めっちゃ出とる!!
やっべぇ~~~本物の肉ってこんなん!?
絶対くせぇって!くっさそ~~!!テンション上がるわぁ!!」
レイスが横目で睨む。
「……テンション上がる要素どこにあんだよ。」
サタヌスも呆れる。
「お前ほんとブレねぇな……」
ユピテルの瞳が、すうっと細まった。
あれは“見つけた”目だ。
「……お前、良いセンスしてンじゃァん?」
PATCHはきょとんとする。
「えっマジ?これ最高じゃねぇ?こんなん“男のロマンの裏”だろ!!」
「くわばらくわばら……ほんっと、お前みたいなガキは大好きだよ。」
その声には、保護欲と破壊欲が同時に混ざっている。
サタヌスが慌てて割って入る。
「おいPATCH、やめろ!!
そいつに気に入られるのはロクなことねぇぞ!!」
「えっ?褒められてんのに?」
ユピテルはにやりと笑う。
「いや~~、こういう血生臭いのに反応する男子はよ。
ほんっと絶滅危惧種でネ……守りたくなっちゃうよねェ……?」
レイスがぼそりと刺す。
「“解剖したい”の間違いだろ……」
フォウはというと、震えながらレイスのコートを掴んでいる。
「PATCH……だいじょうぶ……?死なない……?」
レイスは溜息を吐く。
「大丈夫じゃねぇ。別の意味で危ねぇ。」
PATCHはまだ画面を食い入るように見ている。
「フォウ、これ“自然の神秘”なんだぞ!」
フォウは小さくつぶやく。
「しんぴ……?それで牛さん死ぬの……?」
彼女の中で、ひとつの前提が崩れた。
ナノシティは“命を奪わずに生きられる都市”だと思っていた。
だが違う。
ただ“奪う工程を見せない”だけだったのだ。
プリント肉も、上級牧場も、幸福炉も。
形を変えただけで、命はどこかで削られている。
風は吹き、ネオンは瞬く。
上層ビルの屋上庭園では、幸福庁が“最適化”した白い花がゆらりと揺れていた。
中庭の土は、やけに軽かった。
指でつまんでも湿り気がなく、ざらついた粉がぱらぱらと落ちる。
「未来社会でも人類は草むしりから逃げられないんだな……」
「そういう問題かよ!!」
サタヌスが叫ぶ。
「除草剤撒けよ!!ナノマシンとかあるだろ!?絶対あるだろ!?」
中庭で洗濯物を干していたナースが、申し訳なさそうに近づいてくる。
「えっと……その……院長が、”手を汚すことで精神が整う“って……」
最後の語尾だけ小さく消える。
レイスが鼻で笑う。
「ルイらしいわ」
サタヌスは両手を空に向けて叫ぶ。
「精神整わねぇよ!!雑草むしってたら逆に乱れるんだよ!!」
だがレイスはもう別のことに気づいていた。
ここまで掘っても、土の表面から裏側まで――生き物が一匹も出てこない。
小さなアリもいない。
ダンゴムシもいない。
土をつつけば転がる幼虫すらいない。
闇病院の敷地は完全に“死んで”いた。
レイスは草の根をじっと見つめながら呟く。
「……虫、いなくね?」
サタヌスは一瞬ポカンとしてから、周囲を見回す。
葉っぱは完璧な形のまま。
食われた跡がない。
中庭の地面には、どれだけ目を凝らしても動く影がひとつもなかった。
「……たしかに。虫、全滅かよ……?」
NULLが即答する。無機質な声が空気を冷やす。
「ナノシティに昆虫類は存在しない。上層・下層を問わず、記録には“完全消失”とある」
サタヌスは目をしばたかせた。
「全部死んだってこと?」
「死滅。あるいは“排除”。」
NULLの返答はいつも通り正確で、容赦がない。
「上層の花壇はすべて受粉を他生物に依存しない生体改造個体」
「必要なのは市民の幸福値のみ、と推察される」
「……気持ち悪いわね」
ヴィヌスは花に触れるのをやめた。
「自然じゃなくて、全部“演出”ってことじゃない」
「その認識が妥当」
花は咲き、枯れる。
それが自然のサイクルだったはずだ。
だがナノシティの花壇はそうではない。
花は咲くだけ。
枯れたらAIが黙々と回収するだけ。
蜂も蝶もいないのだから“生き物としての花”ではなく、“幸福演出としての花”になっていた。
まるで幸福庁が用意した薄いホログラムの一部を見ているような感覚だった。
サタヌスがぽつりと言う。
「ていうかさ……虫いねぇとさ……フォウの羽、逆に浮かない?」
レイスが煙草をふかしながら視線を逸らす。
「虫いねぇ世界で、あんな蜻蛉みたいなの背負って歩くのは……まぁ、注目浴びてもしゃーねぇだろ」
「本物の生命の揺らぎが“異物”扱いされるなんて、ナノシティらしいわ」
ヴィヌスは吐き捨てるように言う。
NULLも静かに同意した。
「皮肉だが、フォウの羽のほうが“自然”に近い」
この都市では、自然よりも人工が優先される。
虫のいない朝。
花は咲き、風は吹くのに、生き物の音がしない。
そんな死んだ風景のなかをーー今日もフォウが歩く。
彼女の薄いブルーの羽は、都市に存在しない“蜻蛉”の記憶のように揺れた。
最適化されていない色彩は、世界のほうをぎこちなく照らし返す。
まるで、人工の花束のなかに、ひとり迷い込んだ本物の蜻蛉。
幸福庁が“偽りの天使ロボ”を空に浮かべて市民を導く日。
フォウはボロ服のまま下層の影をとことこと歩いていく。
この都市では、本物ほど不気味に見える。
この世界で生き延びる唯一の“自然”。
それがフォウだった。
ナノシティに虫はいない。
初めてその事実に気づく者は、たいてい“静けさ”を不気味に感じる。
だが、この“欠落”は偶然ではない。
都市が成立する以前ーーEU圏がメガコーポ戦争に飲み込まれていた時期。
世界は虫から先に死んでいった。
理由は単純で、そして取り返しがつかなかった。
気候反転、酸性降下物、金属粉塵、ナノ廃液の大気散布、マイクロチップ混入土壌。
戦争末期、企業の兵器開発が暴走し、複数の環境破壊が“同時に”起きた。
たとえどれかひとつなら、自然は回復したかもしれない。
だが五つが重なったとき、最初に死んだのは昆虫だった。
生態系は静かに折れ、誰にも気づかれないまま終わった。
虫がいない世界では、鳥も獣も長く生きられない。
やがて街は“音のない自然”だけを残し、ナノシティ建設計画が進んだ。
ナノシティを統括する上層AIは、
都市環境に残す生物を“幸福値への寄与”で選別した。
犬、猫、一部の鳥類、魚(食用)。
これだけで十分だと判断された。
幸福指数が上がる要素だけを残し、それ以外は復元されなかった。
虫はすでに死滅していたため“再生すべきデータ”としてすら扱われなかった。
人工自然だけが残り、“自然のふりをした幸福装置”が都市を覆った。
ナノシティの子どもたちは、虫はもちろん、家畜も知らない。
「ねぇ~今度の休みに動物園行こ?パンダ見たい~」
「いいよー。本物いないけど、ロボットパンダ可愛いよね。
ふわふわだし、笑ってくれるし」
「むしろ本物より癒されるよね!」
「だよね~。匂いもしないし、汚れないし」
そこには悪意も偏見もない。
ただ、都市の“基準”がそうなっているだけだった。
自然は滅び、偽物のほうが便利で、清潔で、幸福指数が高い。
上層市民にとって“生き物を食べる”という発想はもう存在しない。
レイスは鼻で笑うように呟く。
「……肉屋、ねぇのかここ」
NULLが淡々と答える。
「存在しない。上層エリアの肉はすべてプリント食品。
基底栄養素に味覚データを重ねた“完全食品”」
ヴィヌスは眉をひそめる。
「……じゃあ家畜は?」
「FORTUNE:GATE通行者のみ」
NULLは躊躇もなく続ける。
「都市中心の上級牧場でのみ飼育が許可されている」
サタヌスが目を丸くする。
「家畜って……牛とか?ほんとに?」
「存亡確認中だが、一般市民が“家畜”を肉として理解する機会はない。
多くの子どもは“肉=プリンターから出てくる”と考えている」
フォウは首を傾げた。
「……おにく……パックの? やわらかいの……?」
レイスは思わず額を押さえる。
「……ぜってー違ぇよ」
ナノシティには、動物を殺して食べる文化がない。
というより、“生き物”という概念がごっそり抜け落ちている。
虫はいない。
家畜はいない。
自然の循環もない。
そこに、蜻蛉の羽に似た“揺らぎ”をまとったフォウが歩く。
人工の幸福が支配する都市で、唯一“本物の生命の匂い”を運んでくる存在。
だから彼女は、都市のどこを歩いても注目される。
そして、都市のどこにいても不気味がられる。
ナノシティにおいて、“本物”ほど不気味なものはないからだ。
IDEA撃破後のナノシティは、不安定だった。
幸福庁のフィルターが弱まり、上層エリアの空気はどこか濁っている。
ホログラムの空は相変わらず青いが、その色が“正しい保証”はもうどこにもない。
完璧だったはずの都市は、いまや自分の正しさを疑い始めている。
そんな空気をまるで読まない男がいる。
ユピテルは唐突にタブレットを取り出した。
「お前ら、“本物の肉”ってどうやって作るか知ってるかァ?」
フォウが首を傾げる。
「おにく……プリンターで出てくるやつじゃないの……?」
PATCHも即答だ。
「まぁ普通プリンターっしょ。あの四角いやつ」
ユピテルは、にぃ……と口角を上げた。
嫌な笑い方だ。
だいたいロクなことを考えていない。
「昔の人間はねェ……こ~~ンな可愛い牛を飼育していたンダヨ」
タブレットの画面がフォウの目の前に突き出される。
そこには、丸々と太った牛が草をはんでいる映像。
陽光、青空、のどかな牧草地。
フォウの瞳がきらりと輝いた。
「……かわいい……!お目めがつぶら……」
「だろ?牛の可愛さはよ~~く分かったな?」
「うん……!」
ユピテルは、ほんの一瞬だけ笑みを深めた。
「じゃァ、続き、観よっか。」
画面が切り替わる。
牧草地の光は消え、無機質な壁と金属音に変わる。
次の瞬間、生々しい解体工程がダイレクトに流れ始めた。
フォウの羽が、びくりと震える。
「………………えッ!?」
画面の中で、さっきまで草をはんでいた“可愛い牛”が、部位ごとに分けられていく。
「え、え!?牛さん……!?かわいいのに……かわいいのに……!?」
フォウの脳に“自然界の食物連鎖”という概念が、初めて叩き込まれた瞬間だった。
彼女の世界には今まで「食材」は存在しても「命を奪う工程」は存在しなかった。
肉は“出力されるもの”。
そこに前段階はなかった。
フォウの思考が止まり、横でサタヌスが微妙に引く。
「……うわ……」
ヴィヌスは眉をしかめる。
「悪趣味ね」
レイスは煙草をくわえたまま、ただ静かに画面を見ている。
NULLは処理中だ。
「古代畜産文化の標準工程。映像データは真実性が高いと判断」
そして——なぜかひとりだけ、テンションが爆発している。
PATCHだった。
「うおお!!マジ!?血めっちゃ出とる!!
やっべぇ~~~本物の肉ってこんなん!?
絶対くせぇって!くっさそ~~!!テンション上がるわぁ!!」
レイスが横目で睨む。
「……テンション上がる要素どこにあんだよ。」
サタヌスも呆れる。
「お前ほんとブレねぇな……」
ユピテルの瞳が、すうっと細まった。
あれは“見つけた”目だ。
「……お前、良いセンスしてンじゃァん?」
PATCHはきょとんとする。
「えっマジ?これ最高じゃねぇ?こんなん“男のロマンの裏”だろ!!」
「くわばらくわばら……ほんっと、お前みたいなガキは大好きだよ。」
その声には、保護欲と破壊欲が同時に混ざっている。
サタヌスが慌てて割って入る。
「おいPATCH、やめろ!!
そいつに気に入られるのはロクなことねぇぞ!!」
「えっ?褒められてんのに?」
ユピテルはにやりと笑う。
「いや~~、こういう血生臭いのに反応する男子はよ。
ほんっと絶滅危惧種でネ……守りたくなっちゃうよねェ……?」
レイスがぼそりと刺す。
「“解剖したい”の間違いだろ……」
フォウはというと、震えながらレイスのコートを掴んでいる。
「PATCH……だいじょうぶ……?死なない……?」
レイスは溜息を吐く。
「大丈夫じゃねぇ。別の意味で危ねぇ。」
PATCHはまだ画面を食い入るように見ている。
「フォウ、これ“自然の神秘”なんだぞ!」
フォウは小さくつぶやく。
「しんぴ……?それで牛さん死ぬの……?」
彼女の中で、ひとつの前提が崩れた。
ナノシティは“命を奪わずに生きられる都市”だと思っていた。
だが違う。
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