嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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嫉妬の帝都

ミッドヴィニアへようこそ

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 レイスが路地裏の手すりにもたれながら、煙草を吸うふりで溜息を吐いた。
「……今夜どこで寝る?」
「ていうか、俺ら30日滞在すんだよな?」
 ウラヌスがポケットからスマホを取り出しつつ、笑うように呟く。
「1ヶ月ホテル生活はしんどくない? 財布がww」
 画面をスクロールする指は、明らかに“予算”とにらめっこしていた。
 ユピテルは壁に背を預けながら、うんざりした声を漏らす。
「でもなぁ……見ず知らずのヤツを1ヶ月も泊めてくれるような奇特な奴なんか……」
 その時だった。
 ふっと、昼間の記憶が蘇る。

 カリストが瘴気に当てられ、錯乱して暴れたとき。
 真っ先に動いて、祈りと共に魔力を制止に変えた少年がいた。
 柔らかな声で、怯えながらも決して目を背けなかった。
 あの少年司祭、インマール。
 レイスが小さく言った。
「……ダメ元で、神竜大聖堂。行ってみようぜ」

 夜のエンヴィニアは、昼間とはまるで別世界だった。
 ゴシック建築の尖塔群に、翡翠色の照明がぼんやりと灯り。
 空気中に揺らめくマナの粒子が光を滲ませている。
 闇の中に浮かぶ翠の街並み─どこか、異常なほど美しい。
 その美しさが逆に、都市全体の“不気味さ”を引き立てていた。



 レイスは歩を止め、ふと視線を空に向けた。
「断られたらそのへんの廃墟で最低限、雨風凌げりゃいい……しかし」
 ぽつりと、夜景を見つめたまま呟く。
「……美しいな」
 その言葉に、サタヌスが即座に反応する。
「お前! 不死身の代償に美的感覚まで狂ったんじゃねぇの!? どのへんが!?」
 だがレイスは笑わない。ただ、目を細めて翠の光を見ていた。
 そして─背後からテンションマシマシの声が飛ぶ。

「ちょおおおwww!!チョコミント通り越してミッドガルじゃん!!」
 ウラヌスがスマホを構えながら大爆笑している。
「エンヴィニア、ミッドガルだった!!wwwタグつけとこ! #魔界セブン #チョコミント地獄」
 ユピテルが顔をしかめながら、レイスに目を向けた。

「……おいレイス。今、俺にFF7ネタ振ろうとしたろ」
「金髪で、剣士でダウナー系って、思ってただろ?」
 レイスは肩をすくめて、ニヤリと笑った。
「……いや、てっきり“背中に剣を背負うには性格が軽すぎる”ってツッコむかと」
 ユピテルは無言で肩を殴った。軽くだが、愛のこもったやつだった。

 翠に染まる夜のエンヴィニアを背景に、悪ノリが加速していた。
「てかさ、銀髪でロングヘアでストーカー……つまりカリスト、セフィロスじゃん」
 ウラヌスが笑いを堪えきれず、スマホ片手に即投稿しそうな勢いで口にする。
「副官セフィロス 、嫉妬のワンウィング」
 ユピテルが素でキレる。
「俺の副官で遊ぶなぁ!!!」
「多分いま、あいつ……螺旋城の最上階で泣いてるぞ!?
 ちょっと横顔のぞかせて、“はぁユピテル様……”って……!!」
 明らかに経験に基づいた感情こもりすぎなコメントが飛ぶ。

「マジで泣いてそうだなぁ」
 サタヌスが口笛吹きながら言う。
「じゃあレイスは? クラウド?」
 レイスは肩をすくめてタバコを咥える仕草だけして答えた。
「オリジナルでもクローンでもねぇ、ただの“ハズレロット”さ」
 一同、謎のテンションで大爆笑したあと─。
 夜のエンヴィニアの翠の灯りが、遠くでゆらめいた。
 その笑いすら飲み込むように、都市は黙って輝いていた。


「ねえねえねえ聞いて!?」
 いつものように歩きながら、いつもより三倍テンションのウラヌスが叫んだ。
「もしもこの都市、マナデスらなかったら。
 ていうか、あのド派手な禁呪でチュドーンしなかったらさァ!!」
 指差したのは、廃墟と化した尖塔群……その“かつての都”があった場所。
 翠に染まる空を見上げ、彼女は爆発寸前の笑みを浮かべて言う。

「ミッドガルになってたと思うよ!!」
 一拍置いて、チームは誰もが言葉を失った。
 そして次の瞬間、誰からともなく「……それ、アリかも」と呟きが漏れた。
 そこから先は、誰の脳内に浮かんだ映像か――もう境界は曖昧だった。
 まるで幻灯機が回るように、イメージが一斉に流れ込んでくる。

 滅ばなかったエンヴィニア帝国。
 《マナ・デストロイヤー》は起動されず、神竜教も存続し、嫉妬の思想は都市計画へと昇華された。
 その結果生まれたのは、巨大な“感情制御都市”――《翠都ミッドヴィニア》。
 空は常に緑の光を灯し、道路にはチョコミント色の浮遊バイクが走り抜ける。
 ホログラムの広告が「他人の才能に嫉妬しよう!」と叫び、感情ポイントが通貨として流通。
 「羨望カフェ」「ジェラシーシアター」「ねたみ信託銀行」など、欲望丸出しの施設が煌びやかに並んでいた。

「バイクが黒翠カラーなのか!?かっけぇ!乗りてぇ!!」
 サタヌスが最初に夢に飛び込むように言った。
 彼の中では、すでに爆音を響かせる電磁式バイクにまたがった自分の姿が見えている。
「……信号機だけは赤くしてほしいぜ」
 と、レイスがふと呟く。
 緑に塗り潰された世界で、唯一“止まれ”を主張する色。
 それが、彼にとっては少しだけ救いのように思えたのだ。
 ユピテルはと言えば、少しだけ口元を歪めて笑っていた。
「……なあ、あのまま都市が残ってたらさ」
 彼は空に指を向ける。

「オレ、たぶん“ミッドヴィニアの死刑執行人”とか名乗ってるわ。
 剥製工房の裏に断頭台置いて、感情ポイント足りないヤツから首落としてさ。
 んで“芸術性のない感情は違法”とか言ってんの」
「わぁ~~~ユッピーこええ~~~~♡」
 ウラヌスは爆笑しながら転げ回る。
「……でもさ」
 レイスが煙草の火をつけながら、ぽつりと呟いた。
「その“if”が本当にあったなら……」
 彼はわずかに遠くを見つめた。
「この街の奴ら……誰も“傷”を知らねぇまま、ずっと綺麗に“演じて”たんだろうな」
「それが……幸せだったのかなぁ?」と、サタヌスもぽつり。
「幸せかどうかは知らんけどォ~~~」
 ウラヌスがくるりと回って、空を指差した。



「そっちの世界線、めっちゃ映えるアニメにはなってたと思うッッッ!!」
「ユピテル様が超絶美形の敵幹部で!
 インマールが空中神殿から祈りビーム出して!!
 カリストは巨大スクリーンで“嫉妬セリフ”だけ喋る副官役!!」
「んでラストは爆発!!舞台ごとバーン!!チョコミントが空から降ってきてEND!!」
「……チョコミントが降るって何だよ」
 全員が同時にツッコんだ。
 だが不思議と、誰もその妄想を笑えなかった。
 なぜなら―― “もしも”の世界の中で、自分たちは今より少しだけ、
 痛みを知らずに笑っていたかもしれないからだ。
 緑の光が、ゆらゆらと揺れている。
 夜のエンヴィニアが、滅びの記憶の奥で微笑んでいた。

 エンヴィニアの夜─翠に染まる街を抜け、クロノチームは大聖堂の裏口へと辿り着いた。
 高く伸びるアーチ型の回廊、その影の中でレイスが静かに扉をノックする。
 控えめな音。だが、それにすぐ反応する気配があった。

 カチャ、と扉が開き、小柄な少年が顔を覗かせる。
 昼間、瘴気に苦しむカリストを止めてくれた─あの優しき司祭。
「おや……昼の!」
 インマールの声は柔らかく、真夜中にも関わらず一切の警戒を感じさせなかった。
 その笑顔は、まるで“来てくれてよかった”とでも言っているようだった。

 レイスが申し訳なさそうに頭を掻きながら口を開く。
「司祭……いきなりで悪いが、ここ、泊まれるか?」
「1ヶ月くらい滞在したくてさ。もちろん無理なら─」
「いいですよ」
 遮るように、インマールは頷いた。
 それは当然のように差し出された“居場所”だった。

「この大聖堂は広くて……お掃除を手伝っていただければ、十分です」
「皆さん、旅の方なのですよね?」
 一瞬で決まった寝床。ウラヌスが小声で呟いた。
「……ぐう聖すぎる……」
 サタヌスは感極まり、背を向けてマントの裾で目元を押さえた。
「声が……声がメルクリに似ていて……優しい……泣いていい?」
 レイスは、何も言わずに目礼した。
 ユピテルは、夜風を受けながらつぶやく。
「俺たち……一番まともな人に救われてない?」

 インマールは、慎ましく手を合わせてから、奥の小さな食堂へとチームを案内した。
 夜も更けているせいか、他の聖職者の姿は見当たらない。
 仄かなランプの灯りが、長机に影を落とす。
「来客を想定せず作っていたので……」
「“舞台袖グラタン”しかありませんが、それでもよろしければ」
 鍋の蓋をそっと開けたインマールの手から、湯気と共に香ばしい香りが立ち上る。
 深緑のグラタン。表面には絶妙な焦げ目、香草の香りが鼻先をくすぐる。
 レイスが眉をひそめながら聞いた。
「……何? そのグラタン、ネーミングが舞台寄りすぎる」
インマールは笑みを崩さぬまま答える。

「アルヴ=シェリウス様が考案されたメニューです」
「本来は劇団員の夜食だったようですが……僕の場合は、ただ美味しいので作っているだけですよ」
 その名が出た瞬間、空気が一瞬、止まった。
 ウラヌスがフォークを持ったまま吹き出すように笑う。
「アルヴってあれじゃんww ヴィヌスが絶対“遺作持ち帰れ”って譲らなかったやつ!」
 サタヌスはグラタンを見下ろしながら、ぽつりと呟く。
「マジでいたんだ……“悲劇の父”。噂だけの怪人かと思ってた」
 レイスは沈黙していた。
 グラタンの焦げ目を見つめながら。
 “その名前を今、このタイミングで聞くことになるとは”─そう思っていた。

 アルヴ=シェリウス。
 狂気の劇作家。
 そして、“終焉の脚本”を書いたとされる男。
 クロノチームの誰もが知らなかった。
 この聖堂の静かな食卓が─かつて彼の作品を“提供”していた劇団の余波に。
 今もなお連なっていることを。

 テーブルの上に並べられた“舞台袖グラタン”は、ほんのり緑色を帯びていた。
 抹茶と蛇油、そしてオートミールで仕立てられたホワイトソースが。
 見た目以上に優しい香りを放っている。
 上部の焦げはきつね色で、表面の波打つような焼き目が、まるで“誰かの手間”を物語っていた。

 スプーンですくい、口に運ぶ。
 優しい。だが薄いわけじゃない。
 舌に残るのは、疲れた身体をそっと撫でてくれるような淡さ。
 そして、食べ終わる頃には、ほんのりと口の中に甘さが残る。
 ウラヌスが一口目でぱっと顔を明るくする。
「うわ、このグラタンおいしい♡」
 フォークを持ったまま、ぽつりと笑った。
「ダディ……ハイペリオンが体調悪い時に作ってくれたグラタン、こういう味だった」
 誰もが一瞬黙った。
 その名前が出るとは思わなかったし、その口調があまりにも自然だったからだ。

 サタヌスが、グラタンを見つめたまま呟くように言う。
「お前……マジで、オヤジに愛されてたんだな」
「……まぁ、わかるわ。疲れてる時に、たっけぇ肉とか無理だもんな」
「こういうのが、染みるんだよ」
 レイスは黙って数口を食べ、ゆっくりと口を開いた。
「……“気遣う味”だな」
「疲れ切ってる奴のための味してる」
 その言葉に、誰もツッコまなかった。
 今、この瞬間だけは、全員が“クロノチーム”という肩書きを外して。
“ただ、疲れた旅人”だった。

 グラタンを平らげた一行は、今はそれぞれに翠風サンドイッチを片手に静かな咀嚼時間を過ごしていた。
 ホウレン草と蛇のスモーク肉、薬草チーズが香り立つ─淡く、噛むほどに滲む味。
 カリカリとした音が断続的に響く中、ユピテルがふと顔を上げた。
「なあ、司祭」
「俺の知り合い─ちょっと演劇にうるせぇ女(ヴィヌス)なんだが……」
「そいつが熱狂的なアルヴファンでよォ。もし会えるんなら、サインもらって帰りてぇくらいなんだが……」
 口調は軽いが、どこか本気が滲んでいた。
 インマールは、サンドを少し置き、指を組んで神妙に首を振った。

「残念ながら……アルヴ様は、10年前にお亡くなりになられました」
「詳しくはわかりませんが……噂では、王族への反逆罪で投獄され、そのまま……」
「僕も、父から人伝に聞いた程度の話なので、真相までは……」
 静かだった。
 食卓の温度が、ふっとひとつ、落ちたようだった。
 ユピテルは、サンドを見つめたまま、ぼそりと返す。
「……そうかい……」
 それは“知りたくなかった答え”だったのか。
 それとも“やっぱりな”と感じていたのか、誰にもわからなかった。
 けれど、誰も冗談を挟まなかった。
 今この時、食卓に座っている彼ら全員が、“あるはずの声”が失われていることを、確かに感じていた。

「美味しいからグラタン、もっかい食べちゃお♡」
 ウラヌスが楽しげにサーブ皿を引き寄せながら、スマホを取り出して構える。
「んで、撮影も~。“アルヴ風グラタン食べてみたー♪”って動画あげるから!」
 その無邪気な声が、場をふっと和ませる。
 だが、レイスの声がその直後に落ちた。
「……アルヴって、なんで投獄されたんだ?」
「そいつの芝居ってだけでエンヴィニア中が湧いたんだろ。王族だって後援してたって聞いたぞ」
 インマールは、ふっと視線を落とした。
 スプーンの先で皿の縁をなぞりながら、静かに答える。
「はい……それが、わからないのですよ」
「噂では“最後の作品”が、エンヴィニア王族の根幹を嗤うものだったから……と、聞きました」
 部屋の空気が静かに沈む。
 まるで、その“笑い”がいまも残響を残しているかのように。

 サタヌスがグラタンをつつきながら、ぽつりと呟いた。
「そりゃ投獄されるわな……こんだけネームバリューあるやつに。
 公然とバカにされるとかよ。王族のプライド、粉々だろ」
 ユピテルは、スプーンを止めたまま天井を見つめた。
「“遺作”があるとするなら……そいつか」
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