嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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嫉妬の帝都

おやすみ、知らぬ世界

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 サタヌスがふと思い出したように、パンをかじりながら尋ねた。
「そういや……司祭っていくつ?いや、チビなのに落ち着いてて、正直わからねぇの」
 問いかけられたインマールは一瞬きょとんとし、それから微笑んだ。
「今年で18歳です」
「落ち着いてるなんて……そんな」
「僕はただ、父の役職を継いだだけですから」
 どこか照れたように目を逸らし、手で小さく「すみませんね」とでも言うような仕草をして。
「先にお風呂、いただきますね」と柔らかく言い、軽やかな足取りで部屋の奥へと消えていった。
 扉が閉まる音のあと、微妙な間が残った。

「司祭、マジで光のメルクリウスじゃんww」
 ウラヌスが先に爆発したように笑いながら呟く。
「……あの糸目神官のほうが闇なのかよ」
 レイスが半目で言うと「闇だろ」とユピテルが即答した。
 誰も否定しなかった。
 その場にいた全員が、なんとなく─いや、完全に納得していた。

 ユピテルが背伸びをしながら、いつになく真面目な声で告げた。
「明日から忙しいぞ」
「何せ俺の副官が王族に攫われたンだ」
「風呂上がったらすぐ寝ろ、命令だ」
 それは珍しく“本気の上官”の顔だった。
 全員が黙ったあと、先にサタヌスが反応した。
「……あの雷神、お母さんか?」
 その声に、場の空気がわずかに緩む。
 ウラヌスが笑いながら湯の色を想像し始める。

「お風呂の湯、ミントグリーンだったら笑う自信ある」
「てかこの大聖堂、光源が全部チョコミントじゃん」
 レイスは微笑むでもなく、淡々と頷いた。
「確かに、早く寝た方がいいな」
「……これから先は、体力勝負になる」
 そのまま窓辺に歩み寄り、ゆっくりと頬杖をつく。

 螺旋城。
 翠の光に浮かぶ、あの塔のシルエットが、夜空を裂くように突き立っている。
 その姿は、どこか美術品のようでもあり─冷たい刃にも見えた。
「やっぱり……美しいな」
 その一言は、誰にも返されなかった。
 だが全員が、その美しさが“どれだけ歪んでいるか”を、知っていた。

----

 脱衣所の扉を開けると、湯気の中から淡い光が溢れ出た。
 その色は─透明な緑。
 まるでエメラルドを溶かしたような、ほんのりとした輝きと、薬草のような強い香りが漂ってくる。
「おい!?すげぇ薬の匂いするんだけど!?」
 サタヌスが脱衣中に盛大にツッコむ。鼻をひくつかせて後ずさった。
「ミントグリーンじゃなーい!でもニアピン♪」
 湯を覗き込んだウラヌスが指で色をすくうように言った。

「ていうか……お前誰ェ!?」
 サタヌスが声を裏返した。
 ウラヌスは、いつものド派手ツインテールを解き、濡れ髪を背中に流していた。
 ツートンのインナーカラーが湯気に溶け、まるで見た目だけなら美少女RPGの主人公だった。
 髪が濡れることで顔の輪郭が強調され、思ったより目がぱっちりしていることが判明してしまった。
「えっ何そのリアクション、今さら? 私ってば美少女だよ?」
「いや爆弾だろ!!」
 サタヌスの声が響く。
 レイスはというと、彼は湯に肩まで浸かり、浴槽の縁に肘を乗せてリラックスしていた。
「でも動くと爆弾なんだよなぁ……」
 目を閉じたまま静かに毒を吐くその姿は、完全に“温泉で休む旅の主役”。
 湯の中でマナが緩やかに揺れ、翠の波紋が音もなく広がっていく。
 戦火に焼かれる前の魔界で、ほんの一瞬、誰もが“生きている”ことを許された静寂だった。

 浴場の湯気がほどよく晴れ、翠色の水面に照明が反射する頃──。
 一人、サタヌスが湯から上がり、タオルで髪を拭いていた。
 その髪は、湿気でへたり気味ながらも自然に後ろへ流れ。
 普段は上げている前髪が、額に張り付いていた。

「ていうかサータも誰!?」
 ウラヌスが即・指さして叫ぶ。
「オデコ出してないとただの中東系イケメンじゃない!」
「えっ何そのキリッとした骨格!?ワイルドキャラどこいったの!?」
「うるせぇ!!」
「デコ出すのは……デコ出すのは男気だよ!!」
 サタヌス、湯気に包まれながら謎の持論を炸裂。

「誰だよデコに哲学宿してる奴」
 レイスが風呂縁から半笑いでツッコミながら、足を伸ばして軽く水音を立てる。
 その横、ユピテルが湯に首まで浸かりながら、ぽつりと呟いた。
「……温泉って、いいよな」
「俺……死合(しあい)の次くらいに好きだわ」
「死合の次って、あまりに血と肉の間すぎる」
 レイスがまたツッコミかけたが、湯に浸かったユピテルの顔は実に穏やかで。
 そのまま言葉を飲み込んだ。
 翠の湯に、それぞれの“素顔”が滲んでいた。

 風呂から上がったクロノチームは、大聖堂の小さな客間で。
 それぞれに水を飲んだり、髪を拭いたりしていた。
 タオルを頭に乗せたまま、サタヌスがふと口を開いた。
「そういや……氷のあいつ、風呂上がりどうなってんの?」
 髪を下ろしたまま、普段の悪ガキ感を封印したサタヌスは、完全に中東系イケメンと化していた。
 オデコを隠してるだけでここまで雰囲気が変わるのは、もはやバグである。
 ユピテルは乾かし終わった髪を適当にまとめながら答える。

「ずーっとドライヤー握ってるぞ。あいつ髪長いだろ?しかも氷属性だから、中々乾かねぇんだよ」
「あとねー♡」
 ウラヌスがタオルで頭をふきながら加わる。
「すっごい美人♡ “うわ、銀髪美女いる!”て思ったらカーくんだった~♡」
 その言葉に、もしも「彼」がいたら?そんなIFが四人の脳裏に浮かんだ。

 風呂の湯気がほどよく晴れたその時、
 誰もが同時に“視界の端”に気づいた。
「なぁ……なんか、銀髪のロン毛いるんだが」
 レイスが湯から片目だけ出して、ぼそりと呟いた。
「女?……いや違う」
 サタヌスが鼻をひくつかせ、目を凝らす。
「肩幅がゴツい。背筋もヤバい。あれ鍛えてる男だぞ」
 湯の奥で、静かに長髪を絞る姿。
 落ちた髪の水滴が、鍛えられた肩から滑り落ちる。
 美貌が溶けて、筋肉が露わになる副官──カリスト。

「……あんまりジロジロ見ないでくれますか?」
 振り向いたその顔はいつもの通り整っていた。
 だが、首筋から肩、背中にかけての軍人特有の筋肉が、
 湯の光に照らされてはっきりと浮かんでいた。
「カー君!?別人すぎん!!?」
 ウラヌスがバシャァッと立ち上がって叫んだ。
 声が裏返り、語尾がバーストしてる。
「いや知ってたよ!? 軍人だから当然筋肉あるよね!?
 でも!でもさぁ!?なんでその筋肉をあの軍服で隠してたの!?
 スーツ映えする理由、骨格じゃん!!やっぱスーツって骨格芸だったのか!?!?」
 早口が止まらない。
 ユピテルは湯の中で沈んだまま、ぽつりと呟く。

「……あの銀髪、入隊当初より盛れてるな。
 見てろよ、あいつたぶん……ドライヤー前にポージングしてるぞ……」
「しません!!」
レイスは静かに湯船に沈みながら、
「筋肉が嫉妬される時代が来たか……」と、意味深に呟いた。

「……マジで、いねぇのが残念だなー」
 サタヌスがぽつりと呟く。声は軽いが、空気に小さな寂しさが落ちた。
 レイスが頬杖をつきながら、窓の向こう─螺旋城の方向を見やる。
 その目は、やや険しく、そして静かだった。

「相手は魔界最大……最強の王族だ」
「長い戦いになりそうだぜ。カリスト奪還作戦」
 誰もが、その言葉の重みを知っていた。
 風呂のぬくもりが残る部屋のなかで、いない“副官”の話をする時間は。
 あまりに穏やかで、あまりに切なかった。

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