嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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妬羨

天才、ゾンビになる

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 翡翠回廊。
 それは、緑と黒の石が幾何学的に敷き詰められた王城の一角。
 外界の光を拒むような装飾に満ち、静かに、ただ静かに時が流れる空間だった。
 ロト─今の名をカリストと呼ばれた青年は、その中心にいた。
 そして、その周囲で侍るのは、毒にも似た美をまとうメイドたち。
「ロト様、貴方の着られていたお召し物は此方で預からせて頂きましたわ♪」
 軽やかに、そして無邪気に笑う。

「嫉妬の王子が“ただ白いだけ”なんて、美しくありませんもの」
 カリストは返事をしなかった。
 その目に浮かんだのは、怒りでも困惑でもない。
 ただ─冷たい沈黙。
(……白いだけ?)
(私は……私は、あの姿が一番好きなのに)
 かつてユピテルの隣で白い軍服を纏い、誇り高く“六花将軍”として名を馳せたあの頃。
(……汚されたのは、きっと、私のほうだ)

 ─翡翠回廊を抜け、中庭へ。
 そこには神竜大噴水。
 緑と黒のタイルで縁取られ、中央に湧き上がる水音だけが響く。

 水面に、己の顔が映る。
 しかし─その奥に、言いようのない気配を感じた。
(……底が、見えない)
 深く、暗く、どこまでも落ちていけるような、そんな静けさ。
 その縁に一歩、足が伸びる。
 だがすぐに、カリストは拳を握りしめた。
「……ダメだ」
「この程度で、私は死なない」
 喉元までせり上がる衝動を飲み下し、俯いた目で、水面を睨む。

「何より……ユピテル様が怒る」
 その声は、どこか安堵に似た震えを帯びていた。
「……あの人が本気で怒れば……この都のほうが持たない」
「堪えろ、私」
 風が吹いた。
 だが彼の髪もコートも揺れなかった。
 揺れていたのは、ただ水面だけだった。

 翡翠と黒曜石で彩られた中庭に、涼やかな水音だけが響いていた。
 神竜の名を冠する噴水─だが、その中心には“底”がなかった。
 カリストは、ゆっくりと指先を伸ばし、その縁に刻まれた古代碑文をなぞっていた。
 エンヴィニア王族が自ら刻ませた、龍信仰と支配の定義。

「愛は、執着」
「愛は、尊ぶ」
「愛は」
 指が、そこで止まる。
「……」
 背後から、甘く、薫るような声。

「旦那様♪」
 振り返らずとも、気配でわかる。
“彼女”─この国で最も笑顔がよく似合う毒、サロメ。
「気に入って頂けましたか?」
「それが─エンヴィニア王族の心臓」
 彼女は、花嫁衣装を選ぶかのような声音で続ける。
「……龍穴ですわ」
 カリストの瞳が、水面を離さぬまま動く。

「……龍穴とは?」
「我等がレヴィアタン様は、死して尚─大地に龍脈という形で御霊を残されたのです」
「その中心が、この龍穴」
 水面には、彼の顔が映っていた。
 だがその瞳は、何も映していなかった。

「今のエンヴィニア王族は」
「レヴィアタン様の御加護によって繁栄してきましたの」
 カリストの心中には、皮肉な冷たさがにじんだ。
(神竜の御加護、ね……)
(屁理屈が上手いな、この王族は)
 そして、ごく僅かに口角を上げたまま、こう呟く。
「底なしの穴を噴水にする、ですか」
「それは……さぞ妬まれる腕の職人が携わったのでしょう」
 サロメは微笑み、まるで褒美でも与えるように言う。

「あら♪この王家に馴染んで来ましたね、旦那様」
「婚礼が楽しみですわ」
 靴音を響かせながら、彼女は去っていく。
 だがその足音さえ、水面に吸い込まれるように消えた。

 カリストは、独り呟いた。
(確かめてみましょう。この国がどこまで“底なし”なのか)
 彼はしゃがみこみ、足元の小石を拾い上げる。
 そして、ためらいなくそれを噴水へと放った。
 音は、なかった。
 まるで“石そのものが存在を消された”かのように、水音ひとつ立たず沈んでいった。
 カリストは、その場で立ち尽くしたまま、そっと瞳を伏せる。

(ここが“龍穴”)
(なら、ここで何が起きるかも決まっている)
 噴水の奥、深く深く沈んだその底に。
 何が眠っているかは、まだ誰も知らない。
 ─だが確実に、“物語の終わり”はこの中にある。



 神竜大聖堂、早朝。
 今日も清らかな祈りが、ステンドグラス越しの光の中に響いていた。
「レヴィアタン様。今日も一日、我らに─」
 インマールの言葉を遮るように、ドアがッ!!!
 ゴシック様式の超重厚な扉が、《業》という音を立てて開かれる。

「博士ーーー!?!?!?」
 開幕、インマール司祭の叫び。
 教典を落として叫ぶのも、もはや様式美である。
 登場したのは、見るからに“限界突破済”の男。
 白衣の裾をメロンソーダ色に染め、スマホを握りしめたまま、魂の抜けた目。
「また懺悔ですかあああ!!!?」
 すでに“懺悔ルームの常連”と化した科学者が、今日もやってきた。
 ただし、今回は何かがおかしい。
「……大丈夫だ……少し寝不足なだけだ……」
「目が……霞んで文字が読めなくなる程度にはな……」
 カイネス博士。
 白目寸前、隈ガッツリ、肌はほんのりメロン色、服にはメロンソーダの染み。
 そして、何より─スマホを死守したまま入場である。

「うわっ!!ゾンビ!?!?」
 サタヌス、秒速でツッコミに入る。
「アメコミのゾンビってああいう色だよな!?なんかグリーンの発光フィルターかかってんぞ!!?」
 ウラヌスはキャッキャしながらぴょんぴょん。
「キャー♡ゾンビ博士~♡」
「ウラちゃんハルク大好きなんだよね~♡」
「今にも“I'm always angry”って言いそう~♡」
 博士はと言えば、スマホを掲げてふらりと近づきながら、誰とも目を合わせずに言った。

「ああ……オデコ君……」
「君のおかげで、大変有意義な時間が過ごせたよ……」
「どっちかっていうと“科学事故の犠牲者”だろあれ……」
 レイスがぽりぽりとこめかみをかきながら、冷静にコメントした。
「理系の限界突破型だ。いや、限界ぶち抜いた後の“空白期間”って感じ」
 その場にいた全員が、ツッコミ待ったなしで沈黙していたが。
 最初に動いたのは、ユピテルだった。

「おい博士」
 めっちゃ真顔。
「俺の舞雷にもソーダかけたろ」
 博士はフラつきながら、声にならない声で返す。
「……人はね……限界を突破すると“味覚”が無になるのだよ……」
「メロンソーダは……神の飲み物……水より旨い……」
 インマール司祭、今日も胃が痛い。
「博士、とりあえずお水と寝床をご用意しますから……!!」
「ソーダで命は救えませんよ!?」
 そしてサタヌス、ついに博士を肩に背負う。

「すげぇな……天才ってゾンビになるんだな……」
 博士、されるがままに搬送。
 メロンソーダ片手に、スマホを握ったまま。
 一同、言葉を失ったまま、祈りの朝が崩壊した。

 ─神竜大聖堂・礼拝堂横の客間。
 ベッドの上、白衣の天才が“ぐでぇ……”と完全に廃人化。
 廊下からの運搬はクロノチーム総出、という超異常事態である。
「博士ぇ~~もう無理すんなってばぁ~……」
 サタヌスが、肩に担いだままぼやいていた。
「スマホいじりすぎはマジで寝られねぇからやめろってメルクリが言ってたぞ……」
 そのとき。何気なく触れた博士のスマホ、通称“バキフォン”が淡く光った。
 表示された画面には見慣れないログと、奇妙な起動画面。

 Dimensional Sync: 0.03s established
 Receiver ID: VRc…

 サタヌスは眉をひそめ、近くの机に博士を下ろしながら画面を覗き込む。
「ありゃ?おかしくねぇ?これスマホっていうか……送信機じゃね?」
「マジで“時空メール”送ったんじゃねーのコレ……?」
 ユピテルが隣から顔を出し、画面を見てニヤリと笑う。

「ほぉ……」
「カイネス・ヴィアンは……“魔改造”においても天才らしいな」
「つーか……“送った”か、“届いた”かは分かるよな?」
 パチン、と舞雷が静かに帯電する。

「……反応が、あった」
 その瞬間、ウラヌスがぴょこんと跳ねて歓声を上げた。
「うわあー♡ヴィヌスがこれ見たら発狂して写真撮るやつじゃん♡」
「“考古学者が現代機器に魔法インストール”って絶対ウケる♡」
 レイスは画面をじっと見つめ、ふっと眉を寄せる。
「“0.03秒”だけ、送ったんだな……」
「その0.03秒のために徹夜で死にかけたのか……博士」

 その足元に、一冊のメモ帳が落ちていた。
 通信時間:0.03秒 成功/“Test”のみ送信/次回以降:画像/音声転送検証。

 字が揺れている。まるで寝落ち寸前の証拠のように。
 ユピテルがスマホを手に取り、静かにその画面を見つめた。
「……いいぜ、カイネス」
「繋がったんなら“次”を送ろうじゃねぇか」
 画面には、ほんのわずかな「光」が走った。
 それは、希望か、それとも導火線か。
 ─Dimensional Sync: standby.
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