嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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妬羨

嫉妬の甘味は脳に来る

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 チョコミント色の陽光が、神竜大聖堂のステンドグラスをすり抜け、クロノチームの影を長く落としていた。
 彼らは街の外れまで足を運び、小高い丘から─その《螺旋の王城》を見つめていた。
 地平線を裂くように伸びる、異様な黒の塔。
 ただ高いだけではない。ねじれたその構造は、見る者の神経にひっかき傷を残す。
 ユピテルが口元に煙草をくわえ、視線を逸らさずにぼそりとつぶやいた。

「……にしても、なんかイヤな予感すンだよな」
「見た目がやべぇのはまあ……今さらだが。問題は“中身”だ」
「……アレの中に“動力源”あったりしねぇか?」
 その一言に、風の音すら止まったような沈黙が落ちる。
 レイスが手元のスマホをスワイプしながら、ぽつりと漏らした。

「……カイネス博士、もしかして全部、知ってるんじゃねぇか?」
 画面に浮かぶのは、数ヶ月前に撮影した、無慟海に沈んだ《エンヴィニア跡地》。
 どこまでも続く瓦礫と─ぽつんと残された、翡翠の玉座。
「……あのとき、城はなかった。全部……消えてた」
 サタヌスが少し目を細め、記憶を辿るように言う。

「──王様の象徴、だもんな」
「あの“玉座”だけ残ってたの、逆に不自然すぎる」
「“この国は私のものだぁ~~!!”ってやりたがる奴が、最初にあそこブッ壊しそうなとこなのによ。
 なぁ、あのパペット野郎─アンラ・マンユよぉ」
 ユピテルがククッと笑って、煙草を指先でくるくる回した。

「ハッハッハ~~!やめろ、その声マジで似すぎ」
「今度からお前が公式アフレコな」
 その横で、ウラヌスがちゃっかりレイスのスマホを覗き込む。

「うわ~~この海、マナねぇ~って感じ~♪」
「城もナッシング、玉座ポツン。“ここが王都でした”って言われても信じねぇよ~これ」
 レイスは画面をズームする。そこに映る翡翠の椅子が、なぜか不気味に感じられた。

「……マナ・デストロイヤーの“初動”が、城だった可能性がある」
「つまり─最初に吹き飛んだのが、“そこ”だったんじゃねぇか?」
 風が、丘の草をさらりと撫でる。
 ユピテルが煙管に火を灯し、軽くくゆらせながら、空を見上げて言った。

「“何か”どころか……もしアレが《発射台》だったら?」
 鐘の音が遠く、神竜大聖堂から鳴り響いた。
 静寂を破るようなその音が、まるで終焉のカウントダウンのように響いていた。

 エンヴィニアの市街地は、今日も緩やかな陽光に包まれていた。
 風は暖かく、どこか海の匂いが混ざっている。
 だがそれは“平和”というより“油断”に近い空気だった。

 クロノチームは市場を歩いていた。
 目的はひとつ。“未来への土産”を探すためである。
 土産といってもただの記念品ではない。
 この地の“暮らし”や“記憶”を、ほんの少しでも持ち帰るための、儀式のような行為だった。

 ウラヌスは光る棒状の何か─おそらく祭具か雑貨か。
 判別不明なペンライトのようなものをいじりながら、鼻歌まじりにぶらついていた。
 一方、レイスは野菜売りの露店で紫根色の長い芋のようなものを吟味していた。
 すると、その隣から声がかかった。
「旅人かい?」
 年季の入った声だった。
 目をやると、野菜の籠に腰を下ろした雑貨屋の老婆が、やや片目を細めてレイスを見ている。

「こんな平和な時に、珍しいもんだねぇ。戦でも、疫でもないのに」
 レイスは軽く目を細める。老婆の目は澄んでいて、言葉に棘はないが、妙な重みがあった。
 老婆は、さも昔話でもするように続けた。
「……エンヴィニアってのはね、他国の“妬み”を全部受けて生きてる国さ」
「豊かすぎる、技術が進みすぎる、街が美しすぎる……そりゃ憎まれもするわよ」
「人間の心ってのは、“他人の幸福”に長く耐えられるようにゃ出来てないんだ」
その言葉に、ウラヌスがくるりと棒を回して口を挟んだ。
「ほーん♡ つまりヒガミに囲まれて生きてきた国家♡」
「いるいる~、自分の出番少ないって拗ねる子~♡」
 老婆はウラヌスの言葉に笑いもせず、ただ「うん、そうさね」と静かに頷いた。

「この都だって、何度も燃えたよ」
「外敵に侵され、大火に包まれた」
「時には、地が裂けて、城下の半分が飲まれたことだってあったよ」
 その瞬間─クロノチームの誰もが、ふと手を止めた。
 風の音だけが、かすかに吹き抜ける。
 老婆は、ゆっくりと震える指で遠くの黒き螺旋城を指差す。
「あそこだけは……壊れなかったんだよ」
「地割れが、あの城を避けて裂けたの。神様が護ったのかねぇ……それとも“龍穴”ってやつか」
「どっちでもいいさ」
「事実だけが残る。“何があっても壊されなかった”ってね」
 サタヌスが低く、ぼそりと呟いた。

「……壊されなかったってことは─今から“壊す側”が動くってことかもな」
 レイスがほんの小さく目を伏せ、声を潜める。
「……“起動地点”に、ふさわしすぎる……」
 城は、そこにある。
 何事もなかったかのように、緑と黒の塔が、空を支えている。
 ユピテルがその空を仰ぎ、口元だけで笑った。
「─それより先に土産だろ?」
「選ぼうぜ。“翠の甘味”てやつをよ」
 彼の指が示すのは、飴色の結晶に似た、翠緑の干菓子。
 失われる帝国の味を、今だけ味わえるような儚い幻想だった。

 商店街の空は翠がかった魔界色、光は斜めに差し込み、無数の布製ひさしがゆらゆらと揺れていた。
 クロノチームは、なぜか賑わう甘味屋の前にいた。
 レイスは入り口で腕を組み、店の看板を見上げながら、苦笑い気味に呟く。
「……さぁ、持ち帰らなきゃな」
「勇者様や女王様が“お土産ないの?”って絶対言うから」
 ウラヌスが爆笑しながら突っ込む。

「このタイミングで!?まだ王族ぶっ潰してねぇよ!?www」
 サタヌスは至って冷静に、グミの詰め合わせを黙々と袋へ。
「逆に言えば、今が一番平和だから買えるって話だろ」
 レイスは店内に目をやり、1つ気になった甘味に手を伸ばす。
 名前は《エル・グリモーア・カヌレ》─“禁書の菓子”とも呼ばれる謎アイテム。
 試食した瞬間─レイスの動きが止まった。
 目の奥に、記憶の亡霊がよみがえる。
 鼻の奥にラム酒。苦み。焼け焦げた外皮。
 それはかつて彼が作った、元カノとの最後のカヌレ。

「……あぁこれ……元カノに作ったカヌレの味がする……」
「ラム酒強すぎて、苦いだけの……」
「俺、尽くすだけ尽くして……二股された……」
 目にじわっと涙が浮かぶ。
 回想が走馬灯のように駆け巡り、感情のフレーバーが喉を焼いた。
「コイツの恋バナ、地獄しかねぇぇぇ!!!」
 ウラヌスはテンションMAX。



 カヌレの香ばしい甘さが口の中でじゅわりと広がっていく中で、レイスはぽつりと呟いた。
「俺さぁ~~……よく“その目つきで尽くすタイプ?”って言われるけどよ、
 実はめちゃくちゃ尽くすタイプなんだよな」
 隣でスイーツ袋を振り回していたウラヌスが、勢いよく振り返る。
「ギャップ萌えの爆弾♡」
「え、ねぇそれ今ここでぶっ放すの!?ファンサ!?レイスのプライベート解禁きた!?」
 レイスは肩をすくめ、チュロスの残りを口に放り込む。

「でもよ、俺のこの目つきだ。普通にいい女は逃げてく。目が怖ぇってさ」
「で、残るのは……つまりな──俺が“メンヘラ製造機”だったってオチだ」
 サタヌスが、グミを食べる手を止める。
「……あ。いやな予感してきた」
「たとえばな……深夜3時に“死にたい……”って電話してくる女とか」
「俺が寝てても関係ない。出ないと“お前には私の苦しみが分からないんだ!”ってくる。泣きながら」
「でな、俺の収入を全部“推し活”に溶かした女もいた」
 ウラヌスが爆笑する気配を堪えながら、耳をダンボにしていた。
 レイスは遠い目をしながら続けた。

「グッズ買いまくって、推し変して、“全部燃やす”って言い出して」
「止めたら、“じゃあレイスが全部処分してよ”ってさ。俺が、袋に詰めてリサイクル出したよ」
 その場が、静かになった。
 風の音すら、遠ざかっていくような間。
 ウラヌスが、思い切り笑った。

「いやwww無理wwwwそれwwww」
「地獄フルコースじゃんwwww」
「涙で味がしねぇよカヌレwwwwレイスの人生、情緒が焼きすぎカヌレなのよぉ!!」
 サタヌスは静かに言った。
「それもう恋愛じゃなくて業(カルマ)じゃん……」
 レイスは、笑わなかった。

「……でもよ」
「全部俺が、断れなかったせいなんだ」
「“見捨てられたくない”って言われると、どうしても切れなかった」
「……なんか、昔の誰かと被るんだよ。止めなきゃって思うと」
 ウラヌスの笑いが止まった。
 ほんの一瞬だけ、彼女の目の奥が揺れた。
 レイスは続ける。

「でもさ。今こうして、バカなこと言いながら旅してんのが、一番楽しい気がする」
「アイツらには悪いけど──あの頃より、今のほうがマシなんだよな」
 そして、カヌレをもう一口。
「この苦いラム……マジであの子の味だわ」
「どこまでも後味悪くて、でも忘れられねぇの」
 空は相変わらずチョコミント色。
 甘さの中に、ほんの少しの苦さが溶けていた。

 その横で、ユピテルは試しに1つ、妬焔マカロンを手に取り、無言でかじった。
 ─次の瞬間。
「オワァァァッッ!!!」
 地面が閃光とともに焦げた。
 ウラヌス、ぴょんと飛び跳ねながら歓声を上げる。
「ピッカリ☆タイムきたぁ!!」

 レイスは冷静にツッコミ。
「お前のマカロン、“嫉妬MAX爆発型”だったな」
 サタヌスがラベルを読み上げる。
「……“爆裂確率5%”って書いてあるな」
 ユピテル、顔を真っ赤にしながらカゴを地面に叩きつけた。
「売るなそんなもん!!!」
 ─こうして、未来の地上に持ち帰るにはやや危険すぎるエンヴィニア土産。
 それが着々とパッキングされていくのだった。
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