嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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妬羨

めんどくさくて、最高の女

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 空気が変わった。
 それは、クロノチームの演目がすべて終わったあと。
 ユピテルの顔面神芸、ウラヌスの映え地獄、レイスの失恋漫画、サタヌスのド底辺マウント。
 あらゆる“妬みの形”を出し切ったはずの会場に、突如として冷たい気配が落ちた。

 ステージ後方。
 誰も立っていなかったはずの王族観覧席に、一人の少女が歩み出る。
 肌は透き通るように白く、銀のティアラが朝日にきらめいた。
 ドレスは淡く輝き、後光すら感じさせる“生まれながらの貴族”。
 その瞳は、万年雪のように冷たい。
 名乗る声が、会場を震わせた。
「王家第三位継承者、リリアン=ヴァルセリナ=エンヴィニア」
 その名を口にした瞬間、会場がざわめきと共に凍りつく。
 エンヴィニア帝国、かつて嫉妬の支配を誇った王国の、“生き残り”――それが目の前にいる。

 リリアンはドレスの裾をつまみ、軽く一礼して言った。
「この“妬まれ王選抜祭”……その名を掲げる以上、本当の“嫉妬”を知る者が、舞台に立たねばなりませんわ」
 観客のどよめきが一斉に跳ねる。
 言っていることは正論だった。だがその正しさこそが、妬みを煽る。

「生まれながらに称賛され、生まれながらに妬まれてきました。
 美しさも、才能も、血統も……私にはすべて、ありましたわ」
 語られるたびに、インヴィディアスケールの針が跳ね上がる。

「これは、私が歩んできた宿命。妬まれることは、呼吸と同じ。
 ですから、こうして――“立つこと自体”が、妬まれるのです」
 何の演目もなく、ただその存在だけで、妬みゲージは限界値を突破していた。
 500妬。上限。
 バフォメット司会が絶叫する。
「妬みゲージ……上限突破ッ!!!これは……これはもう、文句なしのッ、文句なしのぉぉぉ……ッ!!」
 そのとき、クロノチーム側の控室にて。

 レイスが、静かに立ち上がった。
「……このままじゃ、負けるな」
 言葉の端に、微かな笑みが混じる。
 サタヌスが叫ぶ。
「んなわけあるか!!お前、今までの俺たちのステージ忘れたんか!?
 全部ブチかまして来たんだぞ!!どの“妬み”も世界一だろーが!!」
 ウラヌスも目を見開いている。
「けど……でも……あの王族、“妬まれるために生まれてきた”みたいな女だよ……。
 これは……ずるい。バズられるより嫉妬される属性……圧が違う……!」
 レイスの目が揺れていた。
 ユピテルが口元に手を当てて、ぽつりと呟く。

「手があるにはある。ただ、お前にしか切れねぇカードだ」
 誰もが気づいていた。
 この場において、王族という血統に対抗できる“妬み”は――ただ一つ。
 かつて、世界を滅ぼしかけた存在との恋。
 伝説とされ、今なお畏れられる、神話級の存在。
 レヴィアタン。レイスが本気で愛し、その手で命を奪った“元カノ”。
 吐息ひとつ。空気が止まるような間の中、レイスは呟いた。

「……切ったら、勝てるかもしれない」
「でも、切ったらたぶん、俺はもう……戻れねぇ」
 誰も、何も言えなかった。
 その時だった。
 ウラヌスが、ぱんっと手を叩く。

「じゃあさ、じゃあさ!ぼかせばよくない!?」
「は???」
「知ってるやつにはバレるけど!初見にはわかんない!あれだよあれ!脚本の“伏線張り”ってやつ!」
 レイスが困惑した顔で返す。
「ぼかすって……どうやって?」
 即、サタヌスが腕組みしながらニヤリとした。

「言ってみろよ、こうだろ?」
「“俺の元カノは、未亡人でめんどくさくて、でも最高に可愛い女でした”ってな」
「それ完全にレヴィアタンじゃねぇか!!!!」
 だが、その瞬間、レイスの口角が少しだけ上がった。
 震えるほどのプレッシャーの中、かすかに見えた“戦友のバカさ”に、救われたように。
 ゆっくりと立ち上がる。
 片手でコートを翻し、深呼吸。
「……やる。やってやるよ。ギリギリの線で、“あいつ”を切り札にする」
 その声に、クロノチーム全員が目を見開いた。

「最後の演目。“物語”の終着点は、俺が持っていく」
 会場が静まる。
 審査団が、手を止める。
 バフォメットが震える声で叫ぶ。

「な、なにィ……!?レイス・レヴィアタン、再演目申請ッ!!」
 その名前が、舞台に戻る。
 ステージに降り立った彼の姿は、まるで闇から立ち上がった亡霊のようだった。
 声が、世界を凍らせる。
「俺の元カノは……未亡人で、面倒で……」
「でも、世界で一番美しい女だった」
 静まり返った会場に、その声だけが響いた。
 観客たちの耳が、言葉のひとつひとつに引き寄せられていく。

 ユピテルが煙管を止め、サタヌスが腕を組み直し。
 ウラヌスが一瞬だけ、笑顔を忘れていた。
 レイス・レヴィアタンは続ける。
「……口癖がな、“妬くわよ”だったんだよ」
 会場がざわつく。
「そんでもって……旦那を殺されたって八つ当たりで嵐呼んだんだってよ」
「……めんどくせぇ女だろ?まったく。
 俺、思えばよくアレと付き合ってたなぁ……」
 どこか他人事のように、投げやりに。
 だがそこには、明らかに“真実”が宿っていた。
 観客が震えた。
 それは、名前を言わずとも―全ての人間が、“誰のことか”を察してしまう告白だった。



「しょっちゅう不機嫌になっては、天候が狂った。
 気分で嵐が吹いて、嫉妬で潮が逆流して、最後には……海が凍った」
 リリアン・エンヴィニアは、歯を食いしばった。
 舞台袖で、目を見開いていた。
「……それは……それは……!!」
 彼女は叫びかけた。
「そんな……そんなの、反則ですわ!!!」
 叫びは悲鳴に変わっていた。
 それを、スタッフがすかさず制止する。

「申し訳ありません。アピール中の妨害は禁止されております!!」
「王族といえど、ルールの例外はありません!!」
「え、ええええええぇぇぇぇぇえええ!!!!???」
 バフォメット司会は笑いながら叫ぶ。
「さすがの妬まれ力ッ!!ルールでさえ妬むレベルの妨害禁止ォォォ!!!」

 一方、審査団―その中心で、ローブを羽織った年老いた識者たちが震えていた。
「ま、ま、間違いない……ッ」
「“レヴィアタン様”のことですよね……!?あの伝説の……!!」
「つがいを喪われ、嵐を呼んだ」
「そして……口癖が妬くわよ」
「“そしてあのレイス・レヴィアタンという名……間違いない!!!”」
 審査員長が立ち上がり、叫ぶ。

「これは……最早……500妬では足りぬッ!!」
「1000だ!いやッ……無限妬だ!!」
 審査員全員が机を叩き。
 インヴィディア・スケールが「ERROR」を表示しながら爆発した。
 会場が嫉妬のエネルギーで震え始める。

 空がうっすらと赤紫に染まり。
 地面から立ち上がる靄が“嫉妬の風”となって踊り始める。
 妬まれ王選抜祭、史上初の「無限妬」達成。

 レイスは、何も言わず、コートを翻してステージを降りた。
 その背中に、誰も声をかけることができなかった。
 彼が語ったのは、名前すら出さぬ恋の記憶。
 だがそれこそが――誰よりも、妬まれた瞬間だった。

 審査団の筆が止まった。
 会場の空気がピン、と張り詰めた瞬間。
「総合採点、完了ッ!!」
「……妬まれ王の称号は……」
 一拍置いて、雷鳴のように告げられる。

「初出場チーム・クロノッ……クロノチームにッ!!!」
 観客、爆発。
 嫉妬、歓声、歓喜、そして“お約束”の逆転劇に。
「いええええええええええい!!!」
 クロノチーム4人、謎に完璧な横並びジャンプ。
 カイネス博士が事前にタイミング合わせてた説あり。

 だが、その熱狂のなか。
 ひときわ高い、ヒステリックな悲鳴が舞台袖に響く。
「ッ……あの赤髪の者!!!」
「ただ女の話をしただけでありませんか!?!?取り消しなさい!!!」
 リリアン・ヴァルセリナ・エンヴィニア。
 王族の誇りを叩きつけた彼女の、無念の断末魔である。
 顔は真っ赤、目尻は吊り上がり、整った整形メイクがところどころヨレている。
 だが、主催側の使徒が、静かに宣言した。

「いえ。レイス・レヴィアタンが語った“その女”」
「その御方は、神であられる存在」
「このエンヴィニアにおいて、神の御威光に逆らえる者など、おりません」
「王族であろうと、です」
「むきいいいいいっっ!!!!!」
 その様子を眺めて、ウラヌスがニコニコしながらウインクした。
「みてみて~♡お約束の悪役令嬢ムーヴだ~♪
 怒りすぎてて整形ちょっと崩れてるのもポイント高い♡」

「言ってやるな、顔も妬まれてたからな……逆に今が正解だろ」
「負けイベすら映えるとかすげぇな貴族って……(ドン引き)」
 ユピテルはクイッと肩を回しながら、
 舞雷の柄を軽く叩き、にやりと笑った。
「こりゃあ……サロメ様と会うのが楽しみだぜェ~♪」
 クロノチーム、妬まれ王の称号を手にしたその先に待つのは、“記憶の扉”。
 かつて滅びた帝国の真実。
 そして、永遠に忘れ去られた“誰かの後悔”。

----

 神竜大聖堂の中庭。
 百花の咲く回廊の向こうに、魔術式を組み込んだ機材が山積みされている。
 そのどれもが、現代人なら目を逸らすレベルで“ヤバそう”な代物ばかりだった。
 中央に座るのは、カイネス・ヴィアン博士。
 モノクルを指で弾きながら、タブレット式の魔導書を軽く流し読みしている。

「カイネス・ヴィアンッ!!」
 中庭に怒鳴り声が響いた。
 現れたのは軍務省の重鎮、大臣のひとりだった。
 黄金の肩章を揺らしながら、威圧感たっぷりに詰め寄る。
「マナ・デストロイヤーは完成したのか!?他国との戦争が迫っているのだぞ!
 これは単なる研究ではない……エンヴィニア帝国の存亡がかかっているのだ!」
 カイネスはその叫びを、耳元で蚊が鳴くかのように聞き流していた。
 そして、タブレットを閉じると、ゆるりと笑った。

「……あぁ、あれですか?」
 声のトーンは気怠く、まるで他人事だった。
「えぇ、まぁ……最終調整がですねぇ……まだまだでして……」
「お見せできる段階には、うーん……ないんですよねぇ」
 笑顔が不気味だ。完全にウソをついている顔である。
 その目には“完成してるけど絶対お前には見せねぇ”の文字が浮かんでいた。

 ※嘘。完成している。しかも起動試験済み。

「カイネス!!」
 大臣の血管がブチ上がる。
「お前は研究さえしていればいいと思っているのか!?
 エンヴィニアの叡智なのだぞ、お前は!!」
「ん~~~~~~~~……」
 カイネスは一拍考えるフリをしてから、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「あ~~~……そうでしたか?」
 指先をチラチラさせながら振り返る。
「サロメ様、ブリュレを取ってください。脳がですね、疲労していて」
 ピクリと眉を上げたのは、そばに控えていた一人の姫君。

 サロメ・エンヴィニア。
 王族にして“マナ・デストロイヤー”の研究監督権を持つ、理知と毒舌の融合体。
 彼女は、無言でブリュレの皿を持ち上げると、顔ひとつ動かさず淡々と差し出した。
 その目には、静かなる理解があった。

 ―ああ、こいつ完成させてますわね。

 サロメは内心で溜息を吐いた。
(……まぁ、気持ちはわかりますわ。
 あの威力を侵略兵器として使おうなんて、愚か者の発想ですもの)
(あれは、マナの限界を示す象徴。“終末”を起こすためのトリガーではない)
 ブリュレを受け取り、もぐもぐ食べるカイネス。
「このプリン層が秀逸ですね~。柔らかすぎず、硬すぎず、魔力吸収率もちょうどいい」
「何の評価基準なんですかそれは」
「脳がねぇ~動くんですよねぇ~。ほら、今もまたアイデア浮かんじゃったぁ~」
 棒読み。ブリュレを食べながらもう片方の手で白化した髪をポリポリと搔いていた。

「もうだめだこの科学者」
 中庭には、ブリュレの甘い香りと、科学の闇のにおいが漂っていた。



 中庭の風が柔らかく揺れている。
 葉の影が、白いティーカップにゆらりと落ちた。
 静かな午後の気配に紛れるように、サロメ・エンヴィニアが扇を閉じた。
「ところで博士。今回の妬羨祭には、“ダークホース”が出たそうですわね」
 その声音には、ほんの微かな笑み。
 だが視線は、カップの中を覗くより遥かに深いものを見ていた。
「民衆がお祭り騒ぎですの。
 妬みに塗れた帝国に、突如現れた、名もなき者たち……」
 カイネス・ヴィアン博士は、ブリュレをひと匙すくっていた。
 視線も動かさず、ただ「ふむ」と口の中で返す。

「……ダークホース、ですか」
「ええ。まず、“どこから来たのかわからない”」
「誰もその名を知らない」
「雷のように優勝を奪い取ったと、そう聞いておりますわ」
 サロメは、カップを静かに持ち上げ、翠の液を啜る。
 目を伏せたまま、その先を口にする。

「さらに元王族すらも、彼らの前では塵芥と変わらなかったそうですのよ」
 カイネスは、ほんの一瞬だけスプーンを止めた。
 だが表情は変えない。相変わらず、食後の満足そうな顔だ。
(ああ……オデコ君や赤毛君たちか)
(“全員ちゃんと生きてた”だけで充分だと思ってたが……まさか優勝とは)
(万事うまくいったようだね)
「……それはそれは、民衆もお喜びでしょうなあ」
 サロメは扇で口元を隠しながら、目だけで博士を射抜いた。

「明日の謁見がとても楽しみですわ」
「“誰も知らぬ者たち”が、玉座の前で何を望むのか」
「それが、国の未来を変えるかもしれませんものね」
 緑の風が吹き抜ける。
 どこか遠くから、歓声がかすかに聞こえた。

「いええええええええい!!!」
「あ~……聞こえてきましたねぇ、赤毛君たち」
「ええ。とても、素敵な地獄が始まる予感がしますわ」
 そしてその日。
 サロメ様は翠のティーカップを掲げながら、微笑を浮かべた。
「ふふ……退屈が消えていきますわね」
 物語は、次なる地獄へ向かって加速していく。
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