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第9話
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些細な物音で綾瀬は目覚めた。
「あっ、起こしました?」
まぶたを押し上げる。
「もう起きます?」
「……うん」
先に起きた須加と一緒に洗面所へ向かう。
歯を磨きながら、鏡に映る須加を見る。眠たそうにヘアバンドをつけて洗顔する彼に、昨日から何度も胸に膨らんだ感情をを感じる。
支度を終え、洗面所を出ると、須加の母がダイニングルームから顔をのぞかせた。
「朝ご飯ができてるよ。綾瀬くんの分もあるから、よかったら食べてね」
「先輩」
食べるかどうか躊躇していると、須加に手招きされた。なんだろうと近寄る。須加は周りに家族の眼がないと確かめてから、ごく自然な動きで顔を近づけてくる。
「――ッ」
やわらかい感触に触れる。舌先で表面を突かれると、自然と口を開いて彼を迎え入れた。歯磨きしたばかりの須加の味に、薄荷のようにさわやさが混じる。
「不安になったら、僕の味を思い出して」
いましがた重なったくちびるが、人を安心させる微笑みを描いた。
先にダイニングルームへ向かった須加の後を追って中へ。
窓から射し込んだ朝陽が満ちた明るいダイニングルームに、食卓を囲む父親、母親、息子、娘――一般的な家族像がそこにあった。この日常の景色を眼にしたとたん、胸の鼓動が逸った。
込み上げてくる切実なものの正体をようやくわかった気がする。懐かしさと羨ましさと切なさをない混ぜになった感情が胸中を埋め尽くす。
「どうしたんですか」
なかなか入ってこない綾瀬に、須加はどうぞと来客用の椅子を引いた。綾瀬の分の朝食が、この日常の一部としてそこに置いてある。
先に朝食を食べているしずくに「おはよー」と微笑みかけられ、綾瀬もおはようと返した。
「どうぞ遠慮なく」
「いただきます」
白米にたらの焼き魚、玉子焼きと味噌汁。お椀を持ち上げ、食事の温度を指で感じる。ご飯をひと口。魚の身を不器用に箸でほぐして食べる。
味はわからない。
けれど口内に食事の熱が広がる。米粒の弾力、白身魚のやわらかい食感がわかる。
玉子焼きをひと口。
ふいに理香子の玉子焼きが好きだったことが蘇った。叔母が作る玉子焼きも同じ味だった。
理香子が亡くなったあと、叔母の玉子焼きを食べると、母を思い出し、涙がボロボロとこぼれ落ちた。それはもうずいぶん昔のことだ。
須田家の玉子焼きはどんな味だろう……
「どう? お口に合うかしら」
「とても美味しいです」
嘘ではない。味がわからないけど、心底から美味しいと思った。
「ならよかった。おかわりがあるから、足りなかったら言ってね」
「はい」
ごちそうさまです、と、先に食事を済ませた須田の父は食器を下げたあと、居間に移動してテレビを観る。ゆっくり食べてね、と、そのあとに終わった須田の母はしずくと二階に上がった。
「先輩、無理しないでくださいね」
ふたりになったとたん、須加は声を押し殺して言ってきた。
綾瀬は味噌汁をふーふーと冷ます。
「大丈夫。本当に美味しいと思ってる」
「ならよかったです」
「でも普段あまり食べないから、少し量が多いかも」
「無理に完食しなくてもいいから」
ご飯は食べ切れなかったが、焼き魚と玉子焼きは残さず全部平らげた。最後はわかめと玉ねぎの味噌汁を飲み、ごちそうさまですと合掌する。
少し膨らんだお腹の中にこもった温もりが、身体中に広がっていく。
「今度先輩んちにご飯を作りに行ってもいいですか」
「そこまでしなくてもいいよ」
「いや、作らせてほしいです。俺も先輩にそういう顔をさせたいなって思ったんです」
頬杖をついて見つめてくる須加の眼に、慈愛めいたものがこもっている。
「どんな顔?」
「安心し切った顔」
そんなつもりはまったくなかった。綾瀬は自分の頬を触ってみる。そう言われて、どうしようもなくむずかゆい気持ちになった。
***************
短めな1話でした。
次は7/24の夕方頃に更新します!
よかったらまた読んでやってください
「あっ、起こしました?」
まぶたを押し上げる。
「もう起きます?」
「……うん」
先に起きた須加と一緒に洗面所へ向かう。
歯を磨きながら、鏡に映る須加を見る。眠たそうにヘアバンドをつけて洗顔する彼に、昨日から何度も胸に膨らんだ感情をを感じる。
支度を終え、洗面所を出ると、須加の母がダイニングルームから顔をのぞかせた。
「朝ご飯ができてるよ。綾瀬くんの分もあるから、よかったら食べてね」
「先輩」
食べるかどうか躊躇していると、須加に手招きされた。なんだろうと近寄る。須加は周りに家族の眼がないと確かめてから、ごく自然な動きで顔を近づけてくる。
「――ッ」
やわらかい感触に触れる。舌先で表面を突かれると、自然と口を開いて彼を迎え入れた。歯磨きしたばかりの須加の味に、薄荷のようにさわやさが混じる。
「不安になったら、僕の味を思い出して」
いましがた重なったくちびるが、人を安心させる微笑みを描いた。
先にダイニングルームへ向かった須加の後を追って中へ。
窓から射し込んだ朝陽が満ちた明るいダイニングルームに、食卓を囲む父親、母親、息子、娘――一般的な家族像がそこにあった。この日常の景色を眼にしたとたん、胸の鼓動が逸った。
込み上げてくる切実なものの正体をようやくわかった気がする。懐かしさと羨ましさと切なさをない混ぜになった感情が胸中を埋め尽くす。
「どうしたんですか」
なかなか入ってこない綾瀬に、須加はどうぞと来客用の椅子を引いた。綾瀬の分の朝食が、この日常の一部としてそこに置いてある。
先に朝食を食べているしずくに「おはよー」と微笑みかけられ、綾瀬もおはようと返した。
「どうぞ遠慮なく」
「いただきます」
白米にたらの焼き魚、玉子焼きと味噌汁。お椀を持ち上げ、食事の温度を指で感じる。ご飯をひと口。魚の身を不器用に箸でほぐして食べる。
味はわからない。
けれど口内に食事の熱が広がる。米粒の弾力、白身魚のやわらかい食感がわかる。
玉子焼きをひと口。
ふいに理香子の玉子焼きが好きだったことが蘇った。叔母が作る玉子焼きも同じ味だった。
理香子が亡くなったあと、叔母の玉子焼きを食べると、母を思い出し、涙がボロボロとこぼれ落ちた。それはもうずいぶん昔のことだ。
須田家の玉子焼きはどんな味だろう……
「どう? お口に合うかしら」
「とても美味しいです」
嘘ではない。味がわからないけど、心底から美味しいと思った。
「ならよかった。おかわりがあるから、足りなかったら言ってね」
「はい」
ごちそうさまです、と、先に食事を済ませた須田の父は食器を下げたあと、居間に移動してテレビを観る。ゆっくり食べてね、と、そのあとに終わった須田の母はしずくと二階に上がった。
「先輩、無理しないでくださいね」
ふたりになったとたん、須加は声を押し殺して言ってきた。
綾瀬は味噌汁をふーふーと冷ます。
「大丈夫。本当に美味しいと思ってる」
「ならよかったです」
「でも普段あまり食べないから、少し量が多いかも」
「無理に完食しなくてもいいから」
ご飯は食べ切れなかったが、焼き魚と玉子焼きは残さず全部平らげた。最後はわかめと玉ねぎの味噌汁を飲み、ごちそうさまですと合掌する。
少し膨らんだお腹の中にこもった温もりが、身体中に広がっていく。
「今度先輩んちにご飯を作りに行ってもいいですか」
「そこまでしなくてもいいよ」
「いや、作らせてほしいです。俺も先輩にそういう顔をさせたいなって思ったんです」
頬杖をついて見つめてくる須加の眼に、慈愛めいたものがこもっている。
「どんな顔?」
「安心し切った顔」
そんなつもりはまったくなかった。綾瀬は自分の頬を触ってみる。そう言われて、どうしようもなくむずかゆい気持ちになった。
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