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3章 虚構の偶像

独善的、愛。

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『聞いて知ってたけど、気絶した人間ってこんなにも重いものなの?』

 早く安全な場所へーー
 サンドに託された思いを成就させる為、コックピットからユリウスを引っ張りだそうとするが、慎重に扱いながらユリウスを運ぶのは、17歳の女性には不可能に近い労働であった。

「こんな所で、弱音なんて吐いてる場合じゃないわね」

 クリスはそう自分に言い聞かせ、ユリウスをお姫様のように担ごうと身を屈み手を伸ばす。
 そんな折、コックピット付近でハーレーの声が聞こえた。

「私にも手伝わせて下さい」
「お手伝いする。です」

「あなた達、いいの? その……」

 時間にすれば、ほんの数十秒前に最愛の人が死んだばかりである。
 それをぶり返す事が出来ずに、クリスは思わず言い淀んでしまう。

「大丈夫です、今はそんな場合では無い事はわかっています」
「ユリウスを助ける。です」

「分かったわ。頭を怪我してるから慎重にね」

 普段のクリスであれば、お礼の一言ぐらい言うのであろう。
 しかし、状況がそれを許さないのを目の前いる全員が共有していた為、的確に指示を与えユリウスを運び出す事に成功したのであった。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 ジャルールは、まるで骸と化したブルーと重なり合うように隣接した。
 コックピットから降りたサンドは直接、ブルーのコックピット付近へ降り立つ。

「開けろ」

 サンドの命令に駄々をこねる子供のように、ぞんざいにハッチが開く。
 そこには、まだギリギリの所で現世に残っているアーサーが虚ろな表情でサンドを見上げていた。

「私は、まだ死ぬわけには……」
「命乞いか?」

 サンドは冷えきった夫婦の会話のごと、一方の主張に耳を貸さない質問を投げつけ、今後もこの人物に対する尊敬は無いという事を示した。

「違う。お前たちはユグドラシルの導きを知らぬようだから」
「? 分かるように話せ」

「この宇宙、アクアは汚れきってしまった。粛清が始まるぞ」
「だからわかるように言え!」

 死人に鞭打つ。
 まだ死人では無いが、アーサーの生死よりも聞きたい答えを導き出すため、サンドは敢えて強い口調でアーサーに詰め寄った。

「このアクアは、世界樹を中心に枝分かれした3つの宇宙の1つなのは知っているか?」
「習う程度にはな」

「アクア宙域は世界樹を疲弊させすぎたのだ。もう手遅れな程にな」
「それが、なぜユリウスをッ! 罪の無い人々を殺すための言い訳なのかを言え!」

「世界樹が悲鳴をあげた日から1年はないうちに、他の宇宙が侵攻してくるのだ」
「なんだって?」

「もう、侵攻は決定した。人類は1つになって立ち向かわねばならない」
「それが、あの薬なのか?」

「そうだ、いずれ文明レベルまで破壊の限りを尽くされ、アクアは再度眠りの時を迎える」
「何故そんな事を……再度だって?」

「我々は、その証拠を掴んだのだ。あの日から、狂ってしまったがな」
「何故公表しない!? そんな大事な事なら……」

 そのサンドから発せられた失言に、最後の闘志を宿したアーサーがその目を見開き、1つしかない腕でサンドの胸ぐらを掴みかかった。

「もう200年もこの馬鹿げた戦争を続けているのだぞ! そんな連中が1つになれと言われてやめるものか!」
「そんな、それでも! お互いに話しあって……」

「やらなかったと思うのか? 解放軍幹部の私が、それをやらなかったと思ってるのか?」

 そう言うと、アーサーはポロポロと涙を流し始めた。
 アーサーも、自分がもう長く生きられないのを悟っているかのように見えた。
 一層にサンドを掴む腕に力が入るのを、サンドは許していた。

「分かるか!? 貴様に! 自分の息子を手にかける以上の事態に自分を殺すのを余儀なくされる事が分かるというのか?!」
「それでも、そのやり方は独善的だ」

 サンドは、きっぱりと否定の言葉を口にする。
 ただ、反論は出来ずにいた。
 今は思いつかないし、それは、アーサーの命を賭した覚悟を傷付けるだけだと知っていたからである。
 顔を埋めるように下を向くアーサーのせいで、サンドはその表情を掴むことが出来ないのも、否定できる材料となった。

 サンドは反論の代わりに1つの疑問を投げつける事にした。

「それなら、何故ユリウスを殺そうとした?」
「このようなやり取りを、息子としたいと思うか?」

 アーサーはユリウスの優しさを知っていたのだ。
 必ず対立することを含め、既に知っていたのだ。
 ユリウスが対立した場合、このアンブレラでの計画はユリウスが自身の持てる戦闘能力を最大限に活かして止めるであろう。
 その時のお互いの疲弊を考えれば、アーサーはユリウスを手にかけることを選んだのであった。

 この発言が決定打となり、もう遅いのは知っているが、サンドはアーサーに対しての尊敬を幾許か取り戻した。

「そんな事より貴様だ」
「は? え?」

 サンドは想定外に自分に話が振られ、情けない声で返事をしてしまう。
 アーサーはまじまじとサンドを定めるように見ると、驚愕の表情を見せた。

『偶然にしては似すぎている! だとしたら……』

 ふと、アーサーは外に目をやる。
 そこには必死の表情でユリウスを運ぶ、袂を分かったエディそっくりの少女がいた。

「そういう事か。すまないが、1人にしてもらえないか?」
「……分かった」

 アーサーの願いを、サンドは承諾した。
 この話し合いの間、何度か瀉血を繰り返したのを見るに、もう直ぐに時間が来ることは分かっていたからである。

 太陽がギリギリと照りつける砂漠の中で、今にも死にそうな男が1人呟く。

「そうか、剣しかない男が『勇気』と『慈愛』を手にしたか」

 男は、段々と視界が薄暗くなっていくのを感じる。

「俺のそれは、もう死んでしまったな……せめて私達だけでも手を取合えば……みんな、ひょっとしたら彼等なら……」

 更に視界が暗くなる。
 既に口を動かすが発声をしている自信が男には無かった。

「ネーナ、ユリウス、私は……」

 妻と息子に伝える『最期』
 それは誰にも聞こえなかった。
 しかしそれでも良いとに思い、男は狭い棺で息を引き取った。
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