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第六章-朔日-
第6章 第122話
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しゅきん。
静まりかえった『処置室』のホールに、ユモが鞘から銃剣を抜いた音が、刃を抑えていたスプリングが鳴る音が、響いた。
「……偉大なる始祖マーリーン、先祖エイボンに連なる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に命ずる……」
静かに呪文を呟きつつ、銃剣で印を切りつつ、ユモはつかつかと雪風に向けて歩を進める。
「……なふるたぐん いあ くとぅぐあ」
雪風の横に並んだユモは、呪文の最後の句と共に、銃剣で貴き宝珠『だった』肉塊を示す。
その瞬間、肉塊が閃光を発し、熱が溢れ出す。
それに気圧されることなく、ユモは銃剣を横に振る。
ぱん。
『生ける炎』が、それを閉じ込めていた空間の障壁ごと極小に縮退し、消滅する。その動きに追従出来なかった大気が、突如発生した一抱えほどの真空の空間に殺到し、破裂音をたてる。
あとには、いくらかばかりの熱と、タンパク質の焦げた匂いだけが残った。
「躊躇なし、ですか」
その声に潜むのは、恐れか、あきれか。
オーガストのその一言は、ユモに対してか、それとも雪風に対してか。
「躊躇なんかしてたら、生き残れませんから」
半ば狼に変じている口で、雪風が呟く。
「今のあたしとユキの間に、躊躇するような意思の齟齬はないわ……正確には、今まで、かしら?……そっちも焼く?今なら、連続して行けるわよ」
「そうね……やっぱ、止めとこ。ケシュカル君、くっつけたら元に戻るかもしれないし」
「状況に寄りますが、お二人は、まれに、『合体』せずとも意思を共有出来るのです」
ニーマントが、オーガストに話しかける。
「使い魔の契約に寄るものなのでしょう。お二人の放射閃が充分に同調した時のみ、生命の波長が一致した、ごく短い間だけですが」
ニーマントの説明で、オーガストは理解した。
あの瞬間。ユモが雪風に声をかけた瞬間、ユモが理解した内容が雪風にも共有され、ケシュカル少年の首を刎ねる事に対する躊躇が消えたのだ、と。
同時に、雪風が感じている貴き宝珠及び『奉仕種族』に対する警戒心から、ユモは即座に貴き宝珠の脳を焼いたのだ、と。
「……でも、もしかしたら、ケシュカルの体にアイツの因子が残ってる可能性もあるのよね」
近づきすぎない程度に床に突っ伏すケシュカルの首無しの亡骸――ギリギリ、元は人であったと理解出来る程度には人型を留めている――に近寄ったユモが、言って、雪風に振り向く。
「そうなのよ……やっぱ、モーセスさんに見てもらってからにするか……モーセスさん、今、どこです?」
雪風は、『処置室』の入り口に向かって、聞く。
ユモも、雪風の視線を辿る、そこに誰がいるか、既に知っている様子で。
「あ」
全く気付いていなかったオーガストは――ペマとダワも――怪訝そうに入り口に振り返り、そこに扉の端から様子を覗っていたラモチュンを見つけて、小さく声を上げた。
「いつから、そこに?」
皆を代表するように、オーガストが聞く。
「……ユキさんが、ケシュカル君と討ち合ってるあたりから……その……」
「人外が人外とやり合ってる、って?」
雪風が、狼っぽい人の顔で、にたりと笑う。
「いえ、そんな……」
「別に良いのよ、実際そうなんだから」
雪風の顔が、もう少し狼よりになる。
「あたしは、そういうものだから。でも」
ラモチュンから、左手に持つケシュカルの頭部に視線を移して、雪風が言う。
「ケシュカル君、あなたも、そうだからね?聞こえてるでしょ?」
――俺……――
「お望み通り、首を刎ねたわ。でも、あなたは死んでない」
――俺は、もう……――
「あんたは『奉仕種族』の組織で再構成されてる。だから、生き物としての人間の限界を、とっくに超越しちゃってる」
雪風の隣に並んで、ユモがケシュカルの首に語りかける。
「まあ、多分だけど、あんただけじゃなくて、ドルマさんとかモーセスさんとかもそうなんだろうけど。その上で、あたしやユキなら、今見たみたいに、あんたを跡形もなく焼くことも出来る。でも」
ふっと一息ついてから、ユモは言葉を続ける。
「少なくとも、今は、やらない」
――なんで!俺は……――
「あたしの相棒が、許さないからよ」
――相棒……ユキ……?……なんで……――
「言ったでしょ、あんた、このまんま、なんにも成さないで消えていいの?」
左手でケシュカルの首を持ったまま、雪風は右手だけで木刀をガンベルトに手挟み、改めて両手でケシュカルの首を支える。
「あたしは、あたしだったら、嫌だ。生まれてきたからには、なんか役目があって、なんか残さないと死ねないって思ってるから」
――でも、俺は……――
「ケシュカル君、君が辛いのも、哀しいのも、分かる。けど、あたしがそうであるように、君もそう簡単に死なせてもらえない体になっちゃったんだから、だったら、それを善い方に生かそうよって思う」
雪風の目は、真剣で、澄んでいる。
「辛いよね、凄く辛いと思う。分かるよ。けど、君なら、その辛さの分だけ、きっといい大人になれると思うんだ」
――嘘つき――
ユモは、雪風の言葉を聞きながら、心の中で、思う。
――ユキは、分かってない。自分で言ってた、分からないって――
初めて会って、初めて大げんかして、初めて心を許しあったスペリオール湖畔の一件の後、何度か、ユモは雪風と話し合った。
その結論として、分かったこと。
雪風は、強い。体も、心も。
強くて、強すぎて、そして、幸せすぎる。
だから。弱いものの気持ちが、不幸なものの気持ちが、分からない。
頭では分かる。理屈では理解出来るし、分かろうと努力もしてる。けど。
心で、肌感覚で、わからない。
それは、それ自体は、悪いことではない。
幸せであって、悪いことなんか、あるはずがない。
何故って、それは、ユモ自身も大体同じだから。
雪風の場合、自分自身がまず、底抜けに強い。
まだまだ子供だし、体術も剣術も未熟だと言うが、それは比較の対象が間違ってるからであって、ユモから見ればバケモノのように――実際、いい意味でバケモノなのだが――人間離れして、強い。
だから、仕方のない事だけど、虐げられ続けるもの、踏みつけられるものの気持ちが、共感出来ない。
その上で、雪風の身内がまた、同じように強い。
というか、雪風以上に、強い。
雪風が尊敬し、目標とする母親が、話を聞く限り、べらぼうに強い。
あろうことか、その母親がベタ惚れの父親、只の人間であるはずの父親に至ってすら、肉体的にはともかく精神的に、人としてあり得ない程、強い。
当然のように、その母親の姉妹、雪風の叔母達も、その祖母も、強い。
その家族に囲まれ、護られ、雪風は愛されている。
父母が、絶対に自分の味方であり、絶対に自分は愛されている、その自信が、自覚がある。
そんな幸せな環境、それが当たり前だから、雪風は不幸な環境、愛されることを知らない環境が理解出来ない、そんなものがあることが信じられない。
両親に愛されない子供が居ることが、信じられない。
理屈では、わかる。貧困、暴力、虐待、そういったものが世界には蔓延していることは、承知している。
だが、実感がない。
だから。
雪風は、弱きもの、虐げられたもの、不幸なものからすれば、眩しくて、羨ましくて、うっとうしい、そんなものに見えてしまう。
――まあ、あたしも似たようなもんだってのも、わかってるけど――
ユモも、思う。ユモ自身も、両親以外の肉親が居ないことを除けば、似たようなものだと。
違うとすれば、ごく親しい一部の村人を除けば、故郷のメーリング村の村人からは、やはり一定の距離を置かれてしまっていること。
避けられているわけでは無い、むしろ村の恩人とも言える偉大な母、大魔女リュールカの娘であるユモは、尊敬され大事にされているのだが、どうしても、他の同じ年頃の子供と同様には扱われない、扱ってもらえない、それが負い目、引け目になってしまう。
そのあたりが、雪風の言う『人狼の里』ではむしろ弱い方だという雪風の立場とは違う。
それが故に、ユモはあえて尊大な態度を無意識にとるようになった。大事に思われることが逆にプレッシャーだったから。
その引け目がある分、雪風よりはいくらか、卑屈にものを見てしまう者への理解があるが、それでも基本、不幸せな環境というものに共感出来ない、なじみがないことには変わりはない。
不幸なものから見れば、ユモと雪風の差など、誤差範囲でしかない。
――だから。あたし達は……――
「君は、きっといい大人になる。多分、誰よりも辛いことを知っているから、同じように辛い人を助けられる大人になれる。でも、その前に一つ、やらなきゃならない事があるのよ」
目の高さにケシュカルを持ち上げて、雪風が、言う。
――そう。あたし達は、分からないなりに、出来る事を考えてみた。それは……――
「あたしは、あたし達は、ケシュカル君、君を助けたい。だから」
雪風の目が、檜皮色の目が、半獣の瞳が、金色の光を宿して、ケシュカルの目を見る。
「君は、『助けて』って言えばいい。辛い時は、我慢しないで、誰かに助けてもらえばいい。遠慮も、なにもいらない。ただ、『助けて』って言うだけでいい。『助けて』って言われたら、あたしは、あたし達は、絶対に、助ける、出来る限りの力で。ユモも、そうする、よね?」
雪風は、ケシュカルの視界にユモを入れる。
ユモの碧の瞳が、雪風と同じ金色の光りを宿して、頷き返す。
――あたし達は、助ける。上から、引っ張り上げて。これは、あたし達のエゴ。上から目線の、あたし達のお節介。でも、だからこそ、あたし達の、出来る限りで――
「約束するわ。魔女ユモ・タンカ・ツマンスカヤは、助けを求める声を決して聴き逃さないし、絶対に無碍にはしないわ」
――……俺……――
「とはいえ、あんたがまず最初に助けを求めるべきは、多分、あたし達じゃないわね」
ユモは、言って、雪風に頷く。
「そうね」
雪風も、ユモに頷き返し、言う。
「君はまず、モーセス・グース師範に助けと教えを請うべきよ」
「何しろ、あの人は『奉仕種族』としてはあんたの大先輩なんだから」
――俺は、助けてもらって、いいのか?許されるのか?楽になって、生きていて、いいのか?――
「なんで、ダメだって思うの?」
ユモが、あっけらかんと聞き返す。
「誰だって、幸せになっていいし、その権利は誰にも奪えないのよ?」
「それが、人の基本的な権利ってものよね」
「そういうこと」
雪風の相槌に頷き、ケシュカルに微笑んで、ユモが、言い切る。
「自分が幸せでない人に、人は救えない。幸せに出来ない。そのために、まずはケシュカル、あんたが幸せになりなさい」
――俺……俺……――
ケシュカルは、何かを言おうとするが、言葉が探せない。
――俺……助けてほしい……救ってほしい……俺……――
ただ、それだけ言って、いつしか、ケシュカルの声なき声は、嗚咽に替わった。
「……なんともはや……」
オーガストが、ため息交じりに、言う。
「あれが、『福音の少女』の、『福音の少女』たる所以なのでしょうね」
「少女であるが故、という?」
ニーマントが、聞き返す。
「そうです。その純粋さ、強引さ、それが故に、ケシュカル少年は納得せざるを得なかった」
「私にも、なんとなくですが、わかります」
ニーマントが、言う。体があったなら、頷いていただろう声色で。
「そして、こうも思うのです。『奉仕種族』とやらの暴走を抑える要因、因子とは、つまるところ、人であるという確たる自信、無意識下のそれではないか、と」
「ほう?」
「ご承知の通り、私は人の視覚などではなく、放射閃によって外界を認識しています。それで見る限り、ミスタ・モーリーは最初から確たる自信に満ちあふれていた。何故ならば、ミスタ・モーリーは、オリジナルと同じであるべく努力し、そうあろうと努めていたから。一方、ミス・ドルマやケシュカル少年のそれはどこか不安定だった。恐らくは、自分という存在に疑問を、不安を持っていたのでしょう。自分の存在を恐怖していた、そうも言えます。それが、ユキカゼさんとやり合うことで、どうしてそうなったかは分かりませんが、一本筋が通ったようにしっかりした。何故かはわかりませんが、少なくとも、自分である事に対する恐れのようなものが無くなった。逆説的ですが、自分を肯定的に捉え、存在を認めているからこそ、自分を否定的にとらえ、自分に批判的である事ができる。自分が自分である事を無意識下で認める、確立した自我を持つ、恐らくこれが、貴き宝珠が欲しかった答えであり、であるならば」
「人間と同レベルの『確立し、独立した自我』を持たない貴き宝珠には、あるいは『ユッグゴットフ由来の菌類』には理解し得ず、実現することもまたかなわない」
「ええ。彼らには、大変に残念なことですが」
ちっとも残念そうに聞こえない、なんとなればむしろ愉快そうな声色で、ニーマントはオーガストに相槌を打った。
「『福音の少女』……」
いつの間にか、オーガストに二、三歩ほどの所まで近寄っていたラモチュンが、呟く。
「素晴らしいでしょう?」
オーガストが、ラモチュンに微笑みかける。
「この偽りの楽園に舞い降りた天使、そう言ったら、言い過ぎですかな?」
「ミスタ・モーリー、あなたがそんなロマンチストだったとは知りませんでした」
「私は、彼女たちに救われた当人です。言わば、彼女たちを崇拝していると言ってもよい」
皮肉か、本心か。ニーマントの一言に、にやりと、オーガストは笑って、答える。
「宇宙的恐怖、宇宙的真理の片鱗なりとも見知った身としては、目の前の現実の天使が愛おしくてたまらないのですよ」
「やれやれ。ミスタ・モーリー、あなたは、本当に、お二人を崇拝していらっしゃるのですね」
「もちろんですとも。ミスタ・ニーマント、あなたは、違うのですか?」
「……ははは」
珍しく、ニーマントが、笑う。
「そうだ、そうですね。私こそ、お二人を崇拝し、仕えているに等しい。確かに、その通りです。これは、愉快だ」
ひとしきり、ニーマントとオーガストは、静かに笑いあう。
「ラモチュン!」
その隙を突くかのように、ペマとダワが、ラモチュンの側に寄る。
「ペマ、ダワ」
「ラモチュン、君一人か?」
「師範は?」
「モーセス師範は」
ペマとダワから同時に聞かれ、視線を奥に、ユモと雪風とケシュカルの頭に戻してから、ラモチュンは続ける。
「『元君』の元に向かわれました」
「では、ペーター少尉も御一緒に?」
ダワに率直に聞かれて、ラモチュンは一瞬詰まってから、答える。
「……ペーター少尉は、ドルマがお連れしてるわ」
「そうか……」
「それは、よかった」
「それで……貴き宝珠は?」
安堵するペマとダワに、堪えきれずラモチュンが聞く。
「王子は……」
「その……」
「あのろくでなしのドンガラなら、あっちで寝てるわよ」
「ユモ、言い方」
オーガストやラモチュンの方に近づきながら、言って、ユモは背後の扉を示す。ケシュカルの首を抱えて苦笑する、人狼の姿のままの雪風を後ろに従えて。
「……」
厳しめの目で二人を見てから、ラモチュンは、パッと走り出す。
「……って事は、ラモチュンさんは、あれが貴き宝珠だって気付いてなかった、って事?」
「認めたくないだけかもよ?」
「だとしたら、さ。素人さんには、アレ、ちょっと厳しくない?」
「けど、隠す理由もないじゃない?事実は事実、ショック療法よ」
ラモチュンの背を目で追って言った雪風に、腰に手を当ててユモが答える。
待つほどもなく、押し殺した悲鳴が、続いて絞り出すようなえずきと、水か何かを撒くような音が聞こえてきた。
静まりかえった『処置室』のホールに、ユモが鞘から銃剣を抜いた音が、刃を抑えていたスプリングが鳴る音が、響いた。
「……偉大なる始祖マーリーン、先祖エイボンに連なる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に命ずる……」
静かに呪文を呟きつつ、銃剣で印を切りつつ、ユモはつかつかと雪風に向けて歩を進める。
「……なふるたぐん いあ くとぅぐあ」
雪風の横に並んだユモは、呪文の最後の句と共に、銃剣で貴き宝珠『だった』肉塊を示す。
その瞬間、肉塊が閃光を発し、熱が溢れ出す。
それに気圧されることなく、ユモは銃剣を横に振る。
ぱん。
『生ける炎』が、それを閉じ込めていた空間の障壁ごと極小に縮退し、消滅する。その動きに追従出来なかった大気が、突如発生した一抱えほどの真空の空間に殺到し、破裂音をたてる。
あとには、いくらかばかりの熱と、タンパク質の焦げた匂いだけが残った。
「躊躇なし、ですか」
その声に潜むのは、恐れか、あきれか。
オーガストのその一言は、ユモに対してか、それとも雪風に対してか。
「躊躇なんかしてたら、生き残れませんから」
半ば狼に変じている口で、雪風が呟く。
「今のあたしとユキの間に、躊躇するような意思の齟齬はないわ……正確には、今まで、かしら?……そっちも焼く?今なら、連続して行けるわよ」
「そうね……やっぱ、止めとこ。ケシュカル君、くっつけたら元に戻るかもしれないし」
「状況に寄りますが、お二人は、まれに、『合体』せずとも意思を共有出来るのです」
ニーマントが、オーガストに話しかける。
「使い魔の契約に寄るものなのでしょう。お二人の放射閃が充分に同調した時のみ、生命の波長が一致した、ごく短い間だけですが」
ニーマントの説明で、オーガストは理解した。
あの瞬間。ユモが雪風に声をかけた瞬間、ユモが理解した内容が雪風にも共有され、ケシュカル少年の首を刎ねる事に対する躊躇が消えたのだ、と。
同時に、雪風が感じている貴き宝珠及び『奉仕種族』に対する警戒心から、ユモは即座に貴き宝珠の脳を焼いたのだ、と。
「……でも、もしかしたら、ケシュカルの体にアイツの因子が残ってる可能性もあるのよね」
近づきすぎない程度に床に突っ伏すケシュカルの首無しの亡骸――ギリギリ、元は人であったと理解出来る程度には人型を留めている――に近寄ったユモが、言って、雪風に振り向く。
「そうなのよ……やっぱ、モーセスさんに見てもらってからにするか……モーセスさん、今、どこです?」
雪風は、『処置室』の入り口に向かって、聞く。
ユモも、雪風の視線を辿る、そこに誰がいるか、既に知っている様子で。
「あ」
全く気付いていなかったオーガストは――ペマとダワも――怪訝そうに入り口に振り返り、そこに扉の端から様子を覗っていたラモチュンを見つけて、小さく声を上げた。
「いつから、そこに?」
皆を代表するように、オーガストが聞く。
「……ユキさんが、ケシュカル君と討ち合ってるあたりから……その……」
「人外が人外とやり合ってる、って?」
雪風が、狼っぽい人の顔で、にたりと笑う。
「いえ、そんな……」
「別に良いのよ、実際そうなんだから」
雪風の顔が、もう少し狼よりになる。
「あたしは、そういうものだから。でも」
ラモチュンから、左手に持つケシュカルの頭部に視線を移して、雪風が言う。
「ケシュカル君、あなたも、そうだからね?聞こえてるでしょ?」
――俺……――
「お望み通り、首を刎ねたわ。でも、あなたは死んでない」
――俺は、もう……――
「あんたは『奉仕種族』の組織で再構成されてる。だから、生き物としての人間の限界を、とっくに超越しちゃってる」
雪風の隣に並んで、ユモがケシュカルの首に語りかける。
「まあ、多分だけど、あんただけじゃなくて、ドルマさんとかモーセスさんとかもそうなんだろうけど。その上で、あたしやユキなら、今見たみたいに、あんたを跡形もなく焼くことも出来る。でも」
ふっと一息ついてから、ユモは言葉を続ける。
「少なくとも、今は、やらない」
――なんで!俺は……――
「あたしの相棒が、許さないからよ」
――相棒……ユキ……?……なんで……――
「言ったでしょ、あんた、このまんま、なんにも成さないで消えていいの?」
左手でケシュカルの首を持ったまま、雪風は右手だけで木刀をガンベルトに手挟み、改めて両手でケシュカルの首を支える。
「あたしは、あたしだったら、嫌だ。生まれてきたからには、なんか役目があって、なんか残さないと死ねないって思ってるから」
――でも、俺は……――
「ケシュカル君、君が辛いのも、哀しいのも、分かる。けど、あたしがそうであるように、君もそう簡単に死なせてもらえない体になっちゃったんだから、だったら、それを善い方に生かそうよって思う」
雪風の目は、真剣で、澄んでいる。
「辛いよね、凄く辛いと思う。分かるよ。けど、君なら、その辛さの分だけ、きっといい大人になれると思うんだ」
――嘘つき――
ユモは、雪風の言葉を聞きながら、心の中で、思う。
――ユキは、分かってない。自分で言ってた、分からないって――
初めて会って、初めて大げんかして、初めて心を許しあったスペリオール湖畔の一件の後、何度か、ユモは雪風と話し合った。
その結論として、分かったこと。
雪風は、強い。体も、心も。
強くて、強すぎて、そして、幸せすぎる。
だから。弱いものの気持ちが、不幸なものの気持ちが、分からない。
頭では分かる。理屈では理解出来るし、分かろうと努力もしてる。けど。
心で、肌感覚で、わからない。
それは、それ自体は、悪いことではない。
幸せであって、悪いことなんか、あるはずがない。
何故って、それは、ユモ自身も大体同じだから。
雪風の場合、自分自身がまず、底抜けに強い。
まだまだ子供だし、体術も剣術も未熟だと言うが、それは比較の対象が間違ってるからであって、ユモから見ればバケモノのように――実際、いい意味でバケモノなのだが――人間離れして、強い。
だから、仕方のない事だけど、虐げられ続けるもの、踏みつけられるものの気持ちが、共感出来ない。
その上で、雪風の身内がまた、同じように強い。
というか、雪風以上に、強い。
雪風が尊敬し、目標とする母親が、話を聞く限り、べらぼうに強い。
あろうことか、その母親がベタ惚れの父親、只の人間であるはずの父親に至ってすら、肉体的にはともかく精神的に、人としてあり得ない程、強い。
当然のように、その母親の姉妹、雪風の叔母達も、その祖母も、強い。
その家族に囲まれ、護られ、雪風は愛されている。
父母が、絶対に自分の味方であり、絶対に自分は愛されている、その自信が、自覚がある。
そんな幸せな環境、それが当たり前だから、雪風は不幸な環境、愛されることを知らない環境が理解出来ない、そんなものがあることが信じられない。
両親に愛されない子供が居ることが、信じられない。
理屈では、わかる。貧困、暴力、虐待、そういったものが世界には蔓延していることは、承知している。
だが、実感がない。
だから。
雪風は、弱きもの、虐げられたもの、不幸なものからすれば、眩しくて、羨ましくて、うっとうしい、そんなものに見えてしまう。
――まあ、あたしも似たようなもんだってのも、わかってるけど――
ユモも、思う。ユモ自身も、両親以外の肉親が居ないことを除けば、似たようなものだと。
違うとすれば、ごく親しい一部の村人を除けば、故郷のメーリング村の村人からは、やはり一定の距離を置かれてしまっていること。
避けられているわけでは無い、むしろ村の恩人とも言える偉大な母、大魔女リュールカの娘であるユモは、尊敬され大事にされているのだが、どうしても、他の同じ年頃の子供と同様には扱われない、扱ってもらえない、それが負い目、引け目になってしまう。
そのあたりが、雪風の言う『人狼の里』ではむしろ弱い方だという雪風の立場とは違う。
それが故に、ユモはあえて尊大な態度を無意識にとるようになった。大事に思われることが逆にプレッシャーだったから。
その引け目がある分、雪風よりはいくらか、卑屈にものを見てしまう者への理解があるが、それでも基本、不幸せな環境というものに共感出来ない、なじみがないことには変わりはない。
不幸なものから見れば、ユモと雪風の差など、誤差範囲でしかない。
――だから。あたし達は……――
「君は、きっといい大人になる。多分、誰よりも辛いことを知っているから、同じように辛い人を助けられる大人になれる。でも、その前に一つ、やらなきゃならない事があるのよ」
目の高さにケシュカルを持ち上げて、雪風が、言う。
――そう。あたし達は、分からないなりに、出来る事を考えてみた。それは……――
「あたしは、あたし達は、ケシュカル君、君を助けたい。だから」
雪風の目が、檜皮色の目が、半獣の瞳が、金色の光を宿して、ケシュカルの目を見る。
「君は、『助けて』って言えばいい。辛い時は、我慢しないで、誰かに助けてもらえばいい。遠慮も、なにもいらない。ただ、『助けて』って言うだけでいい。『助けて』って言われたら、あたしは、あたし達は、絶対に、助ける、出来る限りの力で。ユモも、そうする、よね?」
雪風は、ケシュカルの視界にユモを入れる。
ユモの碧の瞳が、雪風と同じ金色の光りを宿して、頷き返す。
――あたし達は、助ける。上から、引っ張り上げて。これは、あたし達のエゴ。上から目線の、あたし達のお節介。でも、だからこそ、あたし達の、出来る限りで――
「約束するわ。魔女ユモ・タンカ・ツマンスカヤは、助けを求める声を決して聴き逃さないし、絶対に無碍にはしないわ」
――……俺……――
「とはいえ、あんたがまず最初に助けを求めるべきは、多分、あたし達じゃないわね」
ユモは、言って、雪風に頷く。
「そうね」
雪風も、ユモに頷き返し、言う。
「君はまず、モーセス・グース師範に助けと教えを請うべきよ」
「何しろ、あの人は『奉仕種族』としてはあんたの大先輩なんだから」
――俺は、助けてもらって、いいのか?許されるのか?楽になって、生きていて、いいのか?――
「なんで、ダメだって思うの?」
ユモが、あっけらかんと聞き返す。
「誰だって、幸せになっていいし、その権利は誰にも奪えないのよ?」
「それが、人の基本的な権利ってものよね」
「そういうこと」
雪風の相槌に頷き、ケシュカルに微笑んで、ユモが、言い切る。
「自分が幸せでない人に、人は救えない。幸せに出来ない。そのために、まずはケシュカル、あんたが幸せになりなさい」
――俺……俺……――
ケシュカルは、何かを言おうとするが、言葉が探せない。
――俺……助けてほしい……救ってほしい……俺……――
ただ、それだけ言って、いつしか、ケシュカルの声なき声は、嗚咽に替わった。
「……なんともはや……」
オーガストが、ため息交じりに、言う。
「あれが、『福音の少女』の、『福音の少女』たる所以なのでしょうね」
「少女であるが故、という?」
ニーマントが、聞き返す。
「そうです。その純粋さ、強引さ、それが故に、ケシュカル少年は納得せざるを得なかった」
「私にも、なんとなくですが、わかります」
ニーマントが、言う。体があったなら、頷いていただろう声色で。
「そして、こうも思うのです。『奉仕種族』とやらの暴走を抑える要因、因子とは、つまるところ、人であるという確たる自信、無意識下のそれではないか、と」
「ほう?」
「ご承知の通り、私は人の視覚などではなく、放射閃によって外界を認識しています。それで見る限り、ミスタ・モーリーは最初から確たる自信に満ちあふれていた。何故ならば、ミスタ・モーリーは、オリジナルと同じであるべく努力し、そうあろうと努めていたから。一方、ミス・ドルマやケシュカル少年のそれはどこか不安定だった。恐らくは、自分という存在に疑問を、不安を持っていたのでしょう。自分の存在を恐怖していた、そうも言えます。それが、ユキカゼさんとやり合うことで、どうしてそうなったかは分かりませんが、一本筋が通ったようにしっかりした。何故かはわかりませんが、少なくとも、自分である事に対する恐れのようなものが無くなった。逆説的ですが、自分を肯定的に捉え、存在を認めているからこそ、自分を否定的にとらえ、自分に批判的である事ができる。自分が自分である事を無意識下で認める、確立した自我を持つ、恐らくこれが、貴き宝珠が欲しかった答えであり、であるならば」
「人間と同レベルの『確立し、独立した自我』を持たない貴き宝珠には、あるいは『ユッグゴットフ由来の菌類』には理解し得ず、実現することもまたかなわない」
「ええ。彼らには、大変に残念なことですが」
ちっとも残念そうに聞こえない、なんとなればむしろ愉快そうな声色で、ニーマントはオーガストに相槌を打った。
「『福音の少女』……」
いつの間にか、オーガストに二、三歩ほどの所まで近寄っていたラモチュンが、呟く。
「素晴らしいでしょう?」
オーガストが、ラモチュンに微笑みかける。
「この偽りの楽園に舞い降りた天使、そう言ったら、言い過ぎですかな?」
「ミスタ・モーリー、あなたがそんなロマンチストだったとは知りませんでした」
「私は、彼女たちに救われた当人です。言わば、彼女たちを崇拝していると言ってもよい」
皮肉か、本心か。ニーマントの一言に、にやりと、オーガストは笑って、答える。
「宇宙的恐怖、宇宙的真理の片鱗なりとも見知った身としては、目の前の現実の天使が愛おしくてたまらないのですよ」
「やれやれ。ミスタ・モーリー、あなたは、本当に、お二人を崇拝していらっしゃるのですね」
「もちろんですとも。ミスタ・ニーマント、あなたは、違うのですか?」
「……ははは」
珍しく、ニーマントが、笑う。
「そうだ、そうですね。私こそ、お二人を崇拝し、仕えているに等しい。確かに、その通りです。これは、愉快だ」
ひとしきり、ニーマントとオーガストは、静かに笑いあう。
「ラモチュン!」
その隙を突くかのように、ペマとダワが、ラモチュンの側に寄る。
「ペマ、ダワ」
「ラモチュン、君一人か?」
「師範は?」
「モーセス師範は」
ペマとダワから同時に聞かれ、視線を奥に、ユモと雪風とケシュカルの頭に戻してから、ラモチュンは続ける。
「『元君』の元に向かわれました」
「では、ペーター少尉も御一緒に?」
ダワに率直に聞かれて、ラモチュンは一瞬詰まってから、答える。
「……ペーター少尉は、ドルマがお連れしてるわ」
「そうか……」
「それは、よかった」
「それで……貴き宝珠は?」
安堵するペマとダワに、堪えきれずラモチュンが聞く。
「王子は……」
「その……」
「あのろくでなしのドンガラなら、あっちで寝てるわよ」
「ユモ、言い方」
オーガストやラモチュンの方に近づきながら、言って、ユモは背後の扉を示す。ケシュカルの首を抱えて苦笑する、人狼の姿のままの雪風を後ろに従えて。
「……」
厳しめの目で二人を見てから、ラモチュンは、パッと走り出す。
「……って事は、ラモチュンさんは、あれが貴き宝珠だって気付いてなかった、って事?」
「認めたくないだけかもよ?」
「だとしたら、さ。素人さんには、アレ、ちょっと厳しくない?」
「けど、隠す理由もないじゃない?事実は事実、ショック療法よ」
ラモチュンの背を目で追って言った雪風に、腰に手を当ててユモが答える。
待つほどもなく、押し殺した悲鳴が、続いて絞り出すようなえずきと、水か何かを撒くような音が聞こえてきた。
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