128 / 149
第六章-朔日-
第6章 第127話
しおりを挟む
「『元君』、いつからそこに御座しましたので?」
一つため息をついてから、あまり慌てた様子もなく、モーセス・グースが『御神木』に振り向き、聞いた。
「ずっと居ましたよ?」
蠱惑的な微笑みをたたえて、『元君』は答える。
「『ユゴスよりのもの』が私の言うことを聞かない、のあたりから、かしら?」
「なんと……『元君』もお人が悪い」
苦笑して、モーセスが苦言を呈する。もちろん、本心ではないのは顔を見れば分かる。
「あら。真剣なお話しの邪魔をしないように気を付けていたのに。我が眷属ときたら失礼してしまいますこと」
「これは、ご無礼を申し上げました」
モーセスは、深々と頭を下げる。愉快そうに。
ああ、これは、そういう戯れ合いなんだ。ユモも雪風も、理解する。女神とその信者、女王とその従者、そういった関係性の二人の、戯れ事。そうすることも、必要なのだろう。人間性を欠く高位の同胞団員や、もちろん人間ではない『ユゴスキノコ』の相手をするのだから。
「それにしても、紳士協定、ですって?」
少しだけこんもりと小高くなっている『御神木』の根元から皆の方に数歩歩み寄りながら、『元君』が言う。
「なんて素晴らしいのかしら。互いのプライドによって、互いの信頼関係によって、紳士というあやふやな定義によって結ばれる、実体も実益もない約束。素晴らしい、素晴らしいわ」
夢見るような口調、夢見るような眼差し。『元君』は、胸の前で指を組んで、嬉しそうに、言う。
「やはり、あなた達は最高だわ。感情を持ち、自尊心を持ち、欲望を、野望を持つ。あなた達こそ、やはり、『偉大なる母』が愛するに相応しいものなのだわ」
「お褒めにあずかり、光栄の極みです」
オーガストが、うやうやしくお辞儀する。
「女神に愛される価値がある、これほどの光栄は、またとありますまい」
「確かに、身に余る光栄です」
ペーター少尉も、オーガストに続く。
「でも、その光栄も、紳士協定も、少尉さんが元の体に戻れなければ意味が無い、そういうお話しではなくて?」
「まさに、その通りです」
モーセスが、頷く。
「恐れながら『元君』におかれましては、何卒お力を、お知恵を我ら無知蒙昧な凡夫に賜りたく、このモーセス・グース、伏してお願いする次第です」
『元君』は、モーセスを、オーガストを、ペーター少尉の脳缶を、脳缶を抱くドルマを見てから、ユモと雪風に目を移す。
「モーセス・グース、あなたは、この私が、直接には何も出来ないことをよくよく知った上で、そう言うのね?」
「御意に」
頭を垂れたまま、モーセスが答える。
「困った人……私のかわいい眷属は、どうしてこう、いつもいつも私を困らせるのかしら?」
言葉とは裏腹に、妖艶な微笑みで小指の爪を噛みながら、『元君』が言う。
「あなたも、あなたのオリジナルも、私を困らせてばかり。本当に、底意地の悪い……ねえ、そう思わない?小さな魔女さん?」
「え?」
話を振られて、ユモは一瞬、答えに詰まる。
「あたしは……よく、わかりません。その、大人の、そういうやりとりは」
困り顔で、ユモは肩をすくめる。
「あたし、まだ子供だから……でも、『元君』、この魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤは、それが何であれお力添えいただけるなら、出来る限りの感謝を持ってお応えいたします」
ユモにしては珍しく、片膝をついて『元君』に頭を垂れる。
雪風は、知っている。こういう時のユモは、相手に全面的な力量差を、全幅の信頼を、絶対の敬意を払っている時だ、と。
そして。雪風もまた、同じだった。圧倒的な、慈愛の権化。目の前居に居る人型をしたそれは、およそそれ以外ではあり得ないと、心で感じていた。
だから。雪風も、ごく自然に、ユモの隣で同じように片膝をつく。
「偉大なる母、この未熟者に、お慈悲を」
期せず、ユモと雪風の声が、重なった。
「……私は、あなた達に何もしてあげられない。愛し、見守ることしか出来ない。それでも?」
「充分よ」
『元君』の呟きに、ユモが即答する、顔を上げて。
「『元君』、あなたがそこに存在すること自体が、奇跡。形在る奇跡の御前なれば、魔女の、奉仕の御業も失敗のしようがない。そう信じられます。だから」
ユモは、雪風と目を合わせ、頷き合う。
「だから。お見守りいただくだけで充分。事を成し遂げた暁に『よくやった』と言っていただけるなら、それこそが祝福。そういう事、でしょ?」
「そうよ。さすがはあたしの使い魔一号、分かってるじゃない」
「神とは本来、お願いするものじゃない。事を成す誓いをたてるもの。お婆ちゃんの教えよ」
「いいこと言うじゃない?あんたのお婆ちゃん」
「でしょ?」
祖母を褒められて嬉しそうな雪風から『元君』に視線を戻し、ユモが言う。
「だから、『元君』、あたし達がこれからやる事をお見守りいただきたく、お願い奉ります」
「私は、私には、それしか出来ない。それで、いいの?」
「もちろん」
ユモは、笑顔で『元君』に答える。
「この魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤの実力、使い魔込みの底力、ご覧に入れて差し上げますわ」
「と言ったところで!」
ユモは、勢いよく、一同に振り向く。
「要するに、あたしが魔法でペーター少尉の脳ミソを何とかするとして、問題は二つ!」
ユモは、人差し指を立てる。
「一つ。ペーター少尉の体は、魂が抜けちゃってるから、これを何とかしないといけない。ふたつ」
ユモは、人差し指に続いて中指も立てる。
「衛生的にも、それ以外の意味でも、可能な限り短い時間で脳ミソを入れ換えなきゃいけない。そうだ、それともひとつ」
ユモは、薬指も立てる。
「脳ミソと体の神経もちゃんと繋がないとダメ。この三つ」
「二つって言った」
「うさい」
「一つ、よろしいか?」
モーセスが、口を挟む。
「どうぞ」
「実は、ペーター少尉殿の頭の中に、『奉仕種族』の脳の暴走を抑える装置が残っています」
「……マジ?」
「……先に言ってよ」
「『奉仕種族』の脳そのものは、ドルマが取り出して処理したのですが。拙僧も、少尉殿の体をここまで運ぶ途中で、何か頭の中で転がっている音がして初めて気付きまして」
「音て」
「転がるようなものなんだ?」
「これくらいの」
モーセスは、親指と人差し指で大きさを示す。ビー玉より大きく、小ぶりのクルミ大と言ったところ。
「黒い結晶体です。少尉殿の額の穴から取り出すには少々大きすぎまして」
ユモと雪風は、ペーター少尉の額の穴を見る。成人男性なら二本、女性なら三本程度入るか入らないかと言った大きさの穴が、そこには空いている。
「あの穴、何だろって思ってたけど、ドルマさんあそこから脳ミソ引きずり出したんか……」
「まあ確かに、アレより大きい穴開けるのは、ちょっと気が引けるわよね……それも含めて、色々問題解決しなきゃならないんだけど……あんた何してんの?」
離している自分のすぐ足下で、雪風が何かして、柔らかな光と共に源始力の動きがあった事に気付いたユモが、問い質す。
「いや、ちょっと」
ユモに聞かれて、雪風は悪びれず答える。
「話長くなるなら、今のうちに腹ごしらえしとこうかなって」
言いながら、雪風は首に巻いたチョーカーの側にあった手を離す。その手には油紙の包み、先だってオーガストから譲り受けた米軍のレーションのパックが握られている。
「あんたねぇ……って、ちょっとまって!」
「何、あんたも食べる?」
「食べる。じゃなくて!それよそれ!それだわ!」
「どれ?これがいいの?」
「じゃなくて!」
イマイチ会話が噛み合わないことをうっちゃって、ユモは、一同に向けて片頬を不敵に歪ませた。
「問題、解決したっぽいわ」
「あとは、魂の抜けた体の始末なんだけど……」
『知識の書』をめくりつつ、冷えたままのポーク&ビーンズでいくらかふやかした乾パンを囓る。
「読むか食べるかどっちかにしなさい、お行儀悪い」
「んもう……」
全員分――と言っても『元君』とペーター少尉とオーガストは食べないから7人分――のコンビーフを苦労しながら携帯ストーブであぶっている雪風に言われて、『知識の書』を横に置いて、ユモは乾パンとポーク&ビーンズをかき込む。
流石に『御神木』のすぐ側で焚き火をするのははばかられたため、ポーク&ビーンズ――1925年製の米軍のリザーブレーションはコンビーフとポーク&ビーンズ及び乾パン、インスタントコーヒーと砂糖、これらいずれも缶詰を油紙で包んだもの――を温めるのは諦め、とはいえ冷たいと流石に辛いコンビーフだけでも少しは焙ろうと、虎の子の携帯ストーブに火を点け、雑嚢に括り付けていた飯盒の蓋を使って雪風は最低限の温食の確保にいそしんでいた。
幸か不幸か、リザーブレーションは実は2種類あってコンビーフはチョコレートと排他仕様になっており、実質4人分を炒めるだけで済んでいるとはいえ、現在でもスーパーで見かける一般的サイズのコンピーフ――市販品は80g、レーションのそれは85g――四つ分を固形燃料だけで炒めるのはちょっとした苦労ではある。
「残念ですね、アメリカの軍用糧食を口にする貴重な機会なのに」
機械音声でもまざまざと落胆が伝わる声で、ペーター少尉が言う。
「ご希望なら、幾つか融通しますよ。私にはあまり必要のないものですから」
オーガストが、『元君』に許しを得てくゆらすパイプを口から離して、ペーター少尉に答える。
「それは有難い」
「でもペーター様、キャンプに持ち帰るわけには行かないのでは?」
事情を理解し、なおかつ変なところで生真面目なドルマが、米軍のレーションをドイツ調査隊に持ち込む危険性を指摘する。
「それもそうですね……」
「では、人の体に戻れた暁には、少尉がキャンプに戻る前に『ちゃんと温めた』レーションで改めて食事会と致しましょうか?イギリスの兵站部隊から頂いたスコッチもありますよ」
「おお!」
コンビーフをかき混ぜながら、雪風はジト目でその会話を聞き、呟く。
「……まったく。お酒って、そんなに美味しいのかね?」
「あんた、そういや呑まないんだっけ?」
「つか普通子供は呑まないでしょ」
「呑むけど。水より美味しいし」
「マジか……あれか、ヨーロッパ人は水代わりにワイン飲むってヤツか」
「もちろん割って呑むけど、田舎じゃ割と普通よ。ビールもね」
「硬水だから?」
「それもあるけど、今は改善されてるみたいだけど、ちょっと前までは衛生上の問題が強かったって。『ワインは最も健康的な飲み物』って、誰が言ったんだっけかな……」
『ワインは最も健康的で、最も衛生的な飲み物』というのは『近代細菌学の開祖』と呼ばれるルイ・パスツールの言とされる。パスツールは『一瓶のワインのなかには、すべての書物よりも多くの哲学が詰まっている』という言葉も残しているが、それはともかくとして、例えばフランスでは1950年代まで学校でも水で薄めたワインが供されていた。ユモの生まれ育ったメーリング村は西ドイツ南部、チェコとの国境沿いとはいえ、農村部であり、事情としては大きく変わらない。
「……アルコールで消毒?」
「いや本当にそういう事らしいわよ」
「マジか……」
衛生的で清涼な水がふんだんに手に入る事に何の疑問も持たない国に生まれた雪風は、そうでない国に生まれなかったことを、心底八百万の神に感謝した。
一つため息をついてから、あまり慌てた様子もなく、モーセス・グースが『御神木』に振り向き、聞いた。
「ずっと居ましたよ?」
蠱惑的な微笑みをたたえて、『元君』は答える。
「『ユゴスよりのもの』が私の言うことを聞かない、のあたりから、かしら?」
「なんと……『元君』もお人が悪い」
苦笑して、モーセスが苦言を呈する。もちろん、本心ではないのは顔を見れば分かる。
「あら。真剣なお話しの邪魔をしないように気を付けていたのに。我が眷属ときたら失礼してしまいますこと」
「これは、ご無礼を申し上げました」
モーセスは、深々と頭を下げる。愉快そうに。
ああ、これは、そういう戯れ合いなんだ。ユモも雪風も、理解する。女神とその信者、女王とその従者、そういった関係性の二人の、戯れ事。そうすることも、必要なのだろう。人間性を欠く高位の同胞団員や、もちろん人間ではない『ユゴスキノコ』の相手をするのだから。
「それにしても、紳士協定、ですって?」
少しだけこんもりと小高くなっている『御神木』の根元から皆の方に数歩歩み寄りながら、『元君』が言う。
「なんて素晴らしいのかしら。互いのプライドによって、互いの信頼関係によって、紳士というあやふやな定義によって結ばれる、実体も実益もない約束。素晴らしい、素晴らしいわ」
夢見るような口調、夢見るような眼差し。『元君』は、胸の前で指を組んで、嬉しそうに、言う。
「やはり、あなた達は最高だわ。感情を持ち、自尊心を持ち、欲望を、野望を持つ。あなた達こそ、やはり、『偉大なる母』が愛するに相応しいものなのだわ」
「お褒めにあずかり、光栄の極みです」
オーガストが、うやうやしくお辞儀する。
「女神に愛される価値がある、これほどの光栄は、またとありますまい」
「確かに、身に余る光栄です」
ペーター少尉も、オーガストに続く。
「でも、その光栄も、紳士協定も、少尉さんが元の体に戻れなければ意味が無い、そういうお話しではなくて?」
「まさに、その通りです」
モーセスが、頷く。
「恐れながら『元君』におかれましては、何卒お力を、お知恵を我ら無知蒙昧な凡夫に賜りたく、このモーセス・グース、伏してお願いする次第です」
『元君』は、モーセスを、オーガストを、ペーター少尉の脳缶を、脳缶を抱くドルマを見てから、ユモと雪風に目を移す。
「モーセス・グース、あなたは、この私が、直接には何も出来ないことをよくよく知った上で、そう言うのね?」
「御意に」
頭を垂れたまま、モーセスが答える。
「困った人……私のかわいい眷属は、どうしてこう、いつもいつも私を困らせるのかしら?」
言葉とは裏腹に、妖艶な微笑みで小指の爪を噛みながら、『元君』が言う。
「あなたも、あなたのオリジナルも、私を困らせてばかり。本当に、底意地の悪い……ねえ、そう思わない?小さな魔女さん?」
「え?」
話を振られて、ユモは一瞬、答えに詰まる。
「あたしは……よく、わかりません。その、大人の、そういうやりとりは」
困り顔で、ユモは肩をすくめる。
「あたし、まだ子供だから……でも、『元君』、この魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤは、それが何であれお力添えいただけるなら、出来る限りの感謝を持ってお応えいたします」
ユモにしては珍しく、片膝をついて『元君』に頭を垂れる。
雪風は、知っている。こういう時のユモは、相手に全面的な力量差を、全幅の信頼を、絶対の敬意を払っている時だ、と。
そして。雪風もまた、同じだった。圧倒的な、慈愛の権化。目の前居に居る人型をしたそれは、およそそれ以外ではあり得ないと、心で感じていた。
だから。雪風も、ごく自然に、ユモの隣で同じように片膝をつく。
「偉大なる母、この未熟者に、お慈悲を」
期せず、ユモと雪風の声が、重なった。
「……私は、あなた達に何もしてあげられない。愛し、見守ることしか出来ない。それでも?」
「充分よ」
『元君』の呟きに、ユモが即答する、顔を上げて。
「『元君』、あなたがそこに存在すること自体が、奇跡。形在る奇跡の御前なれば、魔女の、奉仕の御業も失敗のしようがない。そう信じられます。だから」
ユモは、雪風と目を合わせ、頷き合う。
「だから。お見守りいただくだけで充分。事を成し遂げた暁に『よくやった』と言っていただけるなら、それこそが祝福。そういう事、でしょ?」
「そうよ。さすがはあたしの使い魔一号、分かってるじゃない」
「神とは本来、お願いするものじゃない。事を成す誓いをたてるもの。お婆ちゃんの教えよ」
「いいこと言うじゃない?あんたのお婆ちゃん」
「でしょ?」
祖母を褒められて嬉しそうな雪風から『元君』に視線を戻し、ユモが言う。
「だから、『元君』、あたし達がこれからやる事をお見守りいただきたく、お願い奉ります」
「私は、私には、それしか出来ない。それで、いいの?」
「もちろん」
ユモは、笑顔で『元君』に答える。
「この魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤの実力、使い魔込みの底力、ご覧に入れて差し上げますわ」
「と言ったところで!」
ユモは、勢いよく、一同に振り向く。
「要するに、あたしが魔法でペーター少尉の脳ミソを何とかするとして、問題は二つ!」
ユモは、人差し指を立てる。
「一つ。ペーター少尉の体は、魂が抜けちゃってるから、これを何とかしないといけない。ふたつ」
ユモは、人差し指に続いて中指も立てる。
「衛生的にも、それ以外の意味でも、可能な限り短い時間で脳ミソを入れ換えなきゃいけない。そうだ、それともひとつ」
ユモは、薬指も立てる。
「脳ミソと体の神経もちゃんと繋がないとダメ。この三つ」
「二つって言った」
「うさい」
「一つ、よろしいか?」
モーセスが、口を挟む。
「どうぞ」
「実は、ペーター少尉殿の頭の中に、『奉仕種族』の脳の暴走を抑える装置が残っています」
「……マジ?」
「……先に言ってよ」
「『奉仕種族』の脳そのものは、ドルマが取り出して処理したのですが。拙僧も、少尉殿の体をここまで運ぶ途中で、何か頭の中で転がっている音がして初めて気付きまして」
「音て」
「転がるようなものなんだ?」
「これくらいの」
モーセスは、親指と人差し指で大きさを示す。ビー玉より大きく、小ぶりのクルミ大と言ったところ。
「黒い結晶体です。少尉殿の額の穴から取り出すには少々大きすぎまして」
ユモと雪風は、ペーター少尉の額の穴を見る。成人男性なら二本、女性なら三本程度入るか入らないかと言った大きさの穴が、そこには空いている。
「あの穴、何だろって思ってたけど、ドルマさんあそこから脳ミソ引きずり出したんか……」
「まあ確かに、アレより大きい穴開けるのは、ちょっと気が引けるわよね……それも含めて、色々問題解決しなきゃならないんだけど……あんた何してんの?」
離している自分のすぐ足下で、雪風が何かして、柔らかな光と共に源始力の動きがあった事に気付いたユモが、問い質す。
「いや、ちょっと」
ユモに聞かれて、雪風は悪びれず答える。
「話長くなるなら、今のうちに腹ごしらえしとこうかなって」
言いながら、雪風は首に巻いたチョーカーの側にあった手を離す。その手には油紙の包み、先だってオーガストから譲り受けた米軍のレーションのパックが握られている。
「あんたねぇ……って、ちょっとまって!」
「何、あんたも食べる?」
「食べる。じゃなくて!それよそれ!それだわ!」
「どれ?これがいいの?」
「じゃなくて!」
イマイチ会話が噛み合わないことをうっちゃって、ユモは、一同に向けて片頬を不敵に歪ませた。
「問題、解決したっぽいわ」
「あとは、魂の抜けた体の始末なんだけど……」
『知識の書』をめくりつつ、冷えたままのポーク&ビーンズでいくらかふやかした乾パンを囓る。
「読むか食べるかどっちかにしなさい、お行儀悪い」
「んもう……」
全員分――と言っても『元君』とペーター少尉とオーガストは食べないから7人分――のコンビーフを苦労しながら携帯ストーブであぶっている雪風に言われて、『知識の書』を横に置いて、ユモは乾パンとポーク&ビーンズをかき込む。
流石に『御神木』のすぐ側で焚き火をするのははばかられたため、ポーク&ビーンズ――1925年製の米軍のリザーブレーションはコンビーフとポーク&ビーンズ及び乾パン、インスタントコーヒーと砂糖、これらいずれも缶詰を油紙で包んだもの――を温めるのは諦め、とはいえ冷たいと流石に辛いコンビーフだけでも少しは焙ろうと、虎の子の携帯ストーブに火を点け、雑嚢に括り付けていた飯盒の蓋を使って雪風は最低限の温食の確保にいそしんでいた。
幸か不幸か、リザーブレーションは実は2種類あってコンビーフはチョコレートと排他仕様になっており、実質4人分を炒めるだけで済んでいるとはいえ、現在でもスーパーで見かける一般的サイズのコンピーフ――市販品は80g、レーションのそれは85g――四つ分を固形燃料だけで炒めるのはちょっとした苦労ではある。
「残念ですね、アメリカの軍用糧食を口にする貴重な機会なのに」
機械音声でもまざまざと落胆が伝わる声で、ペーター少尉が言う。
「ご希望なら、幾つか融通しますよ。私にはあまり必要のないものですから」
オーガストが、『元君』に許しを得てくゆらすパイプを口から離して、ペーター少尉に答える。
「それは有難い」
「でもペーター様、キャンプに持ち帰るわけには行かないのでは?」
事情を理解し、なおかつ変なところで生真面目なドルマが、米軍のレーションをドイツ調査隊に持ち込む危険性を指摘する。
「それもそうですね……」
「では、人の体に戻れた暁には、少尉がキャンプに戻る前に『ちゃんと温めた』レーションで改めて食事会と致しましょうか?イギリスの兵站部隊から頂いたスコッチもありますよ」
「おお!」
コンビーフをかき混ぜながら、雪風はジト目でその会話を聞き、呟く。
「……まったく。お酒って、そんなに美味しいのかね?」
「あんた、そういや呑まないんだっけ?」
「つか普通子供は呑まないでしょ」
「呑むけど。水より美味しいし」
「マジか……あれか、ヨーロッパ人は水代わりにワイン飲むってヤツか」
「もちろん割って呑むけど、田舎じゃ割と普通よ。ビールもね」
「硬水だから?」
「それもあるけど、今は改善されてるみたいだけど、ちょっと前までは衛生上の問題が強かったって。『ワインは最も健康的な飲み物』って、誰が言ったんだっけかな……」
『ワインは最も健康的で、最も衛生的な飲み物』というのは『近代細菌学の開祖』と呼ばれるルイ・パスツールの言とされる。パスツールは『一瓶のワインのなかには、すべての書物よりも多くの哲学が詰まっている』という言葉も残しているが、それはともかくとして、例えばフランスでは1950年代まで学校でも水で薄めたワインが供されていた。ユモの生まれ育ったメーリング村は西ドイツ南部、チェコとの国境沿いとはいえ、農村部であり、事情としては大きく変わらない。
「……アルコールで消毒?」
「いや本当にそういう事らしいわよ」
「マジか……」
衛生的で清涼な水がふんだんに手に入る事に何の疑問も持たない国に生まれた雪風は、そうでない国に生まれなかったことを、心底八百万の神に感謝した。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる