玉姫伝ーさみしがり屋の蛇姫様、お節介焼きのお狐様に出会うー

二式大型七面鳥

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 いつの間にか、ウトウトしていたらしい。銀子ぎんこは、自分を見つめる視線を感じて、目を開けた。
 たまきが、ベッドの上で身を起こして、銀子を見つめていた。
「……あかん、ウチも寝てしもてたか……八重垣やえがきさん、どないしてん?」
 しばし、無表情に銀子を見つめていた環は、ふっと微笑んで、銀子に言う。
「……帰らなくて、よいのか?」
 その物言いに妙な違和感を感じつつ、銀子は、左手の手首、腕時計の文字盤を見る。
「……うーわ、もぉこんな時間やんか。せやな、ウチもそろそろおいとませな」
「そう……」
 言いながら、環はするりとベッドを降りる。
 その立ち居振る舞いに、再び、銀子は違和感を感じる。
「……八重垣さんは、どないしはるん?」
 立ち上がってスカートの皺を伸ばしながら、銀子は不自然にならないように、聞く。
「……あの薬、効いたようだの、とても気分がよい」
 薄ピンクのスウェット上下の環は、そう言って、うーん、と体を伸ばす。
「そうだの、少し、夜風にでもあたるとしようかよ」
――違う。明らかに、何かが違う――
 銀子の中で、急激に不審感が、不安が高まる。だが、銀子は、それを押し殺して、努めて冷静に、言った。
「せやったら、ウチも、途中までご一緒させてもらいまひょか」

 浜町公園は、その名の通り中央区日本橋浜町にある、中央区ではもっとも広い公設の公園である。隅田川に面したその立地と、こじんまりとしつつも樹木と起伏に富み、デイキャンプ施設もある事から地域の憩いの場として愛される公園でもある。
 とはいえ、時計の針が頂点からさらに進んだこの時間帯、点在する街灯が照らす公園の小道には、たまき銀子ぎんこ以外の人影は無かった。
 銀子は、鼻歌交じりで数歩先を歩く環の後を、眉根を寄せてついて歩いていた。環の部屋から帰宅する、と言った割には、その手には学生鞄は無い。
「いい夜、いい森だの。すこぶる気分がよいぞ」
 小道を外れ、わずかに起伏のある小山の木々の間に入ったところで、嬉しそうな微笑みをたたえた環が振り向いた。
「……おぬしの薬、実に良く効くの」
「……あんた、誰や?」
 小山の下から、銀子は聞く。その声は、硬い。
 にやりとして、環が口を開く。
「まあ、誤魔化せはせぬよなぁ……わらわはな、名を玉姫たまひめと言う。こう見えても宇賀弁才天にお仕えする蛇神の、その末席を汚すものじゃ。小娘、控えおろ」
「……なん……やて?」
 あまりにも突飛なその返答に、銀子の理解が追いつかない。
「小娘、おぬしには礼を言うぞ。この娘、環はな、今はすっかり落ちついて、深く安らいでおる。おぬしのおかげじゃ」
 小山のてっぺんに生える、枝振りのいい常緑樹の幹に背中から寄りかかりながら、環――玉姫――は続ける。
「おぬしも聞いたであろ、この娘、それはそれは深く哀しんでおってな。妾はその全てを見知っておって、可哀想に思っても、手出しも口出しも出来なくてのう。口惜しい思いをしておったのじゃ。じゃが今宵、おぬしがこの娘の心の扉を開いてくれた。礼を言うぞ、小娘」
「あんたは、一体……」
 何が何だか良くわからない。それでも銀子は、そう聞かずには居られなかった。
「妾はな、元々はな、京の都の片隅の、小さな小さな祠に奉られた鎮守の蛇神じゃ。じゃがな、再開発とやらで祠が取り壊されてな。依り代を無くして困っておった所に、この娘を身ごもった女がすぐ近くに住み着いてな。一も二もなくこの娘の中に入らせてもらったのじゃ」
「え?……」
「この娘、依り代として滅多に無い相性の持ち主であったのでの。とはいえ、さすがに蛇の姿で生まれ落ちるわけにも行くまい?人の姿を保ちつつ、妾はこうして、この娘が目覚めるのを待っておったのじゃ」
「目覚めるて、え、何?」
「女になる、と言う事じゃの」
 合点がいった。銀子は、その瞬間、全てを理解する。無意識に、両足に力が入る。踏ん張る。
「物忌みじゃからの、妾も今は大したことが出来るわけではないがの。この通り、体を動かすことくらいは……あっ!」
 玉姫の言葉が途切れる。みなまで聞かず飛びかかった銀子に胸ぐらを掴まれ、後ろの木の幹に押しつけられたのだ。
「お前……出て行け!八重垣さんから!出てけ!」
 銀子が、怒鳴る。その銀子の両の腕に、玉姫は手を置く。
「……出来るものなら、とうにしておるわ!妾とて、宇賀弁財天の使いとして奉られる身ぞ!依り代を無くしては、消えるか祟り神になるかしか無いのじゃ!」
 力を入れているようには見えないのに、驚くほど強い力で、玉姫は自分の胸ぐらを掴む銀子の腕を押しのける。
「弁財天の使いなればこそ、祟り神などになるのはもってのほかじゃ!さりとて、妾とて消えとうもない!人の勝手で依り代を壊された身ぞ!祟らぬだけ有り難いと思うて欲しいわ!」
「ぅあっ!」
 振りほどかれた腕をそのままひねりあげられ、銀子は苦痛の呻きを漏らす。玉姫は、その腕を押しとばし、銀子を数歩後じさりさせた。
「この娘にはな、仕方なかったとは言え済まぬ事をしたとは思うておるよ。この髪も肌も、白蛇神の依り代なればこそのものじゃからな」
 さらり、少し乱れた白銀の髪を捌いて、玉姫は銀子に言う。
「じゃがな、いずれはこの娘も、白蛇の生き神として神通力も使えるようになろうよ。何しろ、妾の魂がこの体に入っておるのじゃからな、有り難く思って……」
「……その魂のせいで、八重垣さんは、せんでええ苦労してきたっちゅう事か?」
 後じさり、膝をついて俯いた銀子が、絞り出すような声で玉姫の言葉を遮り、問うた。
「そのせいで、家族に優しゅうしてもらえへんかったって事か!」
 怒りと共に、銀子からがあふれる。それは、どうして、どうやってと聞かれても答えようのない、生来の気質による、攻撃的な、気。
「な?小娘、おぬし!」
「出て行かへんなら、ウチが追い出したるわ!」
 銀子の、狐色の髪が波打つ。この気、この力、陰陽師?いや違う。玉姫は、混乱する。この小娘、何奴なにやつだ?僧侶や神職でもない、だがこの力、どこかで……
「あんたのせいで!八重垣さんは!ずっと一人で!」
 銀子の声に、怒鳴りつつも、涙声が混じる。銀子の気に、力がこもる。
 だがしかし、自分を絡め取り、縛ろうとするその気を、玉姫は苦も無くはじき返す。
「あっ!」
 気をはじき返され、銀子はたたらを踏んで後じさり、尻餅をつく。
「おぬしに何がわかる!」
 俯く銀子に、玉姫の怒声がぶつかる。
「妾こそ!地脈も断たれ、誰からも顧みられない寂れた祠に封じられた妾こそ!神の使いなればこそ、あやかしとておいそれとは近付いては来ぬ!妾こそ!妾こそ……」
 その怒声は、尻すぼみに小さくなる。
「……そやかて……そや言うたかて、八重垣さん犠牲にしてええもんとちゃうやろ……」
 俯いた銀子も、涙声で抗議する。
「……犠牲になどせぬわ!妾はこの体を借りておるだけじゃ!一つの体に二つの魂なれば、いずれは……」
「させへん!」
 みなまで聞かず、玉姫の言葉を遮って、銀子が顔を上げる。獣のような、決意に満ちた目で玉姫を、環を見つめて。
「おぬし!その姿!」
 顔を上げた銀子の、その髪から生える耳、スカートの裾からはみ出す尻尾、なにより最前までとは強さも気配もまるで違う、強烈にぶつかってくる獣臭い気の塊を受けて、玉姫は驚嘆し、狼狽する。
「まさか!化生けしょうか!」
 玉姫の見る前で、狐色だった銀子の髪が、耳が、尻尾が、鋼色はがねいろに変じ、輝きを増す。
「お前なんか!ウチが封じたる!」
 叫びながら、銀子が、人型ひとがたの狐が、跳ぶ。その姿は、鋼色を通り越し、むしろ白銀に輝く。
白狐びゃっこだと!待て!……な!」

 刹那、受け身を取ろうとする玉姫――たまきの体が、ぎしり、金縛りのように動きを停める。
――させしまへんえ――
 玉姫は、心の奥からその声が聞こえるのに気付く。
――すばるさんに、酷い事、絶対させしまへんえ――
「目覚めて、そうか、今の気か!……何を馬鹿な!」
 引き延ばされた一瞬の中で、玉姫は、心の奥の環に言い返す。
「あの娘も化生なれば、妾の同胞はらからぞ!」
 言いながら、玉姫は見る。環の心の内を。その刹那、やっと、最前の銀子の言葉の真の意味を理解した、環の心の中を。
――昴さんは、あの狐色の髪はきっと、常に妖術で染めている、その色。黒うしとうても染めきらへん、あれが限界の、狐色。本当の昴さんの髪の色は、今見ている、あの色。昴さんが言わはった、ウチもこんなやからいうんは、きっと、その事――
「なればこそ!白狐びゃっこなればこそ、白蛇はくじゃたる妾のまこと同胞はらからぞ!手荒なまねなど!」
 受け身も取れず、術も成せぬまま、玉姫は環に背中から抱きすくめられる。
「……する……ものか!」
――させは……しまへん――
 同時に重なったその二つの声は、環のものか、それとも玉姫のものか。まなじりを決し、必死の力を放つ銀子には、聞き分けがつかなかった。

 目の前に、環が立って居る。
 銀子は、朦朧とした意識で、地に横たわった姿勢で、それを見上げていた。
「……昴さんに、ひどいことなんて、させしまへん……」
――同胞に、手荒なことなど、するものか――
 銀子の耳に、二つの声が届く。同じ声、同じ内容。少しだけ、違う言葉。
「だって……昴さんは」
――この小娘は――
 やっとの事で動く頭を起こして、銀子は声のする方に顔を向ける。
「うちの、初めての」
――妾の、やっと見つけた――
 かすむ視界の中、膝を折った環が、銀子に顔を近づける。
「……大事な大事な、友達どすさかい……」
――…大事な大事な、同胞じゃから……――
 二つの声が、重なる。
 見たこともないような、美しい微笑み。環のその顔を見ながら、銀子の意識は、そこで途切れた。
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