白いカーネーション

日下奈緒

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第3章 大学時代

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大学受験に成功して、私は祖母の家を出た。

初めて自分の住む場所に、自分一人きり。

祖母の家に来て、初めて布団で一人寝た時の事を思い出した。


あの時は、無性に寂しかった。

昨日までは、母がいてくれたからだ。

でも今は、寂しくない。

自分には誰もいない。

自分一人だと知っているからだ。


大学でも相変わらず、私は忙しかった。

奨学金を貰っている為、勉強は手を抜けなかったし。

生活費等も稼がなくてならなかったので、ほぼ毎日のようにアルバイトをしていた。

無論働き過ぎて、勉強に支障が出るのは嫌だったし、税金を払うのも嫌だったから、そこは調整して。


そして、一つだけ知った事があった。

大学の友人達は、掃除や洗濯、料理に慣れておらず、新しい生活の中で、それが一番大変だと言っていた。

私は掃除・洗濯・料理を大変だと思った事はなかった。

むしろ、自分一人分だけで、楽になったと思った。

それは、祖母のおかげだった。


大学の夏休み、バイトを理由に、実家に帰る事を躊躇っていた私を、友人がキャンプに誘ってくれた。

料理の段取りに慣れていない友人を他所に、私は黙々と夕食の下ごしらえをしていた。

「赤坂さんって、料理上手いでしょ。」

友人が連れてきた男性陣の一人が、話しかけてきた。

サークルは一緒だって言ってたけれど、確か学部が違うと言っていた気がする。

「う~ん、どうかな。」

「周りに言われた事ない?例えば彼氏とか。」

「いや、私彼氏いないんで。」

片手にじゃがいもを持ちながら、手を大袈裟に振った。

そのはずみで、じゃがいもが私の手を離れ、大きな弧を描きながら、遠くへ飛んで行った。

「わっ!!」

隣にいながらナイスキャッチをしたその人。

可笑しくて二人でお腹を抱えながら、大笑いした。

それが三ヶ月後、私の初カレになる高史との、出会った時のエピソードだった。


私も初カレなら、あっちも初カノだった。

電話をするのもぎこちなくて、彼氏彼女って、どうすればいいのかわからなかった。

とりあえず大学にいる時は、一緒にご飯を食べて。

たまの休日には、一緒に出かけて、デートみたいな物もした。

もちろん、お泊りデートもして、お互いが初相手で、気恥かしさ満載の朝も迎えた。


楽しかった。

心の底から一緒にいて、楽しいと思える相手だった。

いつの間にか、高史しか見えなくなっていた時もあった。

それがまずかった。

成績はどんどん落ちて、もはや奨学金が貰えるライン、ギリギリになってしまった。

バイトも休みがちだったから、生活費も足らなくなってきた。


「ごめん。今までみたいに付き合えない。」

現実を見た結果だった。

「俺に飽きたの?」

「ううん。勉強しなきゃいけないし、バイトも。」

「そうだよな。俺達学生なんだから。」

私達は笑ってお互いを支え合う約束をした。

勉強も頑張った。

バイトも頑張った。

あまりにも頑張り過ぎて、恋愛まで頭が回らなかった。

「芽実は、恋愛よりも勉強の方が、大事みたいだね。」

そう言って、高史は私の元から去っていった。


別に勉強やバイトだけじゃない。

恋愛だって楽しみたい。

周りの女の子みたいに、彼氏と一緒にいるだけで楽しいと思いたい。

同じ物を食べて、一緒に美味しいねと、言いあいたい。


時々ケンカして、仲直りして。

人が羨ましがるくらい仲のいい時や、もうダメかなって思う倦怠期とかも経験してみたかった。

まだ二十歳ぐらいの若さなのに、もう30も半ばを過ぎたくらい老けた考えを持っていた私。

それは多分、周りの人達に比べて自分が、より生活費の心配をしなければならないという、生活に対しての余裕が無かったからなのかもしれない。

今後、社会人になればいよいよ仕事への責任感も出てくるだろうし、結婚すればもっと生活に余裕がなくなる。

今が一番生活に余裕があるはずなのに、余裕がない。

それが私をより一層、老け込ませた。


大学3年生の夏休み、一度だけ祖母の家に帰った。

「おう!来てたのか?」

黙って帰った事は申し訳なかったが、まるで私がいてもいなくても関係ないような態度だった。

「うん。調度バイトで長い休みが取れたから。」

大学生のバイトなんて、休みの希望を出せば100%通る。

そうしなかったのは、私が休みたくなかったから。

帰れない理由をバイトのせいにして、帰ってきた理由もバイトのせいにしていた。

「今日は泊まっていげんのか?」

「うん。明後日までいる。」

何気なく2、3日泊まる事を伝え、自分の使っていた部屋へと荷物を置きに行った。

そこは私がいた形跡等なく、既に物置状態になっていた。

荷物の中に、そっと私のベッドがそのままで残っていた。

中学生になる時に、親戚のお姉さんが、結婚するからいらなくなったと言って、私にくれた物だった。

布団類などは既に押入れに仕舞いこまれ、マットレスは壁に立てかけてあった。


ここには、もう私の居場所はないのだと思った。

大学の友人は、夏休みは毎年帰っていると言っていたけれど、自分の部屋はそのままにしてあり、ベッドはいつでも眠れるようにしてあると、言っていた。

私は壁に立て掛けたあったマットレスを、自分のベッドに戻した。

押入れを開け、圧縮袋に入れてあった、自分の布団を取りだした。

友人の家はこれを、母親がしているのだ。

夏休みの前は、帰ってくるだろう娘を想って。

夏休み以外は、いつ帰ってきても泊まっていけるようにと。


涙が零れて、出したばかりの布団に、ポトッと落ちた。

自分にはそんなふうに、想ってくれる人はいないのだと、胸が苦しくなった。


私が何かした?

なぜ私ばかり、こんなに悲しくて、孤独な人生を送らなければいけないのか。

それが私に与えられた人生だと、この時はまだ思えなくて、ひたすらこの人生を捨てたい、変えたいと心から願った。


「芽実、飯だあ。」

部屋の向こう側から祖母に呼ばれ、涙を拭って祖母の元へ急いだ。

祖母が台所で夕食を作って、祖父が居間でテレビを見ている。

「芽実。帰ってきた時ぐらい、ばあさんを手伝えや。」

“帰ってきた時ぐらい”って、私が手伝わなかった事なんてなかったでしょ?

むしろ私が面倒を見ていたと、心でブツブツ言いながら、台所へ向かった。

私がいた時よりも歳を取った祖母。

その背中は、小さくなったように見えた。

「ばあさん、今日のおかずは?」

私が聞くと、パックのお刺身があった。

スーパーでよく見る盛り合わせだ。

しかもかなり種類が多い。

「今日、孫帰ってきてるって言ったら、スーパーに勤めている今朝子ちゃんがよ、安くしてくれたんださ。」

「へえ~。」

よくパックを見ると、値段表示の場所に10%OFFのシールが貼ってある。

いわゆる、夕方になると特売になる、あれだ。



今朝子ちゃんと言うのは、大輔のお母さんで、私が小さい頃から近所のスーパーで、パートとして働いていた。

祖父母揃ってスーパーへ買い物に出かけると、割りと10%OFFのシールを貼ってくれるらしい。

「後はお煮しめあっから、食べらい。」

祖母が鍋の蓋を開けると、大量の具材がところ狭しと煮込まれている。

一度作ると、同じお煮しめが1週間くらい出る。

それ程一気に作るのだ。

「うん。大皿に入れるね。」

割と平たい大きな皿に、出来たばかりのお煮しめを入れて、居間へ持っていく。

お刺身とご飯、お味噌汁も追加され、食卓は華やかではないが、おかずは揃った。

「頂きます。」

久しぶりに、自分一人ではない夕食。

祖父母と一緒に、お刺身を突っつき合う事が、食費を気にせず食べていた子供の頃を思い出せた。

「どうだ?芽実。大学は順調か?」

「うん。まあまあ。」

たまにテレビを見ながら、曖昧な返事をした。


「おめえ、彼氏いんのが?」

こう言う事を聞いてくるのは、大抵じいさんの方だ。

「いない。」

「誰がいい人は?」

「今、探している最中。」

私の返事に、あはははっと祖父母が笑う。

「そのうち芽実にも、嫁ごさ欲しいって言う奴がいるんだべ。」

「ほだぁ。うちらの前さ手を付いて、頭下げんのしゃあ。」

そして、二人だけでニコニコと、微笑みを浮かべていた。


そう言えば、結婚する相手が見つかったら、この家に連れてこなきゃいけないんだっけ。

私と結婚したいと言う相手が、この家に挨拶に来る時の事を想像して、盛り上がっている二人を他所に、私はふと居間を見渡した。

私を産んだ母が、小さい頃に建てたという家は、何十年もの歳月をかけて、もう古くなっていた。

ところどころ、壁が剝がれている場所もあるし、一番上になんて、蜘の巣みたいな白い線が見えた。

あまり体が動かなくなったせいか、よく使う物は床にまとめて置いてあって、それが返って物が溢れているように見せた。


一人暮らしをしてわかったけれど、物は多くても棚等に入れて、一目につかないようになれば、割りと散らかっているようには見えない。

今の棚の中に、これらを入れたら、どんなに綺麗に片付くかなと、余計なことを考えてしまった。


「芽実。腹いっぱいか?」

「えっ?」

考え事をしていたら、箸が止まっていた。

「食べろ。一人の時はこんなに刺身を食わんねべ?」

そう言って差し出されたお刺身は、まだ大分残っていた。

「じいさんも食べれば?」

「俺はもう年寄りだから、食えん。若い人が食べろ。」

まあ、そうだろうなぁと妙に納得して、ばあさんに目を向けた。

「ばあさんは?」

「んだな。ばあさんも食べるっちゃな。」

そう言うからお刺身を、ばあさんの方に寄せた。

一切れ食べて“美味しいな”と言い、そしてまた、テレビを見ている。

しばらくしたらばあさんは、テレビを見ながら、うつらうつらと寝ていた。

年寄りというのは、日常生活を送るだけでも、相当疲れているんだなと思った。


その日、ベッドの中に入って見た天井。

私が、小学生の頃この家にやってきて、高校を卒業するまで、この天井を見ていた。

不思議なのは、自分の部屋だった頃とは全く違っているのに、天上を見ると、この家に帰ってきたと、しみじみ思ってしまう。


年老いた祖父母。

私が帰って来て、嬉しそうにしている祖父母。

本当ならば、私に両親がいて、祖父母の面倒をみるはずなのに、それもない。

祖父母とて、その分苦労しているのだ。


だからと言って、大学を辞めてこっちに戻って来ようとも思えない。

高卒では、あまりいい就職先は見つけられないようだし。

何より、自分だけでは生きていけないだろうと、思っていた。


助けたいけれども、自分に力がなくて、助ける事ができない。

それも仕方ない。

私はまだ大学生なのだからと、自分に言い聞かせて、その日は目を閉じた。
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