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第4章 使徒か女神か

第4章4話 邪魔者

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 エリーゼは歴史学が苦手だ。
 歴史に限らず勉強全般が嫌いなのだが特段に不得手である。
 原因は本人も把握していてコツコツと覚えていかないといけないのと、前世の貯金が全く使えないというのが大部分を占める。
 かといって放課後に予習復習をするほど彼女は勤勉ではない。
 
 その為、エリーゼは歴史学を受講中は並々ならぬ集中力を注ぎ込んで、出来るだけ多くの内容を記憶しようと努めている。結果は今の所芳しく無いがそれはまた別の話である。

「ちょっとラズ、何であいつがこんなとこにいんのよ?」

 普段は必死で耳を傾ける歴史学の時間にも関わらず今日はまるで頭に入って来ない。どれだけ前を見ろと言い聞かせても講義室の後方に意識が吸い寄せられていく。

 そして、集中力をかき乱す原因は火を見るより明らかだ。

 なんせ部屋の後方に鎧で着飾った聖騎士が仏頂面で立っている。しかも昨日の謁見の際とは違い手には嵩のような円輪と十字槍を合わせたような権杖を持っていた。杖先の中心には蒼海のような宝玉が嵌めこまれており、何らかの効果を持つ彼の武器であると思われる。
 完全装備の見慣れぬ騎士が常に睨みをきかせている状態でまともな講義など成立する筈もない。
 
 教科書を片手に平静さを保ったまま講義を続けるアルボル先生に聞こえないよう、声量を落としてエリーゼは内緒話をする。

「わたくしだって知りませんよ……」

 聖女の護衛を自称する最高峰の聖騎士は朝早くからラズの部屋の前で直立不動で待ち構えており、授業へと向かう道すがらもピタリと脇に付いて来た。
 講義室に入ろうとすれば代わりに扉を開け、席に辿り着けば持っていたハンカチを敷いて椅子を引くという徹底ぶりである。
 ボディーガードのみならず高貴な者の取り扱いも完璧にこなせるレグルスは要人警護のプロでもあるが、何でも自分で実行派のラズからするといちいち助けが入るのは鬱陶しいことこの上ない。

「って、エリさんはレグルス様をご存知なのですか?」
「直接の面識はないわよ。ゲームの続編で登場する攻略対象だったから知ってるだけ。なんでもそっちは舞台が教国らしいわ」
「あったんですね、続編…… というか、らしいというのは?」

 プレイヤーの立場ではなんの使い道も無いアイテムの錬金レシピまで覚えるているエリーゼらしくないとラズは違和感を覚えた。だが、帰ってきたのは予想外の答えである。

「それが実はプレイしてないのよ。続編を買いに行ったその足で死んだから」
「それはなんと言いますか、御愁傷様でした、で合ってますかね?」
「どっちでもいいわよ。思い出したくもないし。最後の記憶は未だに腹立つわ――じゃ無くて、今知りたいのはあれの目的よ」

 油断するとすぐに逸れていく会話を軌道修正したエリーゼはラズから経緯を聞いて眉間を押さえた。

「よかったわね。モテモテじゃない」
「自由がモットーのわたくしからすると宗教団体そのものから好かれるのはちょっとご遠慮願いたいです……」
「それにしてもストーリーがまた狂ったわね。教国なんて名前がちらっと出てきたくらいだったのに、なんでこのタイミングでしゃしゃり出てくんのよ」
「本当になんでなんでしょうね……」

 二人が遠い目をしている間にも授業は進行していく。
 だが、常に冷静でクレーバーな性格で学生から知られるアルボル先生であるが講義を妨害されたとあっては流石に思う所があるようで、授業内容は変更になっている。

「――と、されているが実際には教国は数々の血塗られた歴史を歩んできた。例えば布教活動を禁止した国へ戦争を仕掛けたり、他の宗教を邪教と定めて迫害したりと、多くの人の命を奪ってきた」

 このように先程から教会と教国の暗い史実を片っ端から解説している。
 これにより「あ、これは怒ってる」と全ての学生はすぐに察した。

 よく研ぎ上げられた刃物のように鋭い眼光が時々闖入者を射抜くも、当の本人は微塵も意に返さず、眉一つ動かさない。

「中でも理不尽な虐殺として有名なのが今から百年程前に行われた土殺しである。土魔法のエキスパート達を何の大義も無く次々に殺しまわった凶行は今でも多くの国で語り継がれ――」
「教授。どうやら講義の内容に誤りがあるようだ」

 講義が始まって以来、騎士が守り続けていた沈黙は遂にここで破られる。
 異論を挟んだレグルスに教科書を持ったままの手で指が向けられる。

「ほう。ならば詳しく説明してもらおう」
「かつて我ら教会が討滅したのはただの土魔法使いなどでは無い。悪魔召喚を目論む邪悪なる錬金術師どもを教会が征伐したからこそ、世界の秩序は保たれたのだ。凶行という表現はかつての偉大な正義の行いとまるで真逆の意味合いで相応しくは無いだろう」

 お返しとばかりに向けた凍てつくような視線をレグルスが放つ。

「いや、錬金術で悪魔が召喚された事実も悪魔召喚に関する研究の記録も無い。でっち上げの大義名分で人命を執拗に潰して回った過去に相応しい解釈だ」

 だが、アルボル先生側も一歩も譲らない構えを見せる。

「錬金術には命を弄ぶ禁忌の秘法もあったと伝え聞く。悪魔が関わらずとも道徳に反し、極めて危険で無秩序な研究がなされていたのであれば我らは主の導きに従い裁きを下すまでのことだ」
「ふん……魂を持たず、感情の無いホムンクルスなどゴーレムやマリオネットとなんら変わりはしない魔術の産物だ。まさか教会は物にも命が宿るなんて言い出すのでは無いだろうな?」
「血も肉もあるホムンクルスとゴーレムが同列とはならない。生命として取り扱うのは当然と言えるだろう」

 講義時間終了の鐘が鳴るまでの間、激しい論駁の応酬が繰り広げられたのであったが、論争の渦に巻き込まれた学生達はただそれを見ていることしか出来なかった。

 しかし、これはあくまで皮切りに過ぎなかったのである。
 その後の講義にも当然の様にレグルスは同席するばかりか、ラズの向かう全ての場所に追随してきた。
 トイレに行く時ですら入り口の前までついてきた。
 雁字搦めの警護体制にこの上ない窮屈さを皿まで味わったラズの精神はゴリゴリと削られ、放課後を迎えた頃には伸びたパスタのようにふにゃふにゃになっていた。

「あんたの性格を考えると流石に可哀想になってきたわね……」
「もう、いっそのこと気晴らしにひとっ飛びしてきましょうかね……」
「やめときなさい。たぶん、こいつはタニアと同じくどくど属性だわ。後で更に疲れるだけよ」
「たしかに……」
「聖都に帰るまでの辛抱です。ご理解賜りますようお願い申し上げます」
「そういう設定だったわね……」

 ラズとエリーゼがほぼ同時に「お前が言うな」という顔を浮かべるが、レグルスは涼しい顔のままである。不屈の精神力が要求される聖騎士にとってこの程度は非難のうちにも入らない。
 粘着されている側からすると厄介この上ない図太さである。

「しかし、台下はこのような無骨な場所で何をなさるおつもりですか」
「ダンジョンに行く前の最終確認ですよ。わたくしは荷物持ちポーターなので、戦わずに見てるだけですけどね」

 学院ダンジョンの探索を明日に控えているラズもといエリーゼパーティーは放課後に地下訓練場でフォーメーションの摺り合わせを行う予定になっていた。
 各自着替えて現地集合の手筈になっているためルーカスとアイザックとウォルターの三人はまだ到着していない。

 ラズとエリーゼは準備が不要で唯一通学組のギルバートは貴人用の更衣室を使用するので、三人はここへ直行した。
 厳密に言うならば勝手についてきた厄介者を加えて四人であるが。

「台下が荷持ちですって!? そんな仕打ちを受けていらっしゃったとは、さぞお辛かった事でしょう」
「いえ、まったく。わたくしがやりたくてやっているので」
「彼らのような下賎な者に気を使ってそのような嘘までおっしゃる必要はありません。さあ、今すぐ部屋に帰りましょう」
「エリさん、レグルス様が人の話を聞いてくれません!?」
「まあ、私からしたらおまいうって感じよ?」
「ふん。どっちに転んでもリアが教国に収まることは無いのだから貴様一人で国へ帰れ、聖ストーカー」

 昨日から横暴な振る舞いの教国の態度が腹に据えかねていたギルバートは人目が無いのも相まって、他国の要人にも関わらず明確に邪険な扱いをする。
 もっともそれが通じる相手でも無かった。

「さ、台下、今すぐ教国に参りましょう。この国では粗野で煩い男が権力まで持ったまま放し飼いのようですから、あまり長く滞在するとこちらまで品位の低下を招きます」
「突然現れて令嬢の身柄を強請る狼藉者が品を語るとは滑稽だな」
「ならば好きなだけ抱腹しているがいい。だが、台下に相応しくない貴女を近付ける訳にはいかない」
「……オレがリアに相応しくないだと?」

 ギルバートの瞳の奥に怒りの炎が宿り、殺意すら混じった視線を向ける。

「それに私がいる限り貴女はもう戦う必要がありません。彼らのような素人の訓練など見ていても退屈でしょう。台下の貴重な時間をドブに捨てるくらいならば聖典を通読し、礼拝堂で祈りを捧げましょう。これからは唯一無二の習慣になるのですからね」

 レグルスが示した日々を想像したラズの顔が引きつった表情に変わる。
 そんな事をすれば鬱憤の溜まったラズが何をするかわらないわね、とエリーゼが他人事のように呟く。単に、もしそうなっても被害をこうむるのは教国なのでどうでもよかっただけであるが。

「素人……か。 五聖剣ペンタグラムソードは人を見る目までは備わっていないらしいな」
「そのようだな。雑魚がどれくらいの雑魚であるかまでは私にはわからないが、少なくとも貴方が台下を守るには役者不足だ」

 売り言葉に買い言葉といった具合で二人の間に流れる空気が険悪になってきたのを感じてラズとエリーゼは首を傾げた。

「そこまで言うのならば試してみるか? どうせ元より意味を成さない護衛だから暇だろう」

 ラズを脅かす存在がいない以上、護衛に意味など無い。ギルバートの発言は事実という名の的をど真ん中に捉えているが、ラズの実力を知らないレグルスはこれを単なる挑発として受け取った。

「絶対なる聖騎士の力を甘く見ない事だ。私怨で王族に手を上げるつもりはないが、こちらが何も出来ないと思っているのであれば後で後悔する事になるぞ」
「そんな必要は無い。ただ交流の一環として模擬戦をするだけだ。ここには安全に決闘が出来るマジックアイテムがある。双方怪我をする心配は無い」
「ほう。いいだろう」

 訓練場の中央にあるステージの上に見える水晶のような玉をギルバートが指差すと、彼の婚約者が呆れた顔でそれを止める。

「やめときなさいよ、馬鹿。たぶん、あんたじゃ勝てないわよ」
「黙れ。ここまでコケにされて弱腰な態度を取ればいくらでも無理を通してくるだろう。勝っても負けてもここで一つ釘を刺す」

 聖戦を外交の手段としか考えていない教国に抵抗の意志を示す、というのがギルバートの強引な理屈である。勿論、エリーゼは理解を示さないが。

「はぁ……あんた、王子なのに割と頭悪いわよね」
「世界中の何処の誰よりもお前にだけは絶対に言われたくない言葉をありがとう!」

 啖呵を切ってマジックアイテムの元へと向かって行くギルバートの背中にレグルスがついて行ったを見計らってエリーゼが溜息を吐く。

「ったく、ゲームのギルバートはあんなキャラじゃ無かったのに」
「へ~、どんな感じだったんですか?」
「自信と余裕に満ち溢れた紳士ってとこね」
「それはもう思いっきり別人じゃないですか!?」
「何気にあんた一番酷いわよ!」

 幸いにして本人には聞こえなかったのでこれから繰り広げられる戦いへの影響は無いだろう。耳に届いていればさぞ落ち込んだに違いないが、そこは知らぬが仏。

 二人揃えばプラットホームより姦しい彼女らを余所に王子と聖騎士によるそれぞれの面子をかけた対決が今幕を開けようとしていた。
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