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第十章 闇夜に咲く胡蝶蘭

婚約破棄のあとに

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 イセリナは一人、王宮殿へと来ていた。

 当然のこと用事があってのことだが、どうしてかセシルの部屋に彼女はいる。

「イセリナ様、綺麗なお花をくださり、ありがとうございます」

 どうやら瀕死の重傷を負ったセシルの見舞いらしい。

 論ずるまでもなく、彼女は父であるランカスタ公爵に命じられてここにいるのだが、セシルが負傷してから二週間もかかっていたのには理由がある。

 彼女は同日にある用事と併せて見舞いを済ませようとしていただけだ。

「よく助かりましたわね? 普通は首を斬られたなら死にますわよ?」

 歯に衣着せない言葉は相変わらずだ。

 まあしかし、セシルもイセリナの性格は分かっている。苦い顔をして頷くしかできない。

「アナスタシア様のおかげですよ。兵たちはみな、口を揃えて言います。彼女が唱えた回復魔法は神がかっていたと……」

 イセリナもその話は聞いた。

 まるで死者をも蘇らせるほどの神聖魔法であったのだと。

「でも、つっけんどんは死んだみたいですわ」

「つっけんどん? ああ、カルロ殿下のことですか」

 セシルは溜め息を吐く。

 思えばアナスタシアを独り占めしていた彼に対する嫉妬が始まりなのだ。

 堂々と勝負をし、勝利を収めて彼女を手に入れるつもりだった。

「カルロ殿下にあれほどの剣技があるとは考えていませんでしたね。一騎討ちなら必ず僕が勝利すると疑っていませんでした」

「おかげでワタクシは、つっけんどんを慕う二人のため、ドレスを買ってあげることになりましたわ。セシル殿下に請求してもよろしくて?」

 再びセシルは苦笑いだ。かといって、イセリナとの遣り取りは新鮮でもあった。

 王子である自分が同じ目線で話しかけられることなど、家族以外にいないのだ。

 皮肉にも感じる内容ではあったが、セシルは面白く感じている。

「じゃあ、請求してください。何ならイセリナ様に新しいドレスを用意しますけれど?」

「お願いしますわ。ワタクシ、イヤリングとネックレスが欲しいです」

 兄の婚約者であったけれど、彼女は初めてダンスをした折りと同じ。

 本当に裏表がないと思う。美貌もさることながら、性格も割と好きであった。

「ルーク兄様に怒られそうですけれど、必ずプレゼントしますよ」

「ルーク殿下が怒るはずもありませんわ。何しろワタクシたちは政略的に婚約しただけ。婚約してからまだ一回しか会っていないのですし」

 そういえばメイドが話していた。

 兄ルークと婚約者イセリナが不仲ではないのかと。まるで登城してこないイセリナにそのような噂が流れている。

「本当ですか? 兄様は割と乗り気だったと考えているのですけど?」

「しょうがないでしょ? ルーク殿下は問題を起こしすぎ。王太子となるにはワタクシのような女を選ぶしかなかったのですわ。どこぞの子爵令嬢を選んでは貴族たちを失望させてしまうだけなのです」

 どこぞの子爵令嬢という話には思い当たる節がある。

 というより、彼女のことだと確信があった。

「ルーク兄様の気持ちを知っておられるのですか?」

「あの二人は両想いですわ。しかし、色々と噛み合わなさすぎ。出会う場面が違っていたのなら、異なる今があったのではないかと」

 イセリナの話には同意しかない。

 初めて二人が出会ったのは十二歳であった。まだ兄は幼く、タイミングを見誤っている。

 しかし、聞いた話によると、アナスタシアがいなければ、兄ルークは死んでいたらしい。

「イセリナ様は当て馬で良いのですか? それとも王太子妃になりたいのです?」

「とんでもない! ワタクシは日がな一日、寝て過ごしたいのです。王太子妃なんてしたくありません。そのような役割を担うなど考えておりませんでした。何しろワタクシはずっとアナの世話になっていますし、これからも彼女の世話になる予定です」

 思わずプッと吹き出してしまう。

 セシルはイセリナが可愛らしいと思った。

 二人の仲が良いのは知っていたけれど、身分差が生まれた現在でも同じ関係であるなんて素敵だと感じている。

「イセリナ様は飾らなくて素敵な女性ですね?」

「それをお兄様に言ってやってくださいな。これからワタクシは懺悔室のような沈黙に満ちた拷問部屋へと赴かなくてはならないのですわ……」

 どうやら見舞いだけで登城したのではないとセシルは理解する。

 まあでも溜め息を吐くイセリナを見ると何だか笑ってしまう。

「ルーク兄様は会話しないのですか?」

「つっけんどんよりはマシですけれど、前回は二人共がほぼ本を読んで過ごしましたわ」

 できれば登城したくなかったのだが、流石に呼び出されては拒否できなかったらしい。

「ならば、イセリナ様は第三王子であれば問題ありませんか?」

「その方が、ずっとマシでしたわ」

 一応はイセリナも立場を分かっているみたいだ。

 だからこそ、第一王子ルークの婚約話を受けたのだろう。公爵令嬢でなかったならば、彼女は誰とも婚約しなかったのではないかと思う。

「まあしかし殿下、ワタクシを手に入れようとするのでしたら……」

 権力を望まぬ公爵令嬢。イセリナはセシルに続けた。

 婚約破棄後にお願いしますわ――と。
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