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第十章 闇夜に咲く胡蝶蘭
待ち伏せ
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胡蝶蘭の夜会まであと三日。
出席予定のない私は普通に貴族院での講義を受けていました。
本日は礼儀作法やら、ダンスレッスンやら。ほぼ女子のみの講義でしたので、気分的には非常に楽な一日となっています。
「イセリナ、気合い入ってたじゃない?」
「ワタクシもやるときはやるのですわ。夜会では主役になってみせますから」
二年生を差し置いて、主役になるのは難しい。かといって、イセリナならば可能かもしれません。何しろ、彼女のパートナーは第一王子殿下であるのだから。
「イセリナ様、私は観覧席で拝見させていただきます!」
結局、オリビアもパートナーとして声がかからなかったみたい。私と同じく観覧席の花となるようですね。
本心を言えば、イセリナとルークのダンスは心を痛めるだけだったのですが、イセリナの晴れ舞台なので観覧は仕方ありません。
最後の講義であるダンスレッスンを終えた私たちは講堂をあとにして、馬車が待つ停車場まで並んで歩いていました。
もう帰るだけ。そう思っていたのですが、校舎をあとにした私たちを待ち構えるような人影があります。
「アナスタシア……」
待っていたのはアルバートでした。しかも、私を待っていたみたい。
「何でしょうか?」
胡蝶蘭の夜会については断ったはず。だからこそ、今さら何の用事があるのか不明です。
「私は今も返事を待っている……」
眉を顰めるしかありません。まるで世界線が戻されたかのよう。
キッパリと断ったはずなのに、アルバートは私が返事をしていないような話をするのです。
「ダンスパートナーの件でしたらお断りしたはずですが?」
「確かにダンスパートナーの話だが、私が待っているのは君が口にしていることではない」
さっぱり分かりません。彼が何を言っているのか。
ともすれば、気が触れてしまったかのように感じられています。
「私のダンスパートナーになるという返事を待っている……」
嘘でしょ? 私は断る以外の返答を持っていないというのに。
「ダンスパートナーにはなりたくありません」
「君はドレスを新調したのだろう? 調べはついている。私のパートナーとなるために、相応しいドレスを誂えたことをな」
どうにも自信家であり、更には病んでいる気もする。
普通のご令嬢なら尻尾を振って頼み込むのでしょうが、生憎と私は違います。
「アルバート貴院長のため? そんなわけないじゃないですか? ドレスはイセリナが買ってくれただけ。断った人のために誂える人間がいるはずもありませんわ」
「隠さなくて良い。私の誘いを断るような令嬢がいるはずもないのだ」
言ってアルバートは私の腕を掴んだ。
強く引き寄せ、私の顎先をその手で上に向ける。
「な、何を……?」
「ウブなんだな? 分からないとは……」
アルバートの顔が近付いてきた瞬間、パシンと耳に残る音が周囲に響く。
間違っても私じゃない。
授爵式を控えた私はただの子爵令嬢でしかなく、もし仮に授爵したあとであっても、アルバートのクレアフィール公爵家には遠く及ばないのです。
そんな彼に平手打ちするような真似を公衆の面前でできるはずもありません。
「イセリナ……?」
どうやら手を出したのはイセリナのよう。アルバートと同格である彼女は私の危機に際して、間に入っている。
「アルバート、貴方は何様? アナはワタクシの親友であり、従者ですのよ? 今回の件はお父様に処分を願いますわ。大勢が見ているのです。言い逃れはできませんわよ」
イセリナは強い口調で言った。
間違っても従者であるつもりはありませんでしたが、彼女が割って入ってくれたことには感謝しかありません。
「イセリナ、君こそ私に手を上げたな? 後悔しても知らんぞ?」
「何ならルーク殿下まで出てきてもらってもよろしいのですわよ? クレアフィール公爵家が没落しないように願うのであれば、さっさと立ち去りなさい!」
普段のだらしないイセリナと同一人物だとは思えません。
今の彼女は明確に悪役令嬢イセリナであって、全てを畏怖させるご令嬢に他なりませんでした。
ここまで言われてしまっては、流石にアルバートも周囲を気にしています。
イセリナの甲高い声に呼び寄せられたかのような群衆は彼を焦らせていました。
「アナスタシア、私に恥を掻かせるなよ? 当日は新調したドレスを着てくるんだ!」
最後までアルバートは主張を変えない。
私たちを取り囲むような生徒たち。騒ぎが大きくなってしまったのはイセリナの張り手なのか、或いは怒鳴るようなアルバートのせいなのか。
授爵式を控えている以上、問題ごとを起こしてはならない。私は嘆息しつつも覚悟を決めました。
幸いにも証人となる人たちが大勢いる。だからこそ、私は告げるだけでした。
「分かりました。とりあえず、胡蝶蘭の夜会には参加いたします。けれど、貴方様と踊るつもりはありませんので悪しからず……」
「ふん、最初から素直になればいいのだ! いいか? お前は私のパートナーだ。よく肝に銘じておけ」
「パートナーではありませんわ! 参加することを了承しただけですから!」
次第に私もヒートアップしていました。
ゲームキャラではクールな印象だったけれど、現在のアルバートは正直に悪役だとしか思えません。
「当日は会場の入り口で合流する。いいな?」
アルバートは命令を残して去って行きました。最後まで悪態付いたままに。
私は溜め息混じりに口を開く。
「ごめん、イセリナ。気を遣わせてしまった……」
「気にしなくてもよろしくてよ? クレアフィール公爵家はまともだと考えていたというのに、どうしようもないクズでしたわね? ワタクシ、あのような輩は大嫌いですの!」
大声でアルバートを批判するイセリナ。これには集まってきた者たちも苦笑いを浮かべるしかない。
同意しようものなら、どのような罰を受けるか分からないのだから。
「ま、とりあえず参加はするわ。あんな男と踊るつもりはないけれど……」
「蹴り飛ばしてやりなさい!」
イセリナは今も怒りが収まらない様子。
気持ちは分からなくもないですけれど、私としては嫌がらせをするだけです。
命令通りに夜会へと参加し、決めた通りに彼とは踊らない。両方を遂げてこそ悪役令嬢だわ。
私にも少なからず矜持があるということを見せつけてやりましょう。
出席予定のない私は普通に貴族院での講義を受けていました。
本日は礼儀作法やら、ダンスレッスンやら。ほぼ女子のみの講義でしたので、気分的には非常に楽な一日となっています。
「イセリナ、気合い入ってたじゃない?」
「ワタクシもやるときはやるのですわ。夜会では主役になってみせますから」
二年生を差し置いて、主役になるのは難しい。かといって、イセリナならば可能かもしれません。何しろ、彼女のパートナーは第一王子殿下であるのだから。
「イセリナ様、私は観覧席で拝見させていただきます!」
結局、オリビアもパートナーとして声がかからなかったみたい。私と同じく観覧席の花となるようですね。
本心を言えば、イセリナとルークのダンスは心を痛めるだけだったのですが、イセリナの晴れ舞台なので観覧は仕方ありません。
最後の講義であるダンスレッスンを終えた私たちは講堂をあとにして、馬車が待つ停車場まで並んで歩いていました。
もう帰るだけ。そう思っていたのですが、校舎をあとにした私たちを待ち構えるような人影があります。
「アナスタシア……」
待っていたのはアルバートでした。しかも、私を待っていたみたい。
「何でしょうか?」
胡蝶蘭の夜会については断ったはず。だからこそ、今さら何の用事があるのか不明です。
「私は今も返事を待っている……」
眉を顰めるしかありません。まるで世界線が戻されたかのよう。
キッパリと断ったはずなのに、アルバートは私が返事をしていないような話をするのです。
「ダンスパートナーの件でしたらお断りしたはずですが?」
「確かにダンスパートナーの話だが、私が待っているのは君が口にしていることではない」
さっぱり分かりません。彼が何を言っているのか。
ともすれば、気が触れてしまったかのように感じられています。
「私のダンスパートナーになるという返事を待っている……」
嘘でしょ? 私は断る以外の返答を持っていないというのに。
「ダンスパートナーにはなりたくありません」
「君はドレスを新調したのだろう? 調べはついている。私のパートナーとなるために、相応しいドレスを誂えたことをな」
どうにも自信家であり、更には病んでいる気もする。
普通のご令嬢なら尻尾を振って頼み込むのでしょうが、生憎と私は違います。
「アルバート貴院長のため? そんなわけないじゃないですか? ドレスはイセリナが買ってくれただけ。断った人のために誂える人間がいるはずもありませんわ」
「隠さなくて良い。私の誘いを断るような令嬢がいるはずもないのだ」
言ってアルバートは私の腕を掴んだ。
強く引き寄せ、私の顎先をその手で上に向ける。
「な、何を……?」
「ウブなんだな? 分からないとは……」
アルバートの顔が近付いてきた瞬間、パシンと耳に残る音が周囲に響く。
間違っても私じゃない。
授爵式を控えた私はただの子爵令嬢でしかなく、もし仮に授爵したあとであっても、アルバートのクレアフィール公爵家には遠く及ばないのです。
そんな彼に平手打ちするような真似を公衆の面前でできるはずもありません。
「イセリナ……?」
どうやら手を出したのはイセリナのよう。アルバートと同格である彼女は私の危機に際して、間に入っている。
「アルバート、貴方は何様? アナはワタクシの親友であり、従者ですのよ? 今回の件はお父様に処分を願いますわ。大勢が見ているのです。言い逃れはできませんわよ」
イセリナは強い口調で言った。
間違っても従者であるつもりはありませんでしたが、彼女が割って入ってくれたことには感謝しかありません。
「イセリナ、君こそ私に手を上げたな? 後悔しても知らんぞ?」
「何ならルーク殿下まで出てきてもらってもよろしいのですわよ? クレアフィール公爵家が没落しないように願うのであれば、さっさと立ち去りなさい!」
普段のだらしないイセリナと同一人物だとは思えません。
今の彼女は明確に悪役令嬢イセリナであって、全てを畏怖させるご令嬢に他なりませんでした。
ここまで言われてしまっては、流石にアルバートも周囲を気にしています。
イセリナの甲高い声に呼び寄せられたかのような群衆は彼を焦らせていました。
「アナスタシア、私に恥を掻かせるなよ? 当日は新調したドレスを着てくるんだ!」
最後までアルバートは主張を変えない。
私たちを取り囲むような生徒たち。騒ぎが大きくなってしまったのはイセリナの張り手なのか、或いは怒鳴るようなアルバートのせいなのか。
授爵式を控えている以上、問題ごとを起こしてはならない。私は嘆息しつつも覚悟を決めました。
幸いにも証人となる人たちが大勢いる。だからこそ、私は告げるだけでした。
「分かりました。とりあえず、胡蝶蘭の夜会には参加いたします。けれど、貴方様と踊るつもりはありませんので悪しからず……」
「ふん、最初から素直になればいいのだ! いいか? お前は私のパートナーだ。よく肝に銘じておけ」
「パートナーではありませんわ! 参加することを了承しただけですから!」
次第に私もヒートアップしていました。
ゲームキャラではクールな印象だったけれど、現在のアルバートは正直に悪役だとしか思えません。
「当日は会場の入り口で合流する。いいな?」
アルバートは命令を残して去って行きました。最後まで悪態付いたままに。
私は溜め息混じりに口を開く。
「ごめん、イセリナ。気を遣わせてしまった……」
「気にしなくてもよろしくてよ? クレアフィール公爵家はまともだと考えていたというのに、どうしようもないクズでしたわね? ワタクシ、あのような輩は大嫌いですの!」
大声でアルバートを批判するイセリナ。これには集まってきた者たちも苦笑いを浮かべるしかない。
同意しようものなら、どのような罰を受けるか分からないのだから。
「ま、とりあえず参加はするわ。あんな男と踊るつもりはないけれど……」
「蹴り飛ばしてやりなさい!」
イセリナは今も怒りが収まらない様子。
気持ちは分からなくもないですけれど、私としては嫌がらせをするだけです。
命令通りに夜会へと参加し、決めた通りに彼とは踊らない。両方を遂げてこそ悪役令嬢だわ。
私にも少なからず矜持があるということを見せつけてやりましょう。
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